India

国連 1984 発行
切手で綴る ポルトガルのインド攻略(T
ディウ
Diu

大航海物語

  地図編

ディウ
1635、ペドロ・バレットの古地図
Pedro Barreto de Resende (?-1651)

ポルトガル領インド 1956/3/24  発行

ディウ
  Diu

ディウはインド北西のカンバト湾(Gulf of Cambay、現:Khambhat)北西岸にあって、1535年にポルトガル領となりました。ディウ自体は長さ10km程度の島で、ポルトガルの要塞島として使われました。なお、その対岸にある2つの村もポルトガル領ディウの一部とされました。
1961年にインド軍の侵攻を受けてインドに併合されました。

14世紀、オスマントルコが支配
1498年、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマがインド(カリカット)到達に成功
1508年、ポルトガルのアルメイダ提督艦隊がディウ沖の海戦を戦い、
      エジプトのマルムーク艦隊を撃破、25才のマゼランが従軍
      アラビア海の制海権をポルトガルが奪取
1511年、アルブケルケ将軍が島の先端にディウ砦(Diu Fort)を建設、商館を置く、
1535年、ムガール帝国に攻撃されたクジャラートのサルタンが
      ポルトガルのディウ砦と軍隊の駐屯を承認、ポルトガル領となる、その後まもなく、
      ムガール軍が去ったので、クジャラートが承認を破棄してくるもポルトガルが応じず
1538/9、クジャラート軍がディウ包囲攻撃を開始、ポルトガルが一時撤退
1539年、ガルシア・デ・ノローニャ副王が、イスラムが撤退時に破壊したディウ要塞を再建
1543年、ジョアン・デ・カストロがエステヴァン・ダ・ガマ(Estevao da Gama)の遠征に従軍し、
      ディウへ援軍として駆けつける
1546/11、ジョアン・デ・カストロ総督が第2次ディウ包囲攻撃でイスラム教徒を撃破
1554年、クジャラート王国の内紛に乗じてポルトガルがディウ島の全てを占領
1772年、ポルトガルがシンボール村を占領し、ディウの飛び地とする
1945年、大日本帝国無条件降伏第2次世界大戦終結
1947年、インドがイギリスから独立
      インド政府はポルトガルにも領土の返還を求めるも、
      ポルトガルのアントニオ・サラザール独裁政権は応じず
1961/12/19、インド国民軍がポルトガル領に武力侵攻、ポルトガルが降伏
      インドにおけるポルトガルのディウ植民地支配が終り
      ダマン・ディウ連邦直轄地域(Daman & Diu、union territory, India)として
      インドの連邦政府直轄地域となる。

参考HP:〜
 ・ディウの場所地図(日本語)
 ・ディウの場所地図
 ・ディウの地図
 ・ダマンとディウの地図
 ・インドの地図(日本語)
 ・インド植民地の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。    10/10/16

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