蘭提督ウィット・コルネリスゾーン・デ・ワイズ中将
B (War)
(Lieutenant Admiral Witte Corneliszoon
de With, 1599/3/28〜1658/11/8)
ワイズ提督はオランダ南ホラント州ブリール近郷ファルムスタッド(Farmstead, Brielle,
South Holland provincce)で生まれ、オランダ独立戦争(八十年戦争, 1568-1648)と第一次蘭英戦争(1652-1654)に従軍したオランダ共和国の海軍提督で、トロンプ提督(父)の1年後に生まれ、トロンプ提督@とは幼な友達だったといわれていますが生涯のライバルになりました。
・ワイズ提督の従軍戦歴:〜
◆オランダ独立戦争(80年戦争)
@ジャカルタの包囲戦(1618)蘭敗北
Aマタンサス湾の海戦(1628/9/7)オランダ勝利
Bダウンズの海戦(1639/10/21)オランダ勝利
◆第一次蘭英戦争(オランダ共和国7州海軍本部連合艦隊)トロンプ総司令官
Cドーバーの海戦(1652/5/29)引分
Dケンティシュノックの海戦(1652/10/8)英勝利
Eリヴォルノの海戦(1653/3/14、イタリア)オランダ勝利
Fガバードの海戦(1653/6/12)英勝利
Gスヘフェニンゲンの海戦(1653/8/8)引分
◆北方戦争(Northern Wars, 1655-1661)
Hダンツィヒ包囲戦 (1655-1660)オランダ勝利
Iサウンドの海戦(1658/10/29)オランダ勝利
などに従軍しました。
@ジャカルタの包囲戦
(Siege of Jakarta, 1618)蘭敗北
戦場:オランダ領東インドの首都バタビア(現インドネシアのジャカルタ)
(Batavia, Dutch East Indies(1816-1949)capital.Jakarta,Indonesia)
1602年にオランダ政府はオランダ東インド会社(VOC:1602-1799)にアジア貿易の独占権を認めました。その1年後に東インド諸島初の常設オランダ商館(日本のオランダ商館)を西ジャワ州バンタム(Bantam, West Java)に設立。ジャカルタのマタラム王国(Mataram
Sultanate.1586-1755, Jayakarta)ジャヤウィカルタ王子(Prince
Jayawikarta)は1610年にオランダ商人にジャカルタの対岸のチリウン川(Ciliwung
river, 119km)東岸に木造倉庫と住宅を建設する |
VOC 東インドの地図
現インドネシア
インドネシア 1963 発行 |
許可を与え、翌年前哨基地(Outpost)が設立されました。オランダの勢力が増大するにつれて、ジャヤウィカルタ王子は力の均衡を保つためにイギリスにチリウン川西岸に家を建てる許可を与え、イギリスは税関の近くに砦を建設。1618年にジャヤウィカルタ王子とオランダ人との間の緊張が高まり、そのときジャヤウィカルタ王子の兵士たちはオランダ要塞(Dutch
fortress)とナッソー・モーリシャス倉庫(Nassau
& Mauritius warehouse)を包囲。そこへ英バージニア植民地の元総督トーマス・デイル(Thomas
Dale,c 1570-1619/8/19, Deputy Governor of
Virginia Colony)のイギリス艦隊6隻がラン島(Run
Island)で窮地に立たされた英ナサニエル・コートホープ(Nathaniel
Courthope, c1585- 1620/10/20)の救援のために1618/4月に出帆。1618/11月にバンタムに到着。1618/12/23にジャカトラ(現ジャカルタ)沖でオランダ艦隊と交戦。激しい海戦の後にオランダ艦隊は逃走。その後に沼地周辺のジャカトラにあるオランダの砦を包囲するも、その湿地帯でデイル元総督は熱病にかかって、翌年の夏にインドのマスリパトナムで亡くなりました。海戦の後、新しく第4代オランダ東インド会社総督(在任1619-1623、1627-1629)に任命されイギリスとバンテン王国(Banten
Sultanate 1527-1813)と戦ってジャワ島西部ジャカルタにバタヴィアを築いたヤン・コーエン(Jan
Pieterszoon Coen、1587-1629/9/21)は支援を求めてモルッカ諸島に逃亡して1605年からそこにあったポルトガルの最初の砦を占領しました。ジャヤウィカルタ王子はオランダ人に騙されたと信じていたため、オランダ守備隊司令官ピーテル・ファン・デン・ブロッケ(Pieter
van den Broecke, 1585アントワープ生-1640/12/1マラッカ海峡45才没)と他の5人を交渉中に逮捕しました。その後、ジャヤウィカルタ王子とイギリスは同盟を結びました。
参考HP:〜
・オランダ領東インドの場所地図(Batavia, Dutch East Indies & Malacca)
Bダウンズの海戦
(Battle of Downs、1639/10/21)蘭勝利
戦場:イングランド南部ケント州東海岸沖の北海南部の英仏海峡近くのダウンズ付近
(Downs, English Channel, North Sea,off
Kent caost)
ダウンズの海戦はオランダ独立戦争(80年戦争:Revolt of Netherlands 1568-1648)中に勃発した海戦。アントニオ・デ・オケンド提督指揮の・ポルトガル連合艦隊は、マールテン・トロンプ提督指揮のオランダ艦隊に決定的に敗北しました。この勝利は英仏海峡の海軍支配を再確認しようとするスペインの努力に終止符を打ち、シーレーンにおけるオランダの優位性を確認したが、これは戦列戦術を特徴とする最初の主要な海戦と |
スペイン船
スペイン 1964発行 |
も言われています。この海戦は、スペインのオリバレス首相が約50隻の艦隊に護衛されたフランドル軍への兵力と物資を補給する大規模な船団を派遣したことで始まりました。1621年以来、スペインは海峡で、ダンケルクとオーステンデの基地からオランダ商船を攻撃しながら、優勢なオランダ艦隊との直接衝突を避けることに重点を置いていました。この方針からの変更として、オケンド提督は援軍を派遣すると同時にオランダ艦隊を攻撃するよう命じられました。オリバレス首相は、勝利によりスペインの威信が回復し、総司令官に和平条件の交渉を強いられることを期待していました。スペイン船団は9/11に海峡に入り、9/16-9/18までの一連の海戦でオランダ艦隊に迎撃されました。双方の損失は最小限でも、オケンド提督はドーバー港とディール港の間にある停泊地のダウンズに避難し、中立国イギリスによって保護されました。ここはオランダ艦隊によって封鎖されるも、援軍のほとんどは小型の高速フリゲート艦でダンケルクに輸送されました。10/21にオランダ艦隊はダウンズに入り、火船でスペイン艦隊を攻撃。狭い海域と逆風で操船できず、スペイン艦隊は約10隻の船を捕獲または破壊されて失い、さらに12隻が捕獲を避けるために意図的に陸上へ座礁しました。1640/1月のオランダ領ブラジルに対する同規模の遠征隊の撃退と合わせて、これはオランダの海洋覇権に挑戦する試みの終焉を意味し、スペインは戦争に勝つことは不可能であることを認めるもとになりました。
<ダウンズの海戦>〜80年戦争〜
・蘭スペイン艦隊:〜(Dutch & Spanish fleet)
(Order of Battle at the Battle of Downs's Fleet)
▼オランダ艦隊の編成:〜(Dutch Squadron)
・@トロンプ提督、エミリア号(57gn)
・Bワイズ提督、フレデリック・ヘンドリック号(36gn)
・ヨースト・バンケルト提督(Vice Admiral Joost van Trappen Banckert, c1597-1647/9/12)
ワーペン・ファン・ホランド号(30gn)
・Dエヴァツェン提督、フリシンゲン号(34gn)
総司令官トロンプ提督(Dutch Republic Tromp's
Squadron) |
艦 名 |
(Ship) |
砲 |
|
第1艦隊(1st Squadron)トロンプ提督@ |
|
・エミリア号 |
Aemilia |
57 |
旗艦 |
・マーグド・ファン・ドルドレヒト号 |
Maagd van Dordrecht |
42 |
|
・サラマンダー号 |
Salamander |
40 |
|
・サンプソン号 |
Sampson |
36 |
|
・ホランシェ・トゥイン号 |
Hollandsche Tuin |
32 |
|
・フェーレ号 |
Veere |
32 |
|
・オムランディア号 |
Omlandia |
30 |
|
・ユトレヒト号 |
Utrecht |
30 |
|
・デーフェンター号 |
Deventer |
28 |
|
・ジーライダー号 |
Zeerider |
24 |
|
・メールミンネ号 |
Meerminne |
24 |
|
・オーファーアイセ号 |
Overijssel |
22 |
|
・ギデオン号 |
Gideon |
24 |
|
・ヘルダーラント号 |
Gelderland |
34 |
|
第2艦隊(2nd Squadron)ジュースト・バンケルト(Joost
Banckert) |
・ワーペン・ファン・ホランド号 |
Wapen van Holland |
30 |
旗艦 |
・ヴァルヘレン号 |
Walcheren |
28 |
|
・ネプトゥヌス号 |
Neptunus |
28 |
|
・ズトフェン号 |
Zutphen |
26 |
|
・ジーリダー号 |
Zeeridder |
26 |
|
・テル・ゴーズ号 |
Ter Goes |
24 |
|
・アルネムイデン号 |
Arnemuyden |
22 |
|
・フリースラント号 |
Friesland |
22 |
|
・ドレンテ号 |
Drente |
10 |
|
・ロッテルダム号 |
Rotterdam |
10 |
|
・アムステルダム号 |
Amsterdam |
10 |
|
第3艦隊(3rd Squadron, 7隻)コルネリス・コルネリズーン・ジョル(Cornelis
Corneliszoon Jol) |
・ジュピター号 |
Jupiter |
40 |
旗艦 |
第4艦隊(4th Squadron, 30隻, 火船4隻)ヴィッテ・デ・ワイズ提督B |
・フレデリック・ヘンドリック号 |
Frederik Hendrik |
36 |
旗艦、ワイズ提督 |
・シントローレンス号 |
Sint Laurens |
32 |
|
第5艦隊(5th Squadron, 8隻)ヘンドリック・デ・ナイス(Hendrick
Corneliszoon De Nijs) |
|
|
|
|
第6艦隊(6th Squadron)ヨハン・エヴァツェンD |
・フリシンゲン号 |
Vlissingen |
34 |
旗艦。 |
▼スペイン・ポルトガル連合艦隊の編成:〜(Allied,
Spain & Portugal)
・総司令官アントニオ・デ・オケンド提督
(Antonio de Oquendo y Zandategui, 1577/10-1640/6/7)
・ロペ・デ・オセス提督(Lope de Hoces, 1619
?1639/10/21)戦死
・ミゲル・デ・ホルナ提督(Miguel
de Horna)
スペイン・ポルトガル連合艦隊
・ガレー船 22隻 |
スペイン艦隊ガレー船
スペイン 1964発行 |
・ガレオン船 29隻
・フリゲート艦 13隻
・その他 11隻
・輸送船30隻〜護送船団オセス提督指揮
・水兵(sailors)6,500人、海兵隊員(marines)8,000人、兵士(soldiers)9,000人(計24,000人)
スペイン・ポルトガル連合艦隊 |
Allied, Spain & Portugal |
|
オケンド提督(75隻) |
・フランダース艦隊 |
Flanders Squadron |
|
ホルナ提督(21隻) |
・サンノゼ艦隊 |
San Jose Squadron |
|
|
・マッシブラディ艦隊 |
Massibradi Squadron |
|
|
・ガリシア艦隊 |
Galicia Squadron |
|
|
・カディス艦隊 |
Cadiz Squadron |
|
|
・カスティーリャ艦隊 |
Castile Squadron |
|
|
サンタ・テレサ号 |
Santa Teresa |
60 |
オセス提督護送船団旗艦、沈没。 |
|
|
|
|
参考HP:〜
・ダウンズ付近の地図(Downs, English Channel)
Eイタリア・リヴォルノの海戦
(Battle of Livorno、1653/3/14)オランダ勝利
別名:レグホーンの海戦(Battle of Leghorn)
戦場:トスカーナ州リボルノ県州都リボルノ港付近西海岸沖、リグーリア海
(Port Livorno, Livorno
Province,Tuscany
Region, Italy (Ligurian Sea)
リヴォルノの海戦は、第一次蘭英戦争(1652-1654)中にイタリアのレグホーン
(Leghorn:リボルノ:Livorno) 付近で勃発しました。それは1653年初頭は、イギリスにとって地中海の状況が危機的となっていました。英アップルトン艦隊6隻はオランダ艦隊16隻の封鎖でレグホーン港に閉じ込められていました。一方英リチャード・バディリー艦隊8隻はエルバ島にいました。 |
イタリアの地図
イタリアの 2006 発行 |
イギリスはこれら両艦隊を結集しょうとするも、アップルトン艦隊がバディリー艦隊と合流する前にオランダ艦隊と出会って交戦になりしました。アップルトン艦隊の3隻が拿捕され、2隻が捕獲され、オランダ船よりも速度が速いメアリー号1隻だけが逃亡してバディリー艦隊と合流しました。バディリー艦隊はオランダ艦隊と交戦するも、多勢に無勢でエルバ島ポルト・ロンゴーネ(Porto
Longone)への帰還を余儀なくされて撤退しました。なお、この戦いでオランダのヨハン・ファン・ガーレン提督は致命傷を負い、1653/3/23に戦死しました。
<リヴォルノの海戦>〜第一次蘭英戦〜
・蘭スペイン艦隊:〜(Dutch & Spanish fleet)戦列艦
(Order of Battle at the Battle of Downs's
Fleet)
蘭英艦隊 |
主 力 |
総司令官 |
損害 |
・オランダ艦隊 |
戦列艦16隻 |
ガーレン提督 |
提督戦死 |
・イギリス艦隊 |
戦列艦15隻 |
アップルトン大佐 |
2隻沈没、3隻捕獲 |
オランダ艦隊の司令官
・ヨハン・ファン・ガーレン代将(Commodore
Johan van Galen, 1604-1653/3/23)、戦死
スペイン艦隊の司令官
・ヘンリー・アップルトン大佐(Colonel
Henry
Appleton, 1650-1654, 後(Commodore)代将)
・リチャード・バディリー大尉(Captain
Richard
Badiley, 1616年頃-1656/8/7, 後(Vice
Admiral)中将)
▼オランダ艦隊:〜総司令官ガーレン提督(オランダ連合州艦隊)
(Dutch Republic Galen's Squadron)United
Provinces (Seven Provinces) of the Netherlands
Fleet) |
艦 名 |
(Ship) |
砲 |
本部 |
メモ |
・ゼブン・プロビンシアン号 |
Zeven Provincien |
40 |
A |
旗艦 |
・エエンドラハト号 |
Eendracht |
40 |
N |
|
・マーン号 |
Maan |
40 |
A |
|
・テル・ゴーズ号 |
Ter Goes |
40 |
A |
|
・ゾン号 |
Zon |
40 |
A |
|
・ズトフェン号 |
Zutphen |
36 |
A |
|
・マーグド・ファン・エンクホイセン号 |
Maagd van Enkhuysen |
34 |
A |
|
・ジョンゲ・プリンス号 |
Jonge Prins |
28 |
N |
|
・ジュリアス・シーザー号 |
Julius Caesar |
28 |
A |
|
・ウィッテ・オリファント号 |
Witte Olifant |
28 |
A |
|
・マドンナ デッラ ヴィーニャ号 |
Madonna della Vigna |
28 |
A |
リボルノ港北で座礁後、救出 |
・スザンナ号 |
Susanna |
28 |
A |
|
・ズヴァルテ アーレンド号 |
Zwarte Arend |
28 |
A |
|
・サロモンズ・オールディール号 |
Salomons Oordeel |
28 |
A |
|
・ルーデ・ハース号 |
Roode Haes |
28 |
A |
|
・スター号 |
Ster |
28 |
A |
|
|
|
|
|
|
▼イギリス艦隊:〜総司令官アップルトン大佐
(Commonwealth of England Fleet) |
アップルトン艦隊 |
(Appleton's Squadron) |
|
|
艦 名 |
(HMS) |
砲 |
メモ |
・ボナベンチャー号 |
Bonaventure |
44 |
ゼブン・プロビンシアン号が爆破 |
・レオパード号 |
Leopard |
48 |
旗艦 エエンドラハト号が捕獲 |
・サムソン号 |
Samson |
40 |
火船で炎上 |
・メアリー号 |
Mary |
30 |
|
・ペレグリン号 |
Peregrine |
30 |
ズワルテアーレンド号が捕獲 |
・レバント・マーチャント号 |
Levant Merchant |
28 |
マーグドファンエンクハイセン号が捕獲 |
バディリー艦隊 |
(Badiley's Squadron) |
|
|
・パラゴン号 |
Paragon |
52 |
旗艦 |
・フェニックス号 |
Phoenix |
36 |
|
・エリザベス号 |
Elizabeth |
36 |
|
・コンスタント・ワーウィック号 |
Constant Warwick |
32 |
|
・メアリー・ローズ号 |
Mary Rose |
32 |
|
・ルイス号 |
Lewis |
30 |
|
・ウィリアム・トーマス号 |
William and Thomas |
30 |
|
・トーマス・ボナベンチャー号 |
Thomas Bonaventure |
28 |
|
・チャリティー号 |
Charity |
|
火船、プリマス沖の海戦(1652/8/27) |
・など。 |
|
|
|
|
|
|
|
参考HP:〜
・17世紀リボルノの地図
・リボルノ県の場所地図(Livorno Province, Italy)
Hダンツィヒ包囲戦の海戦
(Sea Battle of Siege of Danzig, 1656/7月)蘭勝利
別名:グダニスク包囲戦(Siege of Gdanisk,
1655-1656/9/11)
戦場:ポートランドのバルチック海岸沿いグダニスク湾ダンツィヒ港沖
(Baltic Sea port city Danzig, Gdanisk
Bay, Poland)
ダンツィヒ包囲戦、第二次北方戦争(2nd Northern
War, 1655/6-1660/4/23)中にスウェーデンがこのバルト海の重要な港湾都市ダンツィヒをポーランド・リトアニア連邦(Polish-Lithuanian
Commonwealth, 1569-1795)から占領しようとして勃発しました。ダンツィヒ(Danzig(Gdansk)グダニスク)周辺での5年間の戦闘の後、ほとんど |
オランダの戦列艦
スペイン 1997 発行 |
地盤を固めていなかったスウェーデンが降伏しました。ダンツィヒ包囲戦の海戦は、1656/7月にワイズ提督が指揮するオランダ艦隊がグダニスク湾に来襲して、ダンツィヒ港の封鎖を解除しました。そしてオランダの介入でスウェーデンとの間にエルビング条約(Treaty
of Elbing, 1656/9/11)がポーランドのエルビングで締結されてダンツィヒの包囲が解除されました。第二次北方戦争はスウェーデンとポーランド・リトアニア連邦などがオリバ条約(Treaty
of Oliva, 1660/5/3)をポーランドのオリバで締結して終わりました。
<ダンツィヒ防衛軍>ポーランド・リトアニア連邦
& オランダ共和国
・エイドリアン・フォン・デア・リンデ (1610-1682) 市長(ダンツィヒの貴族)
(Adrian von der Linde, 1610-1682, Patrician, Lord
Mayor of Danzig)
<スウェーデン軍>
・スウェーデン王カール10世グスタフ
(King of Sweden Karl X Gustav、1622-在位1654-1660/2/13)
<ダンツィヒ包囲戦の海戦>〜第二次北方戦争〜
・蘭艦隊 vs スェーデン:〜(Dutch fleet
& Sweden)
(Order of Battle at the Battle of Siege
of Danzig's Fleet)
蘭スェーデン艦隊 |
主 力 |
総司令官 |
損害 |
オランダ艦隊 |
戦列艦 |
ワイズ提督 |
|
スェーデン |
|
男爵リンデ将軍 |
|
オランダ艦隊総司令官:〜(Dutch Fleet)
・Lワイズ提督
スェーデン総司令官:〜(Sweden)
・スェーデン将軍ローレンス・フォン・デア・リンデ男爵、後,陸軍元帥(Field
Marshal ,1665〜)
(Swedish General Baron Lorens von
der
Linde, 1610-1670, Commander of Swedish
forces)
・ダンツィヒ包囲戦の略年表 |
1655 |
スウェーデン海軍がダンツィヒの港を封鎖し、貿易は停止 |
|
スウェーデン陸軍がヴィスワ川(Vistula River,1047km,Poland)の
非常に重要な水門のダンジガー・ハウプト要塞(Fortress
Danziger Haupt)を占領 |
1656 |
07月、オランダのワイズ提督艦隊がグダニスク湾に来襲、ダンツィヒ港の封鎖を解除 |
|
09/11、エルビング条約(Treaty of Elbing)オランダの介入で包囲が解除 |
1659 |
10/26、ダンジガー・ハウプト要塞近くの小競り合いでポーランドがスウェーデンを破る |
|
12/22、ダンジガー・ハウプト要塞のスウェーデン守備隊が降伏 |
1660 |
05/03、オリバ条約(Treaty of Oliva)が締結されて第二次北方戦争が終わる
ダンツィヒはその間ずっと征服されることなくポーランド・リトアニア共和国への忠誠を保つ。 |
参考HP:〜
・グダニスク湾の地図(Gdanisk Bay)
・ポートランドの地図(Gdanisk)
・ポートランドの地図(Gdanisk、地勢図)
・ヴィスワ川の場所地図(Gdanisk、流域の地図)
・バルチック海の場所地図(Gdanisk)
・17世紀の欧州の地図(ヨーロッパの地図、1648)
Iサウンドの海戦、於:コペンハーゲン防衛戦
(Battle of Sound 1658/10/29) 蘭勝利
戦場:デンマークのシェラン島(Zealand(Sjalland)Island) 付近)
第一次蘭英戦争(1652-1654)が終結すると、北方戦争(Northern
Wars, 1655-1661)が起こり、オランダ対スェーデン戦争(Dutch-Swedish
War 1658-1660)のコペンハーゲンの防衛戦でのサウンドの海戦が勃発しました。コペンハーゲンがスェーデンに攻撃を受けてオランダが救援艦隊を送り込みました。オランダ7州連合艦隊41隻の、先頭を行くワイズ提督Bは旗艦ブレデローデ号(Brederode)に座乗して戦列艦11隻からなる艦隊で、中央を行くワッセナー・オブデン提督Lは戦列艦13隻からなる艦隊で、しんがりを進むピーター・フロリッセン提督Jは戦列艦11隻からなる艦隊との3艦隊が、スェーデン艦隊45隻とバルト海からコペンハーゲン沖で戦い、オランダ艦隊はスウェーデン艦隊の封鎖を突破し、コペンハーゲンに閉じ込 |
コペンハーゲンはシェラン島に有
デンマーク 1995 発行 |
シェラン島 |
|
められたデンマーク艦隊と合流することができました。オランダの被害は2隻が撃沈されましたが、スェーデン艦隊の被害は4隻撃沈となりました。先陣を切っていた前衛指揮官ワイズ提督の旗艦ブレデローデ号がコペンハーゲン沖で座礁して敵艦に囲まれ、ワイズ提督が最初にマスケット銃弾で左の太ももを打たれ、その後に胸にも敵弾を受けるも、切り込んできた敵兵に降伏せず、サーベルで戦い抜いて戦死しました。後衛司令官フロリッセ提督もがジョシュア号に座乗して戦い戦死しました。ワイズ提督の遺体はスウェーデン王カール10世(Charles
X Gustav 、1622-1660)の命で、戦勝記念品としてデンマーク東部のヘルシンゲル(Helsingor)に運ばれました。1659/1月にはコペンハーゲンに移されて市民の尊崇を受け、同年1659/10/7にロッテルダムに賑々しく移送され、聖ローレンス教会(St
Lawrence)に手厚く葬られました。
<サウンドの海戦>〜北方戦争〜
・蘭スェーデン艦隊:〜(Dutch & Sweden fleet)
(Order of Battle at the Battle of
Sound
's Fleet)
蘭スェーデン艦隊 |
主 力 |
総司令官 |
損害 |
オランダ艦隊 |
戦列艦41隻 |
オブデン提督 |
1隻沈没 |
スェーデン艦隊 |
戦列艦45隻 |
ビエルケンシュテルナ提督 |
1隻破壊,4隻捕獲 |
オランダ艦隊総司令官:〜(Dutch Fleet)
・Lオブデン提督
スェーデン艦隊総司令官:〜(Sweden Fleet)
・クラス・ハンソン・ビエルケンシュテルナ提督
▼オランダ・デンマーク艦隊:〜(Dutch &
Danish Fleet)
蘭デンマーク艦隊 |
主 力 |
司令官 |
|
損害 |
・オランダ艦隊 |
戦列艦41隻 |
|
|
2隻撃沈説有 |
・前衛艦隊 |
戦列艦11隻 |
ワイズ提督 |
戦死 |
|
・中央艦隊 |
戦列艦13隻 |
オブデン提督 |
|
|
・後衛艦隊 |
戦列艦11隻 |
フロリッセン提督 |
戦死 |
|
・他 |
戦列艦 6隻 |
|
|
|
・デンマーク艦隊 |
戦列艦 7隻 |
ビエルケ提督 |
|
|
オランダ艦隊司令官:〜(Dutch Fleet)
・Bワイズ提督、ブレデローデ号(59gn)
・ヤコブ・ファン・ワッセナー・オブデン提督、エンドラハト号(72gn)
(Lieutenant Admiral Jacob van Wassenaer
Obdam, 1610-1665/6/13)
・Jフロリッセン提督、ジョシュア号(50gn)
デンマーク艦隊司令官:〜(Danish Fleet)
・ビエルケ提督(Bjelke)、トレフォルディグド号(66gn)
オランダ・デンマーク艦隊の編成:〜(Dutch
& Danish Fleet)
オランダ艦隊総司令官オブデン提督(Dutch Republic
Cheef Commander Obdam's Fleet) |
前衛艦隊(Van Squadron) |
ワイズ中将 |
砲 |
(Vice Admiral Witte de With) |
・ブレデローデ号 |
Brederode |
59 |
旗艦ワイズ提督、ヴィスマール号に捕獲され沈没 |
・ランドマン号 |
Landman |
40 |
|
・ジーリダー号 |
Zeeridder |
22 |
|
・プリンセス・ルイーズ号 |
Princesse Louise |
32 |
|
・コッゲ号 |
Cogge |
40 |
|
・ウィントホント号 |
Windhont |
23 |
|
・プリンス・ウィレム号 |
Prins Willem |
28 |
|
・ワーペンファンメーデンブリック号 |
Wapen van Medemblick |
36 |
|
・フローニンゲン号 |
Groningen |
36 |
|
・など |
|
|
|
中央艦隊(Center Squadron) |
オブダム中将 |
砲 |
(Lt. Admiral Jacob van Wassenaer Obdam) |
・エンドラハト号 |
Eendracht |
72 |
旗艦オブダム(Obdam) 72 |
・ロッテルダム号 |
Rotterdam |
52 |
|
・ゾン号 |
Zon |
40 |
|
・ワーペン・ファン・ロッテルダム号 |
Wapen van Rotterdam |
40 |
|
・ワーペン・ファン・ドルドレヒト号 |
Wapen van Dordrecht |
40 |
|
・ハーフ・メン号 |
Halve Maen |
40 |
|
・ダイフェンフォールデ号 |
Duyvenvoorde |
40 |
|
・スタボレン号 |
Stavoren |
40 |
|
・デュテコム号 |
Deutecom |
24 |
|
・ワーグ号 |
Waegh |
40 |
|
・グーデン・レーウ号 |
Gouden Leeuw |
38 |
|
・ホルン号 |
Hoorn |
28 |
|
・プリンセス・アルベルティーナ号 |
Princes Albertina |
36 |
|
・など |
|
|
|
後衛艦隊(Rear Squadron) |
フロリッセン中将 |
砲 |
(Vice Admiral Pieter Floriszoon) |
・ジョズア号 |
Jozua |
50 |
旗艦(Vice Admiral Pieter Floriszoon 戦死) |
・ブレダ号 |
Breda |
28 |
捕獲されたが放棄され、再び捕獲された |
・ジュピター号 |
Jupiter |
32 |
|
・アルクマール号 |
Alkmaar |
36 |
|
・ウェストフリースラント号 |
Westfriesland |
28 |
|
・ワーペン・ファン・ホランド号 |
Wapen van Holland |
38 |
|
・エエンドラハト号 |
Eendracht |
38 |
|
・カレブ号 |
Caleb |
40 |
|
・ジョンゲ・プリンス号 |
Jonge Prins |
30 |
|
・ワペン・ファン・モニッケンダム号 |
Wapen van Monnickendam |
26 |
|
・ジュディス号 |
Judith |
24 |
フリース艦長 |
・フェルグルデン・ハエン号 |
Vergulden Haen |
16 |
|
・リーフデ号 |
Liefde |
24 |
|
・メデア号 |
Medea |
24 |
|
・ペレル号 |
Perel |
23 |
|
・フルーツブーム号 |
Fruytboom |
23 |
|
・など |
|
|
|
デンマーク艦隊(Denmark) |
ビエルケ大将 |
砲 |
(Bjelke) |
・トレフォルディグド号 |
Trefoldighed |
66 |
旗艦ビエルケ提督 |
・トレラバー号 |
Tre Lover |
60 |
|
・ノースケ ラブ号 |
Norske Love |
48 |
|
・ハンニバル号 |
Hannibal |
44 |
|
・グラアウルブ号 |
Graa Ulv |
36 |
|
・ヨハネス号 |
Johannes |
20 |
|
・ホーエンハルト号 |
Hojenhald |
8 |
|
・など |
|
|
|
▼スェーデン艦隊:〜(Dutch & Sweden
fleet)
(Order of Battle at the Battle of Sound
's Fleet)
・艦隊 |
主 力 |
司令官 |
損害 |
スェーデン艦隊 |
戦列艦45隻 |
|
4隻撃沈説有 |
・第1衛艦隊 |
11隻 |
ショージェルム提督 |
|
・第2衛艦隊 |
11隻 |
C.G.ヴランゲル提督 |
2隻捕獲 |
・第3衛艦隊 |
12隻 |
ビェルケンシュテルナ提督 |
3隻捕獲 |
・第4衛艦隊 |
11隻 |
G.ヴランゲル提督 |
1隻捕獲 |
スェーデン艦隊司令官:〜(Sweden Fleet)
・クラス・ハンソン・ビエルケンシュテルナ提督、ドレイク号(66gn)
(Admiral Klas Hansson Bjelkenstjerna,
1615-1662/7/30)
・カール・グスタフ・ヴランゲル提督、ビクトリア号(74gn)
(Admiral Carl Gustaf Wrangel, 1613-1676/7/5)
・ショージェルム提督(Admiral Sjohjelm)、セザール号(54gn)
・カール・ヴランゲル提督(Admiral G. Wrangel)、ヘラクレス号(58gn)
スェーデン艦隊の編成:〜(Sweden Fleet)
第1艦隊(1st Squadron) |
ショージェルム大将 |
砲 |
(Admiral Sjohjelm) |
・セザール号 |
Cesar |
54 |
旗艦ショージェルム提督 |
・アマラント号 |
Amarant |
46 |
|
・アポロ号 |
Apollo |
46 |
|
・ヴィスマール号 |
Wismar |
44 |
|
・ベスタービク号 |
Vestervik |
40 |
|
・フィデス号 |
Fides |
36 |
|
・ヒョルト号 |
Hjort |
36 |
|
・セーデルマンランド号 |
Sodermanland |
38 |
|
・スヴァン号 |
Svan |
38 |
|
・エステルイェートラント号 |
Ostergotland |
36 |
|
・ハーフ号 |
Halfmane |
28 |
|
|
|
|
|
第2艦隊(2nd Squadron) |
C.G.ヴランゲル大将 |
砲 |
(Admiral Carl Gustaf Wrangel) |
・ビクトリア号 |
Victoria |
74 |
旗艦ヴランゲル提督 |
・メーン号 |
Mane |
46 |
|
・メルクリウス号 |
Merkurius |
46 |
|
・マーズ号 |
Mars |
44 |
|
・スヴァルド号 |
Svard |
44 |
|
・ペリカン号 |
Pelican |
40 |
ワーペン・ファン・ロッテルダム号が捕獲 |
・オーン号 |
Orn |
38 |
|
・サムソン号 |
Samson |
32 |
|
・モルゴンシュテルナ号 |
Morgonstjerna |
48 |
エンドラハト号が捕獲 |
・ヨーテボリグフォーク号 |
Goteborgsfalk |
24 |
|
・クローナ号 |
Krona |
68 |
|
|
|
|
|
第3艦隊(3rd Squadron) |
ビェルケンシュテルナ大将 |
砲 |
(Admiral Bjelkenstjerna) |
・ドレイク号 |
Drake |
66 |
旗艦ビェルケンシュテルナ提督 |
・カロラス号 |
Carolus |
54 |
|
・フォーク号 |
Falk |
40 |
|
・ノルドシュテルナ号 |
Nordstjerna |
40 |
|
・デルメンホルスト号 |
Delmenhorst |
36 |
ホランディア号とヴァペン・ファン・メーデンブリク号が捕獲 |
・レオパルド号 |
Leopard |
36 |
ブレデローデ号に損傷後、炎上 |
・ラファエル号 |
Rafael |
36 |
|
・サムソン号 |
Samson |
36 |
|
・ジャガー号 |
Jagare |
26 |
|
・コヌン・デイビッド号 |
Konung David |
42 |
|
・セント・ヨハネス号 |
St Johannes |
36 |
|
・カルマルカステル号 |
Kalmarkastell |
32 |
|
・など |
|
|
|
第4艦隊(4th Squadron) |
G.ヴランゲル大将 |
砲 |
(Admiral G. Wrangel) |
・ヘラクレス号 |
Hercules |
58 |
旗艦ヴランゲル提督 |
・マリア号 |
Maria |
46 |
|
・スマランド号 |
Smaland |
46 |
|
・スヴェンスカ・レホン号 |
Svenska Lejon |
40 |
|
・スヴァン号 |
Svan |
36 |
|
・フェニックス号 |
Fenix |
30 |
|
・フォルトゥナ号 |
Fortuna |
30 |
|
・サルバトール号 |
Salvator |
30 |
|
・ホク号 |
Hok |
28 |
|
・ローズ号 |
Rose |
40 |
ランドマン号が捕獲 |
・アンゲルマンランド号 |
Angermanland |
20 |
|
・など。 |
|
|
|
参考HP:〜
・シェラン島の場所地図(デンマーク:Sjalland)
参考HP:〜
・テクセル島の場所地図
・オランダの地図(1672)
・オランダ最大版図の地図(19世紀)
・オランダの地図(現在、水面下を示す図)
・ジャワ島の場所地図(インドネシアの地図)
・ジャワ島の地図(地勢図)
・ジャワ島バンタムの場所地図(Bantem, Jakarta有)
・オランダ領ブラジルの場所地図(Dutch Brazil, 1630-1654)
こちらで
・蘭英戦争(1652-1674)
・第1次蘭英戦争(1652-1654)
・第2次蘭英戦争(1665-1667)
・第3次蘭英戦争(1672-1674)
・第4次蘭英戦争(1780-1784)
をお楽しみください。
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和5年 2023/8/20
|