切手で綴る 太平洋戦争 物語 第2部 帝国の侵攻 第9章 敗戦の予兆 52 <ミッドウェイ海戦 II> 1942/6/5 アメリカの反撃 |
フレッチャー提督 ヨークタウン号で指揮 ソロモン諸島 1992/9 発行 |
ニミッツ提督 パール・ハーバーで指揮
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赤城 炎上・沈没 ヨークタウン号炎上・沈没 |
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ドーントレス来襲 マーシャル諸島 1992 発行 飛龍の雷撃機来襲
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ミッドウェイ海戦(1943/6/4-6) | |||
ミッドウェイ島を攻撃する大日本帝国の艦載機隊と、迎え撃つアメリカのグラマンワイルドキャット戦闘機 |
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赤城を襲う米急降下爆撃機 | ミッドウェイ島上空の空中戦 | エンタープライス号 | 大破したヨークタウン号。 ホーネット号 |
ウガンダ 1992 発行 |
帝国海軍の南雲艦隊は航空母艦4隻、赤城、加賀、蒼龍、飛龍で、6/5未明ミッドウェー島を空襲。第2次攻撃のため艦載機の爆弾登載中の赤城に対して、米国艦載機が来襲・空爆。命中弾多数で炎上、沈没。加賀、蒼龍も大破・炎上・沈没。残る飛龍の艦載機はヨークタウンを発見空襲、大破・炎上・沈没。その後、飛龍も被弾・沈没。帝国海軍は主力航空母艦4隻を一挙に失いました。 |
ミッドウェイ海戦:アメリカの反撃 (連戦連勝を続けていた帝国が敗戦して、戦争勝敗の「ターニング・ポイント」となった海戦) 両軍の編制(別説) ・アメリカの艦隊編成:〜 (アメリカ太平洋艦隊司令長官 チェスター・ニミッツ大将、於:パールハーバー)
・帝国の艦隊編成:〜 (大日本帝国海軍連合艦隊司令長官 山本五十六大将、於:戦艦 長門)
ミッドウェイ作戦失敗の影響について:〜 帝国は正式空母4隻の喪失で、当面空母部隊を活用する積極作戦は企図できなくなりました。まして長年訓練を重ねていた第1、第2航戦の搭乗員の域に、戦力を高めることは当分の間、望むことはできなくなりました。そして、搭乗員をどの程度失ったかは被害隠匿のための特殊な人事処理を行ったので正確には不明でした。しかし空母こそ失うも、搭乗員の損耗は思ったより少なかったのです。また救助された搭乗員の士気は向上の傾向がありました。これは来襲した米航空部隊の下手くそな技量を目の当たりにしたことと、空母 飛龍の少数機による攻撃が戦果をあげた(当時は米空母2隻撃沈と思われていた)ことによります。この次には我々が仇を討つのだと意気込んだのでした。また、搭乗員は救助されるも、飛行機自体は全機・約300機が失われました。海軍の空母機は基地飛行隊よりも戦闘機会が少ないので、生産要求数は少ないものでした。また、飛行機の増産も計画どおりには進んでおらず、特にゼロ戦の補給が間に合わない状況であり、生産力が不十分であった海軍にとっては非常な痛手でした。 ・航空母艦ヨークタウン号の装備:〜進水:1936/4/4 (USS Yorktown (aircraft carrier CV-5)、アメリカ海軍の正規航空母艦)、就役:1937/9/30
・グラマン TBF アヴェンジャー艦上雷撃機の装備:〜初飛行:1941/8/7 (Grumman TBF Avenger、アメリカ海軍の艦上主力雷撃機)、生産開始:1941/12月
こちらで ・米国のウェーキ島空襲 ・ミッドウェイ海戦 I をお楽しみください。 参考HP〜 ・ミッドウェー島の地図 ・ミッドウェー島の場所地図 ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/9/30 |
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