切手で綴る世界遺産(ロシア)
モスクワのクレムリン
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ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂 |
イワン雷帝の鐘楼 |
トロイツカヤ塔とクタフィヤ塔 |
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ロシア 1967/12/25 発行 |
・モスクワのクレムリン Moscow Kremlin 所在地:ロシア連邦モスクワ州モスクワ連邦市 (Federal cities of Moscow, Moscow Oblast, Russia) 世界遺産:ユネスコの文化遺産(1990) (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural) 正式名称:日:モスクワのクレムリンと赤の広場 英:Kremlin and Red Square, Moscow 仏:Le Kremlin et la place Rouge, Moscou クレムリン(Kremlin)は英語やフランス語などでの表記で、ロシア連邦の首都。モスクワ市の中心を流れるモスクワ川(Moskva River, 503km)沿いにある旧ロシア帝国の宮殿。ソビエト連邦(Soviet Union, 1922-1991)時代にはソ連共産党の中枢が置かれ、現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれているため、ロシア政府の代名詞として用いられます。クレムリンはロ シア語で「城塞」の意味で、ロシア各地にある中、最も壮大かつ有名なのがモスクワのクレムリンであり、モスクワの街はここから放射状に発展しました。ロシア正教の総本山として多くの聖堂が築かれる一方で、帝政ロシア(Russian Empire, 1721-1917)〜ソ連時代から、現在に至るまで政治の中心地になっています。 城壁の総延長は約2,235mで、20の城門を備え、内部には様々な時代の様式による宮殿や大聖堂(寺院)が林立。ウスペンスキー大聖堂やブラゴヴェシチェンスキー聖堂、ツァーリ(Tsar:皇帝)の納骨堂のあるアルハンゲリスキー聖堂の三大聖堂や、イワン雷帝の鐘楼(1508建立)が建立されています。また、ロシア正教会内部にはイコン(Icon:聖像画)やイコノスタス(Iconostasis:聖障)が有。圧巻は武器庫とダイヤモンド庫で、ロマノフ朝(House of Romanov, 1613-1917)初代君主ミハイル・ロマノフ(Mikhail Feodorovich Romanov、1596-1645)の王座、緻密な細工と仕掛けが施された黄金のイースターエッグ、エカテリーナ2世(Catherine the Great, 1729-在位1762-1796)に贈られた世界最大のダイヤなど、目を見張るロマノフ王朝の至宝が展示されています。城壁の外側、クレムリン正面前には、クレムリンと並ぶモスクワの象徴でもある赤の広場があります。 ・クレムリン小史:〜 クレムリンは12世紀、モスクワ川とネグリンナヤ川(Neglinnaya River, 7.5km:現在は地下河川)の合流点に面した天然の要害に最初の城塞が築かれました。それは、1147年(1156説有)に木造の砦として誕生し、15世紀後半にはイワン3世(Ivan III of Russia、大帝:Ivan the Great, 1440-在位1462-1505)がほぼ現在の威容に整えました。1366年には第4代モスクワ大公ドミトリイ・ドンスコイ(Prince of Moscow Dmitry Donskoy, 1350-在位1359-1389)が石造りの城塞として建設した後、各時代の統治者たちによって徐々に改良がくわえられました。現在のクレムリンを構成する建造物の多くは15世紀に建てられたもので、18世紀には首都がサンクトペテルブルグに移り、クレムリンは一時的な空白期間を迎えました。19世紀にはナポレオンの占領で一部が破壊されるも、間もなく修復され、さらに「大クレムリン宮殿」や「武器宮殿」が増築されてクレムリンは巨大化しました。クレムリンが再び国の中心となったのは、1917年のロシア革命以降でした。
・ツァーリ・コロコル(鐘の王様、Tsar Bell, 1735) イワン雷帝の鐘楼脇ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂広場に展示の巨大な鐘 全高6.1m、直径6.6m、重量200トンで一部割れている ・ロシア大統領官邸 (President house of Russia, 1934) ・ロシア大統領府庁舎 (Presidential Administration of Russia)帝政ロシア時代は元老院 スターラヤ広場にあるロシア大統領府庁舎。旧ソ連共産党中央委員会ビル などが林立し、また、聖堂群が周囲に立てられて、一つの建築複合体を形成しています。この敷地の東隣にはタイニツキー庭園(Taynitsky Garden)が有。 ・クレムリン大宮殿(大クレムリン宮殿、露:ボリショイ・クレムリョフスキー・ドヴォレッツ) (Grand Kremlin Palace、1849竣工) クレムリン大宮殿は19世紀造営の1839年から1849年にかけて造営され、全長125m、奥行き63mの大建築で、外観三階建て、内部二階建。その規模と豪華さで知られ、世界各国から集めた建材が使用され、その内部もまた、世界中から集められたり特別に制作された家具・装飾品によって埋め尽くされています。見学は可能。撮影禁止の内部には、白と黄金で目がチカチカするほどの豪華絢爛な世界が広がっています。なお、広義の大クレムリン宮殿は、このクレムリン大宮殿に下記のグラノヴィータ宮、テレムノイ宮殿を合わせたものを指します。 ・クレムリン大宮殿の ・一階には、皇帝の私室、 ・二階には、国家行事に使用された5つの大ホール(Reception Hall)があります。 ・クレムリン大宮殿南棟の一階は、皇帝一家の私室で、 ・食事の間 ・皇后の謁見の間 ・皇后の執務室 ・皇后の居間 ・寝室 ・皇帝の執務室 ・皇帝の謁見の間 の7室が一直線上に並んで有。各室の内装は個性に富み、例えば皇后の謁見の間はロココ様式、皇后の執務室はアンピール様式などと伝統と当時の流行が程よく折衷されています。 ・大ホールは、いずれもロシア帝国の主要な勲章にちなんで、 ・ウラジーミルの間(溜の間) ・ゲオルギーの間 ・アレクサンドロフの間 ・アンドレーエフの間 ・エカテリーナの間 (Ekaterininsky Hall、聖エカテリーナ勲章:Order of St. Catherine)の5間が有。 ・ウラジーミルの間(Vladimirsky Hall、聖ウラジーミル勲章:Order of St. Vladimir)は、 楕円形で、帝政時代には皇帝の謁見を待つ貴族のいわば溜の間でした。この他、外国からの使節を謁見したり、条約調印の会場として使用されました。1972年、ニクソン・ブレジネフ両首脳によるSALT1の調印式典でも会場となりました。勲章授与式にも使用されています。 ・ゲオルギーの間(Georgievsky Hall、聖ゲオルギー勲章:Order of St. George)は、 最高の武勲を立てた軍人に授与される聖ゲオルギー勲章の叙勲式が行われました。クレムリン大宮殿の各ホール中、最も大きく、最も荘重です。全長61m、全幅20.5m、高さ最大17mの威容を誇り、天井には重さ1.3トンの金メッキされたシャンデリアが6基取り付けられています。床は、胡桃、マホガニー、桜、白樺、林檎、梨、白樺、黒檀などの異なる木材で構成される寄木造りです。帝政時代・ソビエト時代・現在のロシア連邦を通じて国家的祝典に使用されました。 ・アレクサンドロフの間(Aleksandrovsky Hall、聖アレクサンドル・ネフスキー勲章:Order of St. Alexander Nevsky)とアンドレーエフの間(Andreyevsky Hall、聖アンドレイ勲章:Order of St. Andrew)は、1939年に壁を撤去し、一つのホールとなり、ソ連最高会議及びロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議の議場として使われました。 ・イワン雷帝の鐘楼(1508建立) (Ivan the Great Bell Tower, 81m) 大聖堂広場の中心には、高さ81mのイワン4世(Ivan IV of Russia、雷帝:Ivan the Terrible, 1530-在位1547-1584)の鐘楼が有。当時はモスクワ随一の高さだったため、軍事的な見張りのための役割も兼ねていましたが、頂上部は金色のドームで目立つ見張り塔でした。現在の鐘楼はナポレオン軍によって破壊された後、再建されました。 ・グラノヴィータヤ宮殿(多稜宮) (Granovita Palace) 15世紀の1481年から1891年にかけて建造された最も古い建造物の一つ「グラノヴィータヤ宮殿」は、白い多面体の石を使った凸凹した外観から「多稜宮」とも呼ばれています。外側は角ばった印象なるも、内部には公式の式典を行うための高さ9m、広さ490uのアーチ構造のホールが有。帝政ロシア時代には、イワン雷帝のカザン占領記念の祝典や、ピョートル大帝のポルタヴァの戦いの勝利祝典など、公式行事やレセプション会場に用いられました。見学できるのは外観のみ。 ・テレムノイ宮殿(チェレムノイ宮殿)英米圏では「テレム(テーレム)宮殿」 (Terem Palace) 露:テレムノイとは、古ルーシの言葉で「高級な住まい」を意味すると言われ、1635年から1636年にかけて造営されました。16世紀に建設された2階建ての宮殿の上に3・4階を増築したものです。この望楼のような屋根裏部屋をテレムと称するとも言われています。この宮殿は、ロシア帝国の歴代皇帝(ツァーリ)の御所でした。五階建てで最上階は寄せ棟造りで、紅白の菱形模様の屋根。四階は控えの間と、玉座の間、寝室など。19世紀になってロシアの建築家が下層を改装してファサード(建築物の正面部分)が変わりました。 ・武器宮殿(武器庫、1851年建立) (Kremlin Armoury、宝物殿、アルジェイナヤ・パラータ) ロマノフ王朝の歴代皇帝たちが集めた宝物が展示されている博物館。クレムリンの入り口の一つであるホロヴィツカヤ塔のすぐ隣で、クレムリンの南西、アレクサンドロフスキー公園(Alexandrovsky park)に隣接。武器庫とあるも、後に戦利品やロマノフ家の宝物を保管するようになり、1720年ピョートル大帝の勅令で美術館になりました。コレクションには、13世紀から18世紀の武具・武器、14世紀から19世紀の織物、宮廷衣装、ロマノフ家の馬車など、内部は数々の宝物でぎっしり。きらびやかな宗教具、生活雑貨、武具にくわえ、王座、王冠なども間近に見ることができます。 ・アルセナール(旧兵器庫) (The Arsenal) 旧兵器庫はクレムリンの北西、無名戦士の墓に隣接し、トロイツカヤ塔から入城して左側、クレムリン大会宮殿と向かい合っています。現在はクレムリン警備隊の兵舎として利用されています。 ・国立クレムリン宮殿(旧クレムリン大会宮殿:ドヴォレッツ・スエズドフ) (State Kremlin Palace) 国立クレムリン宮殿はクレムリン大宮殿の北側、トロイツカヤ塔から入城して右側に有(巨大な会議場)。ソビエト時代の1959年から1961年にかけて建設されました。ファザードは、ガラス張りで鉄筋コンクリートの直線的な社会主義モダニズム建築。6,000人を収容可能な議事堂で、1961/10/17に開催された第22回ソ連共産党大会をはじめ、党大会や国際会議場として使用されました。ソ連崩壊後は、名称を国立クレムリン宮殿と改称されました。1990年クレムリンが世界遺産に登録された時には、この宮殿のみ鉄筋コンクリートとガラス張りの近代性ゆえに世界遺産として指定されませんでした。ボリショイ劇場の第二ステージとしても使用されています。 ・ロシア大統領官邸 (President House of Russia, 1934) ロシア大統領官邸は、ロシア大統領府庁舎の東側に有。ソ連時代の1932年から1934年にかけて建設されました ・ロシア大統領府庁舎 (Presidential Executive Office of Russia, 1778、旧元老院、二等辺三角形の建物) ロシア大統領府庁舎は、ソビエト時代にはソ連最高会議幹部会館。大統領官邸などの周囲の建物と同じ黄色の外観で調和が取れています。帝政ロシア時代は元老院。ソビエト時代には閣僚会議館。設計者マトヴェイ・カザコフ(Matvei Kazakov、1738-1812)の名前に因んでカザコフ館とも呼ばれます。赤の広場に面し、二等辺三角形の平面を持ち、赤の広場から、レーニン廟越しに見ると、カザコフ館のドームが見えます。レーニン以来、歴代のソ連指導者の執務室が置かれました。
・ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂(生神女福音大聖堂、または受胎告知聖堂) (Cathedral of the Annunciation, Moscow) ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂、15世紀に建てられた皇帝と皇后専用の礼拝所。9つの黄金色の玉ねぎ型のドームを持ち、ちょっとアラビアンナイト風の聖堂。他のほとんどの聖堂や宮殿がイタリア人など外国から招いた建築家によって造られているのに対し、この大聖堂はロシア人の手による作品。また内部を飾るイコンは、当時の著名なイコン画家によるもので、ロシア正教会の宝物の一つとされています。 ・アルハンゲリスキー大聖堂(聖天使首大聖堂) (Cathedral of the Archangel、1508年建立) イタリア・ルネサンス様式でたてられた美しい聖堂で、歴代の皇帝(ツァーリ)たちの納骨所となっています。 <その他の聖堂> ・アサンプション大聖堂(Cathedral of the Assumption, 1326) ・ローブの礼拝堂教会(Church of the Deposition of the Robe, 1484) ・十二使徒教会(ロシア正教会総主教の宮殿)総主教区の十二使徒教会 (Cathedral of the Twelve Apostles in the Patriarch's Palace, 1655) ・出生の教会(Church of the Nativity, 1393)ラザロの復活の礼拝堂 など。 <広場> ・大聖堂広場(ソーボルナヤ広場) (Sobornaya Square) クレムリン大宮殿の東側には、ロシア正教会の伽藍が林立する広場があり、大聖堂広場(寺院広場、ソーボルナヤ・プロシチャージ)と呼ばれています。 ・イワノフスカヤ広場 (Ivanovskaya Square) イワノフスカヤ広場はクレムリン最大の広場です。その名前はイワン・ザ・グレート・ベル・タワーに由来しています。16〜17世紀には多くの政府機関がこの広場にありました。
・ボロヴィツカヤ塔(Borovitskaya Tower, 1490、松林塔)※ ・スパスカヤ塔、※ ・ニコリスカヤ塔(Nikolskaya Tower, 1491)、※ ・ヴォドヴズヴォドナヤ塔(Vodovzvodnaya Tower, 1488、揚水塔)※ ・ブラゴヴェスチェンスカヤ塔(Blagoveschenskaya Tower, 1488、受胎告知塔) ・タイニツカヤ塔(Taynitskaya Tower, 1485)、(秘密塔) ・モスクヴォレツカヤ塔(Petrovskaya Tower, 1612、旧ペクレミシェフスカヤ塔) ・ベクレミシェフスカヤ塔(Beklemishevskaya Tower, 1488) ・コンスタンチノ・エレニンスカヤ塔(Konstantino-Eleninskaya Tower, 1490) ・ナバトナヤ塔(Nabatnaya Tower, 1495、警鐘塔) ・ツァールスカヤ塔(Tsarskaya Tower, ?、皇帝塔) ・コメンダンツカヤ塔(Komendantskaya Tower, 1495、司令官塔) ・セナツカヤ塔(Senatskaya Tower, 1491、元老院塔) ・コーナー・アーセナルナヤ塔(Corner Arsenalnaya Tower, 1492) 別名:ウグロヴァーヤ・アルセナーリャ塔(角の兵器庫塔) ・ミドル・アセナルナヤ塔(Middle Arsenalnaya Tower, 1495) 別名:スレドニャーヤ・アルセナーリャ塔(中央兵器庫塔) ・オルジェヘイナヤ塔(Oruzheynaya Tower, 1495、武器庫塔) ・クタフィヤ塔 ・第一ベズイミャンナヤ塔(First Unnamed Tower, 1480、第一無名塔) ・第二ベズイミャンナヤ塔(Second Unnamed Tower, 1450頃、第二無名塔) トロイツカヤ塔を抜けるとクレムリンに入城。入城後は右側を通って行き、左側は大統領府をはじめとする最高行政機関の建物が有って進入禁止。ただ、警備員は数人程度。 ・スパスカヤ塔、クレムリンの赤い星(Kremlin star)が有 (Spasskaya Tower, 1491)(救世主塔、旧フローロフスカヤ塔) クレムリンと赤の広場を結ぶため、一番格式の高いとされる。高さ約74メートルの偉容を誇り、時計塔となっている。時計の文字盤は直径6.12メートル、重量25トン。赤の広場からスパスカヤ塔の下にあるスパスキエ門に入ると、大統領官邸と大統領府に続く。 ・クタフィヤ塔 (Kutafya Tower, 1516)13.5m クタフィヤ塔は、ネグリニャヤ川を渡ってトロツツカヤ塔に通じるクレムリンへの橋を守るために、1516年にイタリア・ミラノの建築家の指揮で建設されました。当初、塔は監視塔で、堀に囲まれており、揚力橋が唯一の都市へのアクセスで、また、タワーは2層で守りを固めていました。ロシア語の"kutafya"という言葉は、かつては "醜い、不器用な女性"を意味していました。1668年に塔を通ってトロイツカヤ橋に通じる幹線道路が建設されました。建物は1970年代に完全に復元されました。現在はクレムリンへの主要な入り口となっています。
参考HP:〜 ・クレムリンの全景(宮殿など配置図) ・クレムリンの場所地図(モスクワの地図) ・クレムリンの場所地図(世界遺産) ・クレムリンと赤の広場(鳥瞰図と説明) こちらで世界遺産の ・聖ワシリー聖堂(モスクワ) ・アウシュヴィッツ収容所 (ユダヤ人絶滅収容所、ポーランド) ・マルタ騎士団 (イタリア) ・アトス山 (ギリシャ) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・ペトラ遺跡 (ヨルダン) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・法隆寺 (日本) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2017/11/30 |