カハマルカ Cajamarca インカの温泉保養地遺跡 |
サンタ・カタリナ・カテドラル(大聖堂) Iglesia Santa Catalina, Cajamarca 1855 カハマルカ県設置150年記念 2005 (Departmento de Cajamaruca) ペルー 2006/2/20 発行 |
サンフランシスコ修道院 世界遺産(Conventode San Francisco) ペルー 1988/1/23 発行 |
インカの土器とインカ道地図 |
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リ マ→ |
チャンチャン→ パチャカマック→ イカ→ ナスカ→ |
←カハマルカ ←チャヴィン ←クスコ ←プカラ |
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←プーノ |
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アレキパ→ | ペルー 2011 発行 (200%) |
カハマルカ Cajamarca カハマルカはペルー北部で首都リマから北へ約850km、カハマルカ県々都サン・アントニオ・デ・カハマルカ市(City of San Antonio de Cajamarca, Cajamarca Province, Cajamarca Region, Peru)標高2750m。アンデス山脈の山に囲まれた盆地で、 1802/12/19に建設され、市域人口153,466人(2005)。街並みは植民地時代の面影を色濃く残し、インカ帝国最後の第13代皇帝アタワルパがフランシスコ・ピサロに幽閉されて最期をむかえた所としても知られています。街の起源は2000年以上前に遡る前チャビン遺跡の痕跡が、市から19kmにあるクンベ・マヨ (Cumbe Mayo)遺跡や、クントゥル・ワシ (Kuntur Wasi)遺跡といった所が周辺に有。 1463〜1471年の間に父パチャクテク(9代)の命で、トゥパック・インカ・ユパンキ(10代)がこの地を征服し、カハマルカをインカ帝国に組み込みました。カハマルカは温泉地でも知られており、1532年にアタワルパがインカ内戦の戦闘で兄のワスカルを破って、80,000人の兵を率いて王位を要求しにクスコへ行く途中で、カハマルカに立寄り、温泉に逗留しました。其処は「インカの温泉(バニョス・デル・インカ:Banos del Inca)」として、現在は観光名所になっています。 また、カハマルカはフランシスコ・ピサロと配下の168人の兵士がペルー太平洋岸ピウラからの数週間の進軍の後に、此処で皇帝アタワルパと面会して捕え、太陽の神殿に幽閉して、部屋一杯の金(Gold)と、部屋二杯の銀(Silver)を助命する代わりの身代金として受け取りました。その部屋は、エル・クアルト・デル・レスカテ (El Cuarto del Rescate)という「身代金の部屋(The Ransom Room、ス:Cuarto del Recat)」として観光名所になています。ところが、スペイン人は約束を破って皇帝アタワルを火炙りの刑ではなく、鉄環絞首刑(ス:Garrote:ガローテ)という「椅子に座らせた死刑囚の首を鉄の輪で縛って後ろからそれを捻ることで首を絞める絞首刑の一種」で処刑して殺害しました。 ・カハマルカ略史:〜 紀元前2000年以上、街の起源の前チャビン遺跡の痕跡が有 クンベ・マヨ遺跡(Cumbe Mayo)やクントゥル・ワシ遺跡 (Kuntur Wasi) 900〜1200年、キルケ人がこの地域を支配 1100年頃、キルケ文化でクスコ郊外のサクサイワマン要塞が建設される 遺跡を炭素14法(放射性炭素年代測定)で分析して判明 1532/4月、インカ内戦最後のキパイパンの戦いに勝利したアタワルパがカハマルカに滞在 1532/11/16、カハマルカの戦いでインカ皇帝アタファルパがフランシスコ・ピサロに捕えられる 1532/12/20、サン・ミゲルからの現地人使いが「アルマグロがパナマから120人を乗せてきた 船6隻がコアケに着いた」と知らせてくる 1533/03/13、クスコから着いたインカの黄金製品の溶解が始まる 1533/04/14、アルマグロ一行がカハマルカに到着 1533/08/29、インカ最後の皇帝アタワルパがカハマルカで処刑される 1802/12/19、スペイン人がカハマルカ市を建設。 カハマルカとその近郊の観光名所:〜
(The Ransom Room) スペイン語でエル・クアルト・デル・レスカテ (El Cuarto del Rescate)という、 皇帝アタワルパが助命のために囚われた部屋を金銀で満たしたという部屋。 ・クントゥル・ワシ遺跡 (Kuntur Wasi) サン・パブ郡にある紀元前800年頃の先アンデス文明の神殿遺跡で、先史文明の手による 多くの黄金製品が発掘されました。1988年に東京大学古代アンデス文明調査団によって 発掘が開始され、現在(2008)も調査・発掘が続けられています。
(Huacaloma) ペルーに初めて土器が登場し、農耕による定住村落が確立する頃が形成期と呼ばれています。それはおよそ紀元前1800年から紀元前100年あたり頃のことです。 ワカロマ遺跡はカハマルカ市近郊にあって、2つの小高いマウンドで構成され、高さは約12m、基底部の総面積は約一万uにも及びます。その前期ワカロマ期と名付けられた最下層からは、土器を伴う神殿遺構が見つかり、その神殿遺構の発掘で、紀元前1500年頃、カハマルカ地方に土器を作って集落を構える農耕民が進出してきたことが分かりました。壁画の破片からの判断で、神殿の壁には幾何学的デザインや模様、猫科の動物の顔などが黒、白、赤、緑、黄、茶、ピンクなどで描かれていたと推定されました。その時期の土器は焼成した後に顔料を充填した装飾が描かれた無頸壺や鉢などが多く、カハマルカ北方のパコパンパ(Pacopampa)遺跡から出土した土器に似ていました。 形成期に属する四つの文化相は、古い方から、 ・前期ワカロマ(Huacaloma Temprano)期 (BC1500 - BC1000) ・後期ワカロマ(Huancalo Tardio)期 (BC1000 - BC500) ・EL(Layzon Temprano)期 (BC500 - BC25) ・ライソン(Layson)期 (BC250 - BC100) と名付けられています。 ワカロマ後期の祭祀建造物は、前期ワカロマ期の建物の上を厚さ5mの黄色土で覆い、そ の上に新しく建てられていました。この時期には大がかりな神殿更新が3回行われたよう で、最後の神殿は、120x108m、高さ12mの基壇に載っており、神殿本体の建築はライソン 期の初めに徹底的に破壊され、発掘では捨てられた壁画の断片だけ発見。 なお、カハマルカへの交通としては、飛行機ではリマから所要約1時間35分。バスではリマから所要約16時間。 参考HP:〜 ・カハマルカの場所地図(日本語) ・カハマルカの場所地図 ・インカ帝国の場所地図(インカ道路網) ・ペルーの詳細地図 (Quito、Tumbes、Cajamarca、Lima、Cuzco有) ・”Salvador Puig Antich” 〜 残酷なガローテという死刑の場面なので注意してください。 (スペイン映画(YouTube:ス語)「サルバドールの朝」のガローテという縛首の処刑場面) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 13/2/28 |