Spain 国連 1988 発行 |
E S P A N A(V) 切手で綴る スペインの大航海 (Conquest Voyage) スペインのインカ帝国征服 Conquest of Inka |
大航海物語 スペイン編★ |
ESPANA スペインの主なインカ帝国征服者 |
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ピサロ |
オレリャ−ナ |
アルマグロ |
チャヴェス |
メンドーザ |
ガライ |
ベラルカサール |
ヴァルディヴィア |
トレド |
ロサーダ |
エナレス |
パレデス |
ス ペ イ ン 発 行 |
スペインのインカ帝国征服 16世紀の初め、スペインは新大陸への渡航ブームの熱に浮かされ沸きかえり、コロンブスが発見できなかったアメリカ大陸への航海と探検が続きました。コンキスタドール(征服者)と呼ばれる連中が、各地を征服してゆきました。そのなかの一人、バルボアは黄金郷を求めてパナマ地峡地帯を探検して、太平洋を発見しましたが、夢をかなえることなくペトラリアス・ダビラ総督の命を受けたピサロに捕えられました。ピサロはこの「南の黄金卿」情報を実際に探検に出かけ調査した後、本国に戻りスペイン王の許可を受けて遠征隊を率いて、インカ帝国(ペルー)へ赴きました。 おりしも広大なインカ帝国は最後の皇帝ワイナ・カパク没後の帝位相続にからむ内戦のさなかであり、北部エクアドル・インカ(首都キトー)のアタワルパが南部インカの帝都「クスコ」を陥落させて、北部のカハマルカに数万の軍勢と共に陣取っていました。そこへ、スペイン人180人を率いて北部海岸のトゥンペス(Tumbes, Peru)に到着したピサロはカハマルカへと行軍して、インカ軍と交戦、アタワルパを捕虜にしました。、そして部屋一杯の黄金と引き替えに釈放するとの約束を破りアタワルパを処刑しました。 |
南アメリカ地図 エクアドル 発行 アマゾン河 ブラジル 発行 |
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こうしてインカ帝国は新指導者を失い、キトー、クスコを次々と征服され滅びましました。南部インカ帝国の帝王マンコ2世はスペイン人により、傀儡政権の新インカ帝王となりクスコで古式にのっとり戴冠式を挙行しました。その後、スペイン人の残虐行為に激怒し、クスコの北のビルカバンバに立てこもって40年にわたって続く反乱を起こしました。インカ族はその後200年にわたり反乱を繰り返したとも言われています。ピサロは海岸近くに新しい都リマを建設し、海岸部はスペイン化され、山岳部のインカ族の都市とはっきりと区分されてゆきました。インカ帝国征服後はスペイン人どうし(主としてピサロ兄弟とその他のスペイン人)の権力闘争が10年にわたって起こりました。ピサロはチリ遠征から戻ったデイエゴ・ド・アルマグロと戦い勝利しましたが、アルマグロの残党に暗殺されました。オレリャーナはピサロの弟のゴンサーロと共に、肉桂(シナモン)を求め、アンデスを越えて東へと遠征に赴き、アマゾン河を下りきって、大西洋へと出てしまい、最初のアマゾン河縦漕者となりました。混乱の続いていた新植民地ペルーへ第5代副王としてドン・トレドが派遣され精力的な行動力で新行政体制を築きました。インカにはヤナコチャ金鉱山(Yanacocha, Cajamarca)、ムルンカイ金鉱山(Murunkai
Gold Mine)、アマリ−リョ川の砂金(Placer Gold of Amari-Ryo River)などがありました。 参考HP〜 ・ペルーの地図 ・スペイン帝国の版図地図(スペイン帝国(1492-1976)の世界の場所地図) こちらで
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2017/2/25追記、令和 R.2/12/25(2020) |