Spain

国連 1988 発行
切手で綴る スペインの大航海 (Conquist Voyage)インカ帝国征服(V-15
ディエゴ・ド・ロサーダ
1567
ヴェネズエラのサンチャゴ・デ・レオン(現カラカス)創建

大航海物語
 スペイン編

ESPANA
ディエゴ・ド・ロサーダ
サンチャゴ・デ・レオン創建者

The builder of Santiago de Leon de Caracas
スペイン 1968/10/12 発行


VEBEZUERA
ディエゴ・ド・ロサーダ
スペイン建設のカトリック大聖堂
スペインと戦った大首長グアイカイプロ
1567 カラカス400年記念 1967
ヴェネズエラ 1967 発行

ESPANA
新大陸からスペインへお宝を運んだ
スパニッシュ・ガレオン船
Spanish Galeon


スペインから新大陸へは人と物資を輸送
スペイン 1964/7/16 発行
ECUADOR
南アメリカの地図

エクアドル 1961/2/27 発行

スペイン生まれのロサーダは1567年に南アメリカ・ヴェネズエラの首都カラカスを建設し、サティアゴ・デ・レオン・デ・カラカスと名づけまました。

ディエゴ・ド・ロサーダ・イ・カベサ・ド・バカ
 Diego de Losada y Cabeza de Vaca (1513頃〜1569、別説1511頃〜1569)
  生地:スペインのカスティーリャ・イ・レオン州サモーラ県生
  没地:ベネズエラのカラボボ州ボルブラータ近く、58才没
  肩書:探検家、征服者(コンキスタドール)、ベネズエラのカラカスの建設者
   (Explorer, Cconquistador, Colonial settlement founder of Caracas, Venezuela)
ディエゴ・ド・ロサーダはスペインンのカスティーリャ・イ・レオン州サモーラ県(#9)のリオネグロ・デル・プエンテ(Rionegro del Puente)で生まれました。若い頃の記録は不確かですが、スペインの新大陸渡航ブームに乗って、早い時期に一攫千金を夢見るコンキスタドールとして南アメリカに渡ったといわれています。

ロサーダが記録に現れるのは、南米ヴェネズエラの首都カラカス(#25, Caracas)建設の時です。それは1567/7/25の建設で、”サンチャゴ・デ・レオン・デ・カラカス”(Santiago de Leon de Caracas、現カラカス)と名づけました。

その2年後の1569年末にベネズエラのカラボボ州(#7)のカリブ海ににある小さな海岸沿いの町ボルブラータ(Borburata, Carabobo, Venezuela)の近くで亡くなり、山岳地帯のララ州バルキシメトの南57kmの、ロサーダが1546/12/20に建設したララ州クビロ(Cubiro, Lala)に埋葬されました。

なお、
ロサーダは1533年にプエルトリコに到着していたともいわれています。それによると、
1553年にベネズエラのボリーバル州(#6)ブリア金鉱山(Buria gold mines)で反乱を起こした黒人シマロン(Black Cimarrones(Maroon)アフリカ系ベネズエラ人)集団を率いるネグロ・ミゲル(Negro Miguel, c1510-c1555)がララ州(#12)州都バルキシメトに襲来し、脅威を与えた時、町の防衛を担っていたディエゴ・ド・パレデスから救援の要請を受けて、ララ州エルトクヨ(El Tocuyo)から援軍として駆けつけてネグロ・ミゲル集団を追い詰め勝利しました。

1565年ベネズエラ植民地総督アロンソ・デ・キロス大将(Capitan general Alonso Bernaldez de Quiros, 在任1561-1562 & 1564-1566)がエル・ドラードを探し求めて、ベネズエラ沿岸山脈(コルディジェラ・デ・ラ・コスタ:Cordillera de la Costa)のコスタ山脈にあるカラカス渓谷付近に金鉱脈が存在することへの関心と、西の植民地とベネズエラ東部の植民地をつなぐ可能性のため、海岸山脈(Cordillera de la Costa)のそのカラカス地域を征服するための遠征隊を編成し、その隊長にロサーダを任命しました。1567年にロサーダはスペイン人300人と原住民ジラハラ戦士(Jirahara's Warrior)16,000人を伴ってララ州(#12)エル・トクヨを出発しました。ヤラクイ州(#21)中西部ビリャリカ(Villa Rica, 現ニルグア:Nirgua)で遠征隊はサン・セバスティアン(San Sebastian)の支援で、総督の息子で経験豊富な軍人フランシスコ・デ・インファンテ(Francisco de Infante, c1518-1568マラカパナの戦い グアイカイプロ大首長
没)などが参加しました。しばらくして、ロサーダ遠征隊はベネズエラ中央地域カラボボ州(#7)ディエゴ・イバラ市マリアラ(Mariara, Diego Ibarra)に到着。そこからカリブ族カシケ・グアイカイプロ大酋長(cacique Guaicaipuro, 生年不詳-1568)の領域であるカラカス渓谷の恐怖の谷(Valle del Miedo, 英Valley of Fear)へ進軍しました。そのカリブ族の領土を通るスペイン人の前進は血と火で迎え打たれるも、ロサーダ軍は軍事的優位性で勝利しました。ロサーダ軍にはディエゴ・ド・エナレスが参加していました。

ロサーダはカラカス渓谷に到着すると、1567/7/25にベネズエラの現首都カラカスを建設して故郷スペインの都市に因んでサンティアゴ・デ・レオン・デ・カラカス(Santiago de Leon de Caracas)と命名しました。1567/9/8にはコラードの町の廃墟に港を建設して、故郷のスペイン町の守護聖人カルバレダの聖母に敬意を表して、ヌエストラ・セニョーラ・デ・カルバレダ(現在のカラバレダ)と命名しました。

1568年、スペイン人300人とジラハラ族16,000人で構成されたロサーダの軍勢は、マラカパナの戦いでグアイカイプロ大酋長のカリブ族同盟軍15,000人以上の戦士と戦って勝利しました。それは先住民の抵抗の崩壊とカリブ海連邦の反抗の終焉になりましました。

カリブ族は統一された命令の下で再び立ち上がることができず、一部の酋長は彼らが死ぬか服従するまで抵抗を続けました。そこで、ロサーダはグアイカイプロファルコン州(#10)サンタ・アナ・デ・コロのタイマ・タイマ生、Taima Taima, Santa Ana de Coro, Falcon, Venezuela)とその部下が近くにいることを懸念して捜索を続けました。グアイカイプロは、軍人インファンテが原住民案内人に率いられてその居場所を見つけ、奇襲戦闘で現パラコトスの近くで亡くなりました。これでスペイン人はベネズエラ中央部に問題なく居住することができました。

参考:〜
・マラカパナの戦い
 (Battle of Malacapana, 1568/5/27)
  司令官:スペイン連合軍〜ディエゴ・ド・ロサーダ
      カリブ族同盟軍〜グアイカイプロ大酋長
  場所:現在のカラカス市(#25)
  戦力:スペイン約300人、ジラハラ族戦士約16,000人か?
     カリブ族同盟軍:10,000人〜30,000人(約15,000人か?)
  結果:スペインの決定的な勝利、カリブ海同盟の解散
     グアイカイプロ大酋長のカラカス市スルアポ(Suruapo)への逃亡、そして
     ミランダ州(#14)グアイカイプロ市パラコトス (Paracotos) で暗殺される説有
マラカパナの戦いは、スペインの征服者と先住民同盟者との連合軍と、グアイカイプロ大酋長が率いるカリブ部族連合との戦い。7年間にわたってこの地域のスペインの植民地化を食い止めてきたカラカス渓谷のカリブ勢力の決定的な敗北で終わりました。そしてカリブ海連合の部族は分散し、スペインはカラカス渓谷を決定的に植民地化してベネズエラの沿岸山脈と中央海岸での支配を固めました。

・原住民ジラハラ族
 (Jirahara)
ジラハラ族は、スペインが建設したカリブ岸のヴィラ・デル・コラード(Villa del Collado)とカラカス渓谷(Caracas valley)のハト・デ・サンフランシスコ(Hato de San Francisco)という2つの小さな町との友好関係を築いていました。

・原住民カリブ族
 (Kalinago)
カリブ族は現在のアラグア州(#4)マラカイとミランダ州(#14)のウィンドワード平原(Windward Plains)のバルロヴェント平原(Barlovento Plain)間の地域にほぼ近い地域を支配していたため、彼らの戦士の士気は非常に高かく好戦的でした。カリブ人は非常に好戦的な民族グループであり、彼らの文化と儀式の多くは戦争を中心に展開しており、スペイン人が到着する前から他のグループ、特にアラワク族と恒久的に対立していたため、戦闘に非常に長けていました。1567年までに、部族連合(カリバナ)は、カシケ・グアイカイプロ(丘の槍兵)の指導の下、一度に最大17,000人のカリブ戦士を動員することができました。

・カラカスは1812/3/26の大地震で破壊されましたが再建され、大コロンビアの建設者で英雄シモン・ボリバル(Simon Bolivar 1783-1830)が生まれた町でもあります。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2009/3/31追記

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