切手で綴る 太平洋戦争 物語 第1部 <開 戦> 第2章 南方攻撃 太平洋方面(離島攻略) 12 <グアム島空襲> 1941/12/8 帝国軍、米領グアム島を空襲 |
帝国の水上機が グアム島を空襲 (零式小型水上偵察機) フィジー 200 5/6/27 発行 |
大日本帝国は昭和16年(1941)12月8日太平洋戦争の開戦と同時にマリアナ諸島のアメリカ領グアム島を、帝国軍が上陸する前に水上機16機で空襲・攻撃しました。グアム島の米軍司令官ジョージ・マクミリン海軍大佐(Captain George McMillin)は午前4:45に、帝国軍の真珠湾攻撃のニュースを受信していました。そこへ帝国の水上機が飛来して、銃・爆撃を敢行しました。 帝国軍の航空攻撃 ・特設水上機母艦 聖川丸は、 帝国委任統治領サイパン島から水上機4機を発進 ・第十八航空隊は、 帝国委任統治領ルオット島から水上機12機を発進 午前8:27にグァム島上空に16機が飛来して、空襲・爆撃して、駆潜艇ペンギン号を撃沈。 米国の損害:〜 ・戦死:士官1人 ・負傷:多数 設備等 ・沈没:駆潜艇ペンギン号(minesweeper USS Penguin, 1,009t) ・破壊:海兵隊兵舎(Marine Barracks)、ピティ海軍造船所(Piti Navy Yard)、 リブゴン・ラジオ局(Libugon radio station)、スタンダード石油会社(Standard Oil Co.)、 パンナム・ホテル(Pan American Hotel)。 参考:〜 ・第十八航空隊 グァム島攻略のため、マリアナ諸島防衛隊として、1940/10/1に第五根拠地隊が設置され、哨戒航空隊として第八航空隊を臨時編成して追加。1941/4/10の対米臨戦態勢を機に第十八航空隊に改称して、帝国の委任統治領マーシャル諸島ラリック列島クェゼリン環礁内の北部にあるルオット島に布陣しました。 ・隊司令 ・和田三郎中佐(在任:第五司令1940/11/15‐第十八司令1941/4/10-1941/8/11) ・高橋農夫吉中佐(在任:第十八司令1941/8/11‐1942/2/1) ・主力機種〜零式三座水上偵察機 1940年 11/15、第五根拠地隊附属として臨時編成で創設(水上偵察機6機) 1941年 04/10、「第十八航空隊」に改称 11/04、グァム島を事前偵察 12/04、グァム島を直前偵察 12/08、特設水上機母艦 聖川丸(川崎汽船, 6,862t, 47人, 最高速力19.51kt、1945/7/24米機 空襲で熊毛半島志田海岸(上関町)に擱座)が帝国領のマリアナ諸島サイパン島から 水偵隊を発進と共同でグァム島を爆撃 1942年 02/01、ラバウル攻略部隊がサイパンを出撃後、前路を哨戒 十八空司令部を解散 以後、第三根拠地隊附属水偵隊として任務継続 12/01、「第九〇二海軍航空隊」に編入。九〇二空マリアナ派遣隊に改編。 マリアナは後方となったため、残った機体は司令を欠いた附属水偵隊となる。その後は九〇二空パラオ派遣隊となり、テニアン地上戦で壊滅するまでパラオの出入港護衛を継続。 ・零式三座水上偵察機の装備:〜初飛行:1939/1月 (大日本帝国海軍の水上偵察機)、運用開始:1940/12月
※図案※零式小型水上偵察機 (九飛 E14Y 零式小型水上機) は、十二試潜水艦用偵察機として空技廠が開発し、1940年(昭和15年)12月に大日本帝国海軍が兵器採用した潜水艦搭載用の水上機。略符号はE14Y。連合国コード名は“Glen”(グレン)。アメリカ本土空襲を実行した唯一の機体として有名。戦歴:伊10の搭載機が開戦前の1941年(昭和16年)11月30日にフィジー諸島スバの偵察、開戦後は伊9搭載機が1942年(昭和17年)2月14日に真珠湾を偵察などで、アメリカ本土空襲は、1942年(昭和17年)9月に伊25の搭載機が2回にわたってオレゴン州の森林に焼夷弾を投下して火災が発生。 ・アラド Ar 196 双フロート式水上機の装備:〜初飛行:1937 (Arado Ar 196:ナチスドイツ海軍の水上偵察機)、運用開始:1938/6月 第二次世界大戦中のドイツ海軍の標準的な艦載水上機で、カタパルト射出用の装備装着 双フロートの単発低翼機で、複葉のハインケルHe 60の代替機として1937年に初飛行。
・ウェーキ島空襲 ・グアム島占領 をお楽しみください。 参考HP〜 ・グアム島の地図(現在の地図) ・グアム島の場所地図 ・破壊されたピティ海軍工廠の写真 ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/8/11、2019/9/9 |