切手で綴る 太平洋戦争 物語 第2部 <帝国の侵攻> 第5章 太平洋方面(離島攻略) 21 <グアム島占領> 1941/12/12 |
帝国軍、グアム島に上陸 12/10 海岸に敵前上陸した帝国の攻略部隊 Japanese Capture Guam 1941 マーシャル諸島 1991 発行 |
12/8-9 帝国の水上機が グアム島を空襲 図案は零式小型水上偵察機 フィジー 200 5/6/27 発行 |
帝国軍のグアム島攻略部隊(帝国陸軍南方軍第5根拠地隊南海支隊主体)は、その大部分が11月下旬に小笠原諸島の母島に集結し、1941年(昭和16)12月8日の開戦と同日に帝国の委任統治領マーシャル諸島ラリック列島クェゼリン環礁ルオット島基地(第十八航空隊)から水上機16機でグアム島空襲を実施。駆潜艇ペンギン号を撃沈。当時、グアムには日本人が数十人住んでおり、全員が開戦と同時にアメリカ軍に逮捕監禁されました。 翌12/9も帝国軍は引き続き空襲を実施。輸送船が上陸用舟艇ダイハツを海に降ろし、南海支隊は3隊に分かれて西岸(楠部支隊)、東岸(堀江支隊)、北岸(塚本支隊)から上陸(海軍陸戦隊は塚本支隊に同行)。帝国軍は米軍の兵力を過大評価(海兵隊300と現地人兵1500)していたので、大兵力を投入して一日で島を占領。開戦時に拘束されていた在留日本人数十人を救出しました。 昭和16年12月4日、 グァム島攻略部隊が小笠原諸島母島を出撃 12/09、ルオット島基地の第18航空隊が空襲攻撃 12/10、午前2時過ぎ帝国軍が3方面より上陸開始、 午前5時過ぎ、米国のマクミリン総督が降伏したので、 ほぼ無血で全島を占領。 <上陸戦闘経過> ・西岸の楠部支隊は早朝に珊瑚礁の間を通って順調に平坦な海岸に上陸するも、戦いは無し ・北岸の塚本支隊も早朝に順調に上陸、上陸点から密林を切り開きつつ前進、道路に出て、 自動車の米兵若干と遭遇・殲滅。 ・陸戦隊は早朝に塚本支隊から少し離れた所に上陸し、グアム政庁方面に進撃して米軍80人 ほどと遭遇。約25分の戦い後に制圧、グアム政庁を占領。 陸戦隊は戦死1人と軽傷若干、米軍は死傷者約10人の損害。 ・東岸の堀江支隊は悪天候で大発3隻が破損で使用不能となるも、なんとか海岸に舟艇を 乗上げて上陸を果たすも時は午後3時過ぎとなり、戦いは終わっていました。 ▼両軍の兵力:〜
<両軍の損害>
<両軍の編成> 帝国軍の編成:〜 ・陸軍(総兵力4,886人) ・南海支隊:司令官 堀井富太郎少将 (1890-1942/11/23ポートモレスビー作戦で撤退中に溺死) ・歩兵第144連隊 ・騎兵第55連隊 第3中隊 ・山砲兵第55連隊 第1大隊 ・海軍(総兵力400人)艦船21隻 ・グアム島攻略部隊:指揮官 春日篤少将(188-1976) ・敷設艦:津軽(4,000t、414人、水偵) 1944/6/29ハルマヘラ島ワシレを出港後、モロタイ水道北口にて米潜ダーター(USS Darter, 1,526t, 85人、1944/10/24南沙諸島ボンベイ礁で座礁放棄)の雷撃で沈没 ・駆逐艦:菊月(1,315t、154人) 珊瑚海々戦でツラギ泊地にて第十九戦隊旗艦の敷設艦 沖島に横付け燃料補給中、 1942/5/5米ヨークタウンのTBD艦攻空襲・沈没) ・夕月(1,315t、154人) 1944/12/13シブヤン海(セブ島北々東105km)にて水平爆撃機コルセア60機の空襲で 航行不能となり駆逐艦 桐が砲撃で自沈処分で沈没 ・卯月(1,315t、154人) 1944/12/12レイテ島オルモック湾で米魚雷艇PT490などと交戦後、沈没 ・朧(おぼろ、1,680t) 1942/10/11午後、弾薬輸送物資を搭載して横須賀を出港、占守島をへて航海中、 10/17にキスカ島北西30海里で米陸軍B-26爆撃機の爆撃で沈没 ・特設水上機母艦 ・聖川丸(川崎汽船、6,862t) 1945/7/24米機動部隊(司令官ジョン・マケイン中将:John Sidney McCain, Sr., 1884- 1945/9/6)艦載機の攻撃を受けて呉軍港付近の山口県南東部熊毛半島志田海岸(上 関町)に擱座) ・特設砲艦:勝泳丸(大和汽船、3,580t) 大宮島(グアム)アプラ出港後、1943/5/25ロタ島西北西35kmで米潜水艦ホエール号 (Whale, SS-239, 1,525t)の雷撃・沈没 ・昭徳丸(嶋谷汽船、1,964t) ガダルカナル撤退後1943/4/1第四艦隊第5特別根拠地隊所属、米潜タニー号(USS Tunny 1,525t)が1943/6/28にマリアナ諸島ロタ島西方で雷撃・沈没 ・弘玉丸(玉井商船、1,911t、砲4門) 1943/2/14セレベス島マンダル岬西方135km付近で米潜トラウト号(USS Trout, 1,475t, 59人、1944/2/8ミッドウェー島で燃料補給後、東シナ海に向い、2/29南西諸島付近で 崎戸丸を撃沈、安芸丸を攻撃・中破後、駆逐艦 朝霜の爆雷で沈没)の雷撃で沈没 ・特設駆潜艇 ・第8京丸 極洋捕鯨キャッチャー・ボート1942/6月頃第五根拠地隊(サイパン)第六〇駆 潜隊所属、1944/2/23テニアン島ラロ岬西方6kmで米潜水艦の雷撃・沈没 ・第10京丸(同上) ・珠江丸(同上) ・第5昭南丸(日本水産捕鯨、121t) 1944年父島寄港後、船団を護送中に米陸軍B24の爆撃で沈没 ・第6昭南丸(日本水産捕鯨、121t)、1944年 1/30、米第58任務部隊搭載機のクェゼリン空襲でゲー(Gehh)島海岸に擱座 1/31、米高速輸送駆逐艦が砲撃 オーヴァートン号(USS Overton DD-239/APD23, 1,308t, 35.5kt) 2/01、米軍クェゼリン上陸部隊との戦闘で船体放棄 ・昭福丸(特設捕獲網艇 東和汽船、891t) 1942/8/7マーシャル諸島ウォッジェ環礁トートン水道(Wotje Atoll, Torton pass)出口 付近にて米潜(タンバー (USS Tambor, SS-198, 1,476t, 79人, 1945退役)の雷撃で沈没 参考HP:〜ウォッジェ環礁の地図 ・特設掃海艇 ・第2文丸(西大洋漁業、297t)、1944年 9/21、米潜シャード (USS Shad, 1,526t, 1947退役)雷撃で新島東方35kmに沈没 ・第3関丸(大洋捕鯨、敗戦時に残存) ・海軍陸戦隊1個大隊 ・グアム島攻略支援部隊:指揮官 五藤存知少将 (1888-1942/10/12サボ島沖海戦(同士討ち)で重巡 青葉 が大破して戦死) ・重巡洋艦 ・旗艦 青葉 (9,000t, 657人、水偵2機、1945/7/28呉、米軍機攻撃で大破・着底) ・衣笠 (9,000t, 657人、第三次ソロモン海戦の1942/11/14に米空母エンタープラ イズ号艦載機攻撃で沈没) ・加古 (8,700t, 639人、水偵2機、第一次ソロモン海戦(1942/8/7)で活躍後、その帰路で アメリカ潜水艦(USS S-44, 850t, 42人)の雷撃で沈没) ・古鷹 (8,700t, 639人, 水偵2、サボ島沖海戦(1942/10/11)で米艦隊との砲撃戦後、沈没) アメリカ軍の編成:〜 ・守備隊:司令官 ジョージ・マクミリン海軍大佐 (Naval Governor of Guam, Captain George Johnson McMillin 1889-1983) (守備隊は約400人の海兵隊員と現地民で、総兵力547人) ・艦船4隻 ・駆潜艇ペンギン号 (minesweeper USS Penguin, AM-33, 1,009t, 78人、1941/12/8帝国の空襲で沈没) ・小型哨戒艇2隻、 ・第16号哨戒艇(沈没) ・第17号哨戒艇(拿捕) ・港用油槽艦1隻、R・L・バーンズ号(損傷) その後、南海支隊はラバウルに転戦し、グアム島は「大宮島」と改称され、3年後に米軍に奪還されるまで帝国の軍政下に置かれました。この島は、サイパン島とならぶマリアナ諸島海域と中部太平洋戦線の重要拠点として、2年をかけて飛行場などを建設して要塞化されました。 こちらで ・ウェーキ島占領 ・グアム島空襲 ・シンガポール陥落 をお楽しみください。 ・グラマン F6F ヘルキャット艦上戦闘機の装備:〜初飛行:1942/6/26 (Grumman F6F Hellcat、アメリカ海軍の戦闘機)、生産開始:1942年
参考HP〜 ・グアム島の地図(グアム島攻略の地図) ・グアム島の地図(現在の地図) ・グアム島の場所地図 ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/8/11、2019/9/9 |