Sli Lanka 国連 1981発行 |
切手で綴る ポルトガルのインド攻略([)
コロンボ Colombo |
大航海物語 地図編★ |
コロンボの古地図、1635 ペドロ・バレット(Pedro Barreto de Resende, ?-1651)作 |
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ポルトガル発行 Portugal ポルトガル 2006 発行 |
ポルトガル領インド発行 ESTADO da INDIA ポルトガル領インド 1956/3/24 発行 |
ESTADO da INDIA (Portugal India) ポルトガル領インド 1956/3/24 発行、小型シート |
・コロンボ Colombo (City of Colombo, Colombo District, Western Province, Democratic Socialist Republic of Sri Lanka)
コロンボは2000年前からローマやアラブ、中国と交易をしていました。イスラムのムスリム商人は8世紀には使節を駐在させ、シンハラ諸王国と外部の交易の大半を支配下に置いていました。16世紀初頭になると香辛料交易を求めるポルトガル人が到来し、1517年にコロンボのムスリム人を追い出し、コロンボに砦を建設しました。ポルトガルは当時この地域を支配していたコッテ王国内の対立を利用して勢力を拡大していきました。 ・古代(Ancient Era) BC543年、インドからスリランカに来たシンハラ人の祖先ウィジャヤ王(BC543−BC505)が アヌラーダプラに都市を建設 BC377年、ウパティッサ・ヌワラ王国(Kingdom of Upatissa Nuwara,BC505-BC377)のパンドゥカーバヤ (Pandukabhaya, BC437-BC367)王が首都をアヌラーダプラへと移しアヌラーダプラ王国 (Anuradhapura Kingdom, BC377-1017)が成立してセイロン島全土を支配 0477年、シンハラ王朝アヌラーダプラ王国(Anuradhapura Kingdom, 377 BC-1017)ダートゥセーナ王 (Dhatusena of Anuradhapura在位455-473)息子カッサパ1世(Kashyapa I of Anuradhapura, 在位:473-495)がクーデターで王位を奪取して、都をアヌラーダプラ(Anuradhapura)からシ ギリヤ(Sigiriya)へ遷都、シギリヤ・ロックにシギリヤ・レディが描かれる 14世紀、ガンポラ王国(Kingdom of Gampola, 1345-1406、首都:ガンポラ)がヴィクラマバーフ3世 (Vikramabahu III, 1357-1373)の治世の下で西海岸での北方からの侵略者を追い詰めるた めアラカイスワラ大臣(Alagakkonara, 1370-1385)がコロンボの中心部から南東約10kmの 地点に、初めてコッテ砦(Kotte Fort)を建設 イブン・バットゥータがコッテ要塞に来訪して、コロンボの港をカランプ(Kalanpu)として紹介 1411年、明・錫蘭山国戦争(Ming-Kotte War, 1411)で、ライガマ王国(Kingdom of Raigama, 1391- 1412)は鄭和の艦隊に敗れ、アラカイスワラ王(Alakeshwara, 1391-1412)が明に連れ去ら れてシンハラ人のライガマ王国が滅亡 1412年、ライガマ王国のパラクラマバーフ6世(Parakramabahu VI, 在位:1412-1467)が即位、コッテ 王国(Kingdom of Kotte, 1412-1597)として再建され、大きな沼地に囲まれ防御に適した コッテの地を要塞として整備 1415年、ジャヤワルダナ(Jayawardene:勝利をもたらす)といわれていたコッテがコッテ王国の都とな り、王は要塞を強化し、さらに新しい王宮を建設。彼はインドのヒンドゥー王朝ヴィジャヤナ ガル王国(Vijayanagara Empire, 1336-1646)とセイロン島北部のタミール人ヒンドゥー王朝 ジャフナ王国(Jaffna kingdom, 1215-1624、首都:ジャフナ半島ナルア)に対して厳しい姿勢 を示し、ワンニ()地方を取得するとその地に王に忠実なリーダーを置くと、 コロンボがその港として繁栄 1450年、コッテ王国が北方のジャフナ王国を征服し、スリランカ全土の統一に成功するも、 パラクラマバーフ6世没後は地方の力が強くなる 1469年、中部山岳地域でキャンディ王国が成立 ・ポルトガル時代(Portuguese Era, 1505-1658) 1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインド(カリカット)到達に成功 1505年、ポルトガルのアルメイダ提督が来訪して、コッテ王国パラカマバフ8世(Parakramabahu VIII, 在位1484-1518)とシナモン交易を締結して商館を建設するも、数年後に追放される 1517年、ポルトガルのインド副王アルメイダ提督がコロンボ商館を再建 1518年、インド副王アルベリガリア船長が大艦隊でコロンボ攻撃を実施し、上陸してサンタ・バー バラ(Nossa Senhora das Virtudes or Santa Barbara)と名付けた小規模な砦を築き、それ が後のコロンボ要塞となり、コロンボ港が繁栄 1565年、内紛で誕生したシーターワカ王国(Kingdom of Sitawaka, 1521-1594)の度重なる攻撃でコッテ の都は放棄され、王はポルトガルが守るコロンボに逃亡 1593年、セイロン島中央部のコッテ王国がインドのゴアからの襲撃でコロンボを撤退すると、ポルトガル がコロンボ近辺の海岸部を支配して、コロンボがセイロン島(現:スリランカ)の首都となる 16世紀末にはポルトガルがコッテ王国をコロンボへ併合、セイロン島沿岸部の支配を確立。コロンボはポルトガル領セイロンの首都になりました。当時のコロンボはフォート地区(Fort, Colombo District, Western Province, Sri Lanka)の要塞と、そのすぐ外側のペター地区(Pettah, Colombo District)の商業地域から構成されていました。 ・オランダ時代(Dutch Era, 1656-1796) 1638年、オランダがシンハラ人のキャンディ王国(Kingdom of Kandy, 1469-1815)のラージャスィンハ 2世(Rajasimha II, 在位1629-1687)と同盟して、ポルトガルを武力で攻撃 1639年、ポルトガルのコロンボ要塞が包囲攻撃される 1656年、コロンボ要塞が陥落、ポルトガル生存者93人が追放され、オランダが占領 ゴーンズ(Rijckloff van Goens 1619-1682)がオランダのセイロン島総督となる 1658年、オランダに攻略されて支配となり、引き続きオランダ領セイロンの首都となる
1942年、4/5に大日本帝国がコロンボ港を空襲。在泊船舶や基地施設に大損害を与える 1945年、大日本帝国無条件降伏、第2次世界大戦終結 ・独立:共和国時代〜(Independence:Republic Era 1948-) 1948/2/4、イギリスから英連邦王国自治領のセイロンとして平和的に独立 コロンボは引き続き首都となる 1972年、セイロン(Dominion of Ceylon)がスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となる 1978年、国名がスリランカ民主社会主義共和国(人口約2027万、2012、国民の7割が仏教徒)となる 1985年、第2代ジャヤワルダナ大統領が現在のスリランカの首都をコロンボから南東約10kmへ遷都して スリジャヤワルダナプラコッテ(Sri Jayawardene pura Kotte)となる 名の由来:スリ(聖なる)・ジャヤワルダナ(大統領名)・プラ(街)・コッテ(元々の街の名前) 行政庁舎は旧首都コロンボに留め置かれる 2007年現在、国会議事堂などの一部施設を除いて行政府、司法府など首都機能の大半はコロンボから 移転しておらず、またスリジャヤワルダナプラコッテ自体がコロンボの郊外都市としての性格を 持っているため、コロンボは現在も実質的な首都として機能している。 参考HP:〜 ・コロンボの地図 ・スリランカの地図(日本語、セイロン島) ・コロンボの場所地図(日本語、スリランカの8州区分地図) こちらで ・蘭英戦争(1652-1674) ・第1次蘭英戦争(1652-1654) ・第2次蘭英戦争(1665-1667) ・第3次蘭英戦争(1672-1674) ・第4次蘭英戦争(1780-1784)
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成26年 2014/5/4、令和5年 2023/7/8 |