切手で綴る スペインの大航海 (Adventure Voyage)西回りインド大航海(1-11) | ||||
★エルカノ物語 |
第1章 第2章 第3章 |
Spain 国連 1988 発行 |
第1章 出帆
エ ル カ ノ 1519 世界一周航海に出帆 |
大航海物語 スペイン編★ |
ESPANA | ||||
エルカノ、地球の図、ビクトリア号 | ||||
エルカノ | スペイン 1976/5/1 発行 |
地球の紋章 | 地球の図に ”Primus circumdedisti me” 「我一周せし最初の者」 という文字を配した紋章 |
南アメリカ→ マゼラン海峡→ |
Grenadines of St.Vincent
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←スペイン ←アフリカ ←希望峰 |
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1788 アメリカ合衆国憲法200年記念 1988 グレナディーン・セント・ヴィンセント 1988/1/11 発行 |
エルカノはマゼランの世界一周航海に同行して、南米マゼラン海峡を通過、太平洋を西へ横断してフィリピンに到着しました。そして・・・・・ |
ファン・セバスチャン・エルカノ (1476〜1526/8/4) Juan Sebastian Elcano エルカノ船長はスペインのバスク地方ギブスコア地域ガタリア村(Guetaria, Guipuzcoa, Basque)で生れました。幼い頃のことは定かではありませんが、若い頃には冒険野郎だったようで、当時スペインと関係の深かったイタリイに行き、ゴンサロ・フェルナンデス・ド・ゴルドバ将軍(Gonzalo Fernandez de Cordoba, 1453-1515、別名エル・グラン・カピタン:El Gran Capitan、英:The Great Captain)のもとで、イタリア戦争(Italian Wars 1494-1559)を戦いました。1509年に33才でシスネロス枢機卿(Francisco Jimenez de Cisneros, 1436-1517)が組織したアルジェリア首都アルジェ遠征隊(Campaign against Mers El Kebir, Algiers:メルス・エル・ケビール)に参加。その後、セヴィリア(Seville, Andalusia, Spain)に落ち着いて、商船の船長になりました。借金のかたに船をジェノヴァ(Genoa, Liguria region, Italy)の銀行に差し押さえられて投獄されるところを、マゼランの探検隊に航海士(Navigator officer)として参加する契約をして、スペイン国王カルロス1世の恩赦を受けて許されました。 エルカノ船長はスペイン人なので、マゼランが1519/9/20に5隻の船隊と265人の乗組員を率いてスペイン・アンダルシア地方カディス州グアダルキビル川河口のサンルーカル・デ・バラメダ港(Sanlucar de Barrameda)を出帆した時に、マゼランが外国人(ポルトガル人)だったので、信頼できず反抗的であったと言われていますが、43才で下級士官で航海士の一人として契約どおり乗り組みました。
参考HP:〜 ・スペインの地図 ・バスク地方の場所地図 ・ギブスコア地域の場所地図 ・ガタリア村の場所地図 ・アルジェの地図(日本語) ・サンルカル・デ・バラメダの場所地図 ・ポルトガルの地図 ・ジェノヴァの場所地図 |
★エルカノ物語 |
第1章 第2章 第3章 |
第2章 世界一周
エルカノ 1522 世界一周航海を達成 |
スペイン★ |
COOK ISLANDS エルカノ船長 と ビクトリア号 Juan Sebastian de Elcano 1520 クック諸島 1975 発行 |
NORFOLK ISLAND エルカノ船長、乗船ヴィクトリア号 1521年の太平洋の航海地図 Early Pacific Exploerers ノーフォーク島 1994 発行 |
CISKEI | ANGOLA エルカノ船長 アンゴラ 1999 発行 |
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世界最初のマゼラン世界一周航海 エルカノ単独の航海地図(赤線)
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エルカノはマゼランが”マグダン島の戦い”で戦死した後、ヴィクトリア号の船長となり残りの生存者17人と共に1522年スペインに帰着して世界一周を成し遂げました。 |
エルカノ船長は主だった指揮官を失った中で、マゼランの後継者として生き残った仲間を励まし、ただ一隻残った帆船ヴィクトリア号の船長となりました。その後、香料諸島(モルッカ諸島)に向かい、1521/11/8にモルッカ島に到着、そこで香料を、あふれんばかりの満載状態に積荷したのち、フィリピンを離れ西に進みインド洋を抜け、1522/3/18に南インド洋の”ル・アムステルダム島”を発見するも名前は付けずに、喜望峰を回って、アフリカ西海岸沿いに北上、1522/7月にポルトガル領のカーボ・ヴェルデ島に水も食料もほとんど無い状態で到着しました。自分達はヌエバ・エスパーニャ(新大陸のニュースペイン、現メキシコ)から来たんだと嘘をついてごまかし、補給を受けた後、順風に乗って出帆しました。そしてスペインに直行、1522/9/6にエルカノと生存者17人だけが出発したサンルーカル・デ・バラメダ港に、モルッカ島を出帆してから、実に10ヵ月(サンルーカル港からでは約3年)もの航海の後に帰港しました。 エルカノとその一行(17人)こそが人類最初の世界周航を成し遂げた人達なのです。この世界一周航海によって地球が丸い事や日付に一日のずれがある事が実証されました。持ち帰った香料・スパイスを売って大金持ちとなりました。国王カルロス1世はエルカノの世界一周航海の功績に対して、地球の図に「Primus circumdedisti me ”ラテン語“ 我一周せし最初の者」という文字を配した紋章を与えました。上記のスペイン切手の図案に描かれています。 ・寄港地:〜(Δ:望見)
・ヴィクトリア号の装備:〜 Victoria(Santa Maria de la Victoria)、1519年マゼラン船隊
・なお、ヴィクトリア号は90トンだったという説も有。 <生還した18人> ※出発時には5隻の船隊に265人が乗組 ※1522/9/7帰着(日付に1日の誤差有) ※サンルーカル・デ・バラメダ港には帰還者を記した記念碑(レリーフ)が有。
参考HP:〜 ・マゼランとエルカノの航海地図 2006/9/15、07/2/20、令和 R.2:2020/6/15 |
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★エルカノ物語 |
第1章 第2章 第3章 |
第3章 2回目の世界一周
エルカノとカール5世 1525 2度目の世界一周航海に出帆 |
スペイン★ |
TERRES AUSTRALES ET ANTARCTIQUES FRANCAISES | |
ファン・セバスチャン・エルカノ |
ヴィクトリア号 |
アムステルダム島発見457年記念 (Discovery of Amsterdam Island 1522) フランス領南極地方 1979 発行 |
ESPANA カール5世 スペイン 2000/2/24 発行 |
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1525年スペイン王カルロス1世の命で146人が乗船した7隻の船団で組織されたロアイサ(Garcia Jofre de Loaisa)探検隊に参加して、東インドのフィリピン諸島探検に向け、1525/7/24にスペインを出帆し、エルカノは2度目の世界一周をもくろんでいました。1526年ロアイサや多くの乗組員が海上で、嵐や、栄養失調、壊血病などの病気で亡くなり,、エルカノも1526/8/4に栄養失調で亡くなりました。ウルダネータ(Andres de Urdaneta)と24人の生存者はスペインに帰港することが出来ました。 ・モルッカ諸島から西へとスペインに帰る途中、エルカノは南インド洋を航海中の1522/3/22に、ル・アムステルダム島(Amsterdam Island、37°52' S, 77°32 E)を発見しましたが、”ル・アムステルダム島”はオランダのヴァン・ディーメン船長(Anthonie van Diemen, 1593-1645/4/19バタヴィア没)が1633年に再発見して”アムステルダム島”と命名しました。現在はフランス南極テリトリーになっています。 ・最初に世界一周をはたしたのは本当はマゼランの通訳として乗り組んでいた奴隷のマライ人マラッカのエンリケだったという説もあり、フィリピンに着いた時にその時点で世界一周を達成していたという説です。 ・上記のスペイン切手には”Juan Sebastian Elcano”と印刷されていて、 デル・カーノ(del Cano)というスペイン語の古文の綴りも有。 参考HP:〜 ・ル・アムステルダム島の地図 ・アムステルダム島の場所地図 ・モルッカ諸島付近の地図 こちらで ・フェルディナンド・マゼラン ・スパイス (香辛料) ・コーヒー (嗜好飲料) 世界遺産の ・ピラミッド (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・姫路城 (日本) をお楽しみください。 上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成 H.18:2006/9/15 追記、07/2/20、12/3/15、13/7/5、17/2/27、令和 R.2:2020/6/16 |