Portugal

国連 1989 発行
切手で綴る 伝道大航海(Missionary Voyage)ポルトガル発見者の群像(5-3
聖フランシスコ・ザビエル
1549
日本の鹿児島に上陸
パンプローナ

大航海物語
ポルトガル編

ESTARD da INDIA
聖フランシスコ・ザビエル

ポ領インド 昭和20年 1945/5/28 発行

INDIA PORTUGESA
ザビエル没後400年記念

ザビエルの棺
ザビエルの手
ザビエル像
ゴアのボンジェス教会 ローマのジェス聖堂に安置

ザビエルの棺

1552 ザビエル没後400年記念 1952
ゴア(ポルトガル領インド) 1952 発行

聖フランシスコ・ザビエルは、ポルトガルのキリスト教宣教師。「東洋の使徒」と呼ばれています。イエズス会創立期の司祭で東洋に派遣され、リスボンを出港してから、8年後、日本に来て、日本に初めて、キリスト教を伝えました。
聖フランシスコ・ザビエル神父
 (San Francisco Xavier, 1506/4/7〜1552/12/3)
ザビエルは1506年4月7日スペイン北部ナバラ王国(Kingdom of Navarre, 824-1841)のパンプローナ(Pamplona, Basque, Navarre, Spain)に近いザビエル城(Castle of Xavier)で、貴族の家に生まれました。1512年に同国は隣国のカスティリャ王国(Kingdom of Castile, 1065-1230)に攻め滅ぼされ、一家は離散の憂き目にあい、苦難な幼少期をおくりましたが、1525年19才でパリ大学に留学しました。1530年にパリの聖バルブ学院(College Sainte-Barbe)で修士号を得て、講師として教鞭をとりながら、将来は故国に戻ることを考えていました。 サンフランシスコのザビエル大聖堂

USA 1971 発行
ところが、イグナテイウス・デ・ロヨラとの出会いがザビエルの運命を変えることになりました。話は少しさかのぼり、1521年のナバラ王国旧臣による首府バンブロナ奪回作戦の失敗時のカステイリャ守備軍(Spanish troops)にいたロヨラは、この戦闘で足に重傷を負い、それを契機に宗教家への道を歩き、優れた指導者となりました。ザビエルは27才のときにパリに来た彼に出会い大いに感化を受け、1534年ロヨラを中心としてモンマルトルの丘の中腹のサン・ドニ大修道院教会堂(Basilica of Saint-Denis, Montmartre Hill, Pris)に集い誓約(モンマルトルの誓い)し創設された新修道会イエズス会(Society of Jesus, 1534-)に同士として参加しました。1540年にロヨラを初代総長として公認されたイエズス会修道士達は軍隊的規律と戦闘的精神で海外布教をしました。 イグナチオ・デ・ロヨラ

コロンビア 1956/11/26 発行
1541年に東インド布教にイエズス会の登用を決めたポルトガル国王の要請に応じたザビエルはポルトガルのリスボンを出帆、モザンビーク島を経てインドのゴアに到着しました。バチカン教国ローマ法王使節、イエズス会の東インド管区長の資格をもって、1542〜1548の間、インド南端のコモリン岬をはじめインド沿岸各地を巡り、セイロン島マラッカモルッカ諸島にまで布教しました。1547年12月マラッカの教会で鹿児島出身の日本人ヤジロー(弥次郎、1511(永正8年)頃-1550(天文19年)頃:アンジローともいわれる)に出会ったことから日本行きを決意しました。

1549(天文18)年8月15日にザビエルはフェルナンデス修道士(Juan Fernadez、1526-1567)やヤジローらと鹿児島に日本最初の第一歩を印しました。1451年11月まで2年3ヵ月滞在し1,000人余を改宗させ伝導の目的を達しました。この間、鹿児島平戸、周防山口を同僚フェルナンデス修道士らと伝導したのち1451年初めには堺に達し、京都に行き、周防の大内義隆(1507-1551)を再訪し数々の珍奇な品を献上して山口で布教しました。ついで豊後ポルトガル船が入港した知らせで、そちらに移り大友宗麟(1530-1587)に謁した後、1551年ひとまず離日してインドに帰りました。

翌年に中国の布教を志してゴアを出帆しましたが、上陸を目前にして、香港西方にある広東沖のサンジョアン(上川)島で病いに倒れ帰らぬ人となりました。(46才, 1552/12/2)。※遺骸はゴアのボン・ジェズ教会に安置されました。右腕だけはローマのジェズ教会に安置されています。東洋布教開拓のパイオニアとしての功績は大きく1622年には聖人位を授けられました。(※12/3説も有)。

参考:〜
・パンプローナ
 (Pamplona, Navarre, Basque, Spain)
 スペイン王国(Kingdom of Spain、ス語:Reino de Espana)
 バスク地方(Basque Country)
 ナバラ州(Navarre State)
 ナバーラ県(Navarre Province)
 クエンカ・デ・パンプローナ郡(Cuenca de Pamplona Comarca
 パンプローナ市(Pamplona (City) municipio
 人口:197,488人 (2010)、面積:25.24ku
聖フランシスコ・ザビエル神父の生誕地のパンプローナは、スペインのバスク地方ナバーラ州のクエンカ・デ・パンプローナ郡(コマルカ)でムニシピオ(基礎自治体:Autonomous Community)。ナバーラ州の州都。旧ナバーラ王国の首都。
パンプローナの場所地図・紋章

パンプローナのロヨラ城塞シート
スペイン 1988 発行
毎年7/6〜14にはサン・フェルミン祭(牛追い祭り)が開催されます。アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899-1961)の長編小説「日はまた昇る」(The Sun Also Rises, 1926)の主な舞台です。

参考HP:〜
  ・山口ザビエル記念聖堂
  ・鹿児島ザビエル上陸顕彰会
  ・平戸ザビエル記念聖堂

こちらで
エストレマドゥーラ州 (スペイン)
・神戸のザビエル肖像画 (写真集:神戸市立博物館コレクション室)
・平戸のザビエル肖像画 (写真集:松浦史料館)
スパイス (香辛料)
ヌビア遺跡 (エジプト)世界遺産
パルテノン神殿 (ギリシャ)世界遺産
法隆寺 (日本)世界遺産
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和 R.2:2020/3/20追記(令和6年2024/5/25)  
天正遣欧少年使節はこちら
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