イギリス ネルソン提督
1805
トラファルガーの海戦勝利
大航海物語★

ネルソン提督とビクトリー号

イギリス 1982/6/16 発行

ネルソン提督は12才で海軍に入り、20才で艦長となり、29才で結婚し、35才で恋におち、36才で片目を失い、39才で片腕を失い、1805年、47才でトラファルガーの海戦に勝利して戦死しました。
ロード・ホレイショ・ネルソン (1758/9/29〜1805/10/21)
 Lord Horatio Nelson

イギリス・ノーフォーク州出身の海軍軍人。12才で海軍に入り、20才では艦長になっていました。18世紀末からフランス革命戦争とナポレオン戦争に従軍しました。1787年には未亡人フランシス・ニズベットと結婚しました。1793年ナポリに派遣された時、同地駐在のイギリス大使夫人エンマ・ハミルトンと知り合い、終生の愛人となりました。翌年のコルシカ島カルビ港攻略戦での激戦中に右眼を失いました。1797年にはセント・ビンセント沖の海戦でスペイン艦隊を完敗させました。この時の戦法は、後日「ネルソン流」と呼ばれるようになりましたが、この時には右腕を失い、隻眼隻手となりました。翌1798年にはナイル河口のアブキール湾でフランス艦隊を撃破して男爵に叙せられ、1799年には地中海艦隊司令長官に任ぜられました。翌年、軍務を捨ててハミルトン夫妻をウイーンに護送して海軍を解任されました。1801年に呼び戻され、コペンハーゲンにデンマーク艦隊を襲撃、勝利(1801/4/2)して、子爵に授せられました。1803年再び地中海艦隊司令長官になり、1805年にはトラファルガーの海戦で、スペインの無敵艦隊(フランスとの連合艦隊)を撃滅しナポレオンのイギリス上陸の企図を粉砕しました。しかし、自らは「余は余の義務を果たせり」の言葉を最後に旗艦ビクトリー号上で壮烈に戦死しました。47才でした。ロンドンのセント・ポール寺院に葬られ、ロンドンのトラファルガー広場には彼の記念柱が建立されています。

ネルソン流」:イギリスの象徴的な英雄”ネルソン”は、勇壮な海軍の司令官であり、子爵であり、そしてハミルトン夫人エマとの恋に生きた男でもありました。その彼が海戦で見せた勇敢さと攻撃精神、戦火の中での冷静さ、戦場で示した人道的性格などで、人々から愛された指揮官でした。彼は部下の将兵を熟知しており、また、彼の指揮下の艦長たちは、ネルソンが何を望み、またどのようにして欲しいと思っているかを良く心得ていたと言われています。そのチームワークこそ「ネルソン流」と呼ばれたのでした。そして、部下の乗組員を、当時の船乗り特有の病気(壊血病)から守るために、大量のオレンジを船に積み込んでいたと伝えられています。







ネルソン提督、無敵艦隊を撃破
1805/10/21
トラファルガーの海戦

Battle of Trafargal

POSTAGE
ネルソン提督の乗船 ビクトリー号 英国艦隊旗艦

イギリス 1951/5/3 発行

トラファルガーの海戦
1806/10/21にジブラルタル海峡の西方、スペインのトラファルガー岬沖で、仏ビルヌーブ率いる無敵艦隊(フランス・スペイン連合艦隊)33隻をネルソン提督が率いるイギリス艦隊27隻が迎撃した海戦。英国艦隊側はネルソン提督の乗船する旗艦「ヴィクトリー号」の12隻と、コリングウッドの15隻の二手に分かれて戦い、ネルソンが西方より北上中の無敵艦隊を分断してイギリスの大勝利となりました。これにより、ナポレオンはイギリス上陸を断念しました。

ヴィクトリー号は、
・3本マスト、
・排水量3500tn、
・3層の砲列甲板を持ち、
・両舷側に104門の大砲を装備して、
・800人乗組みの大型木造帆走軍艦でした。

なお、ネルソンは無敵艦隊の先鋒の進路を遮断してこれを補足殲滅、コリングウッドは中央と後方の無敵艦隊を撃破したとの説もあります。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。      
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