Australia

国連 1982 発行
切手で綴る 絶海の孤島(Lonly Island) No.14
ノーフォーク島
Australian Territory of Norfolk Island

大航海物語
  地図編
 
NORFOLK ISLAND
太平洋上のノーフォーク島 タスマニア島とノーフォーク島
ノーフォーク 1979/9/25 発行 ノーフォーク 1969/9/29 発行

ノーフォーク 1974/12/16 発行
ノーフォーク松

ノーフォーク 1974/10/8 発行

ノーフォーク島、オーストラリア領
Australian Territory of Norfolk Island

ノーフォーク島はオーストラリアのシドニー北東約1500kmの海上に浮かぶ絶海の孤島で火山島です。人口:1,828人(2006)、面積:34ku、1番切手:1947/6/10発行。

肥沃な丘陵地が多く、松林に覆われています。海岸は険しく出入りが多い、柑橘類やパッションフルーツ(ブラジル原産のつる植物でクダモノトケイソウといい、果実が食用でジュース用)が産し、観光地として有名な島です。

1774年、キャップテン・クックが発見、
1788〜1856年、イギリス領の流刑植民地
1788/3/06、キング副総督の一行が衛星植民地建設で初上陸
1790/3/19、ハンター艦長シリウス号の積荷を揚陸中に珊瑚礁に座礁・沈没
1791年、ウィリアム・パターソンがNSW衛星植民地の建設に来島
1835/5/17、イギリスのフレンドシップ号(HMS Friendship)が難破
1856年、ピトケ−ン島から島民の移住があり、
1896年、オーストラリアのNSW(ニュー・サウスウェールズ州)領、
1913年、オーストラリア領となりました。

ノーフォーク島は1774年、クック船長が発見し、ノーフォーク公爵の名に因んでノーフォーク島と命名。クックが上陸したとき島は無人島でしたが、1788年にポートジャクソンから囚人が移送されて以来、イギリスのオーストラリア・シドニーと共に流刑殖民地となり、1792年にはシドニーからの囚人移住者受け入れで、同島の人口は1000人を超えるにいたりました。しかし港湾施設の不備、高いコスト、オーストラリア本土から遠いという悪条件のため、島の流刑は1813年に一時閉封されました。1825年に再開され1856年まで流刑地として存続し続けました。オーストラリアが流刑地でなくなるに従いノーフォーク島も流刑地でなくなり、1856年にバウンティ号の反乱者の子孫194人がピトケアン島から移り住み、それ以来ピトケアン島民がノーフォーク島の主要な定住者となりました。オーストラリア本土から島への移民は第二次世界大戦後に増加しました。2004年の人口は1841人で、島の南海岸のシドニー湾にある主都キングストン(Kingston)に人口の大半が集中しています。

ノーフォークマツ
  (別名パインツリー)
  Norfolk Island Pine

ノーフォークマツという島の特産のマツが島のあちらこちらに生い茂り、キャップテン・クックがノーフォーク島に来航した時、丈夫で大きく見事なこのマツに関心し、島で壊れたエンデバー号のマストにノーフォークマツを使用し新しいマストを作って再び航海に出たと言うエピソードが残されています。ノーフォークマツは現在、島の重要な材木輸出でもあります。島の主都キングストンは流刑地としてイギリスの太平洋の植民地ではオーストラリアのシドニーに続いて2番目に古い植民地です。
ノーフォーク松

ノーフォーク 1974 発行

参考HP:〜
 ・ノーフォーク島の地図
 ・ノーフォーク島の場所地図 (日本語:Google map)
参考:〜
ノーフォーク島副総督:〜(オーストラリアNSWの衛星植民地)
 (Lieutenant-Governor of Norfolk Island)
・初 代:フィリップ・ギドリー・キング
      (Philip Gidley King 在任:1788/3/6〜1790/3/24)
・第2代:ロバート・ロス (Robert Ross 1740-1794 在任:1790/3/24〜1791/11/4)
・第3代:フィリップ・ギドリー・キング(再任)
      (Philip Gidley King 在任:1791/11/4〜1800/6/29)
・第4代:ジョン・タウンソン (John Townson 在任:1796〜1799)
・第5代:トーマス・ローリー (Thomas Rowley 在任:1799〜1800)
・第6代:ジョセフ・フォウヴォウ (Joseph Foveaux 在任:1800/6/29〜1804/9)
・第7代:ジョン・パイパー (John Piper 在任:1804/9/9〜1810/1)
・第8代:タンカーヴィル・クレーン
      (Tankerville Alexander Crane 在任:1810/1〜1814/2)
・空白期:(abandoned 1814/2〜1825/6/6)
 (Commandant)
・第 9代:リチャード・タートン (Richard Turton 在任:1825/6/6〜1826/4)
・第10代:ヴァンス・ドナルドソン (Vance Young Donaldson 在任:1826〜1827)
・第11代:トーマス・ライト (Thomas Edward Wright 在任:1827〜1828)
・第12代:ロバート・ハント (Robert Hunt 在任:1828〜1829)
・第13代:ジョセフ・ウェークフィールド (Joseph Wakefield 在任:1829/2〜1829/6/29)
・第14代:ジェームス・モリセット (James Thomas Morisset 在任:1829/6/29〜1834)
・第15代:フォスター・フェアンス (Foster Fyans 在任:1834〜1834)
・第16代:ジェームス・アンダーソン (James Anderson 在任:1834〜1839/11/4)
・第17代:トーマス・バンベリー (Thomas Bunbury 在任:1839〜1839)
・第18代:トーマス・ライアン (Thomas Ryan 在任:1840〜1840)
・第19代:アレクサンダー・マッコノチー (Alexander Maconochie 在任:1840/317〜1844)
・第20代:ジョセフ・チルズ (Joseph Childs 在任:1844/2/8〜1846/8/5)
・第21代:ジョン・プライス (John Giles Price 在任:1846〜1853)
・空白期:(abandoned 1855/5〜1856/6)
・NSWと分離:1856/11/1 Separate territory, under New South Wales。

こちらで世界遺産
富士山日本
パルテノン神殿ギリシャ
ピラミッドエジプト
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。    10/4/30追記, 2021/9/15
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