★イギリス |
フィリップ・カートレット艦長 1766〜1769 スワロー号で世界一周航海 |
大航海物語★ |
St.Helena カートレット艦長
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Pitcairn Islands カートレット艦長の乗船”スワロー号” HMS Swallow,1767 ピトケーン 1998/5/28 発行 |
FIJI デザイアー号で世界一周航海 太平洋と世界地図 フィジー 1977/4/12 発行 |
ジャージー島出身のカートレット艦長は、1766年に英海軍の世界一周探検航海で、ピトケーン島とカートレット環礁島を発見し、ニューアイルランド島に到達、ニューブリテン島とは切り離されている島であることを確認して上陸し、ノヴァ・アイルランド島と名付けました。 |
フィリップ・カートレット艦長 (1733/1/22〜1796/7/21) Captain Philip Carteret RN British naval officer and explorer カートレット艦長は1733年に英仏海峡に浮かぶ島ジャージー島(Trinity Manor, Jersey)で生まれました。1764/6〜1766/5月の間、ジョン・バイロン艦長がフリゲート艦”ドルフィン号”(HMS Dolphin、24-gun、508 tons 、sixth-rate frigate)に乗艦して、スループ型タマール号(sloop HMS Tamar)と補給船フロリダ号(supply ship Florida)を随伴して探検航海をなし、そのドルフィン号にカートレットが海軍大尉で乗組んで、世界一周航海を達成しました。 1766年33才でイングランド海軍フリゲート艦スワロー号(Swallow)に艦長として乗り組み、僚船ドルフィン号のサムエル・ウォリス艦長と共に、世界一周探検航海へとイングランドを出帆しました。 |
★カートレット物語 |
世界一周航海 1767 フォークランド諸島寄航 |
大航海物語 イギリス★ |
St.Helena カートレット艦長
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JERSEY ポート・エグモントのスワロー号とドルフィン号 ジャージィ 1983/2/15 発行 |
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西フォークランド島 ・ 東フォークランド島 | ||
エグモント港→ Port Egmont |
Rebuildingu Conflict with Algentina フォークランド紛争再建記念 フォークランド諸島 1982/9/13 発行 |
←ソレダード港 Puerto Solidad ←スタンレー Stainley ←ダーウィン Darwin |
カートレット艦長のスワロー号とサムエル・ウォリス艦長のドルフィン号はフォークランド諸島に寄航し、西フォークランド島のポート・エグモント港に上陸しました。乗組員の休養とこれからの航海に必要な物資の補給を受けました。 |
★カートレット物語 |
世界一周航海 1767 マゼラン海峡を突破 |
大航海物語 イギリス★ |
St.Helena カートレット艦長
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JERSEY マゼラン海峡を突破するスワロー号とドルフィン号 ジャージィ 1983/2/15 発行 |
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FIJI 太平洋 と 世界地図 フィジー 1977/4/12 発行 |
CORREOS DE CHILLE
チリ 昭和19年 1944/3/2 発行 |
カートレット艦長のスワロー号とドルフィン号は荒れ狂うマゼラン海峡を突破する時まで、互いに望見していましたが、海峡を通過後に互いを見失いました。 カートレット艦長は付近を捜しましたがドルフィン号が、ようとして見つからないので、太平洋を西へと帆走航海しました。 |
★カートレット物語 |
世界一周航海 1767 ピトケーン島発見 |
大航海物語 イギリス★ |
St.Helena カートレット艦長
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JERSEY ピトケーン島発見
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←ピトケーン島 | |
英領(ジョージ6世)ピトケーン 1940-51 発行(200%) |
行くこと数十日後、海図にも載っていない絶海の孤島”ピトケーン島”に行き着きました。 |
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南方の航路をたどっていたスワロー号のカートレット艦長がピトケーン島の島影を見かけ、最初の発見者であるスワロー号の少尉候補生で15才のロバート・ピトケアン(アメリカ独立戦争で戦ったイギリス海兵隊ジョン・ピトケアンの息子)の名前にちなんでピトケアン島と命名しました。嵐の中だったので、島への上陸はとりやめました。ピトケーン島は1606年にスペインのキロス船長が発見していましたので、スワロー号が再発見したということになりますね。 | ピトケ−ン島 ピトケーン 1969/9/17 発行 |
そして、さらに西へと航海して行くうちに、ニューギニア島(Papua New Guinea)の西方で、ブーゲンビル島(Bougainville)の北東方向86kmの海上に浮かぶ、海図に載っていない島に着き、”カートレット環礁島”(Carteret Atoll)と名付けました。
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★カートレット物語 |
世界一周航海 1767 ニューアイルランド島に上陸 |
大航海物語 イギリス★ |
St.Helena カートレット艦長
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JERSEY ニューアイルランド島のイングリッシュ・コーヴに上陸 ジャージィ 1983/2/15 発行 |
PAPUA & NEW GUNIA |
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(・)ダンピール海峡 | |
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さらに航海して行くうちに、1767年にニューブリテン島(New Britain)とニューアイルランド島(現パプアニューギニアのニューアイルランド州)の間のセントジョージ海峡(Saint George's Channel)にある群島を発見して、ヨーク公島(Duke of York Islands)と名付けました。 1767年ニューアイルランド島(現パプアニューギニアのニューアイルランド州)に到達、ニューブリテン島(New Britain)とは切り離されていることを確認して、イングリッシュ・コーヴに上陸し、ノヴァ・アイルランド島(Nova Hibernia、現ニューアイルランド島)と名付けました。 参考HP:〜ニューアイルランド島 |
★カートレット物語 |
世界一周航海 1767 ソロモン諸島に寄航 |
大航海物語 イギリス★ |
St.Helena カートレット艦長
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JERSEY 上陸するカートレット艦長 1733 カートレット艦長生誕250年記念 1983 ジャージィ 1983/2/15 発行 |
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BRITISH SOLOMON ISLANDS 1767、スワロー号のソロモン諸島寄航
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1568年にスペインのアルバロ・ド・メンダーニャが発見したソロモン諸島の島々を、1767年に航海し、次々に巡りまわって、再発見しました。そして太平洋からインド洋へと航海を続けました。 参考HP:〜ソロモン諸島 |
★カートレット物語 |
世界一周航海 1767 海賊船を撃破 |
大航海物語 イギリス★ |
St.Helena カートレット艦長
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JERSEY 海賊船を攻撃、燃え上がる海賊船 ジャージィ 1983/2/15 発行 |
SAINT LUCIA セント・ルシア 2007 発行 |
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カートレット艦長のスワロー号はインド洋から喜望峰経由の航海での途中で、海賊船と遭遇、これを砲撃して撃沈しました。 1769/3/20に約3年ぶりにイギリス・スピッツヘッド港に帰り着きました。帰港してみると、僚船のサムエル・ウォリス艦長とドルフィン号は前年にすでに帰港していました。 その後しばらくジャージー島に戻って政治に携わりましたが、1772/5/5に41才で医者の令嬢メアリー(Mary Rachel Silvester 1741-1815)とロンドンで結婚し5人の子供をさずかり、一人は夭逝しました。カートレット艦長はそれ以前から2度の世界一周探検航海のせいで健康を害していました。 ・スワロー号の装備:〜 HMS Swallow、1745
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★カートレット物語 |
フィリップ・カートレット艦長 1779 エンディミョン号艦長 |
大航海物語 イギリス★a |
St.Helena カートレット艦長 セントヘレナ 1986/9/22 発行 |
JERSEY 輸送船団を先導するエンディミョン号 ジャージィ 1983/2/15 発行 |
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St.Vincent リーワード諸島・小アンティール諸島
イギリス領セント・ヴィンセント 1958 発行 |
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1779/8/1にエンディミョン号(HMS Endymion、44-g)艦長となり、4隻(prize ships)を伴って5隻の船団で西インド諸島リーワード諸島へと出帆。出港まもなく英仏海峡(Channel)での大嵐、西アフリカのセネガル沖(Senegal)でも嵐に見舞われ、仕舞にはリーワード諸島近海で途轍もないハリケーン(hurricane)に襲われ死にそうになりましたが、なんとか西インドに到着しました。その後、艦長を交代しました。新しい船を要望していましたが、1792年に卒中(stroke
、脳梗塞)で倒れ、1794年にイングランドのサウサンプトン(Southampton)で海軍少将(Rear admiral)で引退し、1796年に63才でサウサンプトンで亡くなりました。 なお、エンディミョン号は1792(1790?)年にタークスカイコス諸島近海の珊瑚礁で遭難。 ・エンディミョン号の装備:〜 HMS Endymion、1797
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/7/30追記 |