Netherland

国連 1989 発行
切手で綴る 蘭英戦争(Naval Battle Voyages) オランダ海軍の提督 No.3 (War)
ウィット・デ・ワィズ提督
従 軍 戦 歴

大航海物語
 オランダ編

NEDERLAND
ワイズ提督

オランダ 1943-44 発行
JERSEY
英仏海峡の地図

ジャージー 1970 発行



NEDERLAND
オランダの地図

オランダ 1972 発行

REPUBLICA DE GUINEA ECUATORIAL
海戦の図

赤道ギニア 1975 発行

蘭提督ウィット・コルネリスゾーン・デ・ワイズ中将 B (War)
 (Lieutenant Admiral Witte Corneliszoon de With, 1599/3/28〜1658/11/8)
ワイズ提督はオランダ南ホラント州ブリール近郷ファルムスタッド(Farmstead, Brielle, South Holland provincce)で生まれ、オランダ独立戦争(八十年戦争, 1568-1648)と第一次蘭英戦争(1652-1654)に従軍したオランダ共和国の海軍提督で、トロンプ提督(父)の1年後に生まれ、トロンプ提督@とは幼な友達だったといわれていますが生涯のライバルになりました。

・ワイズ提督の従軍戦歴:〜
◆オランダ独立戦争(80年戦争)
@ジャカルタの包囲戦(1618)蘭敗北
Aマタンサス湾の海戦(1628/9/7)オランダ勝利
Bダウンズの海戦(1639/10/21)オランダ勝利
◆第一次蘭英戦争(オランダ共和国7州海軍本部連合艦隊)トロンプ総司令官
Cドーバーの海戦(1652/5/29)引分
Dケンティシュノックの海戦(1652/10/8)英勝利
Eリヴォルノの海戦(1653/3/14、イタリア)オランダ勝利
Fガバードの海戦(1653/6/12)英勝利
Gスヘフェニンゲンの海戦(1653/8/8)引分
◆北方戦争(Northern Wars, 1655-1661)
Hダンツィヒ包囲戦 (1655-1660)オランダ勝利
Iサウンドの海戦(1658/10/29)オランダ勝利
などに従軍しました。


   
@ジャカルタの包囲戦
 (Siege of Jakarta, 1618)蘭敗北
 戦場:オランダ領東インドの首都バタビア(現インドネシアのジャカルタ)
 (Batavia, Dutch East Indies(1816-1949)capital.Jakarta,Indonesia)
1602年にオランダ政府はオランダ東インド会社(VOC:1602-1799)にアジア貿易の独占権を認めました。その1年後に東インド諸島初の常設オランダ商館(日本のオランダ商館)を西ジャワ州バンタム(Bantam, West Java)に設立。ジャカルタのマタラム王国(Mataram Sultanate.1586-1755,  Jayakarta)ジャヤウィカルタ王子(Prince Jayawikarta)は1610年にオランダ商人にジャカルタの対岸のチリウン川(Ciliwung river, 119km)東岸に木造倉庫と住宅を建設する
VOC 東インドの地図

インドネシア

インドネシア 1963 発行
許可を与え、翌年前哨基地(Outpost)が設立されました。オランダの勢力が増大するにつれて、ジャヤウィカルタ王子は力の均衡を保つためにイギリスにチリウン川西岸に家を建てる許可を与え、イギリスは税関の近くに砦を建設。1618年にジャヤウィカルタ王子とオランダ人との間の緊張が高まり、そのときジャヤウィカルタ王子の兵士たちはオランダ要塞(Dutch fortress)とナッソー・モーリシャス倉庫(Nassau & Mauritius warehouse)を包囲。そこへ英バージニア植民地の元総督トーマス・デイル(Thomas Dale,c 1570-1619/8/19, Deputy Governor of Virginia Colony)のイギリス艦隊6隻がラン島(Run Island)で窮地に立たされた英ナサニエル・コートホープ(Nathaniel Courthope, c1585- 1620/10/20)の救援のために1618/4月に出帆。1618/11月にバンタムに到着。1618/12/23にジャカトラ(現ジャカルタ)沖でオランダ艦隊と交戦。激しい海戦の後にオランダ艦隊は逃走。その後に沼地周辺のジャカトラにあるオランダの砦を包囲するも、その湿地帯でデイル元総督は熱病にかかって、翌年の夏にインドのマスリパトナムで亡くなりました。海戦の後、新しく第4代オランダ東インド会社総督(在任1619-1623、1627-1629)に任命されイギリスとバンテン王国(Banten Sultanate 1527-1813)と戦ってジャワ島西部ジャカルタにバタヴィアを築いたヤン・コーエン(Jan Pieterszoon Coen、1587-1629/9/21)は支援を求めてモルッカ諸島に逃亡して1605年からそこにあったポルトガルの最初の砦を占領しました。ジャヤウィカルタ王子はオランダ人に騙されたと信じていたため、オランダ守備隊司令官ピーテル・ファン・デン・ブロッケ(Pieter van den Broecke, 1585アントワープ生-1640/12/1マラッカ海峡45才没)と他の5人を交渉中に逮捕しました。その後、ジャヤウィカルタ王子とイギリスは同盟を結びました。

参考HP:〜
オランダ領東インドの場所地図(Batavia, Dutch East Indies & Malacca)


Bダウンズの海戦
 (Battle of Downs、1639/10/21)蘭勝利
 戦場:イングランド南部ケント州東海岸沖の北海南部の英仏海峡近くのダウンズ付近
   (Downs, English Channel, North Sea,off Kent caost)
ダウンズの海戦はオランダ独立戦争(80年戦争:Revolt of Netherlands 1568-1648)中に勃発した海戦。アントニオ・デ・オケンド提督指揮の・ポルトガル連合艦隊は、マールテン・トロンプ提督指揮のオランダ艦隊に決定的に敗北しました。この勝利は英仏海峡の海軍支配を再確認しようとするスペインの努力に終止符を打ち、シーレーンにおけるオランダの優位性を確認したが、これは戦列戦術を特徴とする最初の主要な海戦と
スペイン船

スペイン 1964発行
も言われています。この海戦は、スペインのオリバレス首相が約50隻の艦隊に護衛されたフランドル軍への兵力と物資を補給する大規模な船団を派遣したことで始まりました。1621年以来、スペインは海峡で、ダンケルクとオーステンデの基地からオランダ商船を攻撃しながら、優勢なオランダ艦隊との直接衝突を避けることに重点を置いていました。この方針からの変更として、オケンド提督は援軍を派遣すると同時にオランダ艦隊を攻撃するよう命じられました。オリバレス首相は、勝利によりスペインの威信が回復し、総司令官に和平条件の交渉を強いられることを期待していました。スペイン船団は9/11に海峡に入り、9/16-9/18までの一連の海戦でオランダ艦隊に迎撃されました。双方の損失は最小限でも、オケンド提督はドーバー港とディール港の間にある停泊地のダウンズに避難し、中立国イギリスによって保護されました。ここはオランダ艦隊によって封鎖されるも、援軍のほとんどは小型の高速フリゲート艦でダンケルクに輸送されました。10/21にオランダ艦隊はダウンズに入り、火船でスペイン艦隊を攻撃。狭い海域と逆風で操船できず、スペイン艦隊は約10隻の船を捕獲または破壊されて失い、さらに12隻が捕獲を避けるために意図的に陸上へ座礁しました。1640/1月のオランダ領ブラジルに対する同規模の遠征隊の撃退と合わせて、これはオランダの海洋覇権に挑戦する試みの終焉を意味し、スペインは戦争に勝つことは不可能であることを認めるもとになりました。
<ダウンズの海戦>〜80年戦争〜
・蘭スペイン艦隊:〜(Dutch & Spanish fleet)
 (Order of Battle at the Battle of Downs's Fleet)
蘭スペイン艦隊 主 力 総司令官 戦列艦損害
オランダ艦隊 戦列艦95隻 トロンプ提督 不明
スペイン艦隊 ガレー船等75隻 輸送船30隻 オケンド提督 隻沈没、隻捕獲
▼オランダ艦隊の編成:〜(Dutch Squadron)
@トロンプ提督、エミリア号(57gn)
・Bワイズ提督、フレデリック・ヘンドリック号(36gn)
・ヨースト・バンケルト提督(Vice Admiral Joost van Trappen Banckert, c1597-1647/9/12)
  ワーペン・ファン・ホランド号(30gn)
・Dエヴァツェン提督、フリシンゲン号(34gn)

総司令官トロンプ提督(Dutch Republic Tromp's Squadron)
 艦 名 (Ship)
第1艦隊(1st Squadron)トロンプ提督@
・エミリア号 Aemilia 57 旗艦
・マーグド・ファン・ドルドレヒト号 Maagd van Dordrecht 42
・サラマンダー号 Salamander 40
・サンプソン号 Sampson 36
・ホランシェ・トゥイン号 Hollandsche Tuin 32
・フェーレ号 Veere 32
・オムランディア号 Omlandia 30
・ユトレヒト号 Utrecht 30
・デーフェンター号 Deventer 28
・ジーライダー号 Zeerider 24
・メールミンネ号 Meerminne 24
・オーファーアイセ号 Overijssel 22
・ギデオン号 Gideon 24
・ヘルダーラント号 Gelderland 34
第2艦隊(2nd Squadron)ジュースト・バンケルト(Joost Banckert)
・ワーペン・ファン・ホランド号 Wapen van Holland 30 旗艦
・ヴァルヘレン号 Walcheren 28
・ネプトゥヌス号 Neptunus 28
・ズトフェン号 Zutphen 26
・ジーリダー号 Zeeridder 26
・テル・ゴーズ号 Ter Goes 24
・アルネムイデン号 Arnemuyden 22
・フリースラント号 Friesland 22
・ドレンテ号 Drente 10
・ロッテルダム号 Rotterdam 10
・アムステルダム号 Amsterdam 10
第3艦隊(3rd Squadron, 7隻)コルネリス・コルネリズーン・ジョル(Cornelis Corneliszoon Jol)
・ジュピター号 Jupiter 40 旗艦
第4艦隊(4th Squadron, 30隻, 火船4隻)ヴィッテ・デ・ワイズ提督B
・フレデリック・ヘンドリック号 Frederik Hendrik 36 旗艦、ワイズ提督
・シントローレンス号 Sint Laurens 32
第5艦隊(5th Squadron, 8隻)ヘンドリック・デ・ナイス(Hendrick Corneliszoon De Nijs)
第6艦隊(6th Squadron)ヨハン・エヴァツェンD
・フリシンゲン号 Vlissingen 34 旗艦。

▼スペイン・ポルトガル連合艦隊の編成:〜(Allied, Spain & Portugal)
・総司令官アントニオ・デ・オケンド提督
 (Antonio de Oquendo y Zandategui, 1577/10-1640/6/7)
・ロペ・デ・オセス提督(Lope de Hoces, 1619 ?1639/10/21)戦死
・ミゲル・デ・ホルナ提督(Miguel de Horna)
スペイン・ポルトガル連合艦隊
・ガレー船 22隻
スペイン艦隊ガレー船

スペイン 1964発行
・ガレオン船 29隻
フリゲート艦 13隻
・その他 11隻
・輸送船30隻〜護送船団オセス提督指揮
・水兵(sailors)6,500人、海兵隊員(marines)8,000人、兵士(soldiers)9,000人(計24,000人)
スペイン・ポルトガル連合艦隊 Allied, Spain & Portugal オケンド提督(75隻)
・フランダース艦隊 Flanders Squadron ホルナ提督(21隻)
・サンノゼ艦隊 San Jose Squadron
・マッシブラディ艦隊 Massibradi Squadron
・ガリシア艦隊 Galicia Squadron
・カディス艦隊 Cadiz Squadron
・カスティーリャ艦隊 Castile Squadron
サンタ・テレサ号 Santa Teresa 60 オセス提督護送船団旗艦、沈没。

参考HP:〜
ダウンズ付近の地図(Downs, English Channel)

Eイタリア・リヴォルノの海戦
 (Battle of Livorno、1653/3/14)オランダ勝利
別名:レグホーンの海戦(Battle of Leghorn)
戦場:トスカーナ州リボルノ県州都リボルノ港付近西海岸沖、リグーリア海
 (Port Livorno, Livorno Province,Tuscany Region, Italy (Ligurian Sea)
リヴォルノの海戦は、第一次蘭英戦争(1652-1654)中にイタリアのレグホーン (Leghorn:リボルノ:Livorno) 付近で勃発しました。それは1653年初頭は、イギリスにとって地中海の状況が危機的となっていました。英アップルトン艦隊6隻はオランダ艦隊16隻の封鎖でレグホーン港に閉じ込められていました。一方英リチャード・バディリー艦隊8隻はエルバ島にいました。
イタリアの地図

イタリアの 2006 発行
イギリスはこれら両艦隊を結集しょうとするも、アップルトン艦隊がバディリー艦隊と合流する前にオランダ艦隊と出会って交戦になりしました。アップルトン艦隊の3隻が拿捕され、2隻が捕獲され、オランダ船よりも速度が速いメアリー号1隻だけが逃亡してバディリー艦隊と合流しました。バディリー艦隊はオランダ艦隊と交戦するも、多勢に無勢でエルバ島ポルト・ロンゴーネ(Porto Longone)への帰還を余儀なくされて撤退しました。なお、この戦いでオランダのヨハン・ファン・ガーレン提督は致命傷を負い、1653/3/23に戦死しました。

<リヴォルノの海戦>〜第一次蘭英戦〜
・蘭スペイン艦隊:〜(Dutch & Spanish fleet)戦列艦
 (Order of Battle at the Battle of Downs's Fleet)
蘭英艦隊 主 力 総司令官 損害
・オランダ艦隊 戦列艦16隻 ガーレン提督 提督戦死
・イギリス艦隊 戦列艦15隻 アップルトン大佐 2隻沈没、3隻捕獲
オランダ艦隊の司令官
・ヨハン・ファン・ガーレン代将(Commodore Johan van Galen, 1604-1653/3/23)、戦死
スペイン艦隊の司令官
・ヘンリー・アップルトン大佐(Colonel Henry Appleton, 1650-1654, 後(Commodore)代将)
・リチャード・バディリー大尉(Captain Richard Badiley, 1616年頃-1656/8/7, 後(Vice Admiral)中将)

▼オランダ艦隊:〜総司令官ガーレン提督(オランダ連合州艦隊)
(Dutch Republic Galen's Squadron)United Provinces (Seven Provinces) of the Netherlands Fleet)
 艦 名 (Ship) 本部 メモ
・ゼブン・プロビンシアン号 Zeven Provincien 40 A 旗艦
・エエンドラハト号 Eendracht 40 N
・マーン号 Maan 40 A
・テル・ゴーズ号 Ter Goes 40 A
・ゾン号 Zon 40 A
・ズトフェン号 Zutphen 36 A
・マーグド・ファン・エンクホイセン号 Maagd van Enkhuysen 34 A
・ジョンゲ・プリンス号 Jonge Prins 28 N
・ジュリアス・シーザー号 Julius Caesar 28 A
・ウィッテ・オリファント号 Witte Olifant 28 A
・マドンナ デッラ ヴィーニャ号 Madonna della Vigna 28 A リボルノ港北で座礁後、救出
・スザンナ号 Susanna 28 A
・ズヴァルテ アーレンド号 Zwarte Arend 28 A
・サロモンズ・オールディール号 Salomons Oordeel 28 A
・ルーデ・ハース号 Roode Haes 28 A
・スター号 Ster 28 A

▼イギリス艦隊:〜総司令官アップルトン大佐
(Commonwealth of England Fleet)
アップルトン艦隊 (Appleton's Squadron)
 艦 名 (HMS) メモ
・ボナベンチャー号 Bonaventure 44 ゼブン・プロビンシアン号が爆破
・レオパード号 Leopard 48 旗艦 エエンドラハト号が捕獲
・サムソン号 Samson 40 火船で炎上
・メアリー号 Mary 30
・ペレグリン号 Peregrine 30 ズワルテアーレンド号が捕獲
・レバント・マーチャント号 Levant Merchant 28 マーグドファンエンクハイセン号が捕獲
バディリー艦隊 (Badiley's Squadron)
・パラゴン号 Paragon 52 旗艦
・フェニックス号 Phoenix 36
・エリザベス号 Elizabeth 36
・コンスタント・ワーウィック号 Constant Warwick 32
・メアリー・ローズ号 Mary Rose 32
・ルイス号 Lewis 30
・ウィリアム・トーマス号 William and Thomas 30
・トーマス・ボナベンチャー号 Thomas Bonaventure 28
・チャリティー号 Charity 火船、プリマス沖の海戦(1652/8/27)
・など。

参考HP:〜
17世紀リボルノの地図
リボルノ県の場所地図(Livorno Province, Italy)


Hダンツィヒ包囲戦の海戦
 (Sea Battle of Siege of Danzig, 1656/7月)蘭勝利
 別名:グダニスク包囲戦(Siege of Gdanisk, 1655-1656/9/11)
 戦場:ポートランドのバルチック海岸沿いグダニスク湾ダンツィヒ港沖
 (Baltic Sea port city Danzig, Gdanisk Bay, Poland)
ダンツィヒ包囲戦、第二次北方戦争(2nd Northern War, 1655/6-1660/4/23)中にスウェーデンがこのバルト海の重要な港湾都市ダンツィヒをポーランド・リトアニア連邦(Polish-Lithuanian Commonwealth, 1569-1795)から占領しようとして勃発しました。ダンツィヒ(Danzig(Gdansk)グダニスク)周辺での5年間の戦闘の後、ほとんど
オランダの戦列艦

スペイン 1997 発行
地盤を固めていなかったスウェーデンが降伏しました。ダンツィヒ包囲戦の海戦は、1656/7月にワイズ提督が指揮するオランダ艦隊がグダニスク湾に来襲して、ダンツィヒ港の封鎖を解除しました。そしてオランダの介入でスウェーデンとの間にエルビング条約(Treaty of Elbing, 1656/9/11)がポーランドのエルビングで締結されてダンツィヒの包囲が解除されました。第二次北方戦争はスウェーデンとポーランド・リトアニア連邦などがオリバ条約(Treaty of Oliva, 1660/5/3)をポーランドのオリバで締結して終わりました。

<ダンツィヒ防衛軍>ポーランド・リトアニア連邦 & オランダ共和国
・エイドリアン・フォン・デア・リンデ (1610-1682) 市長(ダンツィヒの貴族)
(Adrian von der Linde, 1610-1682, Patrician, Lord Mayor of Danzig)
<スウェーデン軍>
・スウェーデン王カール10世グスタフ
 (King of Sweden Karl X Gustav、1622-在位1654-1660/2/13)

<ダンツィヒ包囲戦の海戦>〜第二次北方戦争〜
・蘭艦隊 vs スェーデン:〜(Dutch fleet & Sweden)
 (Order of Battle at the Battle of Siege of Danzig's Fleet)
蘭スェーデン艦隊 主 力 総司令官 損害
オランダ艦隊 戦列艦 ワイズ提督
スェーデン 男爵リンデ将軍
オランダ艦隊総司令官:〜(Dutch Fleet)
Lワイズ提督
スェーデン総司令官:〜(Sweden)
・スェーデン将軍ローレンス・フォン・デア・リンデ男爵、後,陸軍元帥(Field Marshal ,1665〜)
 (Swedish General Baron Lorens von der Linde, 1610-1670, Commander of Swedish forces)

・ダンツィヒ包囲戦の略年表
1655 スウェーデン海軍がダンツィヒの港を封鎖し、貿易は停止
スウェーデン陸軍がヴィスワ川(Vistula River,1047km,Poland)の
非常に重要な水門のダンジガー・ハウプト要塞(Fortress Danziger Haupt)を占領
1656 07月、オランダのワイズ提督艦隊がグダニスク湾に来襲、ダンツィヒ港の封鎖を解除
09/11、エルビング条約(Treaty of Elbing)オランダの介入で包囲が解除
1659 10/26、ダンジガー・ハウプト要塞近くの小競り合いでポーランドがスウェーデンを破る
12/22、ダンジガー・ハウプト要塞のスウェーデン守備隊が降伏
1660 05/03、オリバ条約(Treaty of Oliva)が締結されて第二次北方戦争が終わる
 ダンツィヒはその間ずっと征服されることなくポーランド・リトアニア共和国への忠誠を保つ。

参考HP:〜
グダニスク湾の地図(Gdanisk Bay)
ポートランドの地図(Gdanisk)
ポートランドの地図(Gdanisk、地勢図)
ヴィスワ川の場所地図(Gdanisk、流域の地図)
バルチック海の場所地図(Gdanisk)
17世紀の欧州の地図(ヨーロッパの地図、1648)


Iサウンドの海戦、於:コペンハーゲン防衛戦
 (Battle of Sound 1658/10/29) 蘭勝利
 戦場:デンマークのシェラン島(Zealand(Sjalland)Island) 付近)
第一次蘭英戦争(1652-1654)が終結すると、北方戦争(Northern Wars, 1655-1661)が起こり、オランダ対スェーデン戦争(Dutch-Swedish War 1658-1660)のコペンハーゲンの防衛戦でのサウンドの海戦が勃発しました。コペンハーゲンがスェーデンに攻撃を受けてオランダが救援艦隊を送り込みました。オランダ7州連合艦隊41隻の、先頭を行くワイズ提督Bは旗艦ブレデローデ号(Brederode)に座乗して戦列艦11隻からなる艦隊で、中央を行くワッセナー・オブデン提督Lは戦列艦13隻からなる艦隊で、しんがりを進むピーター・フロリッセン提督Jは戦列艦11隻からなる艦隊との3艦隊が、スェーデン艦隊45隻とバルト海からコペンハーゲン沖で戦い、オランダ艦隊はスウェーデン艦隊の封鎖を突破し、コペンハーゲンに閉じ込
コペンハーゲンはシェラン島に有

デンマーク 1995 発行
シェラン
められたデンマーク艦隊と合流することができました。オランダの被害は2隻が撃沈されましたが、スェーデン艦隊の被害は4隻撃沈となりました。先陣を切っていた前衛指揮官ワイズ提督の旗艦ブレデローデ号がコペンハーゲン沖で座礁して敵艦に囲まれ、ワイズ提督が最初にマスケット銃弾で左の太ももを打たれ、その後に胸にも敵弾を受けるも、切り込んできた敵兵に降伏せず、サーベルで戦い抜いて戦死しました。後衛司令官フロリッセ提督もがジョシュア号に座乗して戦い戦死しました。ワイズ提督の遺体はスウェーデン王カール10世(Charles X Gustav 、1622-1660)の命で、戦勝記念品としてデンマーク東部のヘルシンゲル(Helsingor)に運ばれました。1659/1月にはコペンハーゲンに移されて市民の尊崇を受け、同年1659/10/7にロッテルダムに賑々しく移送され、聖ローレンス教会(St Lawrence)に手厚く葬られました。

<サウンドの海戦>〜北方戦争〜
・蘭スェーデン艦隊:〜(Dutch & Sweden fleet)
 (Order of Battle at the Battle of Sound 's Fleet)
蘭スェーデン艦隊 主 力 総司令官 損害
オランダ艦隊 戦列艦41隻 オブデン提督 1隻沈没
スェーデン艦隊 戦列艦45隻 ビエルケンシュテルナ提督 1隻破壊,4隻捕獲
オランダ艦隊総司令官:〜(Dutch Fleet)
・Lオブデン提督
スェーデン艦隊総司令官:〜(Sweden Fleet)
・クラス・ハンソン・ビエルケンシュテルナ提督

▼オランダ・デンマーク艦隊:〜(Dutch & Danish Fleet)
蘭デンマーク艦隊 主 力 司令官 損害
・オランダ艦隊 戦列艦41隻 2隻撃沈説有
・前衛艦隊 戦列艦11隻 ワイズ提督 戦死
・中央艦隊 戦列艦13隻 オブデン提督
・後衛艦隊 戦列艦11隻 フロリッセン提督 戦死
・他 戦列艦 6隻
・デンマーク艦隊 戦列艦 7隻 ビエルケ提督
オランダ艦隊司令官:〜(Dutch Fleet)
Bワイズ提督、ブレデローデ号(59gn)
・ヤコブ・ファン・ワッセナー・オブデン提督、エンドラハト号(72gn)
 (Lieutenant Admiral Jacob van Wassenaer Obdam, 1610-1665/6/13)
・Jフロリッセン提督、ジョシュア号(50gn)
デンマーク艦隊司令官:〜(Danish Fleet)
・ビエルケ提督(Bjelke)、トレフォルディグド号(66gn)

オランダ・デンマーク艦隊の編成:〜(Dutch & Danish Fleet)
オランダ艦隊総司令官オブデン提督(Dutch Republic Cheef Commander Obdam's Fleet)
前衛艦隊(Van Squadron) ワイズ中将 (Vice Admiral Witte de With)
・ブレデローデ号 Brederode 59 旗艦ワイズ提督、ヴィスマール号に捕獲され沈没
・ランドマン号 Landman 40
・ジーリダー号 Zeeridder 22
・プリンセス・ルイーズ号 Princesse Louise 32
・コッゲ号 Cogge 40
・ウィントホント号 Windhont 23
・プリンス・ウィレム号 Prins Willem 28
・ワーペンファンメーデンブリック号 Wapen van Medemblick 36
・フローニンゲン号 Groningen 36
・など
中央艦隊(Center Squadron) オブダム中将 (Lt. Admiral Jacob van Wassenaer Obdam)
・エンドラハト号 Eendracht 72 旗艦オブダム(Obdam) 72
・ロッテルダム号 Rotterdam 52
・ゾン号 Zon 40
・ワーペン・ファン・ロッテルダム号 Wapen van Rotterdam 40
・ワーペン・ファン・ドルドレヒト号 Wapen van Dordrecht 40
・ハーフメン号 Halve Maen 40
・ダイフェンフォールデ号 Duyvenvoorde 40
・スタボレン号 Stavoren 40
・デュテコム号 Deutecom 24
・ワーグ号 Waegh 40
・グーデン・レーウ号 Gouden Leeuw 38
・ホルン号 Hoorn 28
・プリンセスアルベルティーナ号 Princes Albertina 36
・など
後衛艦隊(Rear Squadron) フロリッセン中将 (Vice Admiral Pieter Floriszoon)
・ジョズア号 Jozua 50 旗艦(Vice Admiral Pieter Floriszoon 戦死)
・ブレダ号 Breda 28 捕獲されたが放棄され、再び捕獲された
・ジュピター号 Jupiter 32
・アルクマール号 Alkmaar 36
・ウェストフリースラント号 Westfriesland 28
・ワーペン・ファン・ホランド号 Wapen van Holland 38
・エエンドラハト号 Eendracht 38
・カレブ号 Caleb 40
・ジョンゲ・プリンス号 Jonge Prins 30
・ワペン・ファン・モニッケンダム号 Wapen van Monnickendam 26
・ジュディス号 Judith 24 フリース艦長
・フェルグルデンハエン号 Vergulden Haen 16
・リーフデ号 Liefde 24
・メデア号 Medea 24
・ペレル号 Perel 23
・フルーツブーム号 Fruytboom 23
・など
デンマーク艦隊(Denmark) ビエルケ大将 (Bjelke)
・トレフォルディグド号 Trefoldighed 66 旗艦ビエルケ提督
・トレラバー号 Tre Lover 60
・ノースケ ラブ号 Norske Love 48
・ハンニバル号 Hannibal 44
・グラアウルブ号 Graa Ulv 36
・ヨハネス号 Johannes 20
・ホーエンハルト号 Hojenhald 8
・など

▼スェーデン艦隊:〜(Dutch & Sweden fleet)
 (Order of Battle at the Battle of Sound 's Fleet)
・艦隊 主 力 司令官 損害
スェーデン艦隊 戦列艦45隻 4隻撃沈説有
・第1衛艦隊 11隻 ショージェルム提督
・第2衛艦隊 11隻 C.G.ヴランゲル提督 2隻捕獲
・第3衛艦隊 12隻 ビェルケンシュテルナ提督 3隻捕獲
・第4衛艦隊 11隻 G.ヴランゲル提督 1隻捕獲
スェーデン艦隊司令官:〜(Sweden Fleet)
・クラス・ハンソン・ビエルケンシュテルナ提督、ドレイク号(66gn)
 (Admiral Klas Hansson Bjelkenstjerna, 1615-1662/7/30)
・カール・グスタフ・ヴランゲル提督、ビクトリア号(74gn)
 (Admiral Carl Gustaf Wrangel, 1613-1676/7/5)
・ショージェルム提督(Admiral Sjohjelm)、セザール号(54gn)
・カール・ヴランゲル提督(Admiral G. Wrangel)、ヘラクレス号(58gn)

スェーデン艦隊の編成:〜(Sweden Fleet)
第1艦隊(1st Squadron) ショージェルム大将 (Admiral Sjohjelm)
・セザール号 Cesar 54 旗艦ショージェルム提督
・アマラント号 Amarant 46
・アポロ号 Apollo 46
・ヴィスマール号 Wismar 44
・ベスタービク号 Vestervik 40
・フィデス号 Fides 36
・ヒョルト号 Hjort 36
・セーデルマンランド号 Sodermanland 38
・スヴァン号 Svan 38
・エステルイェートラント号 Ostergotland 36
・ハーフ号 Halfmane 28
第2艦隊(2nd Squadron) C.G.ヴランゲル大将 (Admiral Carl Gustaf Wrangel)
・ビクトリア号 Victoria 74 旗艦ヴランゲル提督
・メーン号 Mane 46
・メルクリウス号 Merkurius 46
・マーズ号 Mars 44
・スヴァルド号 Svard 44
・ペリカン号 Pelican 40 ワーペン・ファン・ロッテルダム号が捕獲
・オーン号 Orn 38
・サムソン号 Samson 32
・モルゴンシュテルナ号 Morgonstjerna 48 エンドラハト号が捕獲
・ヨーテボリグフォーク号 Goteborgsfalk 24
・クローナ号 Krona 68
第3艦隊(3rd Squadron) ビェルケンシュテルナ大将 (Admiral Bjelkenstjerna)
・ドレイク号 Drake 66 旗艦ビェルケンシュテルナ提督
・カロラス号 Carolus 54
・フォーク号 Falk 40
・ノルドシュテルナ号 Nordstjerna 40
・デルメンホルスト号 Delmenhorst 36 ホランディア号とヴァペン・ファン・メーデンブリク号が捕獲
・レオパルド号 Leopard 36 ブレデローデ号に損傷後、炎上
・ラファエル号 Rafael 36
・サムソン号 Samson 36
・ジャガー号 Jagare 26
・コヌン・デイビッド号 Konung David 42
・セント・ヨハネス号 St Johannes 36
・カルマルカステル号 Kalmarkastell 32
・など
第4艦隊(4th Squadron) G.ヴランゲル大将 (Admiral G. Wrangel)
・ヘラクレス号 Hercules 58 旗艦ヴランゲル提督
・マリア号 Maria 46
・スマランド号 Smaland 46
・スヴェンスカ・レホン号 Svenska Lejon 40
・スヴァン号 Svan 36
・フェニックス号 Fenix 30
・フォルトゥナ号 Fortuna 30
・サルバトール号 Salvator 30
・ホク号 Hok 28
・ローズ号 Rose 40 ランドマン号が捕獲
・アンゲルマンランド号 Angermanland 20
・など。

参考HP:〜
シェラン島の場所地図(デンマーク:Sjalland)



参考HP:〜
テクセル島の場所地図
オランダの地図(1672)
オランダ最大版図の地図(19世紀)
オランダの地図(現在、水面下を示す図)
ジャワ島の場所地図(インドネシアの地図)
ジャワ島の地図(地勢図)
ジャワ島バンタムの場所地図(Bantem, Jakarta有)
オランダ領ブラジルの場所地図(Dutch Brazil, 1630-1654)

こちらで
蘭英戦争(1652-1674)
第1次蘭英戦争(1652-1654)
第2次蘭英戦争(1665-1667)
第3次蘭英戦争(1672-1674)
第4次蘭英戦争(1780-1784)
マゼラン (海峡)
スパイス (香辛料)
コーヒー (嗜好飲料)
ラッコ(絶滅危惧種)
クリッパートン島(絶海の孤島)
カリブ海の地図(島国シリーズ)
フランスの王と王族(ブルボン朝)
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る東海道五十三次
全米50州アメリカ
・世界で1番美しい 蝶々
・ギリシャの民族衣装
・スペインの画家ゴヤ
世界遺産
フランス
法隆寺日本
ヌビア遺跡エジプト
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿ギリシャ
モヘンジョダロパキスタン
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和5年 2023/8/20
スタンプ・メイツ
Copyright(C):StmpMates
無断転載禁止