Spain![]() 国連 1988 発行 |
切手で綴る スペインの大航海 (Adventure Voyage)太平洋探検(V1-4)
神父ウルダネータ船長 1565 太平洋(マニラ〜アカプルコ)航路の発見 |
大航海物語 スペイン編★ |
ESPANA 新大陸からスペインへお宝を運んだ スパニッシュ・ガレオン船 Spanish Galeon ![]() スペインから新大陸へは人と物資を輸送 スペイン 1964/7/16 発行 |
フ ィリピンのマニラ |
MEXICO メキシコ 〜 フィリピン 16世紀の太平洋航路地図 ![]() |
メキシコのアカプルコ |
1564 フィリピン航路400年記念 1964 メキシコ 1964 発行 |
FILIPINAS | |||
レガスピとウルダネータの銅像![]() |
幼児を洗礼するウルダネータ神父 | ||
原住民 | ![]() ウルダネータ・ルート(航路) . |
ウルダネ|タ神父 | |
フ ィリピン |
スペイン |
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1565 フィリピンのキリスト教化400年記念 1965 フィリッピン 1965/10/4 発行 |
<ウルダネータ・ルート> マニラ・ガレオン船の航海地図 |
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マニラ・ガレオン船 | 太平洋のウルダネータ航路 | ||
マニラ→ |
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←アカプルコ |
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ガレオン船の日 2010 記念(Dia del Galeon) フィリピン 2010/10/8 発行 |
ウルダネータは1525〜1526の間はロアイサ探検遠征航海に同行してフィリピンへ行きました。1559年からはレガスピと共にフィリピンへ行き、1565年の帰路は太平洋を横断してメキシコのアカプルコへ行きました。その航路は”ウルダネータ・ルート”として19世紀までの約300年間にわたるスペインのお宝輸送船・ガレオン船隊の独壇場として利用されました。 |
アンドレ・ド・ウルダネータ神父 Andres de Urdaneta (1498〜1568/6/3) ウルダネータはスペイン・バスク地方(#5)のヴィラフランカ(Villafranca)で生まれました。彼はスペインの聖アウグスチノ修道会の修道士、船長、探検家でした。彼はラテン語と哲学を学びました。そしてイタリア戦争(Italian Wars 1494-1559)の時は船長として従軍しました。スペインに帰国してからは海外で影響を受けた数学と天文学を学びました。 1525年にはロアイサ(Frey Garcia Jofre de Loaysa, 1490カスティーリャラマンチャ地方(#8)シウダーレアル生〜1526/7/30太平洋没)からの誘いでモルッカ諸島(香料諸島)への遠征隊に同行し、1526年まで行を共にしました。ロアイサ探検隊の水先案内人(Pilot)はフアン・セバスチャン・エルカノで、ロアイサ・エルカノ・その他三分の二(2/3)もの大勢が太平洋を渡る間に亡くなりましたが、ウルダネータと24人だけが生きて香料諸島に上陸しました。だが、すでに東インドの香料諸島に来ていたポルトガル人に捕らえられました。11年後にヨーロッパに戻りましたが、ヌエバ・エスパーニャ(New Spain、Nueva Espana、現メキシコ)を通過した航海の話をして、ポルトガル政府に告訴され、ポルトガルのテージョ河々口のリスボン港に連行されました。その後、スペインに行きましたが、スペイン国王カール5世はあまり良い顔をしませんでした。また数多くの冒険で疲労してたこともあり、メキシコ・シティで聖アウグスチノ修道会の修道士に戻りました。 1558年に副王ルイス・ド・ヴェラスコは、メキシコから「西の島々」(フィリピン)はトルデシリャス条約でスペインの支配地域にあり、スペイン帝国にとって貴重な植民地となると確信していたので、フェリペ2世に書簡を送って遠征隊を送るべきだと提案しました。また案内人として、この地域での経験・航海術・地理・言語に関する知識があるウルダネータを推薦していました。フェリペ2世はこの提案に同意し、1559年にベラスコ副王に艦隊を編成し、ウルダネータの指導を受けるようにと命じました。ウルダネータは教会の許可を得た後、遠征隊に同行することに同意してレガスピを指揮官に推薦しました。ベラスコ副王は遠征隊の指揮官にレガスピを任命しました。ウルダネタは、聖アウグスチノ修道会宣教師を率いてカトリック教会を設立し、太平洋諸島の人々に伝道すことにして参加しました。何年もの遅れの後、1564年に遠征艦隊はガレオン船サン・パブロ号とサン・ペドロ号の2隻と、小型パタチェス船サン・フアン号とサン・ルーカス号の2隻で編成されました。1564/11/21に遠征隊は船員150人と兵士200人が乗艦してメキシコのハリスコ州(#13)ラ・ナビダッド港を出帆しました。1565/2/13にフィリピン諸島セブ島に到達しました。 1565/6/1にウルダネータは帰路の良いルートの発見とヌエバ・エスパニアからの援助を求めるためにセブ島を出帆しました。そして北緯36度付近で好都合な風に乗ることができました。途中で14人の乗組員が亡くなりました。ウルダネータとサルセド(Felipe de Salcedo)とレガスピの甥の3人だけがまともで、1565/10/8にメキシコのゲレーロ州(#11)アカプルコ港に投錨することが出来ました。ウルダネータはメキシコからスペイン本国へ帰国して、この遠征航海の報告書を書きました。ウルダネータはヌエバ・エスパーニャへ戻ってからフィリピンへ行こうとしていましたが、友人の忠告で思いとどまりました。彼が書いた2通の報告書の内、ロアイサ探検隊の遠征航海記は発行されましたが、もう一つのフィリピンからの帰路の航海の報告書は原稿のままに終わりました。 ウルダネータが発見した太平洋横断の航路は、1565/6/1にフィリピン・セブ島のサン・ミゲル港を出帆し、12,000マイル(約20,000km)を130日の航海で、1565/10/8にメキシコのアカプルコ港に着き、ウルダネータ・ルート(航路)として知られるようになりました。よってウルダネータは太平洋航路の発見者として歴史に名を残しました。このマニラ〜アカプルコ航路は19世紀まで利用され、太平洋はスペインの独断場になりました。 ウルダネータ神父は1568年メキシコ・シティ(#32)にて70才で亡くなりました。 参考:〜 「ウルダネータと数名はなんとか1528年にスペインまで戻ることができ、史上2番目の世界周航達成者となった」という説も有。 参考HP:〜 ・スペインの州の区分地図 ・アンダルシア州の場所地図 ・アンダルシア州の県別区分地図 ・メキシコのハリスコ州の場所地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/8/20、08/12/15追記 |