切手で綴る 太平洋戦争 物語
第2部 <帝国の侵攻>
第7章 オランダ領 東インド攻略
35-2 ジャワ海の制海権を巡る海戦
<ジャワ・スマトラ島攻略>
開戦初期の海戦(於:蘭印攻略戦)

ジャワ海々戦 (第2次
Battle of Java Sea・Feb 25-28, 1942(帝国呼称:スラバヤ沖海戦)


エラプラタ河沖の海戦で勝利した英エクゼター号も被弾(Exeter is hit, Feb 26)
タンザニヤ 1992/4/27 発行 小型シート地より

▼開戦初期の海戦(1941/12/10〜1942/6/5)
  米国(ABDA(米・英・蘭・濠)連合)海軍と帝国海軍との間に
  ジャワ海の制海権を巡る海戦が勃発(狭義※7回、4回説有)
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(01)1941/12/10〜帝国の勝利:マレー沖海戦(プリンス・オフ・ウェールズ号海戦)
(02)1942/01/24〜米国の勝利:バリクパパン沖海戦(※)
(03)1942/01/27〜帝国の勝利:エンドウ沖海戦(※)
(04)1942/02/01〜米国の勝利:マーシャル・ギルバート諸島空襲
(05)1942/02/04〜帝国の勝利:ジャワ沖海戦(マカッサル海峡海戦)(※)
(06)1942/02/15〜帝国の勝利:ガスパル海峡海戦(空襲)(※)
(07)1942/02/20〜帝国の勝利:バリ島沖海戦(バドゥン海峡海戦)
(08)1942/02/20〜米国の勝利:ニューギニア沖海戦(ブーゲンビル島沖の海戦)
(09)1942/02/27〜帝国の勝利:チラチャップ沖海戦(空母ラングレー号海戦)
(10)1942/02/27〜帝国の勝利:スラバヤ沖海戦(ジャワ海々戦)(※)
(11)1942/03/01〜帝国の勝利:バタビヤ沖海戦(スンダ海峡海戦)(※)
(12)1942/03/01〜帝国の勝利:第2次スラバヤ沖海戦(第2次ジャワ海々戦)
(13)1942/03/02〜帝国の勝利:第2次バリ島沖の海戦(ピルスバリー号海戦)
(14)1942/03/10〜米国の勝利:ラエ・サラモア空襲
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(--)1942/04/05〜セイロン沖海戦
(--)1942/06/05〜ミッドウエー海戦

こちらで
・(01)マレー沖海戦
・(02)バリクパパン沖海戦
をお楽しみください。

(3)エンドウ沖海戦、1942/1/27
  (Battle off Endau)、帝国の勝利
   場所:マレー半島南部エンドウ沖
       (off Endau, British Malaya)
エンドウ沖海戦はマレー半島南部エンドウ沖で勃発した海戦。帝国軍輸送船団撃破を狙う連合国軍駆逐艦2隻を、帝国海軍の第三水雷戦隊が撃退しました。

マレー半島での上陸作戦が順調に進みつつある1942年(昭和17
帝国の駆逐艦 白雪

マーシャル諸島 1992 発行
年)1月中旬、帝国軍はシンガポール方面航空作戦に備えて、陸軍第3飛行集団の蘭印攻略作戦実施に必要な航空資材を、マレー半島南部東海岸にあるエンドウに輸送する必要が生じ、南建艦隊司令長官(小沢治三郎中将:旗艦 鳥海)は第一護衛部隊(第三水雷戦隊基幹、司令官橋本信太郎少将:旗艦 軽巡洋艦 川内)に輸送船団の護衛を下令。航空資材を搭載する輸送船は、陸軍徴用船かんべら丸と、関西丸の2隻に、駆逐艦4隻(朝霧、夕霧、天霧、吹雪)が護衛、さらに軽巡 川内などが航行中に合流しました。

・両軍の編成と損害表:〜
エンドウ沖 編 成 損 害
区分 帝国 連合軍 帝国 連合軍
軽巡洋艦 1 --- --- ---
駆逐艦 6 2 --- 沈没1 サネット号
※英駆逐艦1隻沈没、豪駆逐艦1隻小破
※白雪で負傷者1、サネット号沈没で救助31人。

船団は1/26,10:45頃マレー半島南部エンドウ沖の第一泊地に投錨し、カハン飛行場 (Kahang Airfield)とクルアン飛行場 (Kluang Airfield)への航空資材の揚陸を開始。午前9時からは陸軍第12飛行団第一戦隊の九七式戦闘機が上空警戒を担当した。第一護衛隊の艦艇は、軽巡 川内、第20駆逐隊(朝霧、夕霧、天霧)、第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)、第一掃海隊(掃海艇1号〜第5号)、特設掃海艇2隻、駆潜艇3隻、特設監視艇5隻などで、揚陸作業が終了するまで直衛警戒にあたりました。

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍の編成:〜
・第一護衛艦隊
 ・第三水雷戦隊
  司令官 橋本信太郎少将
  ・旗艦 軽巡洋艦 川内
  ・駆逐艦 朝霧・夕霧・天霧・吹雪
 ・第11駆逐隊、駆逐艦 初雪・白雪
・輸送船団、陸軍徴用輸送船〜2隻
 ・かんべら丸
  (7,400t, 大阪商船, 1942/11/14ガダルカナル島ショートランド泊地に米機の攻撃で沈没)
 ・関西丸
  (8,360t, 大阪商船, 1943/9/18米潜スキャンプ(USS Scamp, 1,525t, 60人, 1944/11/11第4号
   海防艦(1945/7/28鳥羽に米機攻撃で沈没)の爆雷で八丈島北方にて沈没)雷撃で沈没)

○連合国海軍の編成:〜
 ・駆逐艦〜2隻
  ・オーストラリア駆逐艦
   ・ヴァンパイア号〜逃走
  ・イギリス駆逐艦
   ・サネット号〜沈没
    (HMS Thanet H29, 1,075t, 90人)

帝国軍船団は、エンドウに到着する前に英軍に発見されており、英軍はシンガポールから延べ68機の航空機(豪空軍(Royal Australian Air Force、RAAF)の複葉爆撃機ヴィッカーズ(Vickers Vildebeest)第1、8戦隊(No.1, 8 Squadron RAAF)などを米ブルースターF2Aバッファロー(Brewster F2A)戦闘機12機、英ホーカーハリケーン(Hawker Hurricane)戦闘機9機で護衛)を送り込み、空襲を実施。帝国陸軍戦闘機の援護や各艦の回避行動で、被害は最小限(輸送船2隻小破、死傷者10数人)。帝国航空隊から英巡洋艦2隻出撃との通報で、第三水雷戦隊旗艦軽巡 川内、駆逐艦 英ホーカーハリケーン戦闘機

グレナダ  発行
(朝霧、吹雪、初雪、天霧)は対水上艦戦闘に備え警戒態勢をとりました。

1/26,16:30英東洋艦隊の残存艦(マレー沖海戦)で旧式艦の4本煙突オーストラリア海軍駆逐艦ヴァンパイア号とイギリス海軍駆逐艦サネット号(HMS Thanet H29, 1,075t, 90人)がバリクパパン沖海戦の再現を狙って、各艦の残魚雷は3本だけでシンガポールを出撃。
1942年(昭和17年)
1/20 輸送船団11隻と駆逐艦4隻がベトナムのカムラン湾を出激
1/22 シンゴラに到着
1/25
07:45 英軍シンガポールの偵察機が帝国の船団を発見、通報
09:20 英軍シンガポールの第1派航空攻撃隊が帝国船団を空襲
16:15 英軍シンガポールの第2派航空攻撃隊が帝国船団を空襲
1/26
09:00 陸軍第12飛行団第一戦隊の九七式戦闘機が上空を警戒
10:45 頃、かんべら丸と関西丸がエンドウ沖の第一泊地に投錨、揚陸を開始
第一護衛艦隊の第20駆逐隊、第11駆逐隊、第一掃海隊、特設掃海艇2隻、駆潜艇3隻、特設監視艇5隻などで揚陸作業が終了するまで直衛警戒
16:30 英東洋艦隊の駆逐艦2隻がシンガポールを出撃
1/27
03:18 月(月令10)は沈んで闇夜
04:10 掃海艇4号が泊地に突入する連合軍駆逐艦2隻を発見
04:35 吹雪が敵発見を全軍に報告
バンパイア号が川内に魚雷1本を発射するも命中せず、白雪の艦底を通過。白雪が連合軍駆逐艦2隻を探照灯照射砲撃してバンパイア号を撃退。英駆逐艦2隻は南へ避退、バンパイア号は煙幕を展開。白雪、夕霧、掃海艇1号、川内、朝霧、吹雪、初雪、天霧が煙幕外のサネット号を砲撃・撃沈。第20駆逐隊は南方へ逃走するバンパイア号を追撃するも、機雷で追撃を中止
05:35 白雪が沈没中のサネット号を照射すると、初雪と天霧が射撃を再開、
白雪が危険で橋本司令官は射撃中止を命令
05:50 サネット号が完全に沈没
1/28 輸送船団は揚陸作業を終え帰投
参考HP〜
エンドウの場所地図(日本語、エンダウロンピン(Endau)沖)









米:空母エンタープライズ号

ガイアナ 1993 発行
(4)マーシャル・ギルバート諸島空襲〜1942/2/1
  (Marshalls-Gilberts raids)、アメリカ軍の勝利
マーシャルギルバート諸島攻撃は太平洋戦争でのアメリカ海軍最初の反撃作戦でした。それは帝国の真珠湾攻撃で難を逃れた空母の内2隻を中心とする空母機動部隊が、マーシャル諸島クェゼリン環礁・ウォッジェ環礁・ジャルート環礁・ミリ環礁を空襲、マロエラップ環礁は艦隊が艦砲射撃で攻撃。そしてギルバート諸島マキン環礁も空襲しました。

▽両軍の兵力:〜
帝国軍
・巡洋艦〜1隻
・潜水艦〜9隻
・補助艦艇〜多数
・航空機〜約60機
※数字には諸説有
連合軍
・空  母〜2隻
・巡洋艦〜5隻
・駆逐艦〜12隻
・給油艦〜2隻
・航空機〜約150機

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍基地航空隊の編成:〜
・第四艦隊(南洋部隊)
 司令長官 井上成美中将
 ・第6根拠地隊(マーシャル方面防備部隊)司令官 八代祐吉少将(1942/2/1戦死)
  ・第6防備隊
   ・第6通信隊
   ・第51警備隊(ヤルート
   ・第52警備隊(タロア
   ・第53警備隊(ウォッゼ
  ・敷設艦 常磐
  ・特設砲艦〜6隻
  ・特設駆潜艇〜12隻
  ・特設掃海艇〜4隻
  ・支援艦船(小艦艇)〜多数
  ・第26潜水隊〜呂61、呂62
  ・第19航空隊〜水上偵察機12〜16機(クェゼリン・ヤルート)、輸送機1機
 ・第24航空戦隊 司令官 後藤英次少
  ・千歳海軍航空隊〜戦闘機24機(タロア15機・ルオット9機)、陸攻9機(タロア)
  ・横浜海軍航空隊〜飛行艇9機(ヤルート6機・マキン3機)
・第六艦隊(先遣部隊)
 司令長官:清水光美中将
 ・巡洋艦 香取(旗艦、5,890t, 505+候補生275=780人、練習巡洋艦
 ・第1潜水戦隊〜伊9、伊15、伊17、伊19、伊23、伊25、伊26
 ・支援艦
   ・潜水母艦 靖国丸、平安丸
   ・給油船 東亜丸、新玉丸、第2天洋丸。

○アメリカ海軍の編成:〜
・第8任務部隊(Task Force 8)
  司令官 ウィリアム・ハルゼー中将
   (Vice Admiral William Frederick Halsey, Jr. 1882-1959)
 ・空母エンタープライズ号(旗艦)
 ・支援隊
   ・駆逐艦〜3隻
 ・砲撃隊
  ・重巡洋艦
   ・ノーザンプトン号
ハルゼー提督、エンタプライズ号

ソロモン諸島 1992 発行
   (USS Northampton CA-26, 9,050t, 625人, 1942/11/30ルンガ沖夜戦で沈没)
   ・ソルトレイクシティ号(USS Salt Lake City CA-25, 10,826t, 612人,1947退役)
   ・チェスター号(USS Chester CA-27, 9,300t. 612人, 1946退役)
  ・駆逐艦〜3隻
 ・補給隊
   ・給油艦〜1隻、駆逐艦〜1隻。

第17任務部隊(Task Force 17)
  司令官 フランク・J・フレッチャー少将
   (Rear Admiral Frank Jack Fletcher)
 旗艦 空母ヨークタウン号(旗艦)
 ・重巡洋艦
  ・ルイススビル号
 ・軽巡洋艦
  ・セントルイス号(USS St.Louis CL-49, 10,000t, 868人,1946退役)
 ・支援隊
フレッチャー提督、ヨークタウン号

ソロモン諸島 1992 発行
  ・駆逐艦〜4隻
 ・補給隊
  ・給油艦〜1隻、駆逐艦〜1隻。

・第8任務部隊の攻撃
2/1午前4時頃、第8任務部隊第一次攻撃隊はラリック列島のクェゼリン環礁(Kwajalein Atoll=クェゼリン島:Kwajalein Island、エビジェ島:Ebeye Island)への攻撃を開始。飛行場のあるロイ・ナムル島(Roi-Namur:ロイ島とルオット島:現ナムル島)上空で米艦爆隊と迎撃に上がってきた帝国戦闘機10機との間で空中戦、米側2機が撃墜され、対空砲火等で2機が未帰還。クェゼリン本島の第6根拠地隊司令部は空襲で爆弾の直撃を受け、八代少将ら多数が戦死するも、艦艇には被害無。午前4時半にエンタープライズ号が第二次攻撃隊
クエゼリン環礁島

パラオ 1994 発行
の雷撃機9機をクェゼリン環礁に発艦するも、艦艇には被害無。午前3時過ぎにタロア島へ、爆装戦闘機6機の第一次攻撃隊が母艦を発艦するも1機が発艦事故で喪失。タロア飛行場で爆撃するも、帝国迎撃機11機と空戦、帝国機1機損失。午前6時に第二次攻撃隊(偵察爆撃機9機)、午前7時過ぎには第三次攻撃隊(偵察爆撃機9機)が、タロア飛行場へと発艦。各攻撃隊は飛行場施設や駐機中の軍用機を爆撃し、格納庫2棟と燃料タンク2基炎上など地上施設が大破、地上撃破9機の戦果をあげました。

(砲撃艦隊の攻撃)
ラタック列島のマロエラップ環礁タロア島へ重巡チェスター号と駆逐艦2隻の砲撃艦隊(司令官:チェスター号のショック大佐:Captain Thomas Macy Shock)が艦砲射撃。チェスター号は観測用水上機4機を発進させて砲撃を行うも、帝国機と沿岸砲が反撃。タロア基地の帝国航空隊は、陸攻8機と戦闘機13機を爆装で反撃、爆弾1発をチェスター号に命中させ、甲板貫通、8人戦死・11人重傷・23人軽傷の損害を与えました。

タロア島の陸攻隊7機が水平爆撃でエンタープライズ号を狙うも、至近弾で軽微な損害。ほか指揮官機は反転して体当りを試みるも、飛行甲板をかすめて、駐機していた飛行機を破損させつつ反対舷の海面に落下。エンタープライズ号の防空戦闘機は陸攻1機と、別に飛来した水上機1機を撃墜。

・ウォッジェ環礁の空襲と艦砲射撃
ウォッジェ環礁へは、午前3時過ぎに爆装戦闘機6機の第一次攻撃隊が出撃し、反復攻撃後に全機帰還。8時過ぎに第二次攻撃隊の爆装艦攻9機と艦爆8機が発艦し、残存する飛行場施設や艦船を爆撃。碇泊中の特設運送船 ぼるどう丸が沈没、格納庫1棟や燃料タンク2基が全焼、格納庫2棟が半壊。ウォッジェに帝国機は無く、迎撃も無。

(砲撃艦隊の攻撃)
ウォッジェ環礁へ、重巡ノーザンプトン号とソルトレイクシティ号、駆逐艦1隻の砲撃艦隊(司令官:ノーザンプトン号のレイモンド・スプルーアンス少将:Rear Admiral Raymond Ames Spruance 1886-1969)が艦砲射撃を実施。スプルーアンス隊は観測用水上機を発進させ、午前5時からまず艦船、次いで陸上拠点を砲撃。帝国側は哨戒中の特設駆潜艇 第10昭南丸が敵艦隊を発見・通報。大田増右衛門大佐の指揮で劣勢な在泊艦艇全艦を繰り出して応戦するも、特設砲艦 豊津丸が大破・擱座、特設駆潜艇 鹿島丸と第10昭南丸が撃沈され、第11昭南丸が中破してほとんど壊滅。沿岸砲が反撃するも、至近弾でソルトレイクシティ号は射程外に逃れ、スプルーアンス隊に損害は無し。観測機は午前6時頃の攻撃打ち切りで爆撃後に撤退、内1機は処分(乗員は収容)。

・第17任務部隊の攻撃
第17任務部隊の空母ヨークタウン号からは、2/21午前2〜3時に、マーシャル諸島のジャルート環礁に対して爆装艦攻11機と艦爆17機、ミリ環礁に対して艦爆5機、ギルバート諸島マキン環礁に対して艦爆9機の第一次攻撃隊が出撃。

ジャルート環礁への攻撃隊は、午前4時過ぎ、雷雨と強風の中で攻撃を開始。艦攻は水平爆撃で碇泊中の艦船を狙い、艦爆は艦船・地上施設・駐機中の水上機などに爆撃と機銃掃射。帝国軍はジャルートに戦闘機を置いておらず迎撃できなかったが、損害は特設運送船 関東丸が小破のみでした。7時半過ぎに攻撃隊は帰路に就くも、悪天候で6機を喪失。

マキン環礁でも午前4時頃に爆撃が始まり、碇泊中の特設砲艦 長田丸が中破。機銃掃射で飛行艇2機が破壊。アメリカ軍は1機が着艦ミスで着水。ミリ環礁への攻撃隊は、軍事施設を発見できず(飛行場未完成)、代わりに倉庫やタンクを爆撃して帰還。

米駆逐艦1隻が帝国飛行艇から爆撃を受けるも、損害は無。空母ヨークタウン号上空にも飛行艇が飛来し、警戒中の戦闘機が撃墜。ルイビル号が対潜哨戒に出した水上機1機が行方不明。

▼両軍の損害
帝国
・沈没
 ・特設艦〜2隻
 ・輸送船〜1隻
・損傷
 ・巡洋艦〜1隻
 ・敷設艦〜1隻
 ・特設艦〜3隻
 ・潜水母艦1隻
 ・輸送船〜2隻
・喪失
 ・航空機〜18機
連合軍
・損傷
 ・巡洋艦〜1隻
・喪失
 ・航空機〜14機







※数字には諸説有
帝国軍の損害:〜
・沈没〜特設運送船 ぼるどう丸・特設駆潜艇 鹿島丸・特設駆潜艇 第10昭南丸
・大破〜特設砲艦 豊津丸、擱座
・中破〜特設駆潜艇 第11昭南丸・特設砲艦 長田丸
・小破〜特設運送船 関東丸
・他。

米軍の損害:〜
・チェスター号が損傷・小破

米の両任務部隊は攻撃を1日で終え、それぞれハワイへの帰路に就きました。

帝国は、第6艦隊と第6根拠地隊の潜水艦9隻を出撃させて追撃するも、敵艦隊の発見は無し。トラック島からは空母 赤城・加賀・瑞鶴を基幹の南雲機動部隊主力や、24航戦主力を緊急派遣するも、敵捕捉は無。なお、現地の防備指揮官 八代少将の戦死で、司令部の混乱がありました。

参考HP〜
マーシャル・ギルバート諸島の場所地図(日本語)     2015/12/15









(5)ジャワ沖海戦〜1942/2/4 (空襲)
  (Battle off Java Island)、帝国の勝利
    別名(米軍呼称):マカッサル海峡海戦
        (Battle of Makassar Strait)
1942/2/4帝国軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合軍艦隊を発見。それはドールマン少将指揮のABDA連合軍艦隊で、帝国軍のセレベス島マカッサル上陸船団攻撃に出撃したものでした。この艦隊に対し、 帝国海軍第11航空艦隊がセレベス島ケンダリー基地航空部隊の陸上攻撃機60機で攻撃しました。
一式陸上攻撃機(G4M1)

グレナダグレナディーン 1995 発行

▽両軍の兵力:〜
帝国軍
・一式陸攻〜36機
・中   攻〜24機

※数字には諸説有
連合軍
・重  巡〜2隻
・軽  巡〜2隻
・駆逐艦〜7隻

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍基地航空隊の編成:〜
第11航空艦隊、司令長官 塚原二四三中将(1887-1966)
ケンダリー基地航空隊
一式陸攻〜36機
九六陸攻〜24機、計60機

○連合国海軍の編成:〜
・連合軍艦隊、蘭印海軍ドールマン少将指揮〜11隻
 ・巡洋艦〜4隻
  ・蘭軽巡デ・ロイテル(HNLMS De Ruyter)〜少将ドールマン座乗の旗艦
  ・蘭軽巡トロンプ(HNLMS Tromp)
  ・米重巡ヒューストン(USS Houston)
  ・米軽巡マーブルヘッド(Marblehead)
 ・駆逐艦〜7隻
  ・蘭バンケルト号(HNLMS Banckert)
  ・蘭ピエット・エイン号(HNLMS Piet Hein)
  ・蘭ヴァン・ガント号(HNLMS Van Ghent)
  ・米バーカー号(USS Barker)
  ・米バルマー号(USS Bulmer)
  ・米ジョン・D・エドワーズ号(USS John D. Edwards)
  ・米スチュワート号(USS Stewart)

2/4、01:30蘭海軍ドールマン少将指揮の連合国艦隊(11隻)がバリクパパンの帝国輸送船団を艦砲射撃で殲滅しょうとして出撃するも、セレベス島ケンダリー基地から離陸した帝国海軍航空部隊60機に攻撃されて撃退されました。空襲は米重巡ヒューストン号と米軽巡マーブルヘッド号に集中して、両艦ともに中破。蘭軽巡デ・ロイテル号は小破して、退避しました。この攻撃でヒューストン号は250kg爆弾の命中弾が1発、マーブルヘッド号は250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受けて損傷・中破。また、デ・ロイテル号も至近弾で小破。ドールマン少将は攻撃を断念して引き上げました。

・両軍の編成と損害表:〜
マカッサル海峡 編 成 損 害
区 分 帝国 連合軍 帝国 連合軍
基地航空隊 60機 --- --- ---
重巡洋艦 --- 1 --- 中破1
軽巡洋艦 --- 2 --- 中破1
小破1
駆逐艦 --- 7 --- ---

この海戦後、帝国軍は2/8にマカッサル、2/10にバンゼルマシンに上陸して攻略。2/19にはバリ島サヌール泊地に進入してバリ島上陸を開始し、未明には帝国軍がクタ飛行場を占領しました。

連合軍艦隊はこの後、バリ島沖海戦を経て、日本軍のジャワ島侵攻に際して発生したスラバヤ沖海戦バタビヤ沖海戦で壊滅することになります。なお、本海戦で損傷したマーブルヘッド号はセイロン島へ避退、そのままインド洋・喜望峰・大西洋を経由する大航海の果てに米本国へ生還しました。

参考HP〜
ケンダリーの場所地図(日本語)
ジャワ沖海戦の場所地図(2/27海戦の場所地図有)
ジャワ海の場所地図(Google Map、日本語)








(6)ガスパル海峡海戦(空襲)〜1942/2/15
  (Bttle of Gaspar Strait)
第1次海戦
   米連合艦隊が逃走、両軍に被害無
昭和17年(1942/2/15)重巡 鳥海の艦載水上偵察機と空母 龍驤の偵察機は、スマトラ島とカリマンタン島の間のカリマタ海峡南西部のバンカ島東沖合いガスパル海峡を北上して帝国の輸送船団攻撃に向う米戦艦1隻(重巡を誤認)を含む巡洋艦3隻・駆逐艦8隻のABDA連合艦隊が北上中と報告。小沢提督は基地航空隊と龍驤の艦載機で損害をあたえ、その後に決戦を挑む作戦。角田司令官は龍驤の九七艦攻で反復攻撃をおこなうため敵艦隊の方向へ接近、四次に渡る水
帝国の空母 龍驤

ソロモン諸島 1995 発行
平爆撃を敢行(第一次攻撃隊7機、第二次6機、第三次7機、第四次6機)。未帰還機は無しで、大きな戦果も無。龍驤の艦載機以外にも基地航空隊の九六陸攻機や一式陸攻が出撃してドールマン艦隊を空襲するも、効果は無。ほぼ無傷で深刻な損傷がなく航空機の援護のないABDA連合国軍艦隊は反転し、ジャワ海へ逃走しました。

▽両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・空 母 〜 1隻
・重 巡 〜 5隻
・軽 巡 〜 2隻
・駆逐艦〜10隻
連合軍艦隊
・重 巡 〜1隻
・軽 巡 〜3隻
・駆逐艦〜8隻
※数字には諸説有

▽2/10カムラン湾を出撃のバリクパパン攻略支援艦隊
○帝国軍機動部隊の編成:〜
第一南遣艦隊〜
  司令長官 小沢治三郎中将(1886-1966)
・旗艦:重巡 鳥海(小沢中将座乗)
・第三水雷戦隊
 ・軽巡 川内・由良
 ・第11駆逐隊:駆逐艦 初雪・白雪・吹雪
 ・第19駆逐隊:駆逐艦 綾波・磯波・白雲・朝霧
・第七戦隊:
  司令官 栗田健男少将(1889-1977)
 ・重巡 熊野・鈴谷・三隈・最上
・第4航空戦隊:
  ・空母 龍驤
  ・駆逐艦 汐風・敷波・敷波

○ABDA連合国軍艦隊の編成:〜
  連合軍司令官カレル・ドールマン少将
・重巡エクセター号
・軽巡デ・ロイテル号、トロンプ号、ジャワ号
・駆逐艦バンケルト号、ピエット・エイン号、ヴァン・ガント号、コルテノール号
 ・ウィット・デ・ワイズ号、エヴェツェン号、ヴァン・ネス号、ジャーク・アイデス号

第2次海戦
  帝国の勝利
1942/2/17正午、重巡 最上の艦載水上偵機がガスパル海峡南方に駆逐艦1隻・大型商船1隻を発見。陸攻部隊が商船スロエト・ヴァン・ベレル号を、空母 龍驤艦攻10機が蘭駆逐艦ヴァン・ネス号(HNLMS Van Nes, 1930, 1,316t, 34kt, 150人、水偵1)をガスパル海峡にて撃沈。他に商船1隻擱座、1隻大破、PBYカタリナ飛行艇1機撃墜後、18日に龍驤は北へ反転してベトナムのサンジャックへ向かいました。

▽両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・空 母 〜 1隻
・重 巡 〜 5隻
・軽 巡 〜 2隻
・駆逐艦〜10隻
連合軍艦隊
・駆逐艦〜1隻
・商  船〜3隻

※数字には諸説有

・両軍の編成:〜
○帝国軍機動部隊の編成:〜同上

○ABDA連合国軍艦隊の編成:〜
・駆逐艦ヴァン・ネス号
・商  船スロエト・ヴァン・ベレル号(Sloet van Beele, 2,977t)、他

・両軍の編成と損害表:〜
ガスパル海峡 編 成 損 害
区分 帝国 連合軍 帝国 連合軍
龍驤艦攻 10機 --- ---  ---
駆逐艦 --- 1 --- 沈没1
商 船 --- 3 --- 沈没1、大破1
飛行艇 --- 1 --- 撃墜1
※商船スロエト・ヴァン・ベレル号、沈没
※駆逐艦ヴァン・ネス号、沈没
※商船1隻擱座、1隻大破
※PBYカタリナ飛行艇1機撃墜

なお、2/13に龍驤の偵察機は陥落直前のスマトラ島から脱出する連合国軍輸送船団を発見、艦載機の攻撃で商船1隻撃沈・2隻炎上・1隻大破・1隻中破・1隻擱座・2隻小破を報告。2/14にも最上水偵と協力し、特務艦1隻・砲艦1隻撃沈、敷設艇1隻撃破、商船1隻撃沈、1隻擱座を報告。

参考HP〜
ガスパル海峡の場所地図
 (ボルネオ島南西のカリマタ海峡南の”バンカ島とブリトゥン島間がガスパル海峡)
カリマタ海峡の場所地図     2015/12/5









帝国の駆逐艦 荒潮

マーシャル諸島 1993 発行
(7)バリ島沖海戦〜1942/2/20
   (Naval Battle off Bali Island)、帝国の勝利
  別名(米軍呼称):バドゥン海峡海戦
     (Battle of Badung Strait)
1942/2/18深夜23:30にジャワ島南部チラチャップを出撃してバリ島を目指した蘭印海軍カレル・ドールマン少将を司令長官とするABDA艦隊のうち軽巡洋艦3隻、駆逐艦7隻が、帝国軍のバリ島攻略船団を攻撃して、2/19深夜から翌早朝にかけてバリ島沖海戦が勃発。帝国艦隊は駆逐艦4隻と劣勢なる
も、ABDA艦隊は多国籍艦隊のため艦隊として円滑に行動できませんでしたので、帝国軍が駆逐艦1隻大破の損害を受けるも、ABDA艦隊は駆逐艦1隻が沈没、軽巡洋艦1隻が中破して撃退されました。

▽両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・駆逐艦〜4隻
※数字には諸説有
連合軍艦隊
・軽 巡 〜3隻
・駆逐艦〜7隻

○帝国軍の編成:〜
<第一次輸送作戦(急襲作戦)>2/19〜2/20
・第五設営班
 ・陸軍〜輸送船2隻
  ・相模丸・笹子丸
 ・補給部隊
  ・マカッサル海峡部隊
   ・駆逐艦 筑紫・蒼鷹・第2駆潜隊・第1号駆潜艇
 ・ケンダリー部隊
   ・輸送船 白山丸・君島丸・第52駆潜隊・第1駆潜隊・いくしま丸
・支援隊
 ・第一根拠地隊:司令官 久保九次少将(作戦期間:2/19〜3/5)
  ・軽巡 長良
  ・第21駆逐隊
   ・駆逐艦 若葉・子日・初霜
・攻略隊〜駆逐艦4隻
 ・第8駆逐隊
  ・旗艦:軽巡 長良
   駆逐隊司令 阿部俊雄大佐(海兵46期)
  ・第1小隊
   ・駆逐艦 大潮(駆逐隊旗艦)・朝潮
  ・第2小隊
   ・駆逐艦 満潮・荒潮(対潜掃蕩で先行)。

<第二次輸送作戦>2/23〜2/25(艦隊決戦は無く揚陸に成功)
・第8駆逐隊
 ・旗艦:軽巡 長良
   駆逐隊司令 阿部俊雄大佐(海軍兵学校46期)
 ・駆逐艦 4隻
・バリ島攻略陸軍部隊
 ・金村支隊(金村亦兵衛少佐指揮の第48師団一部)
  ・台湾歩兵第一聯隊第三大隊
   ・山砲1個小隊・独立工兵1個小隊・歩兵1個大隊基幹
 ・陸軍〜輸送船2隻
  ・相模丸・笹子丸。

○ABDA連合艦隊の編成:〜
軽巡洋艦3隻
 (ABDA連合艦隊オランダ艦隊のカレル・ドールマン少将指揮)
・蘭軽巡洋艦デ・ロイテル号、ジャワ号、トロンプ号
駆逐艦7隻
・蘭駆逐艦ピート・ハイン号
ABDA連合アメリカ艦隊
 ・米駆逐艦ジョン・D・フォード号、ポープ号、スチュワート号、パロット号
 ・米駆逐艦ジョン・D・エドワーズ号、ピルスバリー号。

・両軍の編成と損害表:〜
バリ島沖海戦 編 成 損  害
区分 帝国 連合軍 帝国 連合軍
軽巡洋艦 --- 3 --- 中破1
駆逐艦 4 7 大破1
小破1
沈没1
小破1
輸送船 2 --- 小破1 ---
※数字には諸説有
※ピート・ハイン号、2/19沈没
※トロンプ号、2/20中破
※スチュワート号、2/20小破
※大潮、2/20大破
※満潮、2/20小破
※相模丸、2/20小破

バリ島沖海戦では、2/19にドールマン少将率いる連合海軍ABDA艦隊が巡洋艦3、駆逐7の艦隊で、2隻の帝国駆逐艦の攻撃に対し、蘭駆逐艦ピート・ハイン号が沈没。帝国軍は金村支隊をバリ島サヌール泊地で揚陸後、停泊中の艦艇は連合軍の小数機による反覆攻撃空襲で、相模丸が被弾後、片舷航行可能状態となり、第8駆逐隊第2小隊(満潮、荒潮)に護衛されてマカッサルへ退避。2/20午前3時前、蘭巡洋艦1隻・米駆逐艦4隻がサヌール泊地に突入してバリ島沖海戦第二次合戦が勃発。軽巡トロンプ号が中破、米駆逐艦スチュワート号が砲撃で舵故障。被弾したトロンプ号の反撃で大潮の二番砲塔給薬室に命中弾後に退避。満潮は機関室に命中弾で航行不能後に退避。パロット号はラプアン湾沖で座礁するも自力で脱出。

参考〜
・駆逐艦 荒潮(あらしお)の装備:〜就役:1937/12/20
  (大日本帝国海軍の一等駆逐艦朝潮型の4番艦)
一等駆逐艦 朝潮型の4番艦 帝国の駆逐艦 荒潮(あらしお)

マーシャル諸島 1993 発行

建造所 神戸川崎造船所
全 長 118.00m
全 幅 10.386m
吃 水 3.71m
排水量 基準約2,000t、公試2,400t
速 力 35.17kt公試
航続距離 4,000浬/18kt
乗 員 230人
武 装 50口径12.7cm連装砲 3基6門、25mm機銃 II×2 (または13mm機銃 II×2)、61cm4連装魚雷発射管 2基8門(九〇式魚雷16本)、九一式爆雷×36
※1943/3/4ビスマルク海々戦にて米軍機の攻撃で沈没。

参考HP〜
バリ島沖海戦の地図(日本語)
バドゥン海峡海戦の場所地図(日本語)
バドゥン海峡の場所地図(Badung Strait)








(8)ニューギニア沖海戦〜1942/2/20
  (Battle of Off New Guinea)、アメリカ軍の勝利
    別名(米軍呼称):ブーゲンビル島沖の海戦
        (Action off Bougainville)
    場所:ラバウル東方720km海上
        (ブーゲンビル島東720kmの海上)
ニューギニア沖海戦は帝国海軍が占領したばかりのラバウルへアメリカ艦隊が出撃、帝国軍の基地航空隊が迎え撃つも大損害を出しました。

米:空母レキシントン号

マーシャル諸島 1992 発行
帝オーストラリア(豪)委任統治領のニューブリテン島ラバウルには、天然の泊地や豪軍が設営した飛行場がありました。国軍は、トラック諸島根拠地の防衛と米豪遮断作戦の構想で、ラバウルを奪取する必要性を持っていました。1942/1/20〜1/22に帝国軍は第一航空艦隊の大型空母4隻をニューアイルランド島沖合の北東とビスマルク海に進出させ、1/21にニューギニア島のラエ、サラモアを空襲。連合軍はこの方面に有力な基地航空隊を置いていませんでした。1/23に帝国軍はラバウルに上陸して占領しました。

アメリカ軍は真珠湾攻撃の影響から戦艦部隊の出撃は行えず、空母機動部隊によるマーシャル・ギルバート諸島機動空襲など散発的な反撃を行っていました。帝国軍のラバウル空襲を知らされたアメリカ海軍はこの方面へウィルソン・ブラウン海軍中将指揮の大型空母レキシントン号を基幹とした機動部隊を派遣し、一撃離脱に限定した空襲による占領の阻止を命じました。

2/20午前、帝国軍の哨戒中の九七式飛行艇がアメリカ艦隊を発見
12:20、帝国軍はラバウルから第24航空戦隊の一式陸上攻撃機17機を発進
14:35、第2中隊9機が攻撃開始、命中弾なく、F4F戦闘機隊14機の迎撃と対空砲火で9機が全滅
15:00、第1中隊8機が攻撃開始、レキシントン号に至近弾1発有のみで4機を喪失
     2機不時着で攻撃は終了。

▼両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・一式陸攻〜17機
・偵 察 機  5機
※数字には諸説有
連合軍艦隊
・空 母 〜 1隻
・重 巡 〜 4隻
・駆逐艦〜10隻

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍基地航空隊の編成:〜
・在ラバウル基地航空隊
 ・第24航空戦隊
  ・一式陸攻  17機
  ・偵 察 機  5機、(喪失23機)

○アメリカ海軍の編成:〜
・第11任務部隊(Task Force 11)
・空母〜1隻
 ・レキシントン号、戦闘機19機で出撃、喪失2機
・重巡〜4隻
 ・インディアナポリス号(USS Indianapolis, CA-35, 9,800t, 1,199人, 原爆をテニアン島へ輸送後
  1945/7/30グアム島からレイテ島への途中にて伊58潜の雷撃で沈没)
 ・サンフランシスコ号(USS San Francisco, CA-38, 9,950t, 708人, 退役1946)
 ・ミネアポリス号(USS Minneapolis, CA-36, 9,950t, 708人, 退役1947)
 ・ペンサコラ号(USS Pensacola, CL/CA-24, 9,100t, 653人, 退役1946)
・駆逐艦〜10隻
 ・ドレイトン号(USS Drayton DD-366, 1500t, 158人, 退役1945/10)
 ・フェルプス号(USS Phelps DD-360, 1,805t, 276人, 退役1945/11)
 ・クラーク号(USS Clark, DD-361, 1,850t, 194人, 退役1945/10)
・バッグレイ級駆逐艦(Bagley-class destroyer)
 ・バッグレイ号(USS Bagley, DD-386, 2,325, 251人, 退役1946/6)
 ・パターソン号(USS Patterson DD-392, 2,325t, 158人, 退役1945/11)
・ファラガット級駆逐艦 (Farragut class destroyers)
 ・ハル号(USS Hull, DD-350, 1,395t, 160人, 1944/12/18ルソン島東方にコブラ台風で沈没)
 ・デイル号(USS Dale DD-353, 1500t, 160人, 退役1945/10)
 ・デューイ号(USS Dewey DD-349, 1726t, 160人, 退役1945/10)
 ・マクドナー号(USS Macdonough DD-351, 1395t, 160人, 退役1945/10)
 ・エールウィン号(USS Aylwin DD-355, 1,375t, 251人, 退役1945/10)

▼両軍の損害:〜
帝国軍喪失
・一式陸攻〜15機
・偵 察 機  5機
連合軍
・空    母〜至近弾
・F4F戦闘機〜2機喪失
・F4F戦闘機〜7機被弾損傷
※数字には諸説有

空戦には勝利を収めたアメリカ機動部隊でしたが奇襲が失敗したことは明白となり、燃料の消費も著しかったことから、作戦目的であるラバウルへの空襲は中止して撤退。

帝国軍の機動部隊は2/15にパラオを出航して豪本土ポートダーウィン空襲に向かうためバンダ海にあり、すぐさま反撃できませんでした。帝国軍は空母1、艦型不詳1を撃沈したとし、この戦いをニューギニア沖海戦と呼称しました。

参考HP〜
ラバウルの場所地図(Google Map、日本語)
ラバウルとブーゲンビル島の場所地図

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/8








(9)チラチャップ沖海戦(1)、1942/2/27
  (Battle off Tjilatjap)、帝国の勝利
    別名:ラングレー号撃沈の海戦
        (Battle of USS Langley)
南方作戦での帝国軍がジャワ島に対して空襲を行うようになって、連合軍はホーカーハリケーンやブリュスターバッファローで対抗するも、帝国機にはかないませんでしたので、インドに輸送途中のカーチスP-40戦闘機をジャワに運ぶことにしました。1492/2/22に米最初の航空母艦で水上機母艦に改修されていたラングレー号は元飛行甲板上に32機のカーチスP-40戦闘機
帝国機がラングレー号を撃沈

図案はワスプ号

セントヴィンセントグレナディーン 1995 発行
を乗せ、セイロン行きのMS-5船団と共に西オーストラリアのフリーマントル港を出港。その翌日2/23には、蘭印海軍コンラッド・ヘルフリッヒ中将がP-40戦闘機を大至急輸送するよう命じ、ラングレー号は同じくP-40戦闘機を輸送していた貨物船と共に、護衛なしでジャワ島南岸部のチラチャップ港(Tjilatjap)に向かうも、貨物船は次第にラングレー号に引き離されてしまいました。

▼両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・一式陸攻〜9機
・ゼ ロ 戦〜一隊
連合軍艦隊
・水上機母艦 〜1隻
・駆逐艦〜2隻
※数字には諸説有

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍基地航空隊の編成:〜
一式陸攻〜9機
ゼロ戦の一隊

○連合国海軍の編成:〜
・米水上機母艦ラングレー号(元空母ジュピター号)
 (USS Langley CV-1, 1920, 11,500t, 15kt, 468人〜1942/2/27沈没)
・米駆逐艦ホイップル号
 (USS Whipple, DD-217, 1920, 1,308t, 35kt, 101人, 4本煙突、退役1945/11)
・米駆逐艦エドサル号

▼両軍の損害:〜
帝国軍の損害
・無
連合軍の損害
・水上機母艦 〜1隻沈没:ラングレー号
※後に米給油艦ペコス号が撃沈される(3/1)

2/27早朝、ラングレー号は出迎えに来た駆逐艦ホイップル号とエドサル号 と合流。そこへバリ島に進出していた高雄航空隊の一式陸攻が艦船攻撃に到着。11:40一式陸攻9機がラングレー号、ホイップル号、エドサル号の3隻をバリ島西方368海里の地点で空襲・攻撃。3隻は爆撃を受けると同時に各方向に分離して回避運動を開始。帝国機の攻撃第一波と第二波は失敗に終わるも、三度目の攻撃で攻撃機隊の陸上攻撃用爆弾、250kg爆弾3発と60kg爆弾3発がラングレー号に命中して大破し、操舵困難となり、甲板上のP-40も爆弾命中で次々炎上、折からの強風で消火不能になりました。さらにゼロ戦の一隊が炎上中のラングレー号を発見、機銃掃射を浴びせました。13:32にラングレー号は放棄され、ホイップル号が4インチ砲弾9発及び2本の魚雷で自沈処分となり、チラチャップ南120kmの海域で沈没しました。ラングレー号の乗員はホイップル号とエドサル号に救助されてから給油艦ペコス号 (USS Pecos, AO-6) に移されるも、3/1にペコス号がクリスマス島南方にて帝国空母 加賀と蒼龍攻撃隊の空襲で撃沈され、ラングレー号乗員も多数が戦死しました。

なお、ラングレー号を攻撃した高雄航空隊では、攻撃隊指揮官がラングレー号の撃沈を報告したものの、上層部はこの報告を採用せず、「空母一隻撃破」という評価に留めました。また、帝国軍は攻撃されたのがラングレー号だと推測されたものの、1942/1/8に伊25潜がジョンストン島近海で「撃沈」したのがラングレー号であると大本営発表で報じていた手前、本当のラングレー号は大本営発表では「特設空母」と報じられました。また、エクセター号沈没時、妙高偵察機が駆逐艦 雷の雷撃とエクセター号の被雷・沈没を写真撮影し、この写真は写真週報第215号に掲載されました。そして大本営海軍報道部はエクセター号がラプラタ河沖の海戦で自沈に追い込んだポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー号の仇を討ったと宣伝しました。

参考:〜
米駆逐艦エドサル号撃沈の顛末〜 1942/3/1
  (USS Edsall DD-219, 1920, 1,190t, 35kt, 101人, 4本煙突)
  場所:クリスマス島から時間ほどたった海上
南雲忠一中将率いる第一航空艦隊は、蘭印作戦での連合軍に対する最後の締め上げを行うため、2/25にセレベス島スターリング湾を出撃。3/1にはジャワ島南方に到達。午後に入り、偵察帰りの九七式艦攻が、クリスマス島南方で西オーストラリアのフリーマントル港に向かう途中の給油艦ペコス号を発見して空母 加賀と蒼龍の艦載機がペコス号を撃沈しました。
炎上する米駆逐艦

図案は駆逐艦ショウ号
パラオ 1991 発行
それから5時間ほどたってからの17:20頃に第一航空艦隊の上空を掩護していたゼロ戦が艦隊後方に「敵軽巡を発見」。南雲中将は護衛の第三戦隊の戦艦 比叡霧島、第八戦隊の重巡 利根と筑摩に対して艦隊後方の「敵軽巡」を撃沈するよう下令。17:33に「敵軽巡」ことエドサル号に最も接近していた筑摩が砲撃を開始。次いで比叡も砲撃を開始。比叡のエドサル号への砲撃は、太平洋戦争で初めて「帝国戦艦の主砲」が敵艦に対して火を吹いた瞬間でした。エドサル号はただ一隻、艦長ジョシュア・J・ニックス少佐(Joshua James Nix 1908-0945/11/25比島没)の指揮の下で無敵の南雲艦隊との対決に臨み、最初は4インチ砲で反撃するも、反撃よりも逃亡に活路を見出そうとしました。比叡の発砲を冷静に観測し、砲弾が到達する時間を計算した上で巧みに回避し続け、比叡と筑摩の砲弾はエドサル号には命中無し。やがて煙幕を張り、最大速力を出したり機関全停止したりと南雲艦隊を騙しに騙して、煙幕を張るたびに比叡らは砲撃を中止。それでもエドサル号には砲弾一発が命中しただけでした。

南雲中将は18:27に蒼龍の艦上急降下爆撃機9機に発進攻撃を下令。幾つかの命中弾で、火災が発生して速力低下。この機に乗じて比叡と霧島は炎上するエドサル号との距離を詰めて、18:50から主砲と副砲で砲撃を再開。筑摩と利根は挟み撃ちの恰好でエドサル号に接近。やがてエドサル号は19時頃に艦首を上げて沈没。第八戦隊はエドサル号の乗組員8人を救助して捕虜とし、尋問の結果、撃沈した艦の名前がエドサル号だと判明しました。

参考HP〜
チラチャップの場所地図(GoogleMap、日本語)




こちらで
(10)1942/02/27〜2/28スラバヤ沖海戦ジャワ海々戦
をお楽しみください。




(11)バタビヤ沖海戦〜1942/3/1
  (Battle off Batavia)、帝国の勝利
    別名(米軍呼称):スンダ海峡海戦
        (Battle of Sunda Strait)
    場所:インドネシア・バンタム湾沖(Sunda Strait)
バタビア沖海戦は主として1942/3/1に帝国軍と連合軍との間で行われた海戦(夜戦)。スラバヤ沖海戦で戦死した司令官ドールマン少将の最後の命令で、連合軍艦隊に加わっていたアメリカ海軍重巡洋艦1隻、オーストラリア海軍軽巡洋艦1隻、オランダ駆逐艦1隻が戦場から退却後、バタビア(現ジャカルタ)に帰投。その後、ジャワ島とスマトラ島間のスンダ海峡を通過してジャワ島南岸のチラチャップへの脱出を
撃沈されるヒューストン号とパース号

図案はスラバヤ沖ジャワ海々戦の図
マーシャル諸島 1992 発行
はかりました。3/1未明にジャワ島西方で上陸作戦中の帝国の輸送船団と護衛の水雷戦隊と遭遇、攻撃するも、迎撃されて2隻とも撃沈されました。後から来た蘭駆逐艦は帝国艦隊に捕捉されて大破し、サブク島の海岸に擱坐、喪失となりました。帝国海軍は誤射(同士討ち)で輸送船数隻を失うも、ジャワ島攻略作戦への影響は最小でした。

▼両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・重 巡 〜 4隻
・軽 巡 〜 2隻
・駆逐艦〜17隻
・水雷艇〜 2隻
・掃海艇〜 5隻
・その他〜 3隻
・輸送船〜56隻
連合軍艦隊
・重 巡 〜1隻
・軽 巡 〜1隻
・駆逐艦〜1隻



※数字には諸説有

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍の編成:〜
第三護衛隊(司令官 原顕三郎少将)
 (軽巡2、駆逐艦15、水雷艇2、掃海艇5、その他3、計27隻)
バンタム湾方面
 ・第5水雷戦隊(司令官 原顕三郎少将)
  ・軽巡 名取・他
 ・第5駆逐隊 駆逐艦 朝風・春風・旗風・他
 ・第11駆逐隊 駆逐艦 初雪・白雪・吹雪・他
メラク湾方面
 ・第12駆逐隊 駆逐艦 叢雲・白雲・他
 ・第22駆逐隊 駆逐艦 皐月・水無月・長月・文月・他
西方支援隊
 ・第7戦隊第2小隊 指揮官 三隈艦長(重巡4隻、駆逐艦2隻)
  ・重巡 三隈・最上・他
 ・第19駆逐隊小隊 駆逐艦 敷波・他
上陸船団
 ・帝国陸軍第16軍(軍司令官 今村均中将)
  ・陸軍特殊船(揚陸艦)〜神州丸(7,100屯)・あきつ丸(9,100屯)
  ・輸送船〜龍野丸、佐倉丸、蓬莱丸(病院船)など56隻
   ・あきつ丸の船団はメラク泊地に入泊、上陸
   ・神州丸の船団はバンダム泊地に入泊、上陸。

○連合軍の編成:〜
ABDA連合艦隊
・アメリカ海軍
 ・重巡ヒューストン号(1942/3/1沈没)
・オーストラリア海軍
 ・軽巡パース号(旗艦、1942/3/1沈没)
・オランダ海軍
 ・駆逐艦エヴェルトセン号
  (HNLMS Evertsen (1926), 1,316t, 149人, 1942/3/1沈没)。

▼両軍の損害:〜
帝国軍の損害
・掃海艇〜1隻沈没
・輸送船〜4隻沈没
※数字には諸説有
連合軍の損害
・重 巡 〜1隻沈没
・軽 巡 〜1隻沈没
・駆逐艦〜1隻沈没

帝国軍の同士討ち損害
 ※沈没:第二号掃海艇、神州丸、龍野丸、佐倉丸、蓬莱丸
 ※神州丸と龍野丸は後に引上げて修理。

ABDA 連合軍の損害
※指揮官の司令官ドールマン少将戦死
 ※沈没:ヒューストン号、パース号、エヴェルトセン号。

3/1の03:30、第12駆逐隊(白雲、叢雲)はソワートウェー島西方約5浬で駆逐艦エヴェルトセンを発見、砲撃。エヴェルトセン号は煙幕を展開して逃走後にセグク島で擱座、夕刻に爆発して喪失。その頃、第11駆逐隊(初雪、吹雪)はバビ島南方を航行中の5,000トン級給油船を砲撃で撃沈。第七戦隊司令官栗田少将の第七戦隊第1小隊(熊野、鈴谷)、第19駆逐隊(浦波、磯波)はバタビア沖海戦の後、3/4の01:00に第七戦隊第2小隊(三隈、最上)、第四航空戦隊(龍驤)と合流、3/5の19:00にシンガポールへ帰投。3/1昼過ぎには、英重巡エクセター号と駆逐艦2隻(ポープ号、エンカウンター号)も撃沈されて、ABDA連合艦隊の主力は失われました。

スラバヤ沖海戦に参加した艦艇のうち脱出に成功したのは、バリ海峡の突破に成功したアメリカ海軍の駆逐艦4隻(ポール・ジョーンズ号、ジョン・D・エドワーズ号、オールデン号、ジョン・D・フォード号)のみでした。その他、多くの小艦艇がオーストラリアやセイロン島を目指し脱出を試みるも、アメリカ駆逐艦エドサル号のよう撃沈される艦もありました。アメリカ海軍の軽巡2隻は大破して本国に回航され、生き残りました。またイギリス軽巡2隻とオーストラリア軽巡1隻を中核とした部隊は、戦闘に参加しないまま早期にスンダ海峡を突破して脱出していました。

参考HP〜
ヒューストン号の航海地図('41/12/8-'42/3/1)
ジャワ島西部の地図(日語、バタビア(現ジャカルタ)〜スンダ海峡〜チラチャップの航路地図)
スンダ海峡の地図(拡大図付)
スンダ海峡の場所地図(日本語)
チラチャップの場所地図(GoogleMap、日本語)      15/12/10








(12)第2次スラバヤ沖海戦〜1942/3/1(追撃戦)
  (2nd Naval Battle off Surabaya)
   別名(米軍呼称):第2次ジャワ海々戦、帝国の勝利
   (Second Battle of the Java Sea)
   場所:ジャワ海スラバヤ沖
ラプラタ河沖の海戦で勝利した
イギリス重巡洋艦 エクゼター号(HMS Exeter)沈没


フォークランド 1974/12/13 発行


ジャワ海々戦の第2次スラバヤ沖海戦で被弾・沈没した英エクゼター号

タンザニヤ 1992/4/27 発行 小型シート地より

昭和17年(1941)12月、帝国との開戦でイギリス重巡洋艦エクセター号は帝国軍の侵入からオランダ領東インド諸島を防衛するオーストラリア・イギリス・オランダ・アメリカのABDA四国連合艦隊(ABDA.COM)に参加。1942/2/15エクセター号はABDA連合艦隊の指揮下、軽巡3隻、駆逐艦8隻と共にガスパル海峡を北上し、帝国軍輸送船団の攻撃に向かいました。帝国軍偵察機は戦艦1隻、軽巡艦3隻・駆逐艦8隻を発見。空母 龍驤と基地航空隊の一式陸攻機や九六式陸攻機が反復攻撃を行いました。深刻な損傷はなかったものの(2/15ガスパル海峡海戦)、航空機の援護のないABDA連合艦隊は反転、ジャワ海のスラバヤ港へ撤退しました。

そこへ帝国軍輸送船団のジャワ島接近との情報でドールマン少将は、2/25に帝国軍迎撃のため艦隊(エクセター号とエンカウンター号・ジュピター号など)を率いてスラバヤ港を出撃して、スラバヤ沖海戦(2/27)が勃発しました。その海戦で損傷したエクセター号はバタビア港へ避退。そこからからスンダ海峡を経由してチラチャップ港へ撤退をはかりましたが、3/1午前中スンダ海峡で、デ・ロイテル号などの乗員を救助した蘭病院船オプテンノール号を捜索していた帝国駆逐艦 曙と遭遇、砲撃戦となり第2次スラバヤ沖海戦が勃発、曙は燃料不足で被退。続いて偵察機に誘導された重巡2隻(第五戦隊高木武雄少将:那智、羽黒)、駆逐艦2隻(山風、江風)が出現。弾薬の不足していた第五戦隊は第三艦隊(司令長官高橋伊望中将:旗艦 足柄)の重巡2隻(足柄、妙高)、駆逐艦 雷の援軍を要請し、第五戦隊と第三艦隊の両者でエクセター号、エンカウンター号、ポープ号を挟撃。砲撃雷撃の集中攻撃を受けたエクセター号は13:30に沈没。さらに帝国艦隊の追撃と空母 龍驤の艦載機の支援でエンカウンター号 、ポープ号もで撃沈されました。

▼両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・重 巡 〜4隻
・駆逐艦〜5隻
連合軍艦隊
・重 巡 〜1隻
・駆逐艦〜6隻
※数字には諸説有

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍の編成:〜
・第五戦隊〜
  司令官 高木武雄少将
 ・重巡 那智(旗艦)司令官座乗、重巡 羽黒
 ・第二十四駆逐隊第2小隊
  ・駆逐艦 山風、江風
・別 働 隊〜
  司令官 高橋伊望中将
・蘭印部隊主隊
 ・重巡 足柄(旗艦)司令官座乗、重巡 妙高
・主隊附属
 ・駆逐艦 雷、電、曙

連合国海軍の編成:〜
英重巡洋艦
・エクセター号
駆逐艦6隻
・英 エンカウンター号
・米 ポープ号,ジョン・D・エドワーズ号,オールデン号,ジョン・D・フォード号,ポール・ジョーンズ号

▼両軍の損害:〜
帝国軍の損害
・駆逐艦〜1隻小破:電
連合軍の損害
・重 巡 〜1隻沈没:エクゼター号
・駆逐艦〜2隻沈没:エンカウンター号、ボープ号
※数字には諸説有

追撃戦の経過
3/1
00:09 〜02:06、ジャワ島バンタム湾にてバタビア沖海戦
02:35 ジャワ島クラガン泊地に進入した連合軍魚雷艇3隻の攻撃を春雨が撃退
11:30 第五戦隊はバウエアン島西方でエクセター号以下の艦隊を発見
第五戦隊は弾薬不足のため、別働隊(重巡 妙高、足柄)の到着を待つ
11:40 妙高、足柄が到着、連合軍を挟撃
11:50 別働隊、24,000mで砲撃開始
12:25 第五戦隊、25,000mで砲撃開始
13:30 エクセター号に魚雷命中、沈没
13:35 エンカウンター号沈没
15:20 ポープ号はスコールに逃げ込むも、
帝国軍航空隊(龍驤艦載機等)の攻撃で航行不能となる
15:40 足柄、妙高の砲撃でポープ号が沈没
3/2 魚雷を撃ち尽した米駆逐艦4隻、ジョン・D・エドワーズ号、ポール・ジョーンズ号、ジョン・D・フォード号、アルデン号がバリ海峡を抜け、ポートダーウィンに入港
※オプテンノール号(Op Ten Noort, 6,076t, 乗客2,640人, 1942/2月に帝国がマカッサルで接収して天応丸(後に第2氷川丸)にて病院船で運用、1945/8/19に舞鶴港外で自沈。


参考〜
・大英帝国海軍 重巡洋艦 エクゼター号の装備:〜就役:1931/7/27
  (HMS Exeter 68、York-class heavy cruiser of the Royal Navy)
重巡洋艦 ヨーク級 英重巡 エクゼター号

(HMS Exeter)
建造所 デヴォンポート造船所
全 長 175.25m
全 幅 17.67m
吃 水 6.17m
排水量 基準8,390t,満載10,410t
最大速力 32.5kt
航続距離 10,000浬/14kt
乗 員 620人
武 装 MarkVIII 20.3cm(50口径)Mk.II 連装砲3基6門、MkV10.2cm(45口径)単装高角砲4基4門、ヴィッカースMk.III 12.7mm(50口径)単装機銃8基、53.3cm(21インチ)三連装魚雷発射管2基
航空兵装 1932に水上機(Walrus floatplane)2機、カタパルト固定式2基
レーダー 279型(対空警戒)
※1942/3/1帝国艦隊の攻撃で沈没。

参考HP〜
チラチャップの場所地図(GoogleMap、日本語)
ジャワ海付近の場所地図(日本語、マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオ)
ジャワ海の場所地図(日本語、ロンボク水道)
ジャワ海付近の場所地図(日本語 USS Houston)
スラバヤ沖海戦の場所地図(日本語)
スラバヤ沖海戦の地図
珊瑚海海戦の地図(両軍の予定航路地図)
珊瑚海海戦の地図(詳細地図)         15/12/9








(13)第2次バリ島沖の海戦、1942/3/2
  (2nd Naval Battle off Bali Island)、帝国の勝利
   別名:第2次チラチャップ沖海戦(ピルスバリー号撃沈の海戦)
       (2nd Battle of off Tjilatjap)
ジャワリ島南部チラチャップ港を脱出してオーストラリアに向かう連合艦隊の残存艦と帝国の追撃艦隊がバリ島南方にて交戦した海戦。

1942/3/1にジャワ方面の海軍部隊司令官コンラッド・ヘルフリッヒ(Luitenant-Admiraal Conrad Emil Lambert Helfrich, KCB, 188-1962)中将は全てのチラチャップ停泊艦船に対して脱出を命じました。この
マーブルヘッド号と
誤認されたピルスバリー号


図案はキャンベラ号の図
ソロモン諸島 1995 発行
命令を受け、駆逐艦ピルスバリー号は同日に駆逐艦パロット号・エドサル号、砲艦アッシュビル号、その他各種艦船と共にチラチャップを出港してオーストラリアに向かいました。

3/2にバリ島の帝国第二十二航空戦隊索敵機が、バリ島南西300海里に「敵駆逐艦2隻」、南100海里に「軽巡洋艦1隻」を発見。この報告を受けた第二艦隊司令長官近藤信竹中将は、指揮下の重巡洋艦 愛宕と高雄を「軽巡洋艦」へ、摩耶と駆逐艦 野分・嵐を「駆逐艦」への攻撃を下令しました。テウ国艦隊司令部で、この「軽巡洋艦」が4本煙突であることから「マーブルヘッド号」であると判定されるも、実際は米駆逐艦ピルスバリー号でした。

▼両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・重 巡 〜3隻
・駆逐艦〜2隻
※数字には諸説有
連合軍艦隊
・駆逐艦〜4隻
・砲  艦〜1隻
・他

▽両軍の編成:〜
○帝国海軍の編成:〜
南方部隊本隊(司令長官:近藤信竹中将)
・軽巡追撃艦隊
 ・重巡 愛宕・高雄
・駆逐艦追撃艦隊
 ・重巡 摩耶、駆逐艦 野分・嵐

○連合国海軍の編成:〜
・米駆逐艦ピルスバリー号 (USS Pillsbury DD-227, 1,190t, 116人)
  (帝国は4本煙突だったんで米軽巡マーブルヘッド号と誤認)
・米駆逐艦パロット号 (USS Parrott, DD-218、1944/5/2に衝突事故、6/14退役)
・米駆逐艦エドサル号
・米砲艦アッシュビル号 (USS Asheville, PG-21) など
・英駆逐艦ストロングホールド号(HMS Stronghold)

3/2
16:00 過ぎから、帝国艦隊は捜索列を張って待ち伏せ
22:07 愛宕がピルスバリー号ら艦影を発見し、高雄に集合を命じて戦闘配置を下令
22:13 ピルスバリー号が愛宕と高雄に6,000mで味方信号を送信
同時に帝国艦隊が砲撃を開始
22:26 帝国の一斉砲撃でピルスバリー号が艦前方に火災・炎上
22:31 ピルスバリー号が右舷に大傾斜
22:31 ピルスバリー号が艦首から沈没
艦長ハロルド・C・パウンド少佐以下ピルスバリー号の生存者は無
その後 摩耶、野分、嵐がストロングホールド号を撃沈
3/3
11:06 アッシュビル号が野分・嵐の砲撃でバリ島南方海上に沈没

▼両軍の損害:〜
帝国軍の損害
・無
※数字には諸説有
連合軍の損害
・駆逐艦〜3隻沈没
・砲  艦〜1隻沈没

連合軍の沈没艦:〜
・ピルスバリー号、エドサル号、アッシュビル号、ストロングホールド号。

参考HP〜
蘭印の主な島の都市名地図(日本語、帝国の主な侵攻目標)    15/8/25








(14)ラエ・サラモア空襲〜1942/3/10、アメリカ軍の勝利
     (Invasion of Salamaua-Lae)
ラエ・サラモア空襲は、太平洋戦争初期の1942/3/10に帝国軍がニューギニア島東部のラエとサラモアの上陸と占領を行っていた時に、本来はラバウルへの攻撃を企図していたアメリカ空母機動部隊がラエ・サラモアへの空襲(奇襲)を仕掛け、ラエとサラモア沖に展開していた帝国軍艦船に大打撃を与えた海戦。
米:空母レキシントン号

マーシャル諸島 1992 発行
1492/6/5のミッドウェー海戦以前に、米機動部隊の攻撃で受けた被害としては最大のもので、南東方面における作戦進行に遅れをもたらす結果となりました。帝国軍はその痛手にもかかわらずラエとサラモアの航空基地を確保し、ポートモレスビー作戦の支援にあたりました。

・アメリカ軍の事情
(ニューギニア沖海戦で、ラバウル攻撃を断念)
真珠湾攻撃後、アメリカ軍は空母と潜水艦で、帝国軍の進撃を妨害し、反撃のための時間稼ぎを行っていました。1942/2/1にマーシャル・ギルバート諸島空襲で米国軍が勝利をおさめました。また、オーストラリアとの交通路の確保維持と強化のだめ、1942/2/12にハーバート・リアリー中将(Vice admiral Herbert Fairfax Leary 1885-1957)を司令官とするアンザック艦隊を編成しましたが、帝国軍の進撃は止まりませんでした。太平洋艦隊司令長官(Commander-in-Chief, U.S. Pacific Fleet)チェスター・ニミッツ大将(Admiral Chester William Nimitz、1885-1966)は、ブラウン中将の空母レキシントン号を基幹とする第11任務部隊をANZAC艦隊に編入し、ブラウン中将の意見でラバウルに先制攻撃を加えようと出撃するも、2/20のニューギニア沖海戦の空襲に第11任務部隊が勝利して被害はなかったものの回避運動で燃料を浪費してラバウル攻撃を断念しました。

(ラバウル攻撃を再考)
ブラウン中将はニミッツ大将にラバウル攻撃には空母は2隻必要で、また燃料消費量の関係で随伴タンカーも2隻必要と進言。それをニミッツ大将が承認して、すでにフィジーサモア方面を行動中のフレッチャー少将の空母ヨークタウン号を基幹とする第17任務部隊を第11任務部隊に合流させ、両任務部隊(11・17)は3/6にニューヘブリティーズ諸島(バヌアツ)近海で合流し、一路ラバウルへと進撃。また、クレース少将の第44任務部隊がタンカー護衛のため派遣されました。
米:空母ヨークタウン号

セントヴィンセントグレナディン 1994 発行

(帝国の上陸で、ラバウル攻撃をラエ・サラモア攻撃へ変更)
ラバウル攻撃へと進撃していたアメリカ連合機動艦隊は帝国軍のラエとサラモアへの上陸の報に接し、攻撃目標を急遽ラエとサラモアに変更して、3/10早朝に第11と第17任務部隊が攻撃機発進の予定地点に到達。サラモア攻撃隊のレキシントン号からはSBDドーントレス急降下爆撃機30機、TBDデヴァステイター雷撃機13機、F4Fワイルドキャット戦闘機8機の計51機が発進。ラエ攻撃隊のヨークタウン号からはドーントレス急降下爆撃機30機、デヴァステイター雷撃機12機、ワイルドキャット戦闘機10機の計52機が発進して、総計103機の攻撃隊が飛び立って、オーエンスタンレー山脈を無事に越え、一路ラエとサラモアの沖合にいる帝国上陸船団と護衛艦隊に向けて突進しました。

(タンカー護衛の支援を強化)
3/10早朝ブラウン中将は自己の艦隊から重巡洋艦3隻アストリア号、シカゴ号、ルイビル号と駆逐艦4隻アンダーソン号、ハムマン号、シムス号、ヒューズ号を、タンカー護衛を担当する第44任務部隊に派遣して護衛を厚くしました。

▼両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・軽 巡 〜1隻
・駆逐艦〜6隻
・敷設艦〜1隻
・特設艦〜8隻
・輸送船〜2隻
※数字には諸説有
連合軍艦隊
・空 母 〜2隻
・重 巡 〜7隻
・軽 巡 〜2隻
・駆逐艦〜18隻
・給油艦〜2隻
・航空機〜104機

▽両軍の編成:〜
○帝国攻略隊の編成:〜
SR方面攻略部隊(第六水雷戦隊司令官 梶岡定道少将
・主隊(全作戦支援)
 ・軽巡洋艦 夕張(3/1中破)
・第一部隊(サラモア攻略)
 ・陸軍輸送船 横浜丸(3/1沈没)・ちゃいな丸(3/14ラバウルに帰投)
 ・駆逐艦 追風(3/10被害、3/14沈没)・朝凪(3/10中破、3/12沈没)・夕凪(3/10中破)
 ・南海支隊約2,000人
・第二部隊(ラエ攻略)
 ・敷設艦 津軽(3/10中破)
 ・駆逐艦 睦月(3/10被害無、3/12沈没)・弥生(3/10被害無)
 ・特設巡洋艦 金剛丸(3/10沈没)
 ・特設敷設艦 天洋丸(3/10沈没)
 ・特設運送船 黄海丸(3/10大破、3/14沈没)
 ・陸戦隊560人、高射砲隊、設営隊800人
・航空部隊
 ・特設水上機母艦 聖川丸(3/10中破、3/12沈没)
 ・駆逐艦 望月(3/10被害無)
 ・哨戒部隊(哨戒、掃海)
  ・第十四掃海隊
   ・特設掃海艇 玉丸(3/10被害)・第二玉丸(3/13沈没)
   ・特設掃海艇 羽衣丸(3/10被害無)・第2号能代丸(3/10被害無)
 ・付属隊
  ・特設巡洋艦 金龍丸(在ラバウル)

・支援部隊(第六戦隊司令官 五藤存知少将)
 ・第六戦隊第1小隊(重巡 青葉・加古)、第2小隊(重巡 衣笠・古鷹)
  ・第十八戦隊(軽巡 天龍・龍田)
  ・第二十三駆逐隊(菊月・卯月・夕月)
   ・特設運送船(給油) 東邦丸
・基地航空部隊(第二十四航空戦隊司令官 後藤英次中将)
 ・第24航空戦隊
  ・駆逐艦 朧

○アメリカ海軍の編成:〜
第11任務部隊(司令官 米ウィルソン・ブラウン中将)
  (Task Force 11:Vice admiral Wilson Brown, Jr., 1882-1957)
 ・空母レキシントン号
 ・重巡洋艦
  ・インディアナポリス号、ミネアポリス号、サンフランシスコ号
  ・ペンサコラ号
   (USS Pensacola, CA-24, 9,100t, 653人, 1946退役)
  ・シカゴ号
   (USS Chicago CA-29, 9,300t, 621人, 1943/1/30レンネル島沖海戦で沈没)
 ・駆逐艦
  ・フェルプス号、クラーク号、デューイ号、ハル号、パターソン号
  ・バッグレイ号、マクドノー号、デイル号
  ・など。

・第17任務部隊(司令官 米フランク・J・フレッチャー少将)
 (Task Force 17:Rear Admiral Frank Jack Fletcher 1885-1973)
 旗艦 空母ヨークタウン号
 ・重巡洋艦
  ・ルイスビル号(USS Louisville CA-28, 9050t, 621, 1946退役)
  ・アストリア号(USS Astoria CA-34, 9,950t, 899人)
   (ニューオーリンズ級重巡、'42/8/9第一次ソロモン海戦で沈没)
 ・駆逐艦
フレッチャー提督、ヨークタウン号

ソロモン諸島 1992 発行
  ・シムス号(シムス級駆逐艦:Sims-class destroyer)
   (USS Sims DD-409, 1,570t, 192人, 1942/5/7珊瑚海々戦で沈没)
  ・アンダーソン号(シムス級駆逐艦)
   (USS Anderson DD-411, 1946ビキニ環礁にて原爆標的艦で沈没)
  ・ハムマン号(シムス級駆逐艦)
   (USS Hammann DD-412, 1942/6/6ミッドウェー海戦で沈没)
  ・ラッセル号(シムス級駆逐艦)
   (USS Russell DD-414, 1945/11/15退役)
  ・ウォーク号(シムス級駆逐艦)
   (USS Walke DD-416, 1942/11/15第3次ソロモン海々戦第3夜戦で沈没)
  ・モリス号(シムス級駆逐艦)
   (USS Morris DD-417, 1,570t, 192人, 1945/11/9退役)
  ・など。

・第44任務部隊(司令官 壕ジョン・グレゴリー・クレース少将)
 (Task Force 44:Rear Admiral Sir John Gregory Crace KBE, CB 1887-1968)
 ・重巡洋艦
  ・壕オーストラリア号
 ・軽巡洋艦
  ・英アキリーズ号
   (HMNZS Achilles 70, 7,030t, 570人, 1948インド海軍に供与)
  ・NZリアンダー号
   (HMNZS Leander, 7,270t, 570人, 1948退役)
 ・駆逐艦
  ・ヒューズ号(シムス級駆逐艦)
   (USS Hughes DD-410, 1946退役)
 ・給油艦
  ・ネオショー号
   (USS Neosho AO-23, 空荷7,470t,満載24,830t, 304人, 1942/5/11珊瑚海々戦で沈没)
  ・カスカスキア号
   (USS Kaskaskia AO-27, 7,470 t, 304人, 1957退役)
  ・など。

▼両軍の損害
帝国
・沈没
 ・特設艦〜3隻
 ・輸送船〜1隻
・損傷
 ・軽  巡〜1隻
 ・駆逐艦〜3隻
 ・敷設艦〜1隻
 ・特設艦〜5隻
 ・輸送船〜1隻
・喪失
 ・航空機〜3機
・戦死
(含行方不明)130人
・負  傷  〜245人
連合軍
・喪失
 ・航空機〜1機











※数字には諸説有

▽帝国軍の損害(3/10)
・沈没〜横浜丸、天洋丸、金剛丸、他
・大破〜黄海丸
・中破〜夕張、夕凪、津軽、聖川丸、
・小破〜ちゃいな丸
・被害〜追風、玉丸
・被害無〜5隻
 ・駆逐艦〜望月・睦月・弥生
 ・第二号能代丸(日本水産、216トン)、羽衣丸(日本水産、234トン)
残る13隻のうち沈没・擱座は4隻、その他も被害を受ける
・3/12沈没〜朝凪・望月・聖川丸
・3/13沈没〜第14掃海隊の第二玉丸(西大洋漁業、264t)
・3/14沈没〜追風・黄海丸(嶋谷汽船、3,871t)
・3/14ラバウルに帰投〜夕張(護衛)・ちゃいな丸。

▽連合軍の損害
攻撃隊は1機喪失

アンザック艦隊(1942/2/12〜3/30):〜当初10隻
  (ANZAC Squadron:The navies of Australia, New Zealand, and the United States)
 ・重巡洋艦(Heavy Cruisers)〜4隻
  ・アストリア号、シカゴ号、ルイスビル号、オーストラリア号
 ・軽巡洋艦(Light Cruisers)〜2隻
  ・英アキリーズ号、NZリアンダー号
 ・駆逐艦(Destroyers)〜4隻
  ・シムス号、ハムマン号、ヒューズ号、アンダーソン号。

ラエ・サラモア(SR)攻略部隊の援護ができなかった零戦隊は、3/11〜3/12に17機がラエに進出。3/13には陸上攻撃機隊もラエに進出し、この日からポートモレスビー攻撃および本格的な哨戒を開始。敵基地と至近になったことで損害も多く、3/22にはロッキード・ハドソンとB-17ホーカーハリケーンの攻撃で零戦2機未帰還、5機焼失、7機被弾修理不能という大被害を受けました。4/4には、第25航空戦隊がラエに進出していた第四海軍航空隊に対して航空機の分散配備などを指示した直後に米戦闘機隊の銃撃を受け、戦闘機2機炎上、戦闘機8機と陸攻9機が被弾。以降、ラエとサラモアは1943(昭和18年)3月からの連合軍の反攻で9/11(サラモア)と9/16(ラエ)に奪回されるまで帝国軍の拠点として機能するも、零戦隊をポートモレスビー攻撃に備えてラエに集中させたことは、ラバウルの防空が手薄になることにもつながり、ラバウルへの空襲に対しては旧式の九六式艦上戦闘機で対抗せざるを得なくなりました。

ラエ・サラモアへの奇襲を成功させたブラウン少将には太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将から賞詞が送られ、これまでの戦功で海軍殊勲章()を受章するも、攻撃から1ヵ月後の4/10に第11任務部隊を去り、以降は陸上勤務となりました。

参考HP〜
ニューギニア島とニューブリテン島付近の地図(日本語)
ラバウルの場所地図(Google Map、日本語)

こちらで
スラバヤ沖海戦(ジャワ海々戦)
をお楽しみください。

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/12/15

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