United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る イギリスの大航海(Great Adventure Voyage)航海日誌(III-2
ドレーク船長
Captain Drake
1577 世界一周航海 1580

航海日誌(ゴールデン・ハインド号)
大航海物語
 イギリス編

Gambia
ドレーク船長と”私掠船ゴールデン・ハインド号

ガンビア 2000/10/2 発行

British Virgin Islands
17世紀の世界地図

1580 ドレーク船長世界周航400年記念 1980
英領ヴァ−ジン諸島 1980/9/26 発行 小型シート

サー・フランシス・ドレーク船長
 Captein Sir Francis Dreke(1543頃〜1596/1/28)
<ドレーク船長の世界一周航海(1577/11/25〜1580/9/28)航海日誌>
   ロンドン〜大西洋〜ホーン岬〜太平洋〜モルッカ諸島〜インド洋〜喜望峰〜大西洋〜ロンドン
1577年
11/24 英国デヴォン州(#@6)プリマス(Plymouth)に船団5隻が集結(ロンドン
ゴールデン・ハインド号 Golden Hind 100t 18gn ドレーク船長 Francis Dake
・エリザベス号 Elizabeth 80t 16gn ジョン・ウィンター John Wynter(1555-c1638)
・マリーゴールド号 Marigold 30t 16gn ジョン・トーマス John Thomas
スワン号 Swan 50t 5gn ジョン・チェスター John Chester
クリストファー号 Christopher 15t 1gn トーマス・ムーン Thomas Moone
ドレーク船長の兄トーマス(Thomas Drake)メアリー号乗船、従弟ジョン(John Drake)も参加。
帆走ボート船ピンナス(Pinnace)4隻を搭載。乗組員は164人。
フレッチャー牧師(Francis Fletcher, c1555-c1619)が執筆の遠征航海の記録が現存
11/25 プリマス・サウンド(Plymouth Sound, #@6)船団5隻が出帆
11/16 ファルマス岬(Cape Falmouth, #@7)
強風でゴールデン・ハインド号とマリーゴールド号がマストを喪失してプリマスへ戻る
11/17 〜12/12、 プリマス
艦隊は修理。後にプリマスから北西アフリカ海岸へ航海
12/13 プリマス、出帆
12/25 〜31、モガドール島(現エッサウィラ)(#7)、モロッコ、プリマス出帆以来初めて投錨
乗組員(ジョン・フライ)が行方不明。捜索すれど分からず出帆。フライは最終的にイギリス船で帰国
1578年
1/17 ゲール岬(Cape de Guerre)戦争の岬(#7)
逆風後、モガドール南98kmのゲール岬へ向かい、スペイン漁船キャンター3隻をピンネス船で拿捕
参考HP〜
モロッコの岬の場所地図
1/13 リオ・デ・オロ、モロッコ南部西サハラの南で北回帰線の直下
ピンネス船でカラヴェル船(Caravel)を奪取
1/16 〜21、ブランコ岬(#4)、モーリタニア
1/28 〜30、マイオ島(Maio)、カーボベルデ諸島
1/31 〜2/2、サンティアゴ島、カーボベルデ諸島ソタヴェント諸島(#1
トーマス・ドゥティThomas Doughty, 1545-1578/7/2)が不祥事を起こす
6隻目セネガルのヴェルデ岬(#4)沖でポルトガル商船サンタマリア号(Santa Maria)を拿捕してメアリー号(Mary)と命名。ポルトガル航海士ヌーノ・ダ・シルヴァ水先案内人(Nuno da Silva、航海日誌)とドレーク船長の兄トーマス乗船
2月末 フェルナンド・デ・ノローニャ島(#16)、ブラジル
大西洋横断の航海が完了
3/10 オールセインツ湾(All Saints BayポBaia de Todos os Santos, #5)
ブラジル沿岸ポルトガル人入植地サルバドールに接近し紛争を避けブラジル海岸に沿って南に航海
4/5 ブラジル沿岸沖の南緯31度半と南緯33度半
最初の上陸を 31°1/2 とする
4/14 〜5/8、ラプラタ河アルゼンチンウルグアイの国境にある
船団はラプラタ河のジョイ岬、フローレス島、アラサティ島、サンアントニオ岬の近くに停泊
5/8 ラプラタ河南の沿岸を南下、アルゼンチン
嵐でスワン号とメアリー号が船団から切り離される
5/12 〜15、ホープ岬(命名、現バンコ・ブライアン岬:Banco Bryon, #2
バンコ・ブライアン砂州沖に停泊。スワン号と一時的に再会
参考HP〜
バンコ・ブライアン岬の場所地図(Google Map)
5/15 バンコ・ブライアン岬を出帆
5/17 シール湾(命名:Seal Bay、現ノダレス湾:Nodales Bay)
先住民との友好的な関係を育み、飲料水など補給
5/18 〜6/3、シール湾奥に停泊した後、損傷したスワン号を放棄
6/3 ノダレス湾、出帆
乗組員の間で緊張が高まって、ダウティが不祥事を起こす
6/12 〜14、ケープブランコ(Cape Blanco)
クリストファー号を放棄
6/17 〜18、サンタ・クルス湾、停泊
6/19 〜8/17、プエルト・サン・フリアン(San Julian, #20
乗組員はマゼランが最初に使用したこのパタゴニアの港を見て喜ぶも束の間、ボロボロになり雨漏りしたメアリー号を焼き捨て、パタゴニア先住民との不祥事でイギリス人2人が亡くなる
6/30 裁判を招集、乗組員全員を島に召喚。
陪審員を招集し、トーマス・ドゥティの裁判を開始。陪審員は有罪評決を下して死刑となる
7/2 斬首刑
裁判の2日後、トーマス・ドゥティは斬首刑になって島に埋葬。正確な場所は不明。マゼラン海峡航行の準備。
先住民がドリミス・ウインテリ(Drimys winteri、ボキブエ(Bokibue)、ウィンター船長樹皮(Winter's bark)の渋い樹皮を食べていたので壊血病の予防でゴールデン・ハインド号とエリザベス号に積み込む
8/17 船団3隻が出帆
ゴールデン・ハインド号、マリーゴールド号、エリザベス号
8/20 ヴァージンズ岬(Cape Virgins, #20)
を通過。船団がバラバラになると南緯30度でランデブー(合流)する予定
参考HP〜
ヴァージンズ岬の場所地図(マゼラン海峡有)
サンタクルス州の場所地図
サンタクルス州の場所地図
8/21 〜9/6、マゼラン海峡、チリ
参考HP〜
マゼラン海峡の場所地図(Gooap)
マゼラン海峡の場所地図
マゼラン海峡の場所地図
8/24 マゼラン海峡
エリザベス島(Elizabeth Island, #12)命名、マルタ島、マグダレナ島、チリ
3,000羽のペンギンを収穫。14日間の航海は16世紀で最も速い航海です
9/6 〜10/6、マゼラン海峡、チリ西部の南太平洋へ航海
10/7 ディエゴ・デ・アルマグロ島(#12、ディエゴ・ド・アルマグロに因んで命名)
強風でゴールデン・ハインド号は錨を喪失、同島東に停泊
10/8 マゼラン海峡通過
嵐で3隻が散りじりになる。マリーゴールド号(乗組員29人)は行方不明
エリザベス号は太平洋の待ち合わせ場所ではなくマゼラン海峡へ戻って帰国(1579/6/2英到着)
10/14 パソ・オクシデンタル島(Paso Occidental, #12)
ドレーク船長は現デルタ島(Delta Island, #12)西17km、水深50尋に停泊
参考HP〜
パソ・オクシデンタルの場所地図(Google Map)
10/15 バスケ島(Basquet Island, Chile, #12)チリ
嵐でゴールデン・ハインド号は海峡を戻って大西洋に出る
10/18 ヨーク・ミンスター岬湾(Cape York Minster Bay, #12)
ドレーク船長は現ヨーク・ミンスター岬湾に停泊、嵐で錨を失う
参考HP〜
ヨーク・ミンスター岬湾の場所地図(Google Map)
10/24 〜28、現オルノス島(Hornos Island、”エリザベス島”(Elizabeth Isl)命名)、チリ
ドレーク船長はティエラ・デル・フエゴ(フエゴ諸島)内ハーミート諸島のオルノス島とハーマイト島
の間にあるセントフランシス湾、水深20尋に停泊。オルノス島(スIsla Hornos)は南アメリカ最南端の
チリの島で、ホーン岬の場所として知られています
参考HP〜
オルノス島の場所地図(Google Map)
ホーン岬の場所地図
ホーン岬の場所地図(オルノス岬、Google Map)
10/25 エリザベス島
水、薪を集めるために上陸
10/28 エリザベス島
風が強い中を出帆。最初に嵐と荒波に遭遇してから50日が経過
10/30 〜11/1、フエゴ諸島イルデフォンソ諸島(Islas Ildefonso, #12)チリ
オルノス島北72海里(x1.852km=約133km)この島に停泊
アザラシ
や鳥(Duck)を狩り、船に食料を供給して出帆後25日間ノンストップで北向き帆走
参考HP〜
イルデフォンソ諸島の場所地図
ティエラデルフエゴ群島の場所地図
11/24 コーラルベイ(Corral Bay, #14)バルディビア川(Valdivia River, 15km)河口付近に到着
参考HP〜
バルディビア川、河口の地図
11/25 モカ島(Mocha Island, #8
海岸の近く、38°にある島の陸地から1.2kmの水深12尋に停泊し、12人が上陸
スペイン人と遭遇して警戒している先住民の羊、雌鶏、穀物をゴールデンハインド号に搭載
11/26 モカ島
飲料水を求めて上陸、現地人との摩擦で乗組員の数人が死亡。午後、北へと出帆
11/30 フィリップス湾(命名、現キンテロ湾, Quintero Bay, #5)、チリ
12/5 〜8、バルパライソ(#5)
小さな町セントジェームズを襲撃。倉庫から1,770瓶のワインを略奪。町の家9軒と教会を略奪。港に停泊のスペイン船から金、銀、ワイン、木材をを略奪。食料を十分に積載。太平洋を北へと出帆
参考HP〜
セントジェームズの場所地図(バルパライソ、Google Map)
12/9 バルパライソの北にあるチリ海岸沿い、正確な位置は不明
12/12 〜17、トンゴイ湾(Tongoy Bay, #4
ここ、30°の待ち合わせ場所に停泊
12/18 コキンボ州ラ・エラドゥーラ(La Herradura, #4),
飲料水で上陸、スペインと現地人の襲撃で双方とも死傷者。
戦死者を埋葬後に出帆
12/19 パハロスロックス(Pajaros Rocks、岩礁地帯)
エラドゥーラを出帆後、コキンボ港へ帆走するも岩礁だらけで難渋、船に水漏れ発生
12/21 パハロス諸島(Pajaros Islands, 鳥島)
12/22 〜1/18、サラダ湾マディオ入江(Madio Cove, Salada Bay, #3
クリスマスと正月を豊富な魚の漁獲で祝い、ゴールデンハインド号の手入れ
1579年
1/19 サラダ湾マディオ・コーブ(Madio Cove, Salada Bay, #3)出帆
1/22 サンタマリア島(Santa Maria Island, #8)
1/25 アントファガスタ州コロソ(Coloso, , Antofagasta, #2)
参考HP〜
コロソの場所地図(Google Map)
2/1 パン・デ・アズカル(Pan de Azucar, #2
コピアポ(Copiapo, #3)北約48kmの此処に停泊
2/4 ピサグア(Pisagua, #1
上陸。リャマ7頭の銀の延べ棒を略奪。先住民少年を連れたスペイン人から銀を強奪
2/6 〜7、アリカ(Arica, #15
家約20軒の港へチリ最後の上陸。小さなスペイン船2隻から銀37本とワイン約300瓶を略奪
2/8 〜9、チュール(Chule, #20ペルー
2/10 チュール北
スペイン船2隻に遭遇し、ワイン200瓶を強奪
2/15


2/16

2/17
ペルー沿岸の緯度約12°
カヤオ約1,00km手前でスペイン船コンセプシオン号(Nuestra Senora de la Concepcion)が財宝を満載してパナマへ向かったと聞き、追跡
カヤオ港(Callao, #25)ペルー
入港するもスペイン船との小競合いとなり負傷者がでたので出帆
カヤオ北海岸沿い
スペインのガンボア船長が追跡するも追いつかずパナマへ向かう
カヤオ港 1537

ペルー 1936 発行
2/20 パイタ(Paita, #2
北上中にパイタでリマ(#7)行きのスペイン船に遭遇。乗り込むと乗組員が海へ飛び込んで逃亡するも、捕虜から、コンセプシオン号があと2日の所にいることが分かり追跡を続ける
2/20 パリニャス岬(Punta Parinas, #2)ペルー
強風の中を帆走中、スペイン船を捕獲
2/28 エクアドル沖の赤道付近
パナマ行きのスペイン船を捕獲、金・銀・食料を強奪。黒人奴隷4人を解放してゴールデン・ハインド号に乗り込ます。スペイン船の乗組員にピンネス船を提供して解放後、スペイン船の幾つかの帆を破棄して、出帆
3/1 〜6、サンフランシスコ岬(Cape San Francisco, #19
コンセプシオン号を発見。短時間の戦い後ミズンマスト(Mizzen-mast, 最後尾)を倒されたコンセプシオン号が降伏。金80ポンド(約36kg)銀26トンなどの財宝をを数日かけてゴールデン・ハインド号に積込み。それらは当時の英王室年間収入の半分に相当と伝わっているも、大量の財宝は船体の水漏れ問題を激化
参考HP〜
サンフランシスコ岬の場所地図(Google Map)
3/16 〜24、カニョ島コロナド湾(Coronado Bay, Cano Island, #6コスタリカ
上陸して水・食料を集めながら船体の修理。船が大きく揺れる程の地震に見舞われる
4/4 太平洋沖、グアテマラ
スペイン船と出会い、絹・麻・食料・水・4箱の中国磁器を強奪。水漏れが続く
4/13 〜16、ワトゥルコ(Guatulco, #19メキシコ
町を焼き討ち攻撃。町の人々は森に隠れ、イギリス人が町を略奪。
出帆すると町の人々はドレーク船長が伝説のアニアン海峡を捜索すると信じる
6/5 アラゴ岬サウス入り江(South Cove at Cape Arago, Oregon, USA)オレゴン州
アニアン海峡が見つからないので、太平洋横断で帰国するのに備えてゴールデンハインド号を修理
参考HP〜
オレゴン州の場所地図(Google Map)
6/17 〜7/22、ドレーク湾(Drakes Bay, Point Reyes, California, USA)カリフォルニア州
緯度38度付近で湾に停泊。コースト・ミウォック族(Coast Miwok)と接触。
村を友好的に訪問、テッロ樹皮(Tello's bark:ボキブエ)と中国磁器を交換
7/23 ドレーク湾ドレーク入り江(Drake's Cove, Point  Reyes, California)出帆
7/24 セントジェームズ島(St.James Island)命名、現ファラロン諸島(Farallon Islands, California)
上陸、食料にアザラシや鳥を狩る
9/30 〜10/3、カロリン諸島(Palau, Caroline Islands)パラオ
陸地が見えない海上68日間後、ミクロネシアのカロライナ諸島のパラオ島に停泊
大勢の人々がカヌーできて弓矢の攻撃を受け砲撃
10/16 〜10/21、ミンダナオ島(Mindanao, Philippines, #13フィリピン
太平洋横断後、最初の上陸で水を補給
10/23 サランガニ諸島(Sarangani Islands, #16
ミンダナオ島の南にあるゴールデン・ハインド号は、2つの島の間を航行
10/24 ルイーザ浅瀬(Louisa Bank, Indonesia)
ミンダナオ島のルイーザ浅瀬岸を航行中、ポルトガル船を拿捕しようするも、逃亡
10/25 スラウェシ島(Sulawesi Islands, #3インドネシア
シアウ諸島(Siau Islands)、サンギ島(Sangi Islands)、セレベス海(Celebes Sea)
シアウ島の漁師の案内でシアウ海峡を通ってモルッカ諸島まで航海
参考HP〜
スラウェシ島の地図
セレベス海の地図
11/2 スアロ島(Suaro Island, Indonesia)
モルッカ諸島を目撃
11/3 〜9、北マルク州 ハルマヘラ諸島テルナテ島(Ternate, Moluccas, #11)、モルッカ諸島
ゴールデンハインド号にクローブ(丁子, チョウジ)6トンを積み込み、西へ出帆
12/12 レティ諸島(Leti Islands)マルク諸島、セレベス島(現スラウェシ島, #3)南方
この無人島のバンガイ諸島(Banggai Archipelago, #3) or ポティル島(Potil Island)で水と食料を収穫
船体を手入れして、インド洋横断の準備
マリアと黒人男3人を、入植地建設のため島に残し、米・種・火おこし、を与える
参考HP〜
レッティ諸島の地図
マルク諸島の地図(レッティ諸島(Leti-I, Barat Daya islands)有)
バンガイ諸島の地図
バンガイ諸島の場所地図(セレベス島の東隣)
バンガイ諸島の場所地図(インドネシアのほぼ中央)
1580年
1/19 〜20、ベスビオ礁(Vesuvius Reef, Sulawesi Island, #3)
カロエンバンガン海峡(Kaloembangan Strait, #3)を西に航海した後ゴールデンハインド号が岩礁に衝突
1/20 船を軽くするため大砲や積荷の香辛料・食料品などを投棄後、わずかな水漏れでサンゴ礁から脱出
参考HP〜
カロエンバンガン海峡の場所地図(Google Map)バンガイ諸島の海峡
1/14 ワオニ島(Wawonii Island, #3)インドネシア
乗組員はこの島に停泊して一日を過ごし、木材と水を収集
参考HP〜
カロエンバンガン海峡の場所地図
1/26 〜2/6、セレベス南西の海
セレベスを通過してから約1週間後
ゴールデン・ハインド号は西風で東のバンダ海に追いやられダマール島
2/6 〜10、ダマール島(Damar Island, #11)バンダ海の南。上陸。
島には金・銀・銅・錫などの金属や、ナツメグ・コショウなどのスパイス
生姜・レモン・イチジク・キュウリなどの生鮮食品が豊富で、テルナテ島(11/3)のように快適!
参考HP〜
マルク諸島の地図(ダマール島(Damar, Barat Daya islands)有)
2/10 〜11、 ダマール島(Damar)とルサ島(Rusa)の間を通過
2/12 緯度8度4分付近
モア島(Moa)、レティ島(Leti)、キサール島(Kisar)の北岸を通過
2/14 8°40'付近
アタウロ島(Atauro)とリラン島(Liran)の間をを通過
2/16 9°40'付近
アロール島(Alor)、キサール島(Kisar)、パンタール島(Pantar)、バタン島(Batan)の間をを通過
アロー海峡(Alor Strait)を通過し、次の停泊地へに向けて舵を切る
2/18 〜19、ルサ島(Rusa Island, Indonesia)
小さな島に停泊。薪を手に入れ、食べ物は2匹のカメだけ
3/9 チラチャプ(Cilacap, #2)ジャワ島
ポルトガルのマラッカ海峡を避けて、ジャワ島南を航海。
島の南海岸に通貨して、想定のテラ・オーストラリス大陸の延長ではないことを立証
3/10 ジャワ島
ドレイクは海岸から2マイル離れた浅瀬に停泊
3/11 ジャワ島
北東の海岸の島の町近くの入り江に停泊して水を汲む
3/12 〜25、ジャワ島
島の王と交流。亜麻布・羊毛・絹織物の贈り物を謙譲。その見返りに、米・鶏・その他の食べ物を受領
3/26 ジャワ島
喜望峰へ向かって出帆
5/21 アフリカ沿岸
西南西に航海して以来、初めてアフリカの陸地を望見
6/2 プリマスサウンド、イングランド
1578/10月にマゼラン海峡の手前で逃亡したエリザベス号ジョン・ウィンター船長がイングランドに到着
6/15 喜望峰、南アフリカ
ゴールデン・ハインド号が喜望峰の岬を回って航海
7/15 セストス川(Sestos River, 476km)リベリア
セストス川の河口に上陸
7/22 ワイトマンズベイ、シエラレオネ
首都フリータウンのワイトマンズ湾(Wightmans Bay, Freetown)に停泊、水を補給して船体を手入れ
9/26 〜28、プリマスサウンド、イングランド
ゴールデン・ハインド号が1046日間の航海の後、プリマス湾に到着、帰国。


参考HP〜
ドレーク船長の世界一周航海の地図(1577/12/13〜1580/9/26)
ホーン岬とドレーク海峡の地図

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和7年 2025/10/25
スタンプ・メイツ
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