★インカ |
インカ帝国皇帝
アタワルパ 1533、スペイン人に処刑される インカ帝国、最後の皇帝 |
大航海物語★ |
父帝ワイナ・カパックは自らの母の出身地のキトーを愛し帝国第2の帝都としたので、晩年にはインカ貴族が首都クスコ派と、キト派に分かれて対立しました。父帝の死後、本来の皇太子であったニナン・クヨチが間もなく父と同じ病気で没すると、帝国はワスカルとアタワルパ、2人の兄弟の間で分割され、ワスカルは帝都クスコを含む帝国の大半(コヤ・スウユ、アンティ・スウユ、クンティ・スウユ)を、アタワルパは第2の帝都キトーを含む北部(チンチャ・スウユ)を得ました。2〜3年の間は彼らが平穏に分割支配するも、ワスカルはワイナ・カパックとその妹で正妻との間の子でしたので、自らが正統なサパ・インカ(皇帝)であると考え、アタワルパに自分への忠誠を誓うよう要求しました。それをアタワルパが拒否したことから内戦が開始されました。帝国の大半を押さえたワスカルは大軍と共に北に侵攻し、間もなくアタワルパを捕らえ、キトーに幽閉しました。 ところがアタワルパは少女の助けで脱走して、チャルクチマク将軍(Chalcuchimac, 1533年カハマルカ没)、キズキズ将軍(Quizquiz、1535年マライカラ付近没か)、ルミニャウイ将軍(Ruminahui, 1535/6/25第1次チンボラソ山付近没か)と合流しました。アタワルパは兵を集め、チンボラソの戦いでワスカルを撃破。そしてワスカル側についたことを理由にトゥメバンバの町の住民を皆殺しにして、キパイパンの戦いで内戦は終結し、ワスカルは武装解除されハウハに捕らえられました。
支払われた黄金は縦5.2m、横6.7m、高さ2.7mの「身代金の部屋」一杯で、現在価値約1,220億円(2.4トン×1,000,000g×@5,087円)だったとの説が有ります。なお、アタワルパが実の兄であるワスカルを殺害したと難癖をつけたり、ルミニャウイ将軍がインカ帝国キトー守備隊に保有する兵がスペイン兵をはるかに上回る数であったため、その差し迫っている攻撃を恐れて処刑したともいわれています。サパ・インカの帝位は、彼の死後、傀儡皇帝トゥパック・ワルパに、その後別の弟であるマンコ・インカ・ユパンキ(マンコ2世)に引き継がれるも、実質的な権威と権力を持った皇帝ではアタワルパが最後のインカ皇帝でした。また、黄金は6.1トン説もあって、それだと現在価値は約3,103億円となりますね(@_@) こちらで、 ・インカ帝国の始祖マンコ・カパック(マンコ1世) ・インカ最初の皇帝パチャクテク ・インカ10代の皇帝トゥパック・ユパンキ(太平洋探検航海) ・インカの名目皇帝マンコ2世 を、お楽しみください。 参考HP:〜 ・インカ帝国の場所地図(インカ道路網) ・ペルーの詳細地図(Quito、Tumbes、Cajamarca、Lima、Cuzco有) ・”Salvador Puig Antich” 〜 残酷なガローテという死刑の場面なので注意してください。 (スペイン映画(YouTube:ス語)「サルバドールの朝」のガローテという縛首の処刑場面) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 13/3/9 |