Netherland 国連 1989 発行 |
切手で綴る オランダの大航海(Adventure Voyage)
ウィレム・バレンツ船長 1596 スピッツベルゲン島発見 |
大航海物語 オランダ編★ |
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NORGE スパールバル諸島
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Nederland ウィレム・バレンツ船長の航海地図 1596−1597 |
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スピッツベルゲン島 ノーヴァヤ・ゼムリャー島 | ||
バレンツ船長→ オランダ・テセル→ イギリス→ |
←バレンツ切手 ←バレンツメダル |
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1596 バレンツの航海400年記念 1996 メダル切手セット初日カバー オランダ 1996/10/1 発行 |
バレンツは1596年の3度目の探険航海で、北極圏のスヴァールバル諸島を発見して、スピッツベルゲン島と名づけました。その帰りに氷に閉ざされ、越冬中に47才頃で亡くなりました。 |
ウィレム・バレンツ (Willem Barentsz, c1550〜1597/6/20) バレンツはオランダのフリースランド州西フィリシアン諸島テルスヘリング島(Terschelling, West Frisian Islands)で生まれました。オランダの航海士、探検家で、ヨーロッパ北部の海を探検した初期のヨーロッパの探検家の一人です。 バレンツの大航海:〜 ・第1回(1594/6/5) 3隻でアムステルダムを出帆。ノーヴァヤ・ゼムリャー島の西岸に達して、北から引き返す。 ・第2回(1595/6/2) 7隻の船でヴァイガチ島南部の水路の通過を試みるも、既に凍結。 ・第3回(1596/5/10〜1597/6/20) 2隻の船でテセルを出帆し、スヴァールバル諸島を発見。スピッツベルゲン島と命名。 1594年にロシアの北周りで東アジアに至る北東航路(Northeast Passage)探検のため、マーキュリー号(Mercury)と他2隻の船でアムステルダム港を出帆してバレンツ海から、ノーヴァヤ・ゼムリャー島の西岸に達しました。そのまま島にそって北へ進んで北先端に達するも、結局は引き返しました。 翌1595年には7隻の船でバレンツ海のロシア岸とカラ海峡(Kara Strait)の南のヴァイガチ島南部の水路の通過を試みましたが、すでに凍結していたので通過できませんでした。 1596年の3度目の探険ではヤコブ・ヴァン・ヘームスカーク船長(Jacob van Heemskerk 1567-1607、アムステルダム生ジブラルタル没)とヤン・リップ船長(Jan Corneliszoon Rijp 1570 -1613)との2隻の船で北東航路を求めてオランダ・テセル(Texel, North Holland, Netherlands)を出帆し、バレンツ海のスヴァールバル諸島を発見して、スピッツベルゲン島(「尖った山」の意)と名づけました。(実際には既に12世紀末よりノルウェー人たちに知られていたとの説も有)。その後に船を東に向け、ノーヴァヤ・ゼムリャー島の北側を回りましたが、氷に閉ざされたのでノーヴァヤゼムリャ島北東岸での越冬を余儀なくされました。1597年春になっても船が動けなかったので、1597/6/13にボート2隻でコラ半島に向けて出発しました。船員たちの多くがムルマンスク付近のコラ半島でヤン・リップ船長の船に救助されましたが、バレンツは1597年にノーヴァヤ・ゼムリャー島付近で、47才頃に亡くなってしまいました。
参考HP:〜 ・バレンツの北極地図 ・ヴァイガチ島の場所地図 ・バレンツ海の地図 ・オランダの地図(区分地図) ・フリースランド州の場所地図 ・テルスヘリング島の場所地図(テセル島も有) ・西フィリシアン諸島の場所地図 ・テセル島の地図 ・テセル島の場所地図 ・フリースランド州付近の地図 ・オランダの12州の場所地図 こちらで ・蘭英戦争(1652-1674) ・第1次蘭英戦争(1652-1654) ・第2次蘭英戦争(1665-1667) ・第3次蘭英戦争(1672-1674) ・第4次蘭英戦争(1780-1784)
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成23年 2011/5/15追記, 12/3/31, 12/7/3, 令和5年 2023/6/7 |