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★スペイン | ヘルナンド・サーヴェドラ 1597 パラグアイ副知事 |
大航海物語★ |
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←アマゾン河 ←ラプラタ河 |
サーヴェドラは南米ペルー南部地方の行政区画であったリオ・デ・ラ・プラタの副知事となり、パラグアイの首都アスンシオンの発展に貢献し、パラグアイのアルゼンティンからの分離にも貢献し、パラグアイの知事になりました。 |
ヘルナンド・アリアス・ド・サーヴェドラ (1561〜1634) Hernanda Arias de Saavedra (ヘルナンダリアス Hernandarias) (副知事と知事在位(副1597ー99, 1602ー09, 1614ー18) 1516年にファン・ド・ソリスがラプラタ河に来航して、原住民に殺害(反乱説も有)されました。10年後にはセバスチャン・カボットが河上へ遡上して、パラナ河とウルグアイ河へと入ったのが、ヨーロッパ人の最初でした。そこで最初のスペインの領土の定住を確立したのが、ヘルナン・ド・サーヴェドラでした。スペインの移住者がウルグアイ河の西岸に移住して1世紀の間も河を渡って東岸に入りませんでした。 サーヴェドラは新大陸(南アメリカ)・パラグアイのアスンシオンで生れました。サーヴェドラは新大陸生れの初の知事で、36才でパラグアイ(リオ・デ・ラ・プラタ)副知事となり、1597−99年の間勤めて、1602年に知事となり1609年までの間勤めました。パラグアイの知事としては、原住民の融和をはかり公立学校の導入をし、イエズス会士国防義勇軍兵士特権を許可されました。1611年にサーヴェドラは牧畜用の牛を導入し、パラグアイのアスンシオンに持ち込んで、ラプラタ河東岸地方の開拓に貢献しました。この頃から”ガウチョ”と呼ばれる牛追い専門職が生れました。ガウチョにはかなりの数のスペイン人と原住民との混血の人たちがいました。 アルゼンティンの知事は、1614−18年の間勤めましたが、1617年にパラグアイがアルゼンティンから分離されましたので、1617−18年はパラグアイの知事となりました。アルゼンティン知事時代にはブエノス・アイレスの発展に貢献しました。73才でアスンシオンで亡くなりました。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 |