Portugal 国連 1989 発行 |
切手で綴る 冒険大航海(Adventure Voyages)ポルトガル発見者の群像(0-2)
ジル・エアネス船長 1434 "ボジャドール岬” 突破 |
大航海物語 ポルトガル編★ |
Portugal ジル・エアネス船長 ポルトガル 1945/1/29 発行 |
PORTUGAL カラベル船 ポルトガル 1960/8/4 発行 |
GAMBIA 西アフリカの地図 |
GHANA 南西アフリカの地図 ギニア湾 ガーナ 1959/10/15 発行 |
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アゾレス諸島 . マデイラ諸島 ポルト・サント島 カナリア諸島 . 西サハラ〜ボジャドール岬→ オーロ川 西サハラ〜ブランコ岬→ モーリタニア〜アルギン セネガル〜セネガル川 ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬→ ガンビア川 ギニア シェラレオーネ |
エルミナ城 |
アフリカ大陸 | ||
ガンビア 1992 発行 | ||||
黒い突起は上から | ・ボジャドール岬 ・ブランコ岬 ・ヴェルデ岬(ダカールのあるヴェルデ岬半島に有) |
ジル・エアネス船長 (Gil Eanes, 生年没年不詳) エアンネス船長はポルトガルのエンリケ航海王子の馬屋係りをしていましたが、1433年王子の命により、カナリア諸島から南へ240kmのボジャドール岬を越えてその向こうを探検せよ」とバルカ船の司令官に任命されてギニア方面へ向けての航海に出帆しました。ところが当時の船乗りの常識は「ボジャドール岬より先は海が煮えたぎっていて、岬を越えると生きては帰れない!」不帰の岬というものだったので、岬より北まで航海して引き返してしまい、 ポルトガルから南西1,300kmのカナリア諸島方面の探検航海や、スペイン南部のイスラム 教国”グラナダ”の海岸を攻撃してポルトガルに帰ってきました。そして岬の先の恐怖を王子にくどくどと報告したと伝えられています。エンリケ王子は忍耐強い人だったので、その失敗を許し、グラナダ海岸攻撃には十分に報いたといわれています。これを聞いた船乗り達の恩賞目当てのグラナダ海岸攻撃が盛んになったそうです。 翌年の1434年に王子は2度目のボジャドール岬の先への航海を命じ、カラヴェル船をエアネス船長に与え、パリネル船のバルダイア船長を随伴させました。今度は岬を回って320kmの地点に到達、ボジャドール岬突破に成功し、上陸して「聖母マリアのバラ」を採取して持ち帰りました。バラを王子に献上し、ナイトに叙せられました。こうしてエアネス船長はポルトガル人として初めて岬を越えた人物となりました。歴史では目立たちませんが当時とすれば、それは恐ろしい未知の海に乗り出した記念すべき第一歩ですね。エアンネス船長は”真っ赤な灼熱地獄の海”が「サハラの赤い砂で濁った海」であり、”煮えたぎっている海”が「大きなボラの群れ」で、”海の果てで海が奈落の底に落ち込む 所”が「切り立った断崖が海に落ち込んで」いたと報告したと伝えられています。こうして岬の先も普通の海であることがわかったわけです。 1435年王子の命で、バルダイア船長と共にリオ・デ・オーロ(Rio de Oro:黄金河、ギニアビサウのリオ・グランデ川(550km、現ジェバ川)ボジャドール岬とモーリタニア領ヌアディブ半島南突端のブランコ岬の中間付近)に向けて航海。ボジャドール岬から280km南下して西サハラのガーネット湾(Garnet bay、北緯25度)に到達。ボートで上陸して人間とラクダの足跡を発見し帰港後、王子へ報告。王子はその近くに住民がいることを 確信し、さらに先へと探検航海することを決意したと伝えられています。 参考地図HP:〜 ・マデイラ諸島 ・マデイラ諸島 (黒い所がポルトサント島) ・ガーネット湾の場所地図(Google map) ・発見者の群像(0)ボジャドール岬を突破! (1)ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコ船長 (2)ジル・エアネス船長 (3)ゴンサロ・ヴェルホ船長 (4)ヌーノ・トリスタン船長 (5)アントニオ・ダ・ノーラ船長。 こちらで ・エンリケ航海王子の船長たち(※)エンリケ王子の探検航海事業! ・トリスタン・ヴァス・テイシェイラ船長(1)アフリカ西岸を越えて! ・ジョアン・デ・サンタレン船長(2)赤道を越えて! ・バーソロミュー・ディアズ船長(3)喜望峰を越えて!
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。令和 R.2/11/2(2020) 追記、令和6年 2024/6/26 |