大航海物語
ホンデュウス 1610、古地図
ホンデュウス・メルカトル世界図

参考資料
BELGIQUE-BELGIE
メルカトル家からホンデュウス家に譲られた地図原版を基に
ホンデュウスが新たに地図を加えて製作された
メルカトル・ホンデュウス版アトラスの
ホンデュウス世界地図、1606
シ|ザ|







メルカトル








メルカトル
プトレマイオス




ホンデ
ュウス






ホンデ
ュウス
1512 メルカトル生誕500年記念 2012
ベルギー 2012/3/12 発行小型組合せシート

コーナー肖像の名前
シーザー
プトレマイオス
メルカトル
ホンデュウス

British Virgin Islands
ホンデュウス・メルカトル世界図

1580 ドレーク船長世界周航400年記念 1980
英領ヴァ−ジン諸島 1980/9/26 発行 小型シート


S.TOME PRINCIPE







サントメ島→
アフリカ・ギニア海岸の拡大図

1492 コロンブスの新大陸発見500年記念 1992
サントメ・プリンシペ 1992 発行

REPUBLICA ARGENTINA
南アメリカの拡大図

アルゼンチン 1988/11/26 発行
ヨドクス・ホンデュウス (1563/10/14〜1612/2/12)
 Jodocus Hondius, the elder

ホンデュウスはベルギーの西フランドル州デンターヘム市にあるワッケン村(Wakken village, Dentergem municipality, West Flanders province, Belgium)で生誕。ホンデュウスは息子と区別するため、ホンデュウス・エルダーと呼ばれ、ベルギー・フランダース地方ガント(Ghent、英=Gaunt)で育ちました。若い頃にフランドルの芸術家、彫刻師、および地図製作者としての名声を確立しました。1584年にフランドルでの宗教的弾圧の難を逃れるために一時、ロンドンへ移住しました。イングランドでは、1570年代後期に世界周航をなしたフランシス・ドレークの功績を公表するために尽力しました。ホンデュウスは現在ロンドンの国立肖像画美術館にいるドレークのい幾つかの有名な肖像の作家だとも考えられています。

1593年にベルギー(現オランダのアムステルダム、1604年説有)へ戻りました。そしてアムステルダムが17世紀ヨーロッパでの地図製作のセンターとして確立するのに大いに貢献しました。そしてアムステルダムが17世紀ヨーロッパでの地図製作のセンターとして確立するのに大いに貢献しました。1604年にはゲラルドゥス・メルカトルアトラス(Atlas:地図帳)の原版(プレート)をメルカトルの孫から購入しました。メルカトルの地図はアブラハム・オルテリウスの地図(Theatrum Orbis Terrarum)に取って代わられていましたが、ホンデュウスは彼自身が作成した幾つかを含むさらに36の地図で、メルカトルの地図を再発行しました。ホンデュウスのその後の追加作品はメルカトルの孫に全てを渡し、彼自身を出版者と発表しました。メルカトルの地図のホンデュウス新版は大成功でした。そして1年後には全て完売となりました。ホンデュウスは後で第2の版(ポケットバージョンアトラスマイナーと同様に)を発表しました。地図は「メルカトル・ホンデュウス・シリーズ」としてその後知られました。ホンデュウス没後は、1611年にアムステルダムの出版事業は未亡人と2人の息子によって続けられました。1633年以降に共同出版社としてヤンソン(Jansson)とのパートナーシップを組織しました。その後は「メルカトル・ホンデュウス・ヤンソン・シリーズ」(Mercator/Hondius/Jansson)と呼ばれています。ラテン語で最初の1606年の版から始めて、アトラスのおよそ50の版は主なヨーロッパの言語で公開されました。

上から3番目の小型シートは1987年にサントメ・プリンシペ民主共和国から発行されるも、1991年にはコロンブスのアメリカ大陸発見500年を記念して発行され、シート地にギニア湾岸の古地図が描かれています。この地図は有名な地図学者メルカトルの地図を後のホンディウスが集大成したメルカトル・ホンディウス版アトラスの1610年版に掲載されているもので,地図をよく見ると,ギニア湾東部の赤道の北側に2つの島が見えますが,北側の島は現在の赤道ギニアに属するビオコ島で,南側の島がプリンシペ島です。そして切手に隠れた部分にサントメ島があのですが,その拡大図が左下に別枠で描かれています。さらに地図の右下の隅には地図の縮尺が示されています。このメルカトル・ホンディウス版地図帳は当時の地図帳人気にともないラテン語版以外にもオランダ,ドイツ,フランス語版など諸版が出版されたのですが,当時の地図には各国の距離値の違いによって複数の縮尺表示がなされている場合が多く,この地図にもスペイン式,ドイツ式それぞれの縮尺表示がされています。

参考:〜
・サントメ・プリンシペ国はサントメおよびプリンシペの両島を中心にした島国でカーボベルデと同様15世紀にポルトガル人が発見しました。

参考HP〜
メルカトル・ホンデュウス世界図(1611)
メルカトル・ホンデュウス世界図(キューバ、エスパニョーラ)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2007/7/7、12/12/23追記、13/6/20
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