Spain

国連 1988 発行
切手で綴る スペインの大航海 (Conquist Voyage)インカ帝国征服(V-14
ヌフロ・ド・チャヴェス
1560
ボリビアのサンタ・クルス市創建

大航海物語
 スペイン編

ESPANA
ヌフロ・ド・チャヴェス
新グラナダ王国征服者

Conquistadore de nueva Granada
スペイン 1961/10/12 発行

ESPANA
新大陸からスペインへお宝を運んだ
スパニッシュ・ガレオン船
Spanish Galeon


スペインから新大陸へは人と物資を輸送
スペイン 1964/7/16 発行
PERU
リャマ

ペルー (慶応2-3)1866-67 発行
南アメリカ

ボリヴィア
JERSEY
ユニセフ子供基金

1946 UNICEF 50年記念 1996
ジャージィー 1996/2/19 発行
ボリビア民族衣装の少女

スペイン生まれのチャベスは1560年に南アメリカ・ボリビアのサンタ・クルス市を建設し、南米の山羊と羊をヨーロッパに初めて紹介しました。

ヌフロ・ド・チャヴェス
 Nuflo de Chaves(1518〜1568)
  生地:スペインのエストレマドゥーラ州カセレス県トルヒーリョ生
  没地:ボリビアのサンタクルス県で現地人に殺害され50才没
  肩書:探検家、征服者(コンキスタドール)、ボリビアのサンタ・クルス市建設者
   (Explorer, Cconquistador, Colonial settlement founder of Santa Cruz, Bolivia)
チャヴェスはスペイン・エストレマドーラ地方カセレス県トルヒーリョ”サンタ・クルス・デ・ラ・シェラ”(Santa Cruz de la Sierra 山々の上の聖なる十字架)という小さな村で生まれました。成長してから陸軍に入隊して、コンキスタドールとなって新大陸へ渡りました。

1544年アスンシオン(#4)(現パラグアイ)で、 スペイン総督のカベサ・ド・ヴァカに対する政治革命に参加しました。その後、ドミンゴ・ド・イララ(Domingo Martinez de Irala)を助けて、チャカス(現ペルー)への遠征準備をしました。1557年には金鉱山が有ると聞いたヤラエス(jarayes)ランド征服を思い立ち、現在のブラジマットグロッソ州(#10)に行きました。

そこからアマゾン流域を超えて、1560年に移住者を伴ってボリビア遠征を行い、アマゾン流域南部の乾いた土地(ボリビア高地)へ移動しました。そして彼の家族ともども、ボリビアの東部にサンタクルス(Santa Cruz de la Sierra)というニュータウンを1560/2/26に建設しました。そこで”山羊と羊”を捕らえて、ヨーロッパへ初めて紹介しました。これは現在では南米のリャマとアルパカとして知られています。

1568年にボリビアのサンタクルス県(#3)で原住民との抗争が起こり、チャヴェスは原住民に殺害されました。原住民との戦いが続き、その数年後に町は220km西へ移動しましたが、”サンタクルス”市はチャヴェスの創建を記念して名づけられました。


参考:〜
・リャマ
 Llama

リャマは哺乳類ウシ目(偶蹄目)ラクダ科の動物で、体高約1.2m、体重70〜140s。南アメリカのアンデス地方に多く住む。姿はラクダと似ているが、背中にコブはなく、全身が毛で覆われている。白い毛のものと茶色の毛のもの、白と茶色がまだらになったものがいる。足から頭までの体長は1m程度。頭から尻までの長さは2m程度。まつげが長く目はパッチリとしている。性格はおとなしく、人に慣れやすい。
リャマ

アルゼンチン 1959-70 発行
ボリビアやペルーの山岳地方では古くから家畜として多く飼われており、荷物の運搬用に用いられたり、毛や皮を衣類に用いたりしている。肉を食べることもあるが、儀式などの特別な時以外はあまり食べられてはいない。非常に近縁の動物として、アルパカ・ビクーニャ・グアナコがいる。このうち、グアナコを家畜化したのがリャマだと考えられている。これらの動物よりもリャマの方が圧倒的に飼育数が多い。

アルティプラーノ(アンデスの高地平原)ではリャマを放牧している姿をよく見かける。リャマを飼う人は「リャメラダ」(llamerada)と呼ばれる。手に20-30cm程度のひもを持ち、クルクルと回してリャマを追い立てる。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   2006/8/30  09/5/25追記、令和7年2025/3/20
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