シント・ユースタティウス島
Sint Eustatius Island(英:Saint Eustace)オランダ領
別名サン・スターティア島(Saint Statia Island)
・面積:約21ku日本の愛媛県松山市中島(約21ku、人口:2,938人2015)とほぼ同じ
・人口:約2,498人2004、約3,100人2006、約4,020人2013
・通貨:アメリカ合衆国ドル(旧:アンチール・ギルダ−(ANG)Netherlands Antillean guilder)
・中心地:オラニェスタッド(Oranjestad,英:オレンジタウン:Orangetown) 2,292人2001。
シント・ユースタティウス島はカリブ海リーワード諸島にあって、西にあるサバ島、北にあるシント・マールテン島とともにオランダ領のいわゆるSSS諸島の一つで、かつてはともにオランダ領アンチールを構成していました。火山性の小島でサバ島の南にあり、セントクリストファー・ネイビスのセントクリストファー島の西北近くにあります。島で一番高い所はクイール山(Mt. Quill、別名マジンガ山:Mt. Mazinga, 601m)で、アフリカ系の黒人がほとんどで、残りはヨーロッパ系白人と、黒人や白人及び先住民アラワク族との混血など。ヤムイモ、サツマイモなどを生産。
シント・ユースタティウス島は先住民のアラワク族が住んでいた所へ
1493 |
コロンブスが到達・発見 |
1625 |
フランス人が入植 |
1632 |
オランダ領 |
1636 |
オランダ西インド会社のゼーラント支社が植民地化 |
1666 |
オランダのロイテル提督がオランダ艦隊とともに訪問 |
1678 |
サバ島、シント・マールテン島と共にオランダ西インド会社の直轄地となる
行政官(commander)がシント・ユースタティウス島に駐在してこれら3島を統治
砂糖の生産地となり、プランテーションの労働力としてアフリカ黒人奴隷が移入される |
1776 |
/11/16、米独立を祝してオラニエ砦の礼砲で米艦アンドリュー・ドリア号を歓迎 |
1780 |
10月グレートハリケーンで島は壊滅的な被害を受け、犠牲者4000人以上 |
1781 |
セインツの海戦の前哨戦で、2/3ロドニー艦隊が攻撃、島が降伏して占領され
占領後まもなく島のユダヤ人たちは24時間の猶予を与えられたのみで強制追放され、
ユダヤ教会シナゴーグはロドニー提督によって放火・破壊される |
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10ヵ月後、フランスによって島は占領される |
1784 |
オランダに戻る |
1816 |
オランダ領、確定 |
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その間に22回も島の領有をめぐっての争奪戦が繰り返される |
1818 |
サバ島、シント・マールテン島とでシント・ユースタティウス植民地となる |
1828 |
キュラソーとともにパラマリボを首都とする西インド植民地に統合 |
1845 |
西インド植民地は分割され、キュラソー植民地の一部となる |
1939 |
アメリカのフランクリン・D・ルーズベルト大統領が戦艦ワイオミングで島を訪問
アメリカ独立戦争で大きな役割を果たしたシント・ユースタティウス島総督を表敬訪問 |
1946 |
空港が開港して、F・D・ルーズベルト飛行場と命名 |
1954 |
オランダ領アンチール |
2010 |
オランダ領アンティルが解体され、オランダの特別自治体となる |
2018 |
オランダの直接統治が決定。 |
島の中心地であるオラニェスタットは18世紀に商業の中心地で「ゴールデンロック」(経済的な繁栄のピークは1795年ごろ)として知られているも、1795年のフランスの占領はシントユースタティウスの大繁栄の終わりの始まりで、島の繁栄はその後停滞し価値は無くなりました。オラニェスタートは現在でも半分海に浸かりながら、残る昔の商業地区の建造物や倉庫跡は当時の繁栄を物語っている。
シント・ユースタティウス島は、アメリカ独立戦争(American Revolutionary War, 1775/4/19-1783/9/3)時に、武器や弾薬をアメリカ独立派へ販売して、13植民地の独立派にとって貴重な武器の供給地であった。1776/7/4、アメリカ独立宣言が採択され、独立宣言を携えた大陸海軍所属のブリッグ(帆船)アンドリュー・ドリア号
(Andrew Doria, 1775 brig) は、1776/10/23に出港、11月16日にシント・ユースタティウス島に到着した。島の総督ヨハネス・デグラーフ
(Johannes de Graeff) は、アンドリュー・ドリア号に対してオラニエ砦から礼砲を放った。これはアメリカ合衆国がはじめて国際的承認を受けた出来事で、アメリカ合衆国では「最初の礼砲」(First
Salute)といわれている。 |
アメリカ独立戦争
ドミニカ 1978 発行 |
この出来事については歴史家バーバラ・タックマンが1988年に発表した「最初の礼砲―アメリカ独立をめぐる世界戦争」(The First Salute:
A View of the American Revolution)で描いている。こうしたシント・ユースタティウス島の対米貿易は、第四次英蘭戦争 (Fourth Anglo-Dutch War, 1780-1784) 開戦の大きな理由となった。
参考HP:〜
・シント・ユースタティウス島の地図
・シント・ユースタティウス島の場所地図
こちらで ・オランダ領アンチール諸島
・オランダ領キュラソー島 ・フランス領サン・マルタン
・フランス領サンバルテルミ島
世界遺産の ・法隆寺 (日本) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) をお楽しみください。
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/10/18、2021/8/11
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