India 国連 1984 発行 |
切手で綴る ポルトガルのインド攻略(T)
ディウ Diu |
大航海物語 地図編★ |
ディウ |
・ディウ Diu ディウはインド北西のカンバト湾(Gulf of Cambay、現:Khambhat)北西岸にあって、1535年にポルトガル領となりました。ディウ自体は長さ10km程度の島で、ポルトガルの要塞島として使われました。なお、その対岸にある2つの村もポルトガル領ディウの一部とされました。 1961年にインド軍の侵攻を受けてインドに併合されました。 14世紀、オスマントルコが支配 1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインド(カリカット)到達に成功 1508年、ポルトガルのアルメイダ提督艦隊がディウ沖の海戦を戦い、 エジプトのマルムーク艦隊を撃破、25才のマゼランが従軍 アラビア海の制海権をポルトガルが奪取 1511年、アルブケルケ将軍が島の先端にディウ砦(Diu Fort)を建設、商館を置く、 1535年、ムガール帝国に攻撃されたクジャラートのサルタンが ポルトガルのディウ砦と軍隊の駐屯を承認、ポルトガル領となる、その後まもなく、 ムガール軍が去ったので、クジャラートが承認を破棄してくるもポルトガルが応じず 1538/9、クジャラート軍がディウ包囲攻撃を開始、ポルトガルが一時撤退 1539年、ガルシア・デ・ノローニャ副王が、イスラムが撤退時に破壊したディウ要塞を再建 1543年、ジョアン・デ・カストロがエステヴァン・ダ・ガマ(Estevao da Gama)の遠征に従軍し、 ディウへ援軍として駆けつける 1546/11、ジョアン・デ・カストロ総督が第2次ディウ包囲攻撃でイスラム教徒を撃破 1554年、クジャラート王国の内紛に乗じてポルトガルがディウ島の全てを占領 1772年、ポルトガルがシンボール村を占領し、ディウの飛び地とする 1945年、大日本帝国無条件降伏、第2次世界大戦終結 1947年、インドがイギリスから独立 インド政府はポルトガルにも領土の返還を求めるも、 ポルトガルのアントニオ・サラザール独裁政権は応じず 1961/12/19、インド国民軍がポルトガル領に武力侵攻、ポルトガルが降伏 インドにおけるポルトガルのディウ植民地支配が終り、 ダマン・ディウ連邦直轄地域(Daman & Diu、union territory, India)として インドの連邦政府直轄地域となる。 参考HP:〜 ・ディウの場所地図(日本語) ・ディウの場所地図 ・ディウの地図 ・ダマンとディウの地図 ・インドの地図(日本語) ・インド植民地の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 10/10/16 |