Spain

国連 1988 発行
冒険大航海 (Adventure Voyage)
ペドロ・ド・キロス船長
1595、カロリン諸島発見
1606、ニューヘブリデス島発見


大航海物語
  スペイン編
POLYNESIE FRANCAISE
キロス船長と太平洋のポリネシア付近の地図


ポリネシア 1995 発行
FILIPINAS
フィリピン ←スペイン

←アカプルコ


カヤオ

  ウルダネータ太平洋航路
フィリッピン 1965/10/4 発行

VANUATU
    サン・ペドロ号、サン・ザブラ号、サン・ペリコ号








ヴァヌアツ
←アカプルコ



カヤオ
1606 キロスのヴァヌアツ発見400年記念 2006 キロスとトレス
ヴァヌアツ 2006 発行

キロスはメンダーニャの第2回探検航海に参加し、太平洋を西へと航海してソロモン諸島を目指しましたが、その航海の途上、マルケサス諸島のサンタクルス島にてメンダーニャが亡くなりましたので、残った一行を率いて、フィリピン・マニラへ到達しました。その後の探検航海でニューヘブリデス諸島(現バヌアツ)のエスピリトゥ・サント島を発見(1606)しました。
ペドロ・フェルナンデス・ド・キロス (1560?〜1614)
 Pedro Fernandez de Queiros

 別説:1565(Evora, Portugal)生、1614(Panama)49才没
ポルトガルの船乗りキロスは若い頃のことは定かではありませんが、彼が歴史に登場するのは
35才頃、一攫千金を夢見て、1595年4月メンダーニャ船長の第2回探検航海に参加した時からです。

キロス船長の大航海、
・第1回航海:ソロモン諸島の探検航海〜1595:カヤオ〜マルケサス諸島〜1596:マニラ
・第2回航海:南方大陸の探検航海〜1605:カヤオ〜ニューヘブリデス諸島〜1606:アカプルコ

6隻の船団に入植者の花嫁候補の女性を多数乗せた船団と共にペルー・リマ近郷のカヤオ港(Callao)を出帆し太平洋を西へと航海、ソロモン諸島を目指しました。太平洋を3ヵ月も航海して、7月にマルケサス諸島(現:仏領ポリネシア)のマグダレ−ナ島に到着しました。島の住民のポリネシア人とは最初は上手くいきましたが、その後は流血の惨事が起こりました。メンダーニャとキロス一行はマグダレ−ナ島を後にしてソロモン諸島のサンタクルーズ諸島(Santa Cruz Islands)のネンドー島(Nendo Island)へ行き、今回の航海はここで打ち切りとなりました。目指すソロモン諸島はまだはるか先ですが病気や上陸した島での戦闘で、すでにかなりの人数を失っていた上に、サンタクルーズ諸島へ着くと参加者の間での対立や不和が一気に表面化してしまい、隊としての統制が取れなくなっていました。メンダーニャは10月半ばに亡くなってしまいましたので、残った一行は”キロス”に率いられて、1571年より スペイン領となっていたフィリピンへ向い、1595年にサン・ヘロニモ号に乗船していたキロスはミクロネシア南部にあるカロリン諸島ポンペイ島(現:ミクロネシア連邦)を発見し、3ヵ月以上の航海の後に、1596年2月やっとのことで、フィリピンのマニラ港に入港できました。1598年にスペインに戻りました。

参考HP:〜
マルケサス諸島の場所地図
マルケサス諸島の地図
サンタクルーズ島の場所地図





★キロス物語
キロス船長、1605〜1606
幻の南方大陸”テラ・アウストラリウス”の探検航海
1606、ピトケーン諸島発見
1606、エスピリトゥ・サント島発見

大航海物語
イギリス★
Pitocane Islands New Hebrides Condominium
キロス船長とサン・ペドロ号



エスピリトゥ・サント島
ニューヘブリデス諸島の地図

ニューヘブリデス 1976/6/29 発行
サン・ザブラ号、サン・ペリコ号

ピトケーン 1967/3/1 発行
NORFOLK ISLAND
キロス船長とサン・ペドロ・イ・パブロ号



ヴァヌアツ
←アカプルコ

カヤオ

Quiros & San Pedro y San Pablo
1605〜06の太平洋航海地図
ノーフォーク 1994 発行

ESPANA
トレス海峡(赤丸)
アラフラ海、トレス海峡諸島、珊瑚海
トレス船 キロス船長
トレス海峡付近の地図と航海地図
1606 トレス海峡発見400年記念(395?) 2001

スペイン 2001 発行

1605年12月に、キロス船長は一攫千金の夢が忘れられず、45才頃にサン・ペドロ・イ・パブロ号に乗船、幻の南方大陸”テラ・アウストラリウス”の探検航海にペルーのカヤオ港をトレスらの船と共に、3隻の船隊、サン・ペドロ・イ・パブロ号(San Pedro y San Pablo 120t 55人)、サン・ペリコ号(San Perico 150t 60人)、サン・ザブラ号(San Zabra 100t 45人)、に160人が乗船してふたたび出帆しました。
そして、翌年の1606/1/26に南太平洋のほぼ真ん中で、絶海の無人島”ピトケーン島”を発見しました。そこはヘンダーソン島で、南太平洋に浮かぶ島のピトケアン諸島に属するイギリス領の無人の孤島。バウンティ号の反乱事件で一躍有名になったピトケアン島から約190Km離れた所にあり、面積約37kuの珊瑚礁の島で周囲は岩礁に取り囲まれています。この孤島にはかつてポリネシア人による社会が存在しするも、後にその社会は消滅し(いわゆるミステリー・アイランドの一つ)。キロスによると、上陸した時は無人島でしたが、古代ポリネシア人が生活していた思われる痕跡があったと報告しました。18/12/18追記 ピトケーン島

ピトケーン 1969/9/17 発行
デュシー島(Ducie Island)は、イギリスの海外領土であるピトケアン諸島に属する島で、面積約6.50kuの無人のサンゴ環礁で、1902年からピトケアン島に属するイギリス領になり、ピトケアン諸島の中では一番東にあり、ヘンダーソン島からでも350 kmも離れた所にあるこの島を、1606年にキロスが発見し、エンカルナシオン島と名付けました。また、同じく1606年にキロスがピトケアン島から約190Km離れた所にある、面積約37kuの珊瑚礁の島で周囲は岩礁に取り囲まれている孤島のヘンダーソン島を発見し、上陸した時は無人島でした。08/1/25 ピトケーン島の石器時代の遺物

ピトケーン 1971/5/3 発行
<参考>ピトケーン諸島の
・ヘンダーソン島(Henderson Island)ピトケーン諸から約190km離れた所に有
・デュシー島(Ducie Island)ヘンダーソン島から約350km離れた所、諸島の最東端に有
  キロス船長はエンカルナシオン島(Encarnacion)命名、エドワーズ艦長がデュシー島命名。

そして、さらに西へと航海して、1606/4月頃ニューヘブリデス諸島に到達しました。ニューヘブリデス諸島(New Hebrides Islands、現:バヌアツ)のエスピリトゥ・サント島(Espiritu Santo Island)に到着したキロスは、その地が南方大陸”テラ・アウストラリス Terra Australis”の一部であると信じて疑わず、「聖霊の南方大陸」Australia del Espirita Santo"と、興奮しながら命名したと伝えられています。また、別説では「1606/4/27にポルトガル人のキロスが現在のエスピリトゥ・サント島(Espiritu Santo)に上陸し、聖なる大陸と勘違いして”Tierra Australia del Espiritu Santo”と名付けた」と有り サン・ペドロ号

ニューヘブリデス 1956/10/20 発行
ました。この誤認報告がヨーロッパにもたらされ、ヨーロッパ人に南方大陸の存在説として知られるようになりました。1606/6/11に嵐で僚船とはぐれ、エスピリトゥ・サント島に無事に戻り、1606/11月にメキシコのアカプルコ港に戻りました。なお、帰路の航海中にキロス船長の補佐官の一人トヴァー航海士(Diego de Prado y Tovar)の話として、キロス船長の無能な指揮で反乱が起こったと伝えられています。1607年にマドリードに帰還して変人といわれながら執筆などをなし、1615年ペルーへの航海の途上、パナマで54才頃に亡くなりました。現在ではキロスはバヌアツ共和国の発見者として記録されています。日本の外務省HPでは、1605年発見となっていました。また、1589年にマドリードでドナ・アナ・シャコン(Dona Ana Chacon)と結婚して、一男一女をもうけたという説も有。

なお、別説では、キリスト教の布教を条件にスペインの援助により3隻の”ピンネス”で1605年の航海に出発したとなっているのもあります。どうやら、彼はフィリッピンからローマへ行き、前回の航海の物語をカトリック教会関係者に話してローマ法王に謁見し、その「つて」でスペイン本国で国王に働きかけて一攫千金の夢を実現するべく船を貰ったようです。そして、マニラへ到着して9年余りたってから再びペルーのカヤオ港を出帆したわけですね。その内の1隻の船長がルイス・B・トレスだったわけです。

なお、ニューヘブリデス諸島は、1774年のキャップテン・クック第2回航海の時、クックが祖国イギリス・スコットランド西方のヘブリディース諸島にちなんで、ニューヘブリデス諸島と名付けました。ニューヘブリデス諸島は、1906年に英仏の共同統治下(Condimium)に入り、1980年に独立(英連邦の一員)バヌアツ共和国、サント島反乱鎮圧となりました。

参考HP:〜
エスピリトゥサント島の地図
ヘンダーソン島の場所地図(日本語)

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。     04/3/3、12/6/10、令和 R.2.2020/5/23
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