大航海物語 | United Kingdom 国連 1983 発行 |
切手で綴る 海戦物語(Naval Battle) ラゴスの海戦 1759/8/19 Sea Battle of Lagos ★イギリス VS フランス★ |
France 国連 1980 発行 |
海戦物語 |
ANTIGUA フランス74門戦列艦 Le vaisseau de 74 canons セント・ヴィンセント 1989 発行 |
Gibraltar イギリスの戦列艦キャプテン号 ジブラルタル 2007 発行 |
O印 ラゴス海戦の場所地図 O印ラゴス、O印カディス スペイン 1988 発行 |
PORTUGAL ポルトガル最南端 |
ESPANA Oカディスの場所地図 サンルーカル・デ・バラメダ セヴィリア、 Oバルセロナ スペイン 1988 発行 |
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サン・ビセンテ岬→ St.Vicente . |
←サグレス岬 Sagres |
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アルカルヴェ州 1460 エンリケ航海王子没後500年記念 1960 ポルトガル 1960 発行 |
(5)ラゴスの海戦 (Sea Battle of Lagos, 1759/8/18・19) 七年戦争(Seven Years' War, 1756-1763)中の海戦 場所:ジブラルタルとポルトガル南岸ラゴスとの間の沖(Off Lagos, Portugal) 結果:イギリスの勝利(English victory) 両軍の戦力:〜 ・英艦隊:〜戦列艦(ships of the line):15隻 総司令官:ボスコーエン提督 ・仏艦隊:〜戦列艦(ships of the line):12隻 総司令官:提督サブラン伯爵 ラゴスの海戦は七年戦争中、仏ルイ15世政府がイギリスに侵攻したのをイギリス艦隊が阻止するため、ジブラルタルとポルトガル南岸ラゴスとの間の沖合で、イギリス艦隊とフランス艦隊とが戦った海戦。イギリスが勝利した後、仏サブラン提督クルー伯爵は致命傷を負ってポルトガル陸岸で戦死。カディスに逃げたフランス艦5隻は英ボスコーエン提督の副将ブロデリック提督(Admiral Brodrick)に封鎖されました。フランス艦隊の敗北で、イギリス侵攻計画はその主要部分のブレスト艦隊とツーロン艦隊の合同に失敗するも、フランスは攻撃をあきらめず、攻撃計画は11月のキブロン湾の海戦でのフランス海軍の敗北によってようやく破棄されました。 なお、ラゴスの海戦(1759)の概要はこちら。 ▼戦い(Action:海戦)
イギリス艦隊の編成:〜
参考HP:〜 ・ラゴスの海戦の場所地図 こちらで ・ブルドネス提督 ・エリオット将軍 ・チュラッカ艦長 ・キリアム艦長(ヴィクトリー号操艦長) ・ヴィルヌーヴ提督 ・ツーロン海戦(1744) ・サフレン提督 ・フランスの王と王族
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.4/1/22、 令和 R.4/10/20(2022) |