Peru 国連 1989 発行 |
切手で綴る ペルー 物語 (Peru Guide)
リ マ 1535 スペインのピサロが建設 |
大航海物語 地図編★ |
リマのサン・ペドロ大聖堂 カテドラル(Iglesia San Pedoro) ペルー 2006/1/20 発行 |
リマ郊外のインカ行政庁建物遺跡 パルチュコ(Puruchuco Lima) ペルー 1961/9/11 発行 |
港湾都市の街カヤオ港の 城壁計画図、1537 ペルー 1936/8/27 発行 |
南アメリカの地図 | |
ペルー→ |
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ペルーの 200海里 | ||
排他的経済水域を表す地図 | ||
ペルー 1983/3/25 発行 |
インカの土器とインカ道地図 | |||
リ マ→ |
チャンチャン→ パチャカマック→ イカ→ ナスカ→ |
ペルー 2011 発行 (200%) |
←カハマルカ ←チャヴィン ←クスコ ←プカラ |
アレキパ→ | ←プーノ |
リ マ Lima (Lima city, Lima Province, Lima Region (Departamento de Lima), Peru) 市域人口:7,605,742人(2007、リマ大都市圏人口:8,472,935人、2007) リマは、1534年にインカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロがスペイン人コンキスタドール一行と共に、リマック川右岸のリマの首長タウリチェスコの館で、スペイン式の儀式に基づいて、ラ・シウダード・デ・ロス・リオス("La Ciudad de los Reyes"諸王の街)と名付け、1535/1/18に完成を祝いました。場所の選定で最初はアンデス山脈中腹のフニン県ハウハ(Jauja, Junin Region、標高3,400m)が候補に上るも、高地と海路交通の不便さなどから見送られ、太平洋に面したリマク川の河畔のリマの地が選定されました。そして街は市内を流れるリマック川(rio Rimac)が訛ったもの)に由来してリマと呼ばれるようになりました。その2年後の1537年にはカヤオが整備されて、港街として建設されました。1542年にリマはペルー副王領の首都に指定され、ヌエバ・エスパーニャ副王領(メキシコ)のメヒコ市と共に、それまでのイスパニョーラ島のサント・ドミンゴに代わってスペインの新大陸アメリカにおける植民地支配の中心地となり、それまでのインカ帝国の帝都クスコに変わって、スペインのペルー植民地支配の中心都市として発展してきました。リマ市内にはアルマス広場を中心に、フランシスコ・ピサロの遺体が安置されているカテドラルやサン・フランシスコ教会など、スペイン風の建築物が多くあります。 リマはペルー共和国の首都で、政治、文化、金融、商業、工業の中心地です。同共和国最大の街で、リマ西部にある港湾都市カヤオ(El Callao)のカヤオ特別区の中心地であるカヤオ(国内最大の港町)と共にリマ大都市圏を形成し、国内人口の3分の1(約900万人:2010)がここに居住している南米有数の世界都市(Lima Metropolitan Area)で、チャラ(Chala)と呼ばれる太平洋の海岸砂漠地帯(Peruvian coastal plain)に有。リマ市はチリオン川(rio Chillon)、リマック川(rio Rimac, 160km)、ルーリン川(rio Lurin, 109km)の峡谷に造られ、それらの川が市内を還流しています。リマは植民地時代に建てられた建物が多く残る旧市街セントロ地区(世界遺産登録)と海岸沿いの新市街に2分されます。リマ市は43のディストリクト(43 districts)に分割されます。 先コロンブス期、大地神パチャカマックを信仰する現地人がイチマ文化を形成して居住 3-8世紀頃、ルーリン河谷のパチャカマを中心に発展し、独特な遺跡が残っている 1200年頃、マンコ1世がクスコを建設 1200-1532年、クスコがインカ帝国の首都となると、 リマは巨大な太陽神殿や月の館が建設され、宗教的な中心地の役割を果たす 1533/11/15、最初のスペイン人(ピサロの先遣部隊)がクスコに到着 1534年、フランシスコ・ピサロがインカ帝国の帝都クスコ占領してインカが征服される 1535/01/18、フランシスコ・ピサロがリマを建設 1536/05/06、マンコ2世が反乱を起こして、リマを包囲攻撃するも、10ヵ月後に撤退 1537年、カヤオ港が建設される 1537/3上旬、第2次クスコの戦いでマンコ2世が敗退 1541/6/26、ピサロ屋敷の襲撃でピサロ(兄)とマルティン・ド・アルカンタラが殺害される 1542年、リマがペルー副王領の首都となる 1544/9/13、リマの副王宮殿でイリャン・ド・カルバハールがベラ副王に剣で刺殺される 1554/12/7、エルナンデス・ギロンがリマで処刑されて晒首にされる 1556年、アロンゾ・ド・アルヴァラードがリマで亡くなる 1572年、副王トレドがインカ最後の皇帝トゥパク・アマルを処刑、インカ帝国が滅亡 16-17世紀、リマはスペインの南米植民地支配の拠点となり、ペルー高地ボリビアのポトシ 銀山の銀がヨーロッパに輸出されるための中継地点となって繁栄 1551年、南米最古の大学サン・マルコス大学(National University of San Marcos)創設される 1614年、人口が25,000人となる、リマの発達と共に都市文化が栄え、サン・フランシスコ教会 やトーレ・タグレ邸などの華やかな建築物が建設される 1687年、リマ市、カヤオ港共に大地震で多くの建築物が破壊されるも、復興して繁栄が続く 1746年、大地震で多くの建築物が破壊されるも、復興して繁栄が続く 1761年、副王アマト(Manuel de Amat y Junient, 1707-1782, 在任1761-1776)が着任 大規模な都市計画や演劇の振興を行い、知識人の文化が栄える一方、リマにはアフ リカからの奴隷や都市に流入したメスティーソ(Mestizo:白人とラテンアメリカ先住民 の混血)などの人々の独自のクレオール(Creole)文化が育まれる 1808年、ナポレオンの兄がスペイン王ホセ1世(Joseph Bonaparte、1768-1844)で即位すると 民衆が蜂起してスペイン独立戦争(Peninsular War、1808-1814:)が勃発。スペイン領 アメリカのクリオージョ達がホセ1世への忠誠を拒否し、ラテンアメリカ大陸部スペイン 領の独立戦争が勃発。リマのクリオージョは特権を失うことを恐れて独立に消極的 1821年、アルゼンチンからホセ・デ・サン・マルティン(San Martin, 1778-1850)がリマを解放し 独立宣言。その後リマは独立勢力の混乱の中で再びスペイン王党派軍に奪回される 1824年、シモン・ボリーバル(Simon Bolivar, 1783-1830)とアントニオ・ホセ・デ・スクレ (Antonio Jose de Sucre; 1795-1830)がアヤクーチョの戦い(Battle of Ayacucho, 1824/12/9)が 副王ホセ・デ・ラ・セルナ(Jose de la Serna, 1770-1832)の王党派軍を壊滅して ペルーの独立が確定する 独立後のペルーの政治は安定せず、各地で暴力的独裁者カウディージョが跋扈する 1845年、ラモン・カスティーリャ(Ramon Castilla y Marquesado, 1797-1867)が大統領となり、 一定の安定を実現、ペルーはグアノの輸出で近代化してガス灯や鉄道が建設される 1872年、都市計画でリマの城壁が破壊される 19世紀半ば、ヨーロッパや清(中国)からの移民がペルーに導入される 19世紀末、日本からの移民も導入される。これらの移民は”コスタ”と呼ばれる「石ころだらけ の砂の大地(砂漠)」にあるプランテーション(大農園)で労働者として働いて、マラリア などで多くが亡くなった後、リマに流入して小商店主などになる者も有 1879年、スペインがペルーの独立を認める チリとの太平洋戦争(War of the Pacific, 1879-1883)が勃発、ペルーが劣勢に陥る 1881年、チリ軍がリマを占領、チリの占領は2年間続く 1883年、チリ軍の勝利で、アンコン条約(Treaty of Ancon, 1883/10/20)が締結されて、 ペルーはタラパカ州を割譲、ボリビアはアカタマ州を割譲して、チリ軍がリマから撤退 1939年、第2次世界大戦(1939/9/1-1945/9/2)勃発 1940年、大地震が起き、以降スラムの建設が盛んになり、人口が35万人 同年満州事変以来高まる反日感情を背景に、排日暴動が勃発 1945年、第2次世界大戦終結(1945/9/2)後にペルー各地から住民が移動してきて 市街が急速に拡大し、一大都市へと変貌 1980年、人口が1940年からの40年間で11倍も増加、440万人となる 1968年、無血軍事クーデターでベラスコ将軍(Juan Velasco Alvarado、1910-1977)政権奪取 ペルー革命が始まり、リマ周辺のスラムは若い町(プエブロ・ホーベン:Pueblo joven: 開拓の進んでいない村)と呼ばれてスラムでの自治運動が推進される 1988/12/9、リマの旧市街が世界文化遺産に登録される(追加指定1991/12/13) 1990年、大統領選挙で日系アルベルト・フジモリが勝利、南米初の日系大統領となる インフレ抑制と財政赤字の解消による経済政策で経済の改善を図る 1995年、フジモリ第2期政権
2000/11/21、フジモリ大統領が訪問先の日本から大統領職を辞職 、同政権退陣 ・世界遺産に登録 1988/12/9(追加指定1991/12/13)にリマの植民地時代に建てられた建物が多く残る旧市街セントロ地区(City of LIMA)が世界文化遺産に登録されました。 リマ(Lima Province)は43の区(Lima Districts)に分けられる。 01.アンコン区(Ancon) 02.サンタ・ロサ区(Santa Rosa) 03.プエンテ・ピエドラ区(Puente Piedra) 04.サン・マルティン・デ・ポーレス区(San Martin de Porres) 05.リマ・セントロ区(Lima Centoro) 06.サン・ミゲル区(San Miguel) 07.マグダレーナ・デル・マール区(Magdalena del Mar) 08.サン・イシドロ区(San Isidro) 09.ミラフローレス区(Miraflores) 10.バランコ区(Barranco) 11.チョリージョス区(Chorrillos) 12.ビジャ・エル・サルバドル区(Villa El Salvador) 13.ルリン区(Lurin) 14.プンタ・エルモッサ区(Punta Hermosa) 15.プンタ・ネグラ区(Punta Negra) 16.サン・バルトロ区(San Bartolo) 17.サンタ・マリア・デル・マール区(Santa Maria del Mar) 18.プクサ−ナ区(Pucusana) 19.カラバイージョ区(Carabayllo) 20.コマス区(Comas) 21.ロス・オリーボス区(Los Olivos) 22.インデペンデンシア区(Independencia) 23.リマック区(Rimac) 24.ブレーニャ区(Brena ) 25.プエブロ・リブレ区(Pueblo Libre) 26.ヘスス・マリア区(Jesus Maria) 27.リンセ区(Lince) 28.スルキージョ区(Surquillo) 29.サンティアゴ・デ・スルコ区(Santiago de Surco) 30.サン・フアン・デ・ミラフローレス区(San Juan de Miraflores) 31.ビジャ・マリア・デル・トリウンフォ区(Villa Maria del Triunfo) 32.パチャカマック区(Pachacamac) 33.サン・フアン・デ・ルリガンチョ区(San Juan de Lurigancho) 34.エル・アグスティーノ区(El Agustino) 35.ラ・ビクトリア区(La Victoria) 36.サン・ボルハ区(San Borja) 37.ラ・モリーナ区(La Molina) 38.サン・ルイス区(San Luis) 39.サンタ・アニータ区(Santa Anita) 40.ルリガンチョ‐チョシカ区(Lurigancho) 41.アテ区(Ate) 42.シエネギージャ区(Cieneguilla) 43.チャクラカジョ区(Chaclacayo) 参考HP:〜 ・リマの地区別地図(Google map) 観光:〜 ▼旧市街(セントロ区)とその周辺 リマ・セントロ区 Lima Centoro Districts ・アルマス広場 Plaza de Armas、(現:マヨール広場) 1535年にフランシスコ・ピサロによって都がクスコからリマへ移された時、イベリア様式にのっとり、このアルマス広場を中心として街が築かれました。大統領府、カテドラル、市庁舎及び市の主要公共施設が立ちならんでいます。 ・ラ・ウニオン通り Jiron de la Union、(アルマス広場横) ラ・ウニオン通りは旧市街のメインストリートです。セントロのアルマス広場とサン・マルティン広場を結ぶ道路で、セントロ地区一番の目抜き通りになっています。通りに沿って商店や金のショップ、レストラン、カフェなどがならび、いつも多くの人々で賑わっています。 ・サン・フランシスコ教会(修道院) Iglesia y Convento de San Francisco ペルー政庁から1ブロックほど東にある教会。1万体ほどの遺骨が安置されたカタコンベ(地下墳墓)があることで有名。教会内は自由には見学できず、博物館とカタコンベへのツアーガイドのみ受け付け有。ツアーガイドはスペイン語と英語で、ある程度人数が集まると出発。所要30分程度。料金:5ソル(約180円:Nuevo Sol=36.05円/2013/3/8)。サン・フランシスコ教会は16世紀に建てられ、15のチャペル、カタコンベ(地下墓地)、修道院、宗教芸術博物館から構成されています。17世紀前半にスペインから直接輸入された美しいセビリアンタイルで有名で、バロック様式にアンダルシア風を取り入れた建築美が特徴的です。カタコンベは地下3階まであり地下1階だけ見学できます。 ・カテドラル Catedral アルマス広場のすぐ横に建つ、フランシスコ・ピサロが自らの手で礎石を置いたとされるペルーでもっとも古い大聖堂。フランシスコ・ピサロの遺体(ミイラ)が安置されています。 ・サント・ドミンゴ教会 Santo Domingo Church、ス:Iglesia de Santo Domingo アルマス広場の西1ブロックの場所にあって、ペルーの二大聖者サンタ・ロサ(Santa Rosa de Lima)とフライ・マルティンが祀られています。スペイン時代の教会の中でも保存状態のいい建物。内装の青タイルは見事なもので、17世紀のタイルも残っています。カタコンベ(地下墓地)も一見の価値があります。 リマの聖ローサ(1586-1617)は、カトリック教会の聖人。ペルー生まれの、アメリカ大陸初の聖人で、祝日は8月23日。刺繍と庭師の守護聖人。 ・ラ・メルセー教会 Iglasia de La Merced アルマス広場の南2ブロックの場所にあり、リマで最初のミサが行われた場所です。美しいコロニアル様式の教会です。ペルー軍の守り神の”聖女メルセー”が祀られています。 ・トーレ・タグレ宮殿 Palacio de Torre Tagle アルマス広場の南1ブロックの場所にあります。ペルー独立運動の英雄サン・マルティン将軍の命で、トーレ・タグレ公爵のために建てられました。現在は外務省として使用されており、セビリヤ風の木製のバルコニーが美しい宮殿です。 ・サン・マルティン広場 Plaza San Martin ラ・ウニオン通を挟んでアルマス広場の向かい側にある広場で、セントロの中心になっており、街歩きの起点にもなる場所です。広場の周りにはコロニアル調の建物などが多数建ちならんでいます。ペルー独立運動の英雄サン・マルティンの銅像(騎馬像)が立っています。近くに黒い看板のケンタッキーや老舗ホテルのグラン・ホテル・ボリーバルがあります。 ・サン・クリストバルの丘 Cerro San Cristobal セントロの北の外れにある山(400m)。頂上からはリマ市内が一望できる(但し排ガスで方向によってはスモッグで霞んで視界はよくない)。山の上にはタクシーを利用するか、もしくはアルマス広場横のツーリスト・インフォメーション前から毎時1本くらい出ているツアー(1人5ソル。途中で一度バスを乗り換える必要があるも係員が誘導してくれる)に参加するのが良いようです。山の下にはスラム街が広がっており、窓からカメラを出していると盗まれるからバスの中にしまうようにという注意を受け、途中切り立った崖のような山肌には付近住民が捨てたゴミが散乱しており、下から風にあおられて饐えた匂いが吹き上がってくる不潔な所でもあります。また、バスは切り立った崖のすぐ脇を通り抜けて行くので、高所恐怖症の人にはキツイようです。丘の上もさることながら、行くまでが結構スリルのある観光スポットで、付近一帯は治安が悪いので、間違っても歩いて登らないようにしましょう。 ▼新市街とその周辺 (ミラフローレス区、サン・イシドロ区) 新市街は旧市街から30分ほど離れた所に海岸沿いにある高級住宅地で、カジノ、高級ブティック、ホテル、レストラン等が建ちならんでいます。 ▼ミラフローレス区 Mirafloresa Districts ・ラルコ・マール Larco Mar ミラフローレス地区の太平洋岸の海岸沿いにある展望台。市内の観光スポットのうちで、市民や旅行者に最も人気のある所の一つで、夕暮れ時には太平洋に沈む夕日を見物に来る多くの人たちで賑わいます。展望台の下はショッピングセンターになっていて、お洒落な店やレストラン、ファーストフード店などが数多くならんでいます。ボウリング場、クラブ、映画館、レストランがあって、若者に人気がある華やかな場所です。 ・ワカ・プクヤーナ Huaca Pucllana 紀元前3〜紀元8世紀頃のリマ文明の遺跡です。土器やミイラが出土しています。現在も発掘が続いており、出土品が入り口にある博物館に展示されています。 ▼サン・イシドロ区 San Isidro Districts ・ワカ・ウァヤマルカ Huaca Huallamarca 新市街のサン・イシドロ地区にあるピラミッド型の遺跡。高級住宅や各国の大使館が建ちならぶ一画にいきなりピラミッドが現れるような感じで、周りにある現代風のビルや住宅とのミスマッチが面白いと評判です。ピラミッドの頂上に登って発掘現場の様子を見ることができます。また、敷地内に、女性のミイラなどの出土品を展示したミニ博物館が有。料金:5ソル。 ・ワカ・ウァジャマルカ Huaca Huajamaruca 西暦200年頃から500年頃のプレ・インカ時代のピラミッド。650年頃まで儀式を行う神殿として使われていたといわれています。 ・ワカ・ウァヤマルカ Huaca Huallamarca 3〜6世紀に造られたプレ・インカ時代のピラミッドです。650年頃まで儀式を行う神殿として使われていました。発掘品がワカ・ウアジャマルカの博物館に展示されています。 ▼アテ区 Ate ・インカ行政庁建物遺跡 パルチュコ Puruchuco Lima パルチュコ遺跡はアテ区(Ate)にあるインカの行政庁建物の遺跡です。 ▼博物館
・天野博物館 Museo Amano リマで活躍した日本人実業家の天野芳太郎氏が、1964年に設立した本格的なアンデス文化に関する考古学博物館。見学には電話での申し込みが必要で、住所(Calle Retiro 160 , Miraflores)、料金は無料。故天野芳太郎氏が収集したプレインカ、インカ時代の織物や土器などが展示されています。チャンカイ文化(10世紀頃にチャンカイ峡谷で発生した文化)の個人コレクションとしてはペルー最大規模です。日本語による解説が受けられます。 ・ラファエル・ラルコ・エレラ博物館 Museo Arqueologico Rafael Larco Herrera ラファエル・ラルコ氏の個人コレクションで、ミイラを一般公開しています。モチェ、チムー、ナスカ文明の土器が数多く展示されて、別館に展示されているインカ時代のエロティックな土器が有名です。 ・ペルー国立博物館 Museo de la Nacion ペルー文化庁管理の総合博物館。コレクションの数・規模では、ペルー最大の博物館です。アンデス文明が手に取るように判ります。プレインカ時代:チャビン・パラカス・ナスカ・モチェ文化、インカ時代と各時代の展示があります。マチュピチュ、オリャンタイタンボの精巧な都市模型があります。 ・国立ペルー美術館 Museo de Arte Peruano ペルーの絵画や宗教が展示されています。 ・ラ・インキシシオン宮殿 (宗教裁判所博物館) Museo del Tribunal de la Inquisicion 植民地時代の宗教裁判所で、1570〜1820年まで異端者の裁判所として使用されました。植民地時代の異教徒に対する拷問を等身大の蝋人形を使い再現展示しています。 ▼リマ近郊 ・ピスコ Pisco リマから南へ237kmのところにあるピスコ川の河口に栄えた港町、ペルーではカヤオ港とあらぶ大きな港です。有史以前から文明が栄えており、紀元前6世紀〜紀元4世紀のパラカス文化の遺跡と植民地時代のコロニアル・スタイルの建物が多く残っています。 ・パチャカマ神殿 Pachacamac リマから南へ30kmの海岸の近くにあります。太陽の神殿、月の神殿、太陽の処女の館からなるパチャカマ文化の遺跡です。パチャカマ文化は、プレインカ時代の7世紀に発生したものです。パチャカマ神(天地創造神)は、海岸地帯の住民に信仰され、インカ時代になっても信仰は受け継がれましたが、16世紀スペイン人の侵入により神殿が破壊され、以後は廃墟となりました。パチャカマ神殿の入り口に博物館があり、出土品を展示しています。 ・バジェスタス島 Islas Ballestas バジェスタス島はリトル・ガラバゴスの別名を持つ島です。アシカ、海鳥、ペンギンなどが見られます。行き方はピスコを海岸線に沿って15km南下した場所にあるパカラス半島のパカラス・ホテルのボートに乗船して行きます。ピコスからのツアーもあります。 参考HP:〜 ・リマ市の場所地図(Lima City) ・リマ県の場所地図 ・リマの地区別地図(Google map) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2012/12/8 |