切手で綴る 太平洋戦争 物語 第3部 <米国(連合軍)の反攻> 第11章 ガダルカナル 57 <第1次ソロモン海々戦> 1942/8/8夜(夜戦) ガダルカナル攻防海戦
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米重巡クゥインシー号 |
壕重巡キャンベラ号 |
第8艦隊司令長官・三川中将 重巡 青葉 Bttle of Savo Island マーシャル諸島 1992 発行 |
ソロモン諸島 1995 発行 | ||
帝国軍のサーチライト射撃 マーシャル諸島 発行 |
1942/8/8夜半、ラバウル在泊、帝国海軍の三川艦隊(第8艦隊:旗艦「鳥海」)はガダルカナル島米軍泊地へ軍艦8隻で突入、米英連合艦隊16隻と対戦。第1次ソロモン海戦が起こり、日本側の一方的勝利となりましたが、米軍の補給物資輸送を阻止できませんでした。 |
第1次ソロモン海々戦 (1st Battle of Solomon Islands)、夜戦、1942/8/8〜9、帝国の勝利 別名(米軍呼称):サヴォ島沖海戦 (Battle of Savo Island) 場所:ソロモン諸島サボ島周辺(Savo Island, Solomon Islands) 第1次ソロモン海々戦は、1942(昭和17年)/8/7に1万人以上の米軍が突如ガタルカナル島を空襲・砲撃してルンガ泊地から上陸。飛行場の建設作業員くらいしかいなかったガタルカナル守備隊(兵士約300人)はジャングルに逃げ込みました。 上陸を知った帝国海軍は、直ちにニューブリテン島ラバウルから、8/7と8/8の連日ガダルカナルに空襲を加え、連合軍の陸揚作業を妨害。この空襲に脅威をおぼえた米機動部隊は、船団護衛任務を放棄して退避を始めました。7日夜、三川中将の第八艦隊が重巡洋艦5隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦1隻で出撃し、第八艦隊はサボ島南方水道に8/8午後10時40分に突入して、連合軍の揚陸支援艦隊に攻撃を開始。最初の夜間攻撃で重巡キャンベラ号が魚雷2本を受け沈没。シカゴ号゙も大破。この攻撃で米重巡ヴィンセンス号、アストリア号、クインシー号が沈没という、オーストラリア海軍の護衛艦も含めて巡洋艦4隻を沈没させる大勝利を収めました。三川艦隊勢は重巡 鳥海他2隻の小破だけの損害でラバウルに帰投しました。
▼両軍の兵力:〜
▼両軍の編成:〜 ●帝国海軍の編成:〜 ・第八艦隊 司令長官 三川軍一中将(1888-1981、93才歿) ・旗艦 重巡:鳥海 ・第六戦隊 司令官 五藤存知少将 (1888-1942/10/12サボ島沖海戦で座乗の重巡 青葉 艦橋に被弾没) ・重巡:青葉・衣笠・加古・古鷹 ・第18戦隊 司令官 松山光治少将(1959/9/21、68才歿) ・軽巡:天龍・夕張 ・第29駆逐隊 ・駆逐艦:夕凪 ●連合国海軍の編成:〜 ・第62任務部隊〜 司令官 米ターナー少将(Admiral Richmond Kelly Turner, 1885-1961) ・南方部隊〜 (サボ島とガ島間の南水道警備) 英V・A・C・クラッチレー少将(水上部隊指揮官) (Admiral Sir Victor Alexander Charles Crutchley KCB, RN 1893-1986) ・重 巡:豪オーストラリア号、豪キャンベラ号、米シカゴ号 (USS Chicago, CA-29) ・駆逐艦:米パターソン号(Patterson DD-392)、米バッグレイ号(USS Bagley DD-386) ・北方部隊〜 (サボ島とフロリダ島間の北水道警備) 米フレデリック・F・リーフコール大佐 ・重巡:米ヴィンセンス号(USS Vincennes, CA-44)、米クインシー号、 米アストリア号 (USS Astoria, CA-34) (3隻ともニューオーリンズ級重巡洋艦) ・駆逐艦:米ヘルム号 (USS Helm, DD-388、米ウィルソン号 (USS Wilson, DD-408) ・東方部隊〜 (ツラギ島東方とガ島間のシーラーク水道警備) 米スコット少将(Rear Admiral Norman Scott, 1889-1942/11/13) (第三次ソロモン海戦第1夜戦でガダルカナル島沖に53才没) ・軽 巡:米サン・ファン号 (USS San Juan, CL-54) 、豪ホバート号 (HMAS Hobart) ・駆逐艦:モンセン号(USS Monssen, DD-436)、ブキャナン号 (USS Buchanan, DD-484) ・哨戒隊〜 (サボ島南北水道外側に一隻ずつ前程哨戒配備) ・駆逐艦:米ラルフ・タルボット号 (USS Ralph Talbot, DD-390) ・駆逐艦:米ブルー号 (USS Blue, DD-387)。 ▼両軍の損害:〜
●帝国軍艦艇の損害 ・小破〜重巡 鳥海・青葉・衣笠 ・鳥海〜小破:一番砲塔と後部艦橋が破壊 ・青葉〜小破:2番魚雷発射管が被弾・炎上、1・2番魚雷発射管が使用不能 ・衣笠〜小破:左舷舵取機室が故障、第一機械室に火災が発生、若干の浸水 ・天龍〜最小被害 ・夕張〜最小被害。 ※加古 沈没〜攻撃後の1942/8/10朝、第六戦隊と共にカビエンまで残り100浬のニューアイルランド島北方海域を16ノットで航行していた重巡 加古が午前7時10分に米潜S44号(SS-15,5,850t,42人, 1943/10/7千島列島北東部付近にて海防艦 石垣:860t,146人,1944/5/31米潜ヘリング雷撃で沈没)の砲撃で沈没)の雷撃で轟沈。 ●連合軍艦艇の損害 ・沈没〜重巡 米アストリア号、米クインシー号、米ビンセンス号、豪キャンベラ号 ・大破〜米重巡シカゴ号、米駆逐艦ラルフ・タルボット号 ・中破〜米駆逐艦パターソン号 ※9日昼間、駆逐艦ジャービス号が独自に戦場を離脱して帝国第25航空戦隊が撃沈。 ※大本営発表:〜「嘘」を発表して大日本帝国臣民(国民)を騙す 本ソロモン海戦では帝国海軍が一方的な勝利を収め、その夜戦能力の高さを示し、第八艦隊は「重巡洋艦4隻、甲巡3隻大火災沈没確実、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻撃沈。軽巡洋艦1隻、駆逐艦2隻撃破」を主張。これを受けた大本営は、第25航戦があげた誤認戦果をあわせ、 ・第八艦隊の戦果 ・米甲巡洋艦6隻 ・英甲巡洋艦2隻 ・米乙巡洋艦1隻 ・英乙巡洋艦1隻 ・艦型未詳乙巡2隻 ・駆逐艦9隻 ・潜水艦3隻 ・輸送船10隻〜 上記を撃沈 ・第25航戦の戦果 ・戦艦1隻 ・重巡洋艦4隻 ・軽巡洋艦4隻 ・輸送船10隻〜 上記を撃沈 ・甲巡1隻〜 上記を撃破 ・輸送船4隻撃破〜 上記を大破 ・戦闘機49機 ・爆撃機9機〜 上記を撃墜 ・味方航空機21機喪失 ・味方巡洋艦2隻損傷 と華々しい大本営発表を行い、本海戦を「第一次ソロモン海戦」と命名するも、 本当は戦後の調べで上記の通りでした。 ・重巡洋艦 鳥海(ちょうかい)の装備:〜就役:1932/6/30 (大日本帝国海軍の重巡洋艦)
参考HP〜 ・ソロモン諸島の地図(日本語) ・海戦の場所地図(4つの海戦の場所地図) ・ソロモン諸島西部州の地図(クラ湾はコロンバンガラ島とニュージョージア島の間) ・アイアンボトム・サウンドの地図(両軍の沈没船の場所地図) |
58 <第2次ソロモン海々戦> 1942/8/24 |
空母 龍驤 米艦載機の攻撃で撃沈される ソロモン諸島 1995 発行 |
エンタープライズ号 帝国艦載機の爆弾が命中、 大爆発・大破 USA 1992 発行 |
1942/8/24第2次ソロモン海々戦。ガ島空襲のため進出中の帝国海軍航空母艦 龍驤に対し、米機動部隊サラトガ号、エンタープライズ号の艦載機が攻撃して炎上・沈没。別動の3万屯級の帝国航空母艦 翔鶴、瑞鶴を発艦した75機がエンタープライズ号と戦艦ノースカロライナ号を攻撃、エンタープライズ号は大破するも、帝国のガ島増援部隊(1,500人)上陸は中止になりました。 |
第2次ソロモン海々戦 (2nd Battle of Solomon Islands)、1942/8/24、米国の勝利 別名(米軍呼称):東部ソロモン海戦 (Battle of the Eastern Solomons) 場所:ソロモン諸島サンタイサベラ島北周辺 (North of Santa Isabel, Solomon Islands) 連合軍のガダルカナル島上陸に対し、帝国軍はガ島上陸の米軍海兵隊の戦力を約3,000人と誤認して、帝国海軍は陸軍に協力を要請、陸軍は百武晴吉中将を司令官とするラバウルの第17軍にガダルカナル奪還の任を命じました。第17軍は、パラオ諸島の川口支隊(川口清健少将、歩兵第35旅団司令部及び歩兵第124連隊基幹)、フィリピンの青葉支隊(那須弓雄少将、第2師団歩兵第4連隊主力基幹)、内地転属のためグァム島に待機中であった一木支隊(一木清直大佐、第7師団歩兵第28連隊基幹)を投入することにしました。各隊は直ちにガダルカナル島へ向かうも、距離の近かった一木支隊が最初に到着。百武中将は、一木支隊約2,300人から900人を先遣隊として速度の速い駆逐艦で直ちにガダルカナル島に上陸させ、連合軍陣地を攻撃しルンガ岬の飛行場を奪還せよと命じました。後続の第2梯団は別途低速の輸送船で送り込まれることとなりました。そして、一木支隊第1梯団はトラック島にある帝国軍海軍基地を経由してガダルカナルへと向かいました。ます、1942/8/16に一木支隊第1梯団陸戦隊1個中隊120人が駆逐艦 追風でガダルカナル島に上陸。8/17には帝国軍一木支隊先遣隊900人を乗せた有賀幸作第4駆逐隊司令指揮下の駆逐艦6隻(嵐・萩風・浦風・谷風・浜風・陽炎)がトラック島基地を出発し、8/18にガダルカナル島タイポ岬へ上陸させました。さらに、8/19には一木支隊の増援部隊(約1,500人)が第二水雷戦隊(旗艦 神通 司令官田中頼三少将)に護衛されてトラックを出発。ところが先遣隊は8/20夜に飛行場の米軍陣地へ突撃するも翌昼頃には全滅していました。8/24には南雲機動部隊本隊(空母 翔鶴、瑞鶴)がソロモン諸島の東方を警備し、原少将率いる支隊の軽空母 龍驤が上陸船団の護衛を務めました。原支隊は
▼両軍の兵力:〜
▼両軍の編成:〜(増援部隊輸送の支援) ●帝国海軍の編成:〜 ・第2艦隊:近藤信竹中将(旗艦:重巡 愛宕) ・戦艦〜1隻 陸奥 ・重巡〜5隻 ・第4戦隊:重巡 愛宕・高雄・摩耶 ・第5戦隊:重巡 妙高・羽黒 ・軽巡〜1隻 ・第4水雷戦隊〜旗艦:軽巡 由良 ・駆逐艦〜8隻 ・第9駆逐隊:朝雲・夏雲・山雲・峯雲 ・第27駆逐隊:白露・時雨・有明・夕暮 ・軽巡〜1隻 ・第2水雷戦隊〜旗艦:軽巡 神通 司令官:田中頼三少将 ・駆逐艦〜10隻 ・第24駆逐隊:涼風・海風・江風 ・第30駆逐隊:睦月・弥生・卯月・望月(安武史郎大佐) (再編成:睦月、弥生、江風、磯風、陽炎の説有) ・第15駆逐隊:陽炎(陽炎・磯風・夕凪は別働隊を編成) ・第17駆逐隊:磯風 ・第29駆逐隊:夕凪 ・哨戒艇〜4隻 ・哨戒艇1号・2号・34号・35号 ・輸送船〜3隻 ・輸送船:ぼすとん丸・大福丸・金龍丸 ・水上機母艦〜2隻 ・第11航空戦隊:千歳 ・第2南遣艦隊附属:山陽丸 ・第3艦隊(南雲機動部隊):南雲忠一中将、阿部弘毅少将 ・空母〜2隻 ・第1航空戦隊:翔鶴・瑞鶴 ・戦艦〜2隻 比叡・霧島 ・重巡〜3隻 ・第8戦隊:筑摩 ・第7戦隊:鈴谷・熊野 ・軽巡〜1隻 ・第10戦隊:長良 ・駆逐艦〜11隻 ・第 4駆逐隊 :野分・舞風 ・第10駆逐隊:秋雲・夕雲・巻雲・風雲 ・第18駆逐隊:初風 ・第19駆逐隊:浦波・敷波・綾波 ・第34駆逐隊:秋風 ・支隊:原忠一少将 ・空母〜1隻 ・第2航空戦隊:龍驤 ・重巡〜1隻 ・第8戦隊:利根(司令官 原忠一少将座乗) ・駆逐艦〜2隻 ・第16駆逐隊:時津風・天津風 ●連合国海軍の編成:〜 ・第61任務部隊 ・第11任務群(Task Force 11) F・J・フレッチャー中将(Vice Admiral Frank Jack Fletcher, 1885-1973) C・H・ライト少将(Rear Admiral Carleton Herbert Wright, 1892-1970) ・空母:サラトガ号(USS Saratoga, CV-3) ・重巡:ニューオリンズ号、ミネアポリス号、駆逐艦4隻 ・第16任務群(Task Force 16) T・C・キンケイド少将(Admiral Thomas Cassin Kinkaid、1888-1972) ・空母:エンタープライズ号 ・戦艦:ノース・カロライナ号(USS North Carolina BB-55) ・重巡:ポートランド号(USS Portland CA-33) ・軽巡:アトランタ号 ・駆逐艦:バルチ号、グウィン号、グレイソン号、ベンハム号、モーリィ号 ・第18任務群(Task Force 18) F・C・シャーマン少将 N・スコット少将 ・空母:ワスプ号 ・重巡:サンフランシスコ号(USS San Francisco CA38)、ソルトレイクシティー号(Salt Lake City CA25) ・軽巡1隻、駆逐艦7隻 ・戦闘経過
▼両軍の損害:〜
●帝国軍艦艇の損害 ・空 母:龍驤〜沈没 ・艦載機:25機〜損失 ・駆逐艦:睦月〜沈没 ・輸送船:金龍丸〜沈没 ・軽 巡:神通〜中破 ・水上機母艦:千歳〜中破 ●連合軍艦艇の損害 ・空母:エンタープライズ号〜中破 ・艦載機:9機〜損失 ・航空母艦 龍驤(りゅうじょう)の装備:〜竣工:1933/5/9 (大日本帝国海軍の航空母艦)
参考HP〜 ・第2次ソロモン海戦の地図 |
59 <サヴォ島沖海戦〜夜戦> 1942/10/11夜 夜戦にレーダー現る |
サボ島沖海戦 (Battle of Off Savo Island)、1942/10/11深夜〜10/12、米国の勝利 別名(米軍呼称):エスペランス岬沖海戦
サボ島沖海戦は昭和17年10月11日夜、ガタルカナルへの補給船団の護衛をしていた、五藤少将率いる第6戦隊(重巡3隻 青葉・古鷹・衣笠、駆逐艦2隻)は、同じく補給のためにガタルカナルに向かっていた米軍艦隊と衝突して勃発しました。この海戦は帝国軍が完全に不意をつかれた戦いであり、夜戦を得意としていた帝国海軍にとっては、屈辱的な負け方をしました。新兵器レーダーの登場です。 10/11の夜、輸送船団を護衛していた五藤少将は米艦隊がいないと判断してガダルカナル島へ接近。そのため前方の暗闇に艦影を発見した時に、味方艦隊と思いこみ、味方識別信号を発しました。一方米艦隊は軽巡ボイス号とヘレナ号に最新鋭SGレーダーを搭載し、帝国艦隊の接近を早くから察知していました。第6戦隊は、飛行場へ艦砲射撃を開始しようとした瞬間に、突然、思わぬ暗闇から攻撃を受けてしまいました。レーダー射撃により、夜間にも関わらず百発百中。米艦隊の最初の攻撃で、旗艦 青葉が艦橋に被弾、五藤少将は戦死。以後混乱し、両軍入り乱れての混戦となり、帝国艦隊は逃げまどい、なんとか反撃して全滅は逃れ、補給作戦は成功して残存艦はショートランド泊地に帰投しました。 このサボ島沖海戦は、帝国のレーダーに対しての認識の低さが故の敗戦でした。レーダーに対しての軽視が、帝国の敗戦の原因とも言われています。帝国軍にレーダーが無かった訳ではなく、開発もしていたし、ミッドウェー海戦時には、戦艦 伊勢・日向に1台ずつ搭載されていました。しかし、あくまで飾りであって本格的使用までには至っていませんでした。連合軍はレーダーによって正確な場所を察知し、そこに攻撃をしました。一方帝国軍はサーチライトで敵艦を探し、あくまで肉眼で敵艦の場所を確認・攻撃していましたので、暗闇では勝てる訳がありませんでした。 ▼両軍の兵力:〜
●帝国艦隊の編成:〜 ・輸送艦隊:〜城島高次少将(重火器・糧食・人員等を満載) ・水上機母艦2隻(日進、千歳)10/11深夜、揚陸作業を完了 ・護衛兼輸送駆逐艦隊(秋月、綾波、白雲、叢雲、朝雲、夏雲) ・支援艦隊:〜五藤少将(外南洋部隊の命で飛行場砲撃を企図) ・第六戦隊: ・砲撃艦隊:重巡:3隻(青葉(旗艦)、衣笠、古鷹) ・護衛駆逐艦:2隻(吹雪、時雨) ●米国艦隊の編成:〜 第64任務部隊(Task Force 64) ノーマン・スコット少将(Rear Admiral Norman Scott 1889-1942/11/13) (第三次ソロモン海戦でガダルカナル島沖に軽巡アトランタ号上にて53才没) ・重 巡:サンフランシスコ号(USS San Francisco)、ソルトレイクシティー号(USS Salt Lake City) ・軽 巡:ボイシ号(USS Boise)、ヘレナ号(USS Helena) ・駆逐艦:ファーレンホルト号(USS Farenholt)、ダンカン号(USS Duncan)、 ラフェティ号(USS Laffey)、マッカラ号(USS McCalla)、ブキャナン号(USS Buchanan) ▼両軍の損害:〜
●帝国軍の損害 ・沈没: ・重 巡:古鷹 転覆沈没 ・駆逐艦:吹雪 轟沈、夏雲、叢雲 ・大破:重巡 青葉 ・小破:重巡 衣笠 ●米国軍の損害 ・沈没:駆逐艦ダンカン号、炎上・放棄され翌日沈没 ・大破: ・軽 巡:ボイシ号 ・駆逐艦:ファーレンホルト号 ・小破: ・重 巡:ソルトレイクシティー号
・艦隊編成:〜 1)艦砲射撃隊 ・第3戦隊:戦艦 金剛(旗艦)・榛名 2)直衛隊 ・第15駆逐隊:駆逐艦 親潮・黒潮・早潮 ・第24駆逐隊:駆逐艦 海風・江風・涼風 3)前路警戒隊 ・第2水雷戦隊:軽巡 五十鈴 (旗艦) ・第31駆逐隊:駆逐艦 高波・巻波・長波 4)第2航空戦隊の空母 隼鷹・飛鷹が10/11にトラック島を出撃、 常時零戦6機の上空直衛機を第2次挺身攻撃隊上空に配備。 (3)10/14夜半、 重巡 鳥海・衣笠が基幹兵力で砲撃成功(鳥海・衣笠、計752発) (4)10/15夜半、 重巡 妙高・摩耶が基幹兵力で砲撃成功 (妙高476発、摩耶450発、駆逐艦 長波・巻波・高波で計253発) (5)11/12夜半、 戦艦 比叡・霧島が基幹兵力で砲撃失敗。第三次ソロモン海戦第一夜戦 (6)11/13夜半、 重巡 鈴谷・摩耶が基幹兵力で砲撃成功 (鈴谷504発、摩耶485発)西村祥治少将の第7戦隊 (7)11/14夜半、 戦艦 愛宕・高雄・霧島が基幹兵力で砲撃失敗。第三次ソロモン海戦第二夜戦 参考HP〜 ・米重巡洋艦 クィンシー号の装備:〜就役:1936/6/9 (USS Quincy, CA-39、アメリカ海軍の重巡洋艦)
参考HP〜 ・サボ島沖海戦の地図 ・ガダルカナル島エスペランス岬の場所地図 15/10/6 |
60 <南太平洋海戦> 1942/10/26 |
空母機動部隊の戦い 空母”隼鷹”の攻撃機に襲われるエンタープライズ号 Battle of Eastern Solomons マーシャル諸島 1992 発行 |
エンタープライズ号に 帝国艦載機の爆弾が命中、大爆発・中破 USA 1992 発行 |
ドーリットル機隊を発艦させた ”ホーネット号”沈没 マーシャル諸島 1992 発行 |
10/27南雲部隊の航空母艦 翔鶴(旗艦)・瑞鶴・瑞鳳(2万6千屯)、隼鷹(1万1千屯)と、米軍機動部隊の修理なったエンタープライズ号(3万屯級)とホーネット号(2万屯級)が対決した南太平洋海戦で、ホーネット号沈没、エンタープライズ号大破。帝国海軍は翔鶴が大破、瑞鳳が中破しました。 帝国の連合艦隊はガダルカナル島に派遣されていた陸軍第2師団の総攻撃(当初10月22日予定)支援のために第2艦隊(近藤中将)、第3艦隊(南雲中将)を派遣。第3艦隊がガダルカナル島の部隊を支援するために展開していた米海軍機動部隊(トマス・キンケード少将)と交戦。帝国軍は米軍空母1隻を撃沈、1隻を中破させ、空母・軽空母各1隻に損傷を受け、翌27日も索敵を行いましたが敵影を認めず、30日午後トラック島に帰投。山本連合艦隊司令長官は南雲中将・草鹿少将の肩を叩いて、その労をねぎらいました。米海軍は太平洋での稼働空母を全て失い、対日報道アナウンサーのW・ウィンターは「アメリカ海軍創設以来、最悪の海軍記念日を迎えた」と放送しました。しかし帝国軍はガダルカナル島の支援には失敗。また帝国軍は優秀な空母機搭乗員を多数失い、帝国機動部隊は以降有効な戦闘力を失うこととなりました。 |
南太平洋海戦 (Battle of the South Pacific)、1942/10/26、帝国の勝利(米軍の戦略的勝利) 別名(米軍呼称):サンタ・クルーズ諸島海戦 (Battle of the Santa Cruz Islands) 場所:ソロモン諸島サンタ・クルーズ諸島沖 (Santa Cruz Islands, Solomon Islands) 昭和17年10月26日の南太平洋海戦後、対日宣伝のラジオ放送が「この日ほど悲惨な海軍記念日を迎えたことはアメリカ海軍創設以来初めてのことである」と伝えました。このコメントでも分かる通り、この海戦でアメリカ中心の連合国軍は敗れました。この勝利はミッドウェイ海戦の敗退の穴を埋めて余りある勝利であったことはあまり知られていません。 ミッドウェイ海戦の敗退の後、その責任論は帝国海軍内に噴出するも、すべて山本五十六連合艦隊司令長官の預かりとなり、結局そのままになってしまいました。機動部隊の司令長官は南雲中将のままで、この海戦はミッドウェイの汚名挽回の機会となりました。帝国連合艦隊がミッドウェイの敗戦の理由を細かく分析し、この南太平洋海戦に備えたことはあまり知られていませんが、結果は出しました。見事にミッドウェイの借りを返しました。そして南雲中将はこれで第三艦隊長官(1942/7/14-11/10)を退任(1942/11/11佐世保鎮守府司令長官)し、後任者(小沢治三郎中将)に譲ることになりますが、それはミッドウェイでの責任を取った訳ではなく定期人事でした。 では、ミッドウェイと何処を変えたのでしょうか?ミッドウェイ海戦の時は、空母を中心とした機動部隊を前衛に置き、戦艦 大和を中心とした本隊は遙か後方にいました。そして無線の調子が悪かった影響もあり本隊と前衛の連絡ができず、バラバラに行動せざるを得ない状況になってしまっていました。機動部隊は集中攻撃を受け、しかも後方の本隊は全く何もできずに、ただ空母4隻が沈没する報告を受けるしかなかったのです。これでは後方の部隊は全く意味がないことになり、それを反省し、前衛に戦艦 比叡・霧島を中心とする艦隊を置き、空母 翔鶴・瑞鶴を中心とした機動部隊を後方に置いて戦力を分散させました。これで機動部隊への集中攻撃を防ぐことができ、かつ2つの部隊から偵察ができることになり、早期に米空母を発見することが可能になりました。ミッドウェイ海戦での米空母発見が遅れた原因を分析し、かつ攻撃された場合に備えての部隊配置でした。 そしてミッドウェイで経験した「不意打ち」に対する準備も万全でした。第1次攻撃隊発進後、第2次攻撃隊用の攻撃機には爆弾や魚雷を搭載していませんでした。「不意打ち」された時に備え、迎撃戦闘機として、すぐにでも発進できる準備をしていたのです。そして攻撃された時に攻撃機に搭載してある爆弾や魚雷の誘爆を防ぐ目的もありました。ミッドウェイではこれで痛い目にあっているので、それを反省しての作戦でした。その変わり発進準備に時間がかかり、敵発見からやや遅れて発進することになってしまいましたが、今まで「防御」に関しては全くの無策だった帝国海軍にしてみれば、かなり「防御」を考えた作戦でもありました。こうした対策のもとで海戦に備えました。 10月26日、先に相手を発見したのは帝国艦隊でした。急遽、第1次攻撃隊を発艦。瑞鳳が米偵察機に発見され攻撃を受けました。第1次攻撃隊は途中に米攻撃機と交戦。この空中戦を突破した両攻撃隊は、ほぼ同時に敵空母を攻撃、帝国軍はホーネット号を大破させ、米軍は翔鶴を大破させました。さらに両軍の第2次攻撃隊は、空母エンタープライズ号゙を大破させ、筑摩を大破させました。その後、帝国軍は4次にわたる攻撃で戦果を拡大し、最後に瀕死のホーネット号を駆逐艦の雷撃で沈没させました。 ▼両軍の兵力:〜
・重巡:妙高、摩耶 ・第2航空戦隊 司令官:角田覚治少将 ・空母:隼鷹〜艦載機 48機 ・第2水雷戦隊 司令官:田中頼三少将 ・軽巡洋艦:五十鈴 ・第15駆逐隊 司令:佐藤寅治郎大佐 ・駆逐艦:黒潮、親潮、早潮、陽炎 ・第24駆逐隊 司令:中原義一郎中佐 ・駆逐艦:海風、涼風、江風 ・第31駆逐隊 司令:清水利夫大佐 ・駆逐艦:長波、巻波、高波 ・第3艦隊 司令長官:南雲忠一中将、参謀長:草鹿龍之介少将 ・第1航空戦隊:南雲忠一司令長官直率 ・空母:翔鶴、瑞鶴、瑞鳳 ・第4駆逐隊 司令:有賀幸作大佐 ・駆逐艦:嵐、舞風、(野分は補給部隊護衛) ・第16駆逐隊 司令:荘司喜一郎大佐 ・駆逐艦:初風、雪風、天津風、時津風、浜風(臨時編入) ・第61駆逐隊 司令:則満宰次大佐 ・駆逐艦:照月 ・第11戦隊 司令官:阿部弘毅少将 ・戦艦:比叡、霧島 ・第7戦隊 司令官:西村祥治少将 ・重巡:鈴谷、熊野 ・第8戦隊 司令官:原忠一少将 ・重巡洋艦:利根、筑摩 ・第10戦隊 司令官:木村進少将 ・軽巡洋艦:長良 ・第10駆逐隊 司令:阿部俊雄大佐 ・駆逐艦:秋雲、風雲、巻雲、夕雲 ・第17駆逐隊 司令:北村昌幸大佐 ・駆逐艦:浦風、磯風、谷風
・軽巡洋艦:サン・ファン号 ・第5駆逐艦戦隊 ・駆逐艦:マハン号、カッシング号、ポーター号、スミス号、 プレストン号、モーレー号、ショー号、カニンガム号 ・第17任務部隊 ジョージ・D・マレー少将 ・空母 ホーネット号、艦載機84機 (F4F 37機 SBD 30機 TBF 17機) 1942/10/26稼動機:72機(F4F 32機、SBD 24機、TBF 16機) ・第5巡洋艦戦隊 ・重巡洋艦:ノーザンプトン号、ペンサコラ号 ・軽巡洋艦:サン・ディエゴ号、ジュノー号 ・第2駆逐艦戦隊 ・駆逐艦:モーリス号、アンダーソン号、ヒューズ号、 オースチン、ラッセル号、バートン号 ・ガダルカナル島ヘンダーソン基地:航空機60機 ▼両軍の損害:〜
帝国軍の損害:〜 ・大破 空母 翔鶴、重巡 筑摩 ・中波 軽空母 瑞鳳 ・小破: 駆逐艦 秋月、照月(26日夜、大型機爆撃による) ・航空機喪失:92機、搭乗員戦死148 ・艦船乗組員戦死:250〜350人。 連合軍の損害:〜 ・沈没 空母ホーネット号、駆逐艦ポーター号 ・大破 駆逐艦 スミス号 ・中破 空母エンタープライズ号 ・小破 戦艦サウスダコタ号、軽巡サン・ファン号 ・航空機喪失:74機、航空機搭乗員戦死39 ・艦船乗組員戦死:254人。 (※)ミッドウェー海戦とこの南太平洋海戦でハワイ奇襲以来の帝国海軍空母艦載機部隊は壊滅してしまい、再建を目指した艦載機部隊は い号作戦(ガ島やニューギニア島南東部ポートモレスビー、オロ湾、ミルン湾の空襲)、ろ号作戦(ブーゲンビル島沖航空戦)、マリアナ沖海戦、台湾沖航空戦などですり潰され、この後敗戦まで二度と同規模、同水準の部隊となることはありませんでした。 参考HP〜 ・南太平洋海戦の地図 ・NHKアーカイブス 決戦<南太平洋海戦>(当時のニュース映画) 15/11/22 参考〜 ・帝国の戦艦 霧島 (きりしま)の装備:〜竣工:1915/4/19(明治45年) (大日本帝国海軍の戦艦、金剛型戦艦の4番艦) 昭和11年(1936)佐世保海軍工廠で第二次近代化改装
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61 <第3次ソロモン海々戦> 1942/11/12-15 帝国艦隊がルンガ泊地へ突入・艦砲射撃 |
両軍の夜戦での戦い |
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米軍のレーダー射撃 |
帝国軍のサーチライト射撃 |
マーシャル諸島 発行 |
11/12、夜半に戦艦 霧島・比叡がルンガ泊地へ突入するも砲撃せず、比叡が沈没 11/13、重巡 鳥海・衣笠中心の艦隊で艦砲射撃に成功 11/14、戦艦 霧島と重巡中心の艦隊で攻撃を企図するも、 米軍の反撃を受けてガダルカナル島砲撃を断念。 |
第3次ソロモン海々戦 (3rd Battle of Solomon Islands)、1942/8/24、米国(連合軍)の勝利 別名(米軍呼称):ガダルカナル海戦 (Naval Battle of Guadalcanal) 場所:ソロモン諸島ガダルカナル島近海 (Guadalcanal Island, Solomon Islands) 南太平洋海戦では帝国が勝利したものの、それは戦術的・部分的な勝利であって、ガダルカナル島の戦いの補給は依然困難をきわめていました。ガタルカナルへの輸送を成功させるためには、どうしてもガタルカナルにある米軍ヘンダ−ソン飛行場が邪魔でした。そこで、戦艦を中心とした艦隊でヘンダ−ソン飛行場への、さらなる艦砲射撃を行うことになり、第3次ソロモン海々戦が起りました。 <帝国の戦力>
外南洋部隊よりの参加兵力 指揮官 三川軍一中将 ・第八艦隊 司令長官 三川中将 ・重巡 鳥海・衣笠 ・駆逐艦 朝潮 ・支援部隊司令官 西村祥治少将 ・第七戦隊 ・重巡 鈴谷・摩耶 ・軽巡洋艦 天龍 ・第十駆逐隊 ・駆逐艦 夕雲・巻雲・風雲 ・駆逐艦 満潮(13日、爆撃を受け航行不能 ・東方支援隊司令官 原忠一少将 ・第八戦隊 ・重巡 利根(12日夜、本隊と合流 ・第三水雷戦隊(12日夜、本隊と合流) ・母艦支援隊 ・第二航空戦隊 ・正規空母 隼鷹(空母飛鷹は機関故障でトラック待機) ・軽空母 瑞鳳 ・第三戦隊 栗田健男中将 ・戦艦 金剛・榛名(11日にトラック泊地で36p主砲弾一部を比叡・霧島に譲渡 ・駆逐艦 白雪・初雪 ・第八戦隊 ・重巡 利根(14日午前8時、第三戦隊指揮下に入る) ・輸送部隊指揮官 田中頼三少将 ・第二水雷戦隊 指揮官 田中少将 ・軽巡 五十鈴(12日、旗艦を早潮に変更 ・第15駆逐隊 ・駆逐艦 早潮・親潮・陽炎 ・第24駆逐隊 ・駆逐艦 海風・江風・涼風 ・第31駆逐隊 ・駆逐艦 高波・巻波・長波 ・収容隊 ・駆逐艦 望月、天霧 ・待機隊 ・駆逐艦 黒潮 ・輸送船隊 ・第一分隊 ・輸送船 長良丸・宏川丸・佐渡丸・かんべら丸・那古丸 ・第二分隊 ・輸送船 山月丸・山浦丸・信濃川丸・鬼怒川丸・ぶりすべん丸・ありぞな丸 ・第3次ソロモン海々戦 (1)第1夜戦〜11/12の夜戦 (2)第2夜戦〜11/13の夜戦 (3)第3夜戦〜11/14の夜戦
1942/8/12午前中の帝国軍による航空攻撃は失敗し、米軍はガダルカナル島に増援兵力を輸送することに成功。12日午後、米軍はB-17爆撃機による航空偵察をおこない、ガダルカナル島に接近する帝国軍艦隊を発見。そこでターナー提督は自身の護衛艦隊から巡洋艦3隻(アトランタ号、ジュノー号、ヘレナ号)、駆逐艦2隻を分離。キャラハン少将の艦隊に加えました。一方、8/12(木)午後3:30に田中少将率いる輸送船団と護衛艦隊はショートランド泊地を出港。日没後、サンタイサベル島の北東方でマライタ島北方にて両艦隊が激突して第3次ソロモン海々戦第1夜が勃発しました。 ▼両軍の兵力:〜
○帝国艦隊の編成:〜帝国は第1挺身艦隊を編成 ・第1挺身艦隊の編成:〜(指揮官)阿部弘毅中将(第11戦隊司令官) ・本 隊〜戦艦 比叡・霧島 ・直衛隊〜 軽巡 長良、駆逐艦 雪風・天津風・暁・雷・電・照月 ・警戒隊〜駆逐艦 朝雲・村雨・五月雨・夕立・春雨 ・ガ島ラッセル岬警戒隊〜駆逐艦 時雨・白露・夕暮 ・所属艦隊 ・第11戦隊 戦艦 比叡(旗艦)・霧島 ・第10戦隊 軽巡 長良(旗艦) ・第6駆逐隊 駆逐艦 暁・雷・電 ・第16駆逐隊 駆逐艦 天津風・雪風 ・第61駆逐隊 駆逐艦 照月 ・第4水雷戦隊 駆逐艦 朝雲(旗艦) ・第2駆逐隊 駆逐艦 村雨・五月雨・夕立・春雨 ・第27駆逐隊 駆逐艦 時雨・白露・夕暮。 ○米国艦隊の編成:〜 主席司令官 ダニエル・J・キャラハン少将 (Rear Admiral Daniel Judson Callaghan, 1890-1942/11/13) 次席指揮官スコット少将(Rear Admiral Norman Scott, 1889-1942/11/13) (主席・次席指揮官共に第1夜戦でアトランタ号座乗中ガダルカナル島沖に没) ・第67任務部隊第4群 ・重巡 サンフランシスコ号、ポートランド号 ・軽巡 アトランタ号、ジュノー号、へレナ号 ・駆逐艦〜8隻 ・カッシング号、ラフィー号、ステレット号、オバノン号 ・アーロン・ワード 号、バートン 号、モンセン号、フレッチャー号。 11/12の闇夜の中で、帝国挺身艦隊と米艦隊が遭遇、帝国軍時間11/12午後11:51(米軍時間11/13午前1:50)、戦艦 比叡がサーチライトを照射して闇夜の戦場を照らすと同時に、徹甲弾ではなく弱装弾薬・対地攻撃用三式弾で36p主砲の砲撃を開始。双方ともに同士討ちの危険の中で、砲・雷撃戦を展開後、共に犠牲を出して、第1次挺身艦隊はガダルカナル島砲撃を中止。田中少将の帝国軍輸送部艦隊(第38師団の輸送)は11/13(金)午後1時にショートランド泊地に戻ってきました。一方の米軍第67任務部隊第4群はかなりの損害を受けるも、帝国艦隊のガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃を阻止して任務を果たしました。 ▼両軍の損害:〜
沈没喪失艦 ・戦艦 比叡 (11/12午後11:51探照灯で米艦隊を照射砲撃するも反撃で被弾・舵故障、翌日の 米機攻撃で機関停止後、自沈処分前午後11時頃沈没・戦死188、負傷152人) ・駆逐艦 暁 (11/13午前1:50探照灯で米艦隊を照射後、反撃砲撃で轟沈) ・駆逐艦 夕立 (11/13午前00:26頃米探照灯照射砲撃で被弾・大破航行不能後、米砲撃で沈没) 大破 ・駆逐艦 雷(比叡と共に砲撃されて大破するも単艦トラックに11/17帰投) 中破 ・駆逐艦 天津風(駆逐艦バートン撃沈後、探照灯照射砲撃するも反撃で被弾・中破) (巡洋艦1隻・輸送船1隻轟沈、巡洋艦1隻・魚雷艇1隻大破確実を報告) 小破 ・駆逐艦 村雨・春雨 ・米軍の損害 指揮官キャラハン少将と次席指揮官スコット少将が戦死 沈没喪失艦 ・軽巡アトランタ号(11/13午後、自沈処分) ・軽巡ジュノー号(撤退中、伊号潜水艦イ26の雷撃で撃沈される) ・駆逐艦カッシング号、ラフィー号、バートン号、モンセン号 大破 ・重巡サンフランシスコ号、ポートランド号 ・駆逐艦アーロン・ウォード号 中破 ・駆逐艦ステレット号 小破 ・軽巡ヘレナ号 ・駆逐艦オバノン号。 ・帝国の戦艦 比叡(ひえい)の装備:〜竣工:大正3年(1914/8/4) (大日本帝国海軍の金剛型戦艦の2番艦、昭和天皇の御召艦) (第一次世界大戦後のロンドン海軍軍縮会議で練習艦として運用)
○帝国艦隊の編成:〜 外南洋部隊主艦隊 ・第八艦隊(三川軍一中将)〜後に合流 ・重巡 鳥海・衣笠 ・軽巡 五十鈴 外南洋部隊支援艦隊 ・第七戦隊〜西村祥治少将 ・突入砲撃隊 ・重巡 鈴谷(突入成功、主砲504発砲撃)、旗艦 ・重巡 摩耶(突入成功、主砲485発砲撃) ・警戒部隊〜米魚雷艇から重巡2隻を護衛 ・軽巡 天龍 ・第10駆逐隊 駆逐艦 夕雲・巻雲・風雲 ・第8駆逐隊 駆逐艦 朝潮 田中輸送部隊(11隻〜第38師団のガ島投入・増援) ・第一分隊〜5隻 ・第二分隊〜6隻 ・駆逐艦 江風。 ○米国艦隊の編成:〜 第64任務部隊(リー少将) ・空母エンタープライズ号機動部隊 ・指揮官:トーマス・C・キンケイド少将 ・第16任務部隊 空母エンタープライズ号 (USS Enterprise, CV6) ・重巡ペンサコーラ号 (USS Pensacola, CA24)、ノーザンプトン号 (USS Northampton, CA26) ・軽巡サンディエゴ号 (USS San Diego, CL53) ・駆逐艦8隻 ・ガダルカナル島基地の海兵隊機。 ▼両軍の損害:〜
帝国軍の沈没喪失艦 ・重巡 衣笠(1942/11/14午前9:22沈没) 大破 ・重巡 摩耶 中破 ・重巡 鳥海 ・軽巡 五十鈴 輸送船の沈没(6隻) ・輸送船 かんべら丸・長良丸・ぶりすべん丸・信濃川丸・ありぞな丸・那古丸 ・小破(輸送船 佐渡丸) 帝国航空機の戦果(19)と損害(12) ・飛鷹隊が8機撃墜を主張(零戦3機喪失) ・第204空の零戦12機が4機撃墜(2機喪失) ・第253空の零戦6機が4機撃墜(3機喪失) ・第582空の零戦9機が3機撃墜(3機喪失) ・水上偵察機1機がSBDと空中衝突 米国航空機の損害 ・19機喪失 ・空中衝突でドーントレスSBD急降下爆撃機〜1機 11/13午前3:00〜5:40に外南洋部隊主隊(重巡 鳥海、衣笠、軽巡 五十鈴)と外南洋部隊支援隊(指揮官 西村祥治 第七戦隊司令官 旗艦 重巡 鈴谷・摩耶、軽巡 天龍、第10駆逐隊 夕雲・巻雲・風雲、第8駆逐隊 朝潮)がショートランド基地を出撃。11/14午前2:00重巡 鈴谷・摩耶がヘンダーソン基地の砲撃に成功。鈴谷20p主砲弾504発、摩耶485発(計989発)で、11/14午前2:37「飛行機の観測したるところ損害相当ありしものと認む」と各艦隊に報告するも、重巡の20cm砲で複数の滑走路をもつヘンダーソン飛行場を使用不能にすることは困難であり、実際の戦果は航空機全壊18機、損傷32機で、飛行場の機能はすぐに回復されました。 戦場海域を離脱してショートランド基地へ帰投中の駆逐艦4隻(夕雲・巻雲・風雲・朝潮)が横一列に並んで艦隊前方を進み、左側に鳥海・衣笠・五十鈴、右側に鈴谷・摩耶・天龍の並列単縦陣を形成するも、ニュージョージア諸島南方海域からの空母エンタープライズ艦載機と、ヘンダーソン基地から飛来した急降下爆撃機SBDドーントレスおよび雷撃機TBFアベンジャーの猛攻を受けました。
▼両軍の兵力:〜 第3夜戦 参加兵力、11/14
○帝国艦隊の編成:〜帝国は第2挺身艦隊を編成 第2次挺身艦隊〜再編の艦隊:第2艦隊(近藤中将)と第1挺身艦隊残存艦 ・射撃隊〜戦艦 霧島、重巡 愛宕・高雄 ・直衛隊〜軽巡 長良、駆逐艦 電・五月雨・照月 ・掃討隊〜軽巡 川内、駆逐艦 白雪・初雪・浦波・敷波・綾波・朝雲 ・所属部隊 ・第2艦隊(射撃隊)司令官 近藤信竹中将(1886-1953) 戦艦 霧島 ・第4戦隊(射撃隊) 重巡 愛宕(旗艦)・高雄 ・第61駆逐隊 駆逐艦 照月 ・第10戦隊 (第四戦隊直衛) ・軽巡 長良(旗艦) ・駆逐艦 電・五月雨 ・第3水雷戦隊(掃討隊) ・軽巡 川内(旗艦) ・第11駆逐隊 駆逐艦 白雪・初雪 ・第19駆逐隊 駆逐艦 浦波・敷波・綾波 ・第4水雷戦隊 駆逐艦 朝雲 ○米国艦隊の編成:〜 司令官ウィリス・A・リー少将(Vice Admiral Willis Augustus Lee Jr., 1888-1945病没) 第64任務部隊 戦 艦〜2隻 ・ワシントン号(USS Washington, BB-56)、 ・サウスダコタ号(USS South Dakota, BB-57) 駆逐艦〜4隻 ・ウォーク 号(USS Walke, DD-416)、グウィン号 (USS Gwin, DD-433)、 ・ベンハム号 (USS Benham, DD-397)、号プレストン (USS Preston, DD-379) ▼両軍の損害:〜
沈没喪失 ・戦 艦 霧島 ・駆逐艦 綾波 小破 ・重巡 愛宕・高雄 ・米軍損害 沈没喪失 ・駆逐艦 ウォーク号、プレストン号、 ベンハム号(応急修理後避退中に破口が開き沈没) 中破 ・戦 艦 サウスダコタ号 ・駆逐艦 グウィン号 1942/11/12〜15に戦われた第3次ソロモン海戦は、ソロモン海で帝国海軍とアメリカ海軍との間で戦われるも、米軍の勝利となり、ヘンダ−ソン飛行場は機能し続け、帝国軍増援部隊の上陸も阻止され、ガダルカナル島の戦いは米軍優勢となりました。 参考HP〜 ・ガダルカナル島とフロリダ諸島付近の地図(日本語、ルンガ地区有) ・アイアンボトム・サウンドの地図(両軍の沈没船の場所地図) |
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62 <ルンガ沖海戦〜夜戦> 1942/11/30 |
米軍のレーダー射撃 |
帝国軍のサーチライト射撃 |
ルンガ沖海戦 (夜戦) (Naval Battle of Lunga Point)、1942/11/30、帝国軍の勝利 別名(米軍呼称):タサファロング沖海戦 (Naval Battle of Tassafaronga、or、Fourth Battle of Savo Island) 場所:ソロモン諸島ガダルカナル島タサファロング沖 (Off Tassafaronga Point, Guadalcanal Island, Solomon Islands) ルンガ沖夜戦(昭和17年11月30日)はガタルカナル島周辺の制空権、制海権は完全に米軍に握られて、ガ島に残された兵士への補給は完全に絶たれてしまいました。そこで帝国軍は取り敢えず最低限の食料・物資の補給をするために、「ねずみ輸送」と呼ばれる作戦を敢行することにしました。食料・物資をドラム缶半分に詰めてロープで繋いで、ガタルカナル島周辺で海中に投入して浮かし、それを陸上から拾い上げるというわけでした。 11/30深夜、帝国艦隊はルンガ沖でドラム缶の投下準備を始めました。米巡洋艦隊はレーダーで帝国艦隊を発見。帝国軍も単艦で前方を哨戒していた駆逐艦 高波が米艦隊を確認。直ちに投下作業を中止して迎撃態勢を取り戦闘が開始され、米艦隊の雷撃を皮切りに米艦隊は砲撃を開始。先行していた高波はこの砲撃で沈没。後方の田中艦隊が米艦隊に向け突撃。米艦隊は帝国艦隊の正確な位置を把握できず、先制攻撃をしたにも関わらず大きな被害を与えることができませんでした。肉薄した田中艦隊は魚雷36本を一斉射撃、米重巡洋艦4隻すべてに命中させ、米重巡洋艦1隻を撃沈、3隻を大破させる大勝利を収めました。ところが、この大勝利の作戦を指示した田中少将が解任されました。理由は、この時の戦闘に積極的に参加せず、且つ適切な指揮を行わなかったことでした。事実、旗艦に乗艦していた田中少将は、魚雷発射後すぐに退避し、直接指揮を執らなかったと伝えられています。 ・両軍の兵力:〜
・両軍の編成:〜 帝国軍艦隊 第一次ガ島増援部隊 田中頼三少将(1892-1969) ・第2水雷戦隊(田中少将直卒) ・警戒隊 ・第31駆逐隊 駆逐艦 長波・高波 ・第1輸送隊 ・第15駆逐隊 駆逐艦 黒潮・親潮・陽炎 ・第31駆逐隊 駆逐艦 巻波 ・第2輸送隊 ・第24駆逐隊 駆逐艦 江風・涼風。 アメリカ軍艦隊 第67任務部隊 カールトン・H・ライト少将(Rear Admiral Carleton Herbert Wright 1892-1970) ・重 巡ミネアポリス号 (USS Minneapolis, CA-36)、 ノーザンプトン号 (USS Northampton, CL/CA-26)、 ペンサコラ号 (USS Pensacola, CL/CA-24) 、ニューオリンズ号 ・軽 巡ホノルル号(USS Honolulu, CL-48) ・駆逐艦フレッチャー号(USS Fletcher, DD/DDE-445) 、ドレイトン号(USS Drayton)、 モーリー号(USS Maury)、パーキンス号(USS Perkins)、 ラムソン号(USS Lamson)、ラードナー号(USS Lardner)。 ・両軍の損害:〜
海戦には勝利するも、目的のドラム缶投入輸送には失敗しました。 そこで帝国軍は4日後の12/3に再び田中少将指揮の下、ルンガ沖海戦の残存艦に第四駆逐隊(嵐・野分)と駆逐艦 夕暮(計10隻)で第二次輸送作戦を実施。第二次輸送部隊は進撃中に延べ80機にも及ぶ断続的な空襲を受けるも、上空直掩の零戦隊の活躍もあり、巻波 が至近弾で小破しただけでタサファロング泊地に1,500個のドラム缶を投入。12/4に無事ショートランドに帰投しました。ところが、この投入したドラム缶群は明け方になって米軍戦闘機部隊の銃撃で大半が沈められてしまい、陸上部隊が回収できたのは僅か310個でした。本来は夜のうちに回収する予定なるも、飢えて体力の落ちた陸上部隊の兵が、ドラム缶引揚の重労働に耐えられなかったのでした。 12/7の第三次輸送は空襲で 野分 が大破、航行不能となった上、タサファロング泊地で米軍魚雷艇の猛攻に遭いドラム缶投入を断念。12/11に開始された第四次輸送では山本五十六連合艦隊司令長官の直々の激励電文が発せられるなど、帝国海軍の威信をかけた作戦でしたが、ドラム缶投入中に就役直後の最新鋭駆逐艦 照月(旗艦)に魚雷2本が命中、撃沈される被害を受け、更に1,200個投入したドラム缶がやはり敵戦闘機の銃撃でわずか220個しか陸上部隊が回収できませんでした。 この作戦失敗で駆逐艦輸送は断念され空中補給及び潜水艦輸送(もぐら輸送)に切り替えられるも、これも被害が多い割には成果も上がらず、12/27に大本営の図上演習で「ガ島奪回の成算無し」との結果が出るに至り、1942/12/31に御前会議にて「ガダルカナル島撤退」が正式決定されました。 ・米重巡洋艦 ニューオリンズ号の装備:〜就役:1935/2/15 (USS New Orleans, CL/CA-32、アメリカ海軍の重巡洋艦)
参考HP〜 ・ソロモン諸島西部州の地図(クラ湾はコロンバンガラ島とニュージョージア島の間) ・アイアンボトム・サウンドの地図(両軍の沈没船の場所地図)
○帝国軍の編成:〜 ・第705航空隊の一式陸攻〜16機 ・第701航空隊の96式陸攻〜22機 ・第751航空隊の一式陸攻〜11機。 ○米国艦隊の編成:〜 第18任務部隊(Task Force 18)ギフェン艦隊 司令官ロバート・C・ギフェン少将 (TF 18 Commander:Rear Admiral Robert Carlisle Giffen 1886-1962) ・護衛空母(escort carriers)〜2隻 ・シェナンゴ号(USS Chenango) ・スワニー号(USS Suwannee) ・重巡洋艦(heavy cruisers)〜3隻 ・ウィチタ号(USS Wichita) ・シカゴ号(USS Chicago) ・ルイスビル号(USS Louisville) ・軽巡洋艦(light cruisers)〜3隻 ・モントペリアー号(USS Montpelier) ・クリーヴランド号(USS Cleveland) ・コロンビア号(USS Columbia) ・駆逐艦(destroyers)〜8隻 支援艦隊 ・空母エンタープライズ機動部隊 ・空母サラトガ機動部隊 ギフェン少将の指揮する、ガダルカナル島の部隊の交代要員を乗せた輸送船を護衛する艦隊であった。また、その後方には空母エンタープライズ、サラトガを基幹とする艦隊が援護のためにいたが日本軍はこの艦隊は未発見。 ・レンネル島沖海戦の経過:〜
・大本営発表帝国の大本営は ・撃沈 ・戦 艦〜2隻 ・巡洋艦〜2隻 ・中破 ・戦艦〜1隻 ・巡洋艦〜1隻 ・撃墜 ・戦闘機〜3機 と発表。 米軍は重巡洋艦1隻沈没、駆逐艦1隻大破の損害を受けるも、輸送船は無事にガダルカナル島に到着。帝軍はガダルカナル撤退作戦を察知されることなく成功しました。 参考HP〜 ・ソロモン諸島西部州の地図(クラ湾はコロンバンガラ島とニュージョージア島の間) ・アイアンボトム・サウンドの地図(両軍の沈没船の場所地図) ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 1510/1 |
63 <ニュージョージア上陸>
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米軍のニュージョージア島上陸 (Landing on New Georgia、1943/6/21-7/4)、米軍の勝利 別名(米軍呼称):ニュージョージア作戦 (New Georgia Campaign、1943/6/20-10/7) 場所:ソロモン諸島ニュージョージア島 (New Georgia Islands, Solomon Islands) ガダルカナル島を制圧したアメリカ軍は、ソロモン諸島ニュージョージア島ムンダ飛行場(帝国軍の設営した飛行場でガダルカナル島とラバウルの間に有)へと迫りました。ニュージョージア島は、ガダルカナル島から北へ飛行機で1時間30分の所にある島で、現在も中心はムンダという所ですが、飛行場以外何もない所です。周りを珊瑚礁に囲まれており、ガダルカナル島と比べて波は穏やかで、のんびりしています。ムンダには太平洋戦争中に帝国軍がラバウルとガダルカナル島の中継地点として飛行場を作りました。ガダルカナル島が米軍の手に落ちると、次の攻撃目標としてムンダが狙われました。 ・帝国軍、ニュージョージア島ムンダ防衛を強化 ガ島が米軍の手に落ちると、帝国陸軍はラバウルまでの後退を提案するも、海軍は制海権の確保のためソロモン諸島中部に防衛線を置くことを主張。結果的に海軍の提案が採用され、1943/2月に海軍の第8連合特別陸戦隊4,000人と設営隊3,600人、陸軍の南東支隊(佐々木登少将、第38師団の歩兵第229聯隊など6,000人計13,600人)がニュージョージア島に派遣され、ムンダの防衛を強化するも、陸軍の多くはガ島から撤退してきたばかりの消耗した部隊でした。 すぐに米軍の航空攻撃を受け輸送船2隻を喪失、早くも物資不足に陥ってしいました。補給のためラバウルより鼠輸送として駆逐艦2隻が派遣されるも、米艦隊に迎撃されビラ・スタンモーア夜戦で輸送部隊は全滅。3月には、ソロモン諸島での海上優勢を取り戻すべく「い号作戦」が発動されるも、米軍海上戦力に大きな損害を与えられず失敗。ラバウルの航空部隊は消耗してしまい、補充もままなりませんでした。米軍はニューヘブリディーズ島から航空機を補充し、ソロモン各地で約500機の戦力を維持していました。ソロモン諸島における帝国軍の劣勢は決定的なものとなりました。 このような状況の中、米軍はムンダ飛行場を攻略しこれを自軍の飛行場として使用するためにニュージョージア島侵攻作戦(カートホイール作戦:Operation Cartwheel)を発動。ニュージョージア島侵攻はガダルカナル島の防衛に成功したアメリカ南太平洋軍(司令官はハルゼー海軍大将)がソロモン諸島沿いにラバウルに向かう反攻の最初の大規模作戦となりました。 ・米軍のレンドバ島上陸 (Landings on Rendova、1943/6/30) 米軍はニュージョージア島での作戦を掩護をするための砲台設置を目的として、まずムンダ沖合い10kmのレンドバ島に侵攻してきました。1943/6/30早朝07:00、米軍の輸送船6隻と駆逐艦8隻が襲来し、レンドバ島北部に西部上陸部隊(Western Landing Force)米第43歩兵連隊5,000人が上陸。同日中に事態を把握した帝国軍は、ラバウルから一式陸攻25機を派遣して米揚陸艦隊に攻撃を行なうも、米軍の上陸部隊指揮官ターナー少将の旗艦マッコーリー号を大破(のち沈没)せしめたものの、対空砲火によって18機を撃墜され上陸阻止に失敗。レンドバ島守備隊は僅か140人で、敵襲来を打電したのち消息を断ちました。レンドバ島に上陸した米軍はその物量と機械力を駆使し、27時間で重砲の砲台を建設してムンダ方面への砲撃を開始。 米艦隊:〜 ・第5水陸両用部隊(5th Fleet Amphibious Corps) ・第52任務部隊(Task Force 52)上陸部隊の揚陸艦隊(ターナー隊) 司令官〜ターナー少将(Rear Admiral Richmond Kelly Turner 1885-1961) ・攻撃兵員輸送艦マッコーリー号、旗艦 (USS McCawley APA-4、9,600t、1943/6/30帝国雷撃機攻撃後、沈没) ・攻撃貨物輸送艦リブラ (USS Libra, AKA-12, 10,713t、1948退役) ・駆逐艦ファーレンホルト (USS Farenholt, DD-491, 1,620t、1946退役) ・駆逐艦ラルフ・タルボット (USS Ralph Talbot, DD-390, 2,325t、1946退役) ・駆逐艦マッカーラ (USS McCalla, DD-488, 1,630t、1949退役) ・駆逐艦デント号(USS Dent DD-116, 1,090t, 1945退役) ・駆逐艦ウォーターズ号(USS Waters DD-115, 1,154t, 1945退役) ・駆逐艦グウィン号(USS Gwin DD-433, 1,630t, コロンバンガラ島沖海戦で雷撃にて沈没) ・他に駆逐艦2隻、輸送船4隻。 翌月3日にムンダの帝国軍南東支隊司令部で会議が開かれ、陸軍は海軍に「ニュージョージア島防衛にこだわった責任を取って支援部隊を送れ」と要求するも、海軍からは「ラバウルの航空部隊は消耗しており、艦隊は燃料不足で出撃できず」と返答されました。さらに陸軍の佐々木支隊長がレンドバ島へ逆上陸して重砲を破壊することを提案し海軍に協力を求めるも、上陸に必要な大発艇は米軍の砲撃で破壊されており実行は不可能でした。こうした状況の中、レンドバ島逆上陸用の増強部隊をコロンバンガラ島に輸送した帝国艦隊が、クラ沖で米艦隊に迎撃され、このクラ湾夜戦で帝国海軍は米軽巡洋艦1隻を撃沈し輸送は成功するも、三水戦司令部と貴重な駆逐艦を2隻失いました。 ・米軍のニュージョージア島上陸 まず、1943/6/21早朝05:50、ニュージョージア島南東部沿岸セギ(Segi Point)海岸に東部上陸部隊(Eastern Landing Force)米第103歩兵連隊が上陸、そして、7/2深夜、米軍は猛烈な砲爆撃掩護の下、ムンダ近郷の島南部沿岸ザナナ海岸(Zanana beach)に西部上陸部隊(Western Landing Force)米第172歩兵連隊3,000人が上陸。7/4深夜、島北部クラ湾(Kula Gulf)沿岸のライス海岸(Rice Anchorage)にも北部上陸部隊(Northern Landing Group)が上陸。これを受けて佐々木支隊長は、逆上陸のため待機していた歩兵第13連隊をニュージョージア島北部に派遣。上陸した第13連隊はジャングルを横切ってザナナの米軍に夜間斬り込みを行い戦果を挙げるも、夜明けと同時に猛烈な集中砲撃にさらされて射程外まで後退。歩兵第229連隊も米軍と交戦するも、機関銃を全て失ったため白兵戦を敢行。後退した第13連隊は7/22に攻撃を再開し、米第148歩兵連隊と交戦、百数十人を倒しトラック15台と速射砲5門を破壊するも、米軍砲撃で連隊長の友成敏大佐が負傷しました。 7/25、米第14軍は猛烈な砲爆撃の掩護の下、戦車を先頭にムンダ(Munda)への攻勢を開始。対戦車装備の乏しい帝国軍は破甲爆雷を用いて肉弾戦を行なうも、多大な損害を出して、8/4にムンダ飛行場を放棄して戦線を縮小。8/5迄に各大砲の砲弾が底を突き、1943/8/5米軍はムンダ飛行場を占領しました。 ・帝国軍のニュージョージア島放棄 帝国軍第8方面軍は、増援部隊と物資50トンを駆逐艦4隻に積み込んでラバウルから発進させるも、8/6夜、ベララベラ島沖で米軍に迎撃され、このベラ湾夜戦で帝国軍は3隻の駆逐艦を失って、輸送作戦も失敗。この輸送失敗でニュージョージア島での敗北は決定的となり、佐々木支隊長はコロンバンガラ島への撤退を第8方面軍司令部に打電するも、司令部より「ムンダ飛行場を砲撃して敵に使わせないのが任務だ」と反対されました。制空権も砲撃力もない現状においては、まったく無理な注文でした。 8/15、コロンバンガラ島の防備が厚いと見た米軍はベララベラ島に上陸を開始し、コロンバンガラ島とニュージョージア島は後方を遮断される形となりました。ベララベラ島の帝国軍守備隊は600人にすぎず、たちまち苦戦。8/17、帝国軍はベララベラ島ホラニウを強化するため輸送部隊を派遣し、ベラ沖で哨戒中の米艦隊と交戦。この第一次ベララベラ海戦で日本海軍は駆潜艇4隻を失ったものの輸送は成功。 帝国軍司令部はコロンバンガラ島とニュージョージア島の放棄を決定。まず8/30迄にニュージョージア島の部隊が、大発と小型船を使ってコロンバンガラ島に後退。 佐々木支隊長は、コロンバンガラ島の安全を確保するためアルンデル島に第13連隊を派遣。9/15、第13連隊長友成敏大佐の乗った舟艇は上陸途上で米軍に発見され、猛烈な砲撃を受けて艇は沈没し、友成大佐は戦死。アルンデル島は第13連隊によって確保され、米軍に損害を与えてその進撃を阻止しました。 ・セ号作戦 (コロンバンガラ島からの撤退作戦) ・第一次撤収作戦〜9/28夜、9/29夜 ・第一次撤収作戦〜10/2夜 第8艦隊参謀の木阪義胤中佐は、コロンバンガラ島からの撤退作戦を立案。この作戦は「セ」号作戦と命名され、この作戦の目的は、コロンバンガラ島に集結した帝国軍12,000人を、チョイセル島を経由してブーゲンビル島に撤退させることでした。チョイセル島とコロンバンガラ島は最短で48キロしか離れておらず大発などの舟艇を多用することとなるも、収容可能な人数が少ないため2往復する事となりました。 ・参加兵力 機動舟艇部隊(芳村正義少将) ・船舶工兵第2・第3連隊 ・第2揚陸隊 ・海軍舟艇部隊:種子島洋二少佐(1907-1977) ・大発40隻、魚雷艇1隻 ・呉鎮守府第7特別陸戦隊 ニュージョージア方面守備隊 ・南東支隊:佐々木登少将(1893-1961) ・歩兵第229連隊 ・歩兵第13連隊 ・独立山砲第10連隊 ・第15野戦防空司令部 ・独立野戦高射砲第58大隊 ・独立野戦高射砲第41大隊 ・独立速射砲第2大隊 ・第8連合特別陸戦隊:大田実少将(1891-1945/6/13沖縄方面根拠地隊司令官で 豊見城の海軍壕内にて拳銃自殺) ・横須賀鎮守府第7特別陸戦隊 ・呉鎮守府第6特別陸戦隊 ・第21防空隊 ・第17設営隊 ・第19設営隊 ・第3水雷戦隊:伊集院松治少将(1893-1944/5/24海防艦 壱岐(870t)が 米潜レイトン号(SS270)雷撃でボルネオ島西方にて戦没) ・巡洋艦1隻 ・駆逐艦12隻。 ・第一次撤収作戦 9/18日暮れに機動舟艇部隊はブーゲンビル島ブインを進発し、チョイセル島の基地に到着。沿岸に大発を隠匿するも、一連の行動は米軍に察知されており、9/20に米軍機の攻撃で大発10隻を喪失。芳村少将は9/26に作戦実行を下令し、翌日、機動舟艇部隊はチョイセル島を出発してコロンバンガラ島に向かい出撃。夜間にコロンバンガラ島に近づいたところを米軍の駆逐艦部隊に発見され大発4隻を失うも、他の大発はコロンバンガラ島への突入に成功。同島では受け入れと撤退準備が整っており接岸した大発を迅速に偽装して夜を待ちました。翌9/28夜に兵士約5,000人を載せ、海軍舟艇部隊は洋上の駆逐艦4隻と合流し兵士を移乗。船舶工兵大隊の舟艇はチョイセル島へ直接向かい無事到着。移動中米軍の魚雷艇6隻が来襲し大発2隻を失うも、米魚雷艇は駆逐艦が撃退。翌29日から30日にかけて1,100人の兵士を乗せコロンバンガラ島を出発した海軍舟艇部隊は、米艦隊に発見され大発1隻を失うも、他はチョイセル島にたどり着きました。 ・第二次撤収作戦 9/3に第二次撤収作戦が下令され、10/1夜に機動舟艇部隊はチョイセル島を発進。米軍は第一次撤収作戦を受けて哨戒を強化しており、移動中の機動舟艇部隊を米駆逐艦6隻が発見。掩護の伊号潜水艦イ20は、米駆逐艦の攻撃を受けて沈没。機動舟艇部隊の各艇は散り散りとなってコロンバンガラ島に突入。機動舟艇部隊は全ての部隊を収容し、翌2日夜にコロンバンガラ島を離島。洋上で駆逐艦と合流し移乗を開始するも、米駆逐艦4隻が接近したため中止しました。両艦隊は砲撃戦を行なうも、五月雨が小破したのみで帝国海軍の駆逐艦は魚雷を発射してラバウルに後退。残された機動舟艇部隊はそのままチョイセル島に脱出。最終的に投入した大発の半数を失うも、作戦は成功し1万2千人を脱出させることに成功。 ・米軍作戦の変更(教訓) 米軍のニュージョージア島上陸からムンダ飛行場占領までの経過は順調なものではなく、事前計画より多くの日数と損害を要することになり、戦闘の途中で占領部隊司令官の更迭も行われました。ジャングルを通って敵飛行場に接近し占領するという困難な問題(ガダルカナル島で帝国軍が解決できなかった問題)を経験した米軍はこの苦い経験により、 その後の作戦計画を ・帝国軍防備の厚い飛行場を占領する代わりに、 ・防備が薄い所または島を占領して飛行場を建設する に変更しました。また、1943/8月に米統合参謀本部は「ラバウルは占領するよりもむしろ無力化すべきである」と発表しました。
両軍の兵力:〜
○帝国艦隊の編成:〜 ・夜戦部隊 ・駆逐艦 漣(第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐座乗)・浜風・磯風・時雨 ・輸送部隊 ・警戒隊 ・艦載水雷艇1隻・武装大発2隻・第5号駆潜特務艇 ・第12号駆潜特務艇・陸軍装甲艇1隻 ・輸送隊 ・艦載水雷艇3隻・陸軍大発10隻・海軍大発3隻 ○米国艦隊の編成:〜 ・第41駆逐群 ・駆逐艦ニコラス号、オバノン号、テイラー号、シャヴァリア号 両軍の損害:〜
※小破:浜風・磯風
○帝国艦隊の編成:〜 ・夜襲部隊 ・駆逐艦 秋雲(第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐座乗)・風雲・夕雲・磯風・時雨・五月雨 ・輸送部隊 ・駆逐艦 文月・夕凪・松風・小発6隻・折畳浮舟30隻 ・収容部隊 ・第20号駆潜特務艇・第23号駆潜特務艇・第30号駆潜特務艇・艦載水雷艇3隻・大発1隻 ○米軍艦隊の編成:〜 ・第4駆逐部隊(Destroyer squadron 4) ・駆逐艦セルフリッジ号(フランク・R・ウォーカー大佐座乗)、シャヴァリア号、オバノン号 ・第42駆逐群(海戦に間に合わず) ・駆逐艦ラルフ・タルボット号、テイラー号、ラ・ヴァレット号 1943年
※沈没:シャヴァリア号 ※大破:セルフリッジ号、オバノン号 ・豪重巡洋艦 キャンベラ号の装備:〜就役:1928/7/9 (HMAS Canberra, D-33:オーストラリア(豪州)海軍の重巡洋艦)
参考HP〜 ・ニュージョージア島の地図(米軍上陸地点:7/2,3 Zanana、7/4,5 Rice Anchorage) ・ニュージョージア島付近の地図(日本語) ・ニュージョージア島付近の地図 ・ニュージョージア島付近の地図(日本語, Google Map) |
64 <クラ湾夜戦> 1943/7/5 コロンバンガラ島の北東方クラ湾 |
ソロモン海で奮闘した帝国の駆逐艦 連合軍に 「東京急行」 と呼ばれる ソロモン諸島 1995 発行 |
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米軍のレーダー射撃 |
帝国軍のサーチライト射撃 |
クラ湾夜戦、1943/7/5-7/6 (Night Battle of Kula Gulf) 別名(米軍呼称):クラ湾海戦 (The naval Battle of Kula Gulf、1943/7/6) 場所:ソロモン諸島コロンバンガラ島とニュージョージア島の間のクラ湾 (Kula Gulf, between Kolombangara and New Georgia Islands, Solomon Islands) 勝敗:帝国の輸送作戦は成功するも、物資陸揚げは一部のみ クラ湾夜戦は、帝国海軍がコロンバンガラ島とニュージョージア島に増援部隊・補給物資を送ろうとした輸送部隊と、これを迎撃した米海軍の戦い。帝国軍は米軽巡”ヘレナ号”を雷撃で撃沈するも、旗艦の駆逐艦 新月が米軍の集中砲火を受け沈没、第3水雷戦隊司令官の秋山少将が戦死。駆逐艦 長月は揚陸地点へ向かう途中で座礁、その後爆撃を受け沈没しました。 またクラ湾夜戦は、まずその前哨戦となるニュージョージア島ムンダ対岸のレンドバ島の戦いがありました。1943/6/30にアメリカ軍はニュージョージア島ムンダ飛行場対岸のレンドバ島に上陸して占領・砲台を建設。7/2深夜、レンドバ島の重砲の援護下、ニュージョージア島攻略部隊は続々と舟艇機動でムンダ東方ザナナ海岸に殺到、上陸しました。ところが、米攻略部隊はジャングル内の帝国軍縦深防御で進撃は進みませんでした。そこで米軍はムンダ攻撃支援のため、ニュージョージア島北部のクラ湾に面した地域のライス海岸に対して北部上陸部隊を送り込むこととなり、米第37歩兵師団三個大隊を乗せた高速輸送艦を主体とする輸送船団と、ヴォールデン・エインスワース少将率いる支援艦隊の第36.1任務群を派遣することになりました。また、帝国はコロンバンガラ島防衛強化のため増援部隊を送り込むことになり、双方が激突しました。 ▼クラ湾夜戦前夜のクラ湾海戦、1943/7/4〜7/5 帝国のコロンバンガラ島輸送艦隊 ・防衛強化の速射砲と陸兵1,300人(大発15隻分) ・駆逐艦での二度の「鼠輸送」 (7/4と7/5に駆逐艦4隻ずつを送り込む計画) 米軍のムンダ攻撃支援艦隊 ・ニュージョージア島のクラ湾沿岸上陸作戦 ・高速輸送艦主体の輸送船団 ・第37歩兵師団三個大隊を輸送 ・支援艦隊 ・第36.1任務群 ヴォールデン・L・エインスワース少将 (Rear Admiral Walden Lee ,Pug, Ainsworth 1886-1960) ・軽巡洋艦(Light Cruiser) ・ホノルル号(USS Honolulu, CL-48, 9,650t, 1947退役)任務群旗艦 ・ヘレナ号(USS Helena, CL-50, 10,000t, 1943/7/6クラ湾夜戦で沈没) ・セントルイス号(USS St. Louis, CL-49, 10,000t, 1946退役) ・駆逐艦(Destroyer) ・ニコラス号(USS Nicholas, DD-449, 2,050t, 1970退役) ・ストロング号(USS Strong, DD-467, 2,050t, 1943/7/5クラ湾夜戦で沈没) ・オバノン号(USS O'Bannon, DD-4, 2,050t, 1970退役) ・シャヴァリア号(USS Chevalier, DD451, 2,050t, 1943/10/6第2次ベララベラ海戦で沈没) ▼<1943/7/4深夜の戦闘> 両軍の兵力:〜
○帝国艦隊の編成:〜 参加艦艇 ・第三水雷戦隊 ・駆逐艦 長月・皐月・新月・夕凪(鼠輸送の部隊) ○米国艦隊の編成:〜 ・第36.1任務群 ヴォールデン・L・エインスワース少将 ・軽 巡 ホノルル号(任務群旗艦)・ヘレナ号・セントルイス号 ・駆逐艦ニコラス号・ストロング号・オバノン号・シャヴァリア号 ・輸送船団 両軍の損害:〜
※米国艦隊は上陸作戦を援護して成功、コロンバンガラ島に対する圧力を一層強め、救助作業後ツラギ島に退却。 ▼<1943/7/5の戦闘> 両軍の兵力:〜
○帝国艦隊の編成:〜 ・第三水雷戦隊 ・支援隊 秋山少将 ・駆逐艦 新月(旗艦) ・第24駆逐隊 ・駆逐艦 涼風・谷風 ・第一次輸送隊 ・第30駆逐隊 ・駆逐艦 望月・三日月・浜風 ・第二次輸送隊 ・第11駆逐隊 ・駆逐艦 天霧・初雪 ・第22駆逐隊 ・駆逐艦 長月・皐月 輸送隊は陸兵2,400人、物資約180トンを搭載。 ○米国艦隊の編成:〜 ・第36.1任務群 ヴォールデン・L・エインスワース少将 ・第18任務部隊 ・軽 巡 ホノルル号(任務群旗艦)・ヘレナ号・セントルイス号 ・駆逐艦ニコラス号・オバノン号・ジェンキンス号(USS Jenkins) ・ラドフォード号(USS Radford) 両軍の損害:〜
帝国軍損害: ・沈没:駆逐艦 新月・長月 ・中破:駆逐艦 天霧・初雪・谷風 ・小破:駆逐艦 涼風・望月 ※秋山少将以下、第三水雷戦隊司令部全滅。 米国軍損害: ・沈没:軽巡ヘレナ号。 ▼<1943/7/9の輸送作戦> ブインからコロンバンガラ島への輸送に成功 ムンダ方面の戦闘は依然として厳しい状況で、連合国軍の横腹を突くため陸軍はニュージョージア島へ一部の兵力を移すこととなりました。その兵力はコロンバンガラ島駐屯の第13連隊を転用する事とし、転用に伴う後詰め兵力の輸送は7/9夜に実施される事となりました。 ・帝国軍の兵力:〜
・主 隊 ・重 巡 鳥海 (外南洋部隊指揮官 三川中将座乗) ・軽 巡 川内 ・警戒隊 ・駆逐艦 雪風・夕暮・谷風・浜風 ・輸送隊 ・駆逐艦 皐月・三日月・松風・夕凪 (輸送隊は陸兵1,200人、物資85トンを搭載) 1943/7/9午後5:00、主隊と警戒隊、輸送隊はパプアニューギニアのブインを出撃、ベアラベラ島とコロンバンガラ島との間のベラ湾北方で輸送隊はコロンバンガラ島南東部ビラ海岸に向かい、なんら妨害を受けることなく輸送任務は成功。主隊と警戒隊はニュージョージア島のアメリカ軍に対して艦砲射撃を行った後、敵艦隊を捜索するも遭遇せず、7/10に三隊ともブインに帰投。 ・昭和18年(1943/7/5〜7/6)、クラ湾夜戦 7/5 米軍、ニュージョージア島、ムンダ東方海岸に上陸 17:30 帝国第3水雷戦隊(秋山少将,駆逐艦10、ショートランドを出撃 22:00 第3水雷戦隊、第1次輸送隊(駆逐艦3)を揚陸地点に向け分派 23:36 米第18任務部隊 エインワース少将 軽巡3、駆逐艦4 軽巡ヘレナ号、レーダーで駆逐艦 新月を探知 23:43 第3水雷戦隊、第2次輸送隊(駆逐艦4)を揚陸地点に向け分派 23:48 新月 右舷に同航する米軽巡3、駆逐艦2を発見 23:52 秋山少将、全艦集結を下令 23:57 米艦隊発砲、新月 被弾、 駆逐艦 涼風・谷風、砲雷戦開始 7/6 00:04 ヘレナ号に魚雷命中、沈没 00:12 新月 沈没 揚陸作業中に座礁した駆逐艦 長月は米軍機の攻撃を受け沈没 7/09、コロンバンガラ島への緊急輸送を実施 7/10、第三水雷戦隊の後任司令官として7/7付で伊集院松治大佐が着任 7/12、輸送作戦が行われる 同夜、クラ湾夜戦に似たような経過でコロンバンガラ島沖海戦が勃発。
・両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊 ・警戒隊 ・第2水雷戦隊 司令官 伊崎少将(1892- 1943/7/12神通の沈没で戦没) ・軽巡 神通 ・駆逐艦 清波・雪風・浜風・夕暮・三日月 ・輸送隊 ・駆逐艦 皐月・水無月・夕凪・松風 (輸送隊は陸兵1,100人、物資約100トンを搭載) 連合国軍艦隊 ・第36.1任務群部隊 司令官 エーンスワース少将 ・前衛艦隊 ・駆逐艦ニコラス号、オバノン号、 テイラー号(USS Taylor)、ラドフォード号、ジェンキンス号 ・主艦隊 ・軽巡ホノルル号(任務群旗艦)、セントルイス号、 NZ海軍リアンダー号(HMNZS Leander) ・後衛艦隊 ・駆逐艦ラルフ・タルボット号(USS Ralph Talbot)、ブキャナン号(USS Buchanan)、 グウィン号、モーリー号(USS Maury)、 ウッドワース号(USS Woodworth) ・輸送船団。 ・両軍の損害:〜
・沈没:神通、伊崎少将以下の第二水雷戦隊司令部全滅 ・小破:雪風 ・米軍の損害 ・沈没:駆逐艦 グウィン号 ・大破: ・軽 巡 ホノルル号、セントルイス号、リアンダー号、 ・駆逐艦ブキャナン号、ウッドワース号。 こちらで ・ダンピール海峡の悲劇(ビスマルク海々戦) ・ガダルカナル(米軍のガ島上陸と帝国の敗退) をお楽しみください。 参考HP〜 ・ソロモン諸島西部州の地図(クラ湾はコロンバンガラ島とニュージョージア島の間) ・アイアンボトム・サウンドの地図(両軍の沈没船の場所地図) ・ソロモン諸島の詳細地図(拡大可) 参考〜 ・米航空母艦 サラトガ号の装備:〜就役:1927/11/16 (USS Saratoga, CV-3、アメリカ海軍の航空母艦) レキシントン級巡洋戦艦3番艦(CC-3)を1922年航空母艦に設計変更
・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 2015/11/30 |