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★ポルトガル | トメ・デ・ソウザ 1549、サルヴァドール建設 初代ブラジル総督 |
大航海物語★ |
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PORTUGAL トメ・デ・ソーサ ポルトガル 1968/8/17 発行 |
南米の地図 エクアドル 発行 |
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トメ・デ・ソウザ (1503-1573) Tome de Sousa ソウサは1503年にポルトガル・ポルト(Porto)北方のポヴァア・デ・ヴァルジン(Povoa de Varzim)市で生まれました。長じて軍人となり、アフリカでの対ムーア人(Moors)作戦に従事しました。その後、インドに渡り、フェルマオ・ド・アンドレイド(Fernao de Andrade)大艦隊(armada)のもとで、ノウ・コンセイソン(Nau Conceicao)部隊を指揮しました。 ブラジルは1500年にペドロ・アルバレス・カブラルが発見してポルトガル領を宣言していました。そして、1501年にポルトガルを出帆したアメリゴ・ヴェスプッチがブラジル東端のサン・ロケ岬付近を南下航海中にバイーア(バハイア)湾(Baia de Todos os Santos or Bahia de Todos os Santos (All Saints' Bay, in archaic Portuguese)を1501/11/1に発見し、その日が諸聖人の日(万聖節)だったので「諸聖人の湾の、聖なる救世主」(Sao Salvador da Baia de Todos os Santos)と名付けました。1510年にポルトガルのヴィアナ(Viana do Castero)生れのディオゴ・アルヴァレス・コレイア(Diogo Alvares Correiag、通称:カラムル Caramuru 1475?ー1557)と入植者が乗船していた一隻のポルトガル船がリオ・ヴェルホ(Rio Vermelho)沖で難破・遭難しました。 1549年にソウサと入植者を乗せたポルトガルの艦隊がバイーア(バハイア)湾に到着し入植に成功しました。ソウサはポルトガル植民地ブラジルでの初代総督・将軍(governor-general)に任命され、ポルトガルから大西洋を越えて新大陸・南アメリカのブラジルに渡り、1549〜1553の4年間をブラジルでその任務に精励しました。彼は入植者として1000人の兵士を連れていました。バイーア着任後に”サルヴァドール”Salvador)を建設し、それが植民地ブラジル最初の首都となりました。 そして原住民のキリスト教化にも力を注ぎ、70才で亡くなりました。 参考HP:〜バハイア湾の衛星写真 参考:〜 ・サルヴァドール 正式名称:サン・サルヴァドール・ダ・バイーア・デ・トードス・オス・サントス 「諸聖人の湾の、聖なる救世主」という意味 Salvador (historic name, Sao Salvador da Baia de Todos os Santos) in English: "Holy Savior of All Saints' Bay" サルヴァドールはポルトガル語で救世主(=キリスト)を意味し、かつて長い間バイーア(湾)という名前でも知られ、植民地ブラジルの最初の首都でした。ダニエル・デフォー(1660-1731年)が1719年に書かいたロビンソン・クルーソーには、この名前で登場。また、サルヴァドールという同名のブラジルの都市と区別するために、サルヴァドール・ダ・バイーア(バイーア州のサルヴァドール)と地図などに書かれることもある。 サルヴァドールは大西洋に面し、バハイア「諸聖人の」湾を取り囲む半島にあります。主要な輸出港であるとともに、この湾周辺のReconcavo Baiano大都市圏の中心です。2002年の人口は約254万人、ベロオリゾンチを抜いて現在ブラジルで3番目に大きな都市となっています。 「諸聖人の湾」バイーアが初めてヨーロッパ人によって発見されたのは1501年で、サルヴァドールが建設されるのは1549年、初代ブラジル総督トメ・デ・ソウサ率いるポルトガル人入植者の到着後となりました。その後急速にブラジルの主要貿易港として発展し、砂糖産業と奴隷貿易の中心地であったポルトガル領ブラジルの最初の首都となりました。1552年にはブラジルで初めてカトリックの司教座となり、以後ブラジルのカトリック教会の中心地のひとつでありつづけています。1583年に人口1600人に達した後も急速な成長を続け、北米でアメリカ独立戦争が起こった1776年の段階では、新世界で最大の都市のひとつになっていいました。当時サルヴァドールはポルトガル副王国グラン・パラ、およびバイーア・デ・トードス・オス・サントス県の首都でした。1624年5月オランダがサルヴァドールを攻略、翌1625年4月にポルトガルが奪還するまで、他の北東部の港と同様に占領されていました。1763年にその当時新たな経済の中心地となったリオデジャネイロへと植民地ブラジルの首都が移転しましたが、サルヴァドールはブラジル独立運動の拠点となり、1812年にはポルトガルによる攻撃を受けました。そして1823/7/2には独立を達成。その後ブラジルの工業化の流れに取り残されたため、150年にわたり斜陽の一途を辿りました。この間1948年に人口は34万人、1991年には人口は208万人を記録。 参考HP:〜 ・ブラジルの各州の地図 ・バハイア(Bahia)の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/7/20 |