United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る 冒険大航海 (Adventure Voyage)
キーリング船長
1609
 キーリング(ココス)諸島を発見


大航海物語
 イギリス編

COCOS (KEELING) ISLANDS
キーリング船長
ヘクター号 1609

キーリング船長の航海地図、1666
キーリング船長とアストロラーヴ
1609 ココス島発見375年記念 1984
ココス諸島 1984/10/10 発行
COCOS (KEELING) ISLANDS
キーリング諸島(ココス諸島)の場所地図
キーリング諸島→


ココス島1980/12/18発行




←シドニー
オ|ストラリア

キーリング(ココス)諸島の地図
ホースバーグ島→

ディレクション島→

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サウス島→

ココス島 1989 発行






クリスマス島の西が
←ココス島(
赤字の所)

オーストラリア

キーリング船長はイギリス東インド会社の帆船に乗組んで、東インドへの航海に従事し、当時イギリスの寄港地だったジャワのバンタン島で東洋の産物を船積みして、イギリスに帰港していました。1609年の航海で、インド洋に浮かぶサンゴ礁の環礁島、ココス諸島を発見しました。
ウィリアム・キーリング船長
 Captain William Keeling, 1577〜1619/9/19 (1578〜1620/10/4説有)
イングランド生まれのキーリング船長はイギリス東インド会社(East India Company)の帆船に乗組んでいました。

キーリング船長の大航海。
・1601(24才)- 1603年:東インドへの航海、ジャワ島バンタン、マリス号
・1604(27才)- 1606年:東インドへの航海、ジャワ島バンタン、スザンナ号
・1607(30才)- 1609年:東インドへの航海、ジャワ島バンタン、ヘクター号
・1609年:ヘクター号でキーリング諸島を発見
・1615年(38才):ジャワ島から、インドのカリカットへ航海
・1618年(41才)- 1620年:東インドへの航海、ジャワ島バンタン、カウワーズ・キャッスル号

イギリス東インド会社(British East India Company, 1600-1874)は、
1600/12/31に最初の東インド遠征を計画し、6隻の船団を編成しました。
・旗艦マリス号(Scourge of Malice:悪意の鞭、38 guns、600-900t)
・ヘクター号(Hector 300t)
・アセンション号(Ascension 260t)
・スザンナ号(Susanna 240t)
・ギフト号(Gift)
・小型のヴィクチャラー号(Victualler)
キーリング船長は、1601/2/13に東洋の産物を求めるイギリス最初の東インド遠征船団(1601-1603)に乗組みイギリスを出帆し、1603年にイギリスに帰港しました。マリス号は平和裏に東洋の産物を持ち帰ることが出来て、レッド・ドラゴン号(Red Dragon)と改名されました。

1604年に第2回目の東インドへの航海で、スザンナ号(Susanna)の船長となり、インドネシアのジャワ島西部にある現在のバンテン州(Provinsi Banten)のバンタン(Bantam、当時は島)に航海後、姉妹船ヘクター号の船長が亡くなったので、キーリング船長が乗り組み指揮をとりました。ヘクター号とスザンナ号に胡椒(pepper)などを満載しての帰路は、病気と嵐でそれは困難な航海となり、喜望峰に到着した時にはスザンナ号の消息は不明となり、キーリング船長のヘクター号は乗組員が僅か14人になっていました。先着のデイヴィッド・ミドルトン船長(Captain David Middleton, 1615マダガスカル海岸没)のコンセント号(Consent)に救助され、1606/5月イギリスに帰港しました。

1607年に第3回目(1607/10-1608)の東インドへの航海で、ヘクター号に船長として乗り組み、デイヴィッド・ミドルトン船長がコンセント号(Consent)に乗組み、レッド・ドラゴン号と共に東インドへの航海に赴きました。イギリスを出帆した東インド会社のレッド・ドラゴン号、コンセント号、ヘクター号の3隻の船団が香料を求めてインド洋を東へと航海し、9ヵ月後にバンタン島に到着、そこからポルトガルオランダの監視を掻い潜って、香料諸島に航海して、スパイスクロ−ヴ(cloves)とナツメグ(nutmegs)を船積みしました。香料諸島からの帰途、イギリスへの航海中の1609年にキーリング船団3隻の最後尾船ヘクター号(Hector)が、27の島々がネックレスのように丸く連なっているサンゴ環礁島の現:ココス諸島(Cocos Islands)を発見して、キーリング諸島と命名しました。ところが、それは長らく誤報だとされていましたが、近年の研究で真実だと判明しました。
1609/4/8頃にキーリング船長はモルッカ諸島バンダ・ネイラ島(Banda Neira Island)でオランダのフェルヘフ提督(1609/5/22没)暗殺にかかわったとされていて、それまで友好的だったオランダとの関係が悪くなったので、事件後ヘクター号で、17世紀のナツメグとメイス(Mace:ナツメグの仮種皮)の貿易にとって重要だったモルッカ諸島ラン島(Run Island)へ脱出したと伝わっています。 モルッカ諸島

インドネシア 1967 発行
1610年(33才)にアン・ブルームフィールド(Ann Broomefield)と結婚。
1615年にキーリング船長が率いる船団がジャワ島から、インドのカリカットに到着。
1618年の東インドへの航海でカウワーズ・キャッスル号(Cowes Castle)に船長として乗り組み
帰港まじかの1620/10/1に発病、3日後英国ワイト島(Isle of Wight)にて42才で亡くなり
聖メアリー教会(St Mary's Church, Carisbrooke Isle of Wight)に葬られました。
アン未亡人は1年後に再婚したと伝えられています。

なお、1607〜1608年の航海の模様がシェークスピア(Shakespeare)作品のハムレット(Hamlet)と、リチャード2世(Richard II)のモデルになったという説があります。

・ヘクター号の装備:〜
  Hector
、 1609:イギリス東インド会社の帆船
船 型 エリザベス・ガレオン船型(推定) キーリング船長、ヘクター号 1609

ココス(キーリング)諸島 1990/8/24 発行
帆 柱 3本
全 長 約30m
全 幅 約8m
重 量 300屯
乗組員 約120人
武 装 砲:約28門
(約=推定)

参考HP:〜
ココス諸島観光局公式HP
ココス諸島の地図
ココス諸島の島の地図
スペイン宝物船団の航路地図(白線:西回り:マニラガレオン航路、青線:東回り)
パンダ諸島の地図(Panda Islands)

こちらで
蘭英戦争(1652-1674)
第1次蘭英戦争(1652-1654)
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・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   平成22年 2010/12/12、令和5年 2023/9/18

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