India 国連 1984 発行 |
切手で綴る ポルトガルのインド攻略(Z)
コーチン Cochin |
大航海物語 地図編★ |
コーチン |
・コーチン Cochin コーチンは、現コーチ(Kochi)でインド南部のケーララ州(Kerala)にあり、南インドの重要な貿易港がある都市。人口:160万人。コーチンは1503〜1663年の間、ポルトガルによって占領され、当初はインド支配におけるポルトガルの拠点でしたが、後にゴアへ拠点が移りました。その後、オランダ、マイソール王国、イギリスなどの支配を受け、1947年にインドがイギリスから独立すると、インドへ返還されました。その他のポルトガル領インドは、返還が遅れ、インド義勇軍の武力進攻の後に、1961年にインドへ完全に併合されました。 1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインド(カリカット)到達に成功 1500年、ポルトガルのカブラルがカリカット(Calicut、現コージコート:Kozhikode)から到達 1502年、ヴァスコ・ダ・ガマが貿易拠点をコーチンに建設 1503年、アファンソ・デ・アルプケルケ将軍が占領し城塞コーチン砦(Fort Kochin)を建設 第1次コーチン包囲攻撃の戦いが勃発、ポルトガルがザモリン軍に勝利 1504年、ペレイラ船長がカリカット王国の5ヵ月の攻撃に耐え抜き貿易拠点の商館を建設 1505年、ドン・フランシスコ・デ・アルメイダ提督が初代インド副王としてインドに到着 アルメイダ提督がコーチン砦を改築、25才のマゼランが従軍 1509年、アルプケルケ将軍が初代インド総督としてインドに到着 1515年、ルポ・デ・アルベリガリアが第2代インド総督としてインドのコーチンに到着 1524年、ヴァスコ・ダ・ガマが第2代インド副王としてコーチンに到着、 同年ヴァスコ・ダ・ガマがマラリアで亡くなり、 コーチン市の聖フランシスコ教会(St. Francis Church)に葬られる 1529年、ヌーノ・ダ・クーニャが第7代インド総督としてコーチンに着任 1530年、ポルトガル領インドの首都がコーチンからゴアに移転 ポルトガルのザビエルがコーチンに来てキリスト教を布教 1538年、ガルシア・デ・ノローニャが第3代インド副王としてゴアに着任し、 コーチンにいたヌーノ・ダ・クーニャ前総督をポルトガルに強制送還する 1609年、ジョアン・ダ・ノーヴァ船長がコーチンで亡くなる 1662年、第2次コーチン包囲攻撃の戦いが勃発、ポルトガルが敗戦、撤退 1663年、オランダが占領(-1773)、 ポルトガルのコーチン植民地支配が終る 1773年、マイソール王国(Kingdom of Mysore)が占領 1814年、イギリスが占領(-1947) 1945年、大日本帝国無条件降伏、第2次世界大戦終結 1947年、インドがイギリスから独立、 コーチンはイギリスからインド政府に返還され、 イギリスの植民地支配が終る 参考HP:〜 ・コーチンの場所地図(日本語) ・コーチンの場所地図 ・コーチンの地図 ・インドの地図 ・インドの地図(日本語) ・インド植民地の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 10/10/11 |