Portugal 国連 1989 発行 |
切手で綴る 冒険大航海(Adventure Voyages)ポルトガル発見者の群像(1-1)
トリスタン・テイシェイラ船長 1418 ポルト・サント島を発見 |
大航海物語 ポルトガル編★ |
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PORTUGALーMADEIRA |
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探検航海用のカラベル帆船 |
マデイラ諸島のポルトラノ海図 |
マデイラ諸島 1981/7/1 発行 | |
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GAMBIA 西アフリカの地図 |
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アゾレス諸島 . マデイラ諸島 ポルト・サント島 カナリア諸島 . 西サハラ〜ボジャドール岬→ オーロ川 西サハラ〜ブランコ岬→ モーリタニア〜アルギン セネガル〜セネガル川 ヴェルデ岬諸島 ヴェルデ岬→ ガンビア川 ギニア シェラレオーネ |
エルミナ城 |
アフリカ大陸 | |
ガンビア 1992 発行 | |||
黒い突起は上から | ・ボジャドール岬 ・ブランコ岬 ・ヴェルデ岬(ダカールのあるヴェルデ岬半島に有) |
・トリスタン・ヴァズ・テイシェイラ船長 (Tristao Vaz Teixeira, 1395頃〜1480頃) テイシェイラ船長はポルトガルの探検航海者で、1419年にマデイラ諸島(Madeira Islands)のポルト・サント島に到達し発見者となりました(船が難破して漂着したという説有)。テイシェイラ船長は、初めはトリスタン・ヴァスでしたが、結婚後に妻の姓の「テイシェイラ」という名を加えました。エンリケ航海王子に従って、1414年のセウタ攻略戦、1437年のタンジール侵攻に参加して、「残忍な火刑をせし者」(Homem assar ardido:英Man roasting hot)と呼ばれました。 テイシェイラ船長はエンリケ航海王子により、ザルコ船長と共に1418年12月にアフリカ沿岸ギニア方面への探検航海を命じられました。船長らは風に流されて、海鳥とアシカがいるだけのポルト・サント島に漂着しました。そして、そこでザルコ船長は沈み行く太陽の方角にかすかな点を見つけたので、そこへ航海し「山が多く、深い森林に覆われた」新しい島を見つけ「イリャ・デ・マデイラ(森の島)」と命名し、ポルトガル王とエンリケ航海王子とキリストの名で、正式に領有を宣言して帰国しました。帰国したテイシェイラ船長達はその新しい島々の発見で大歓迎を受けました。 ポルト・サント島はポルトガルのテージョ河々口のリスボン南西約1,000kmにある大西洋上のポルトガル領マデイラ諸島の島々の一つで、南西60kmのところに主島のマディラ島があります。テイシェイラ船長は、1419年にザルコ船長とともにマデイラ諸島の植民地化を行いました。マデイラ島に入植した後、1440年にカピタニア(capitania)という制度の下で島内に自分の領地を獲得しました。 自身のカラベル船団で、数次にわたってアフリカへの探検航海を組織しました。職権の濫用により、一時的にマデイラ島の領地から追放されましたが、1452年に赦免されて自領に戻りました。貴族の娘ブランカ・テイシェイラ(Branca Teixeira)と結婚し、男子5人、女子7人から成る12人の子をなし、その子らも多くの子をなしたため、今日、その子孫はマデイラ諸島全域に広がりました。 参考地図HP:〜 ・マデイラ諸島 ・マデイラ諸島 (黒い所がポルトサント島) ・発見者の群像(1)アフリカ西岸を越えて! (1)トリスタン・ヴァス・テイシェイラ船長 (2)バーソロミュー・ペレストレロ船長 (3)ディオゴ・デ・シルヴェス船長 (4)ディオゴ・ゴメス船長。 こちらで ・ジル・エアネス船長(0)ボジャドール岬を突破! ・ジョアン・デ・サンタレン船長(2)赤道を越えて!
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。平成19年 2007/12/20、令和6年 2024/11/24 |