切手で綴る 太平洋戦争 物語
第2部 <帝国の侵攻>
第7章 蘭領東印度攻略
36 <スラバヤ沖海戦>
1942/2/27〜3/1
Naval Battle off Surabaya

スラバヤ沖ジャワ海々戦

・ロイテル


|ストン


Battle of Java Sea 1942
マーシャル諸島 1992 発行

ジャワ海の帝国重巡洋艦 羽 黒

Japanese Cruiser HAGURO
in Java Sea

タンザニヤ 1992/4/27 発行
イギリス重巡洋艦 エクゼター号

HMS Exeter
フォークランド 1974/12/13 発行

軍艦の主砲一斉射撃
命中・炎上
帝国基地航空隊の空襲
マーシャル諸島 1992 発行

昭和17年2月27日〜2月28日スラバヤ沖海戦、連合国側呼称:ジャワ海々戦。ジャワ島スラバヤ沖でジャワ島攻略部隊を護衛する帝国海軍とそれを迎撃した連合軍艦隊との間で戦われた海戦。帝国軍は砲雷撃で連合軍艦艇5隻を撃沈、帝国軍艦艇の沈没は無し(駆逐艦損傷3)、帝国輸送船団は3月1日2:35クラガン泊地と、7:00レンバン泊地への突入に成功しました。
・スラバヤ沖海戦
  (Naval Battle off Surabaya)、帝国の勝利
   別名(米軍呼称):ジャワ海々戦
       (Battle of the Java Sea)
   場所:インドネシアのスラバヤ沖
帝国軍の輸送船団がジャワ島に接近しているとの情報を得た連合国艦隊司令官の蘭印海軍カレル・ドールマン少将は、1492/2/25に帝国軍迎撃のため艦隊を率いてスラバヤ港を出港。帝国軍は2/27早朝、陸上攻撃機で連合軍艦隊を攻撃しましたが、損害はありませんでした。2/27、11:80帝国軍偵察機が連合軍艦隊を発見。2/28にかけて両軍艦隊が接触し、軍艦の砲撃・雷撃による海戦が起こりました。

・帝国の東部ジャワ攻略部隊船団〜東西に分かれて進航
 ・輸送船団 約40隻 (第48師団と、坂口支隊
・第一護衛艦隊 司令官 西村少将(直衛)
 ・四水戦 旗艦 那珂、 司令官座乗
  ・駆逐艦8、掃海艇5、駆潜艇5、他3隻。

<戦闘経過>
・スラバヤ沖海戦(1942/2/27〜2/28)
 ・前哨戦(2/04)〜ジャワ沖海戦(ヒューストン号とマーブルヘッド号が大破)
 ・前哨戦(2/15)〜ガスパル海峡海戦(ヴァン・ネス号、商船が沈没)
 ・海戦前夜(2/25)〜ドールマン提督ABDA艦隊がスラバヤ港を出撃
 ・第一次昼戦(2/27)〜コルテノール号轟沈、エクセター号小破
 ・第二次昼戦(2/27)〜エレクトラ号沈没、朝雲沈没
 ・第一次夜戦(2/27)〜交戦するも被害無
 ・蘭の機雷原(2/27)〜ジュピター号沈没
 ・第二次夜戦(2/28)〜デ・ロイテル号&ジャワ号轟沈
 ・3/1昼戦の前哨戦〜蘭病院船オプテンノール号が生存者救助中に拿捕される
 ・3/1昼戦〜バタビア沖海戦(ヒューストン号、パース号、エヴェルトセン号、喪失)
 ・3/1追撃戦〜第2次スラバヤ沖海戦(エクゼター号、エンカウンター号、ポープ号、沈没)。

<両軍の兵力>
帝国軍
・軽空母    1隻
・重巡洋艦  2隻
・軽巡洋艦  2隻
・駆逐艦   13隻
・輸送船   41隻
別動部隊
・重巡洋艦  2隻
・駆逐艦    3隻
連合軍
・重巡洋艦   2隻
・軽巡洋艦   3隻
・駆逐艦    11隻




※数字には諸説有

▽両軍の編成:〜
帝国海軍の編成:〜
第三艦隊司令長官(蘭印部隊指揮官)高橋伊望中将
・第五戦隊 司令官 高木武雄少将
  ・重巡 那智(旗艦)司令官座乗、羽黒
 ・第七駆逐隊第1小隊、駆逐艦 潮、漣
 ・第二十四駆逐隊小隊、駆逐艦 山風、江風
・第二水雷戦隊 司令官 田中頼三少将
  ・軽巡 神通(旗艦)司令官座乗
 ・第十六駆逐隊、駆逐艦 雪風、時津風、初風、天津風
・第四水雷戦隊 司令官 西村祥治少将
  ・軽巡洋艦 那珂(旗艦)司令官座乗
 ・第二駆逐隊、駆逐艦 村雨、五月雨、春雨、夕立
 ・第九駆逐隊小隊、駆逐艦 朝雲、峯雲
第四航空戦隊 司令官 角田覚治少将(1890-1944/8/2テニアン戦死)
 ・軽空母 龍驤、司令官座乗
 ・駆逐艦 敷波

別働隊 司令官 高橋伊望中将
・蘭印部隊主隊
 ・重巡 足柄(旗艦)司令官座乗、妙高
・主隊附属
 ・駆逐艦 雷、電、曙

○連合国海軍の編成:〜
連合軍兵力:〜
米英蘭豪連合攻撃部隊(ABDA艦隊:司令官蘭海軍カレル・ドールマン少将)
 (Rear-Admiral Karel Doorman, 1889-1942/2/28)
オランダ東インド海軍
・蘭軽巡デ・ロイテル号、旗艦、'42/2/28沈没、司令官も戦死
・蘭軽巡ジャワ号、2/27沈没
 ・蘭駆逐艦バンケルト号 (,'42/2/28スラバヤ沈没後, 帝国が引上げ、哨戒艇106号)
 ・駆逐艦コルテノール号
 ・駆逐艦ウィット・デ・ワイズ号(ヴィテ・デ・ヴィット説有)
・イギリス海軍
 ・重巡エクゼター号第2次スラバヤ沖海戦,1942/3/1沈没)
 ・駆逐艦エレクトラ
 (HMS Electra H27, 1,405t, 35.5kts, 145人、'42/2/28沈没)
 ・駆逐艦エンカウンター号
 (HMS Encounter H10, 1,350t, 35.5kts, 175人,'42/ 3/1沈没)
 ・駆逐艦ジュピター号
 (HMS Jupiter F85, 1,760t, 36kts, 136人、'42/2/28沈没)
・アメリカ海軍
 第5任務部隊 司令官 A・H・ルークス海軍大佐(Captain Albert H. Rooks, 1891-1942/3/1)
 ・重巡ヒューストン号(米アジア艦隊の旗艦)
 (USS Huston CA-30、艦長アルバート・ルークス大佐、'42/2/4ジャワ沖海戦にて鹿屋空
  一式陸攻27機空襲で第3砲塔主砲2門損傷(使用不能)後、'42/3/1バタビア沖海戦沈没)
 ・第58駆逐隊
  ・駆逐艦ジョン・D・エドワーズ号(USS John D. Edwards DD-216、1945退役)
  ・駆逐艦ポール・ジョーンズ号(USS Paul Jones DD-230、1945退役)
 ・第59駆逐隊
  ・駆逐艦ジョン・D・フォード号(USS John D. Ford DD-216、1945退役)
  ・駆逐艦オールデン号(USS Alden DD-211、1945退役)
  ・駆逐艦ポープ号(USS Pope DD-225、'42/3/1沈没)
・オーストラリア海軍
 ・軽巡パース号(HMAS Perth、艦長ヘクター・ウォーラー大佐、バタビア沖海戦'42/3/1沈没)

・前哨戦
スラバヤ沖海戦は、まずその前哨戦のジャワ沖海戦(1942/2/4)で連合国艦隊司令長官の蘭印海軍少将カレル・ドールマン率いる連合軍艦隊(巡洋艦4、駆逐艦7)が帝国軍迎撃のためスラバヤ湾マゾラ泊地から出撃したのを、帝国海軍陸攻機隊がジャワ海カンゲアン島の南方で空襲攻撃し、連合軍のヒューストン号と、マーブルヘッド号が大破して撃退されました。1942/02/15にはガスパル海峡海戦にて空襲を受け、1942/02/20にはバリ島沖海戦を戦い、いずれも撃退されて、帰港していました。

そこへ、帝国軍輸送船団のジャワ島接近との情報でドールマン少将は、1492/2/25に帝国軍迎撃のため艦隊を率いてスラバヤ港を出港して、本海戦(スラバヤ沖海戦:1942/2/27〜2/28)が勃発しました。

本海戦でABDA連合軍艦隊はほぼ壊滅し、バタビヤ沖海戦はその直後戦場を離脱した米重巡ヒューストン号と蘭軽巡パース号が、帝国輸送船団に対して攻撃をしたもので、帝国重巡 三隈、最上ら第7戦隊がそれらを撃沈。さらに第2次スラバヤ沖海戦(3/1追撃戦)で英重巡洋艦エクセター号などが撃沈されて連合軍艦隊は結局、夜の闇の中を米駆逐艦4隻(ポール・ジョーンズ号、ジョン・D・エドワーズ号、オールデン号、ジョン・D・フォード号)だけが豪州に辛うじて脱出するも、壊滅しました。酸素魚雷の威力と帝国海軍艦隊の練度の高さとレーダーの無い海戦が勝因となりました。

<両軍の損害>
帝国軍
・被弾損傷〜1隻大破
 ・駆逐艦 朝雲
・被弾損傷〜2隻小破
 ・駆逐艦 峯雲
 ・駆逐艦 漣
連合軍
・沈没
 ・重巡  〜1隻
 ・軽巡  〜2隻
 ・駆逐艦〜5隻
※数字には諸説有

帝国軍損害〜沈没
・朝雲 (戦死4、戦傷11)

連合軍損害〜沈没
・2/27:蘭軽巡ジャワ号 (乗員2人救助)、蘭駆逐艦コルテノール号、英駆逐艦エレクトラ号
・2/28:蘭軽巡デ・ロイテル号 (乗員17人救助)
     英駆逐艦ジュピター号(蘭軍の機雷に触雷後、沈没)
・3/01:英駆逐艦エンカウンター号、米駆逐艦ポープ号、英重巡エクゼター号(艦長戦死)

・海戦の経過:〜
海戦前(2月25-27日)
2/25 連合国艦隊(司令官ドールマン少将)が迎撃にスラバヤを出港
2/26
12:00 頃、帝国軍偵察機がスラバヤ沖で連合軍艦隊を発見、
帝国軍艦隊がスラバヤへ向かう
午後 ドールマン少将は帝国軍を発見できずスラバヤへ転舵
16:00 頃、ドールマン少将がバウエアン島に帝国軍接近中との報で反転
海戦経過(2/27-2/28)
2/27
14:05 第一次昼戦)那智水偵が連合軍艦隊を発見
16:59 神通が敵艦のマストを発見 (第一次昼戦)
17:45 16,800mで神通が砲撃開始
17:47 26,000mで第五戦隊が砲撃開始
連合軍も砲撃を開始
17:50 第二水雷戦隊はいったん退避
18:04 第四水雷戦隊は魚雷を発射、戦果無し
第五戦隊は遠距離での砲撃を続けて、損害を与えられず
18:22 羽黒が魚雷発射
18:37 高木少将、全軍突撃を命令
18:38 エクセター号に命中弾、速度低下
18:45 コルテノール号に魚雷命中、沈没
連合軍艦隊は戦場離脱
19:15 第二次昼戦)第五戦隊が連合軍を捕捉、砲撃開始
帝国艦隊は魚雷を発射するも、一本も命中せず
19:40 連合軍が反撃、朝雲に命中弾沈没、峯雲・漣に至近弾小破
19:50 日没
19:54 エレクトラ号が沈没
両軍、夜戦準備に入る
20:55 第一次夜戦)連合軍は那智、羽黒を発見し攻撃開始
那智、羽黒は退避(第一次夜戦)
エクセター号と駆逐艦4隻がスラバヤへ退避
22:55 蘭の機雷原)ジュピター号がオランダ軍の機雷で沈没
2/28
00:33 第二次夜戦)第五戦隊、連合軍巡洋艦4隻を発見
00:50 12,000mで同じ方向へ航海する同航戦に入る
00:53 那智、羽黒が魚雷発射
01:09 デ・ロイテル号、ジャワ号に魚雷命中、沈没
司令官ドールマン少将が戦死
ヒューストン号、パース号は離脱
追撃戦
3/1
00:09 〜02:06、ジャワ島バンタム湾にてバタビア沖海戦
02:35 ジャワ島クラガン泊地に進入した連合軍魚雷艇3隻の攻撃を春雨が撃退
03:30 第12駆逐隊(白雲、叢雲)はソワートウェー島西方約5浬で駆逐艦エヴェルトセン号を発見・砲撃、煙幕を展開、逃走後にセグク島で擱座、夕刻に爆発喪失
11:30 第五戦隊はバウエアン島西方でエクセター号以下の艦隊を発見
第五戦隊は弾薬不足のため、別働隊(重巡妙高、足柄)の到着を待つ
11:40 妙高、足柄が到着、連合軍を挟撃
11:50 別働隊、24,000mで砲撃開始
12:25 第五戦隊、25,000mで砲撃開始
13:30 エクセター号に魚雷命中、沈没(第2次スラバヤ沖海戦,)
13:35 エンカウンター号沈没(第2次スラバヤ沖海戦,)
15:20 ポープ号はスコールに逃げ込むも、帝国軍航空隊(龍驤艦載機等)の攻撃で航行不能となる
15:40 足柄、妙高の砲撃でポープ号が沈没
3/1
0135パンジャン島南方で日本軍輸送船団を直衛していた第二号掃海艇が突然右舷缶室に魚雷1本の直撃を受け、艦体切断したのち転覆
0138 同士討ち:陸軍輸送船の佐倉丸(日本郵船、9,246t)に魚雷命中、さらに0200頃に魚雷1本が命中し沈没
01:40 同士討ち:陸軍病院船の蓬莱丸(大阪商船、9,192t)が魚雷で横転着底。また、陸軍輸送船の龍野丸(日本郵船、7,296t)が魚雷回避中に座礁。第16軍司令官今村均中将座乗の陸軍特殊船(揚陸艦)神州丸に魚雷、大破着底。
01:42 パース号が沈没
02:00 敷波がヒューストン号至近弾でスクリューに軽微な被害
02:06 敷波の魚雷命中、ヒューストン号が沈没
3/2 魚雷を撃ち尽した米駆逐艦4隻、ジョン・D・エドワーズ号、ポール・ジョーンズ号、ジョン・D・フォード号、アルデン号がバリ海峡を抜け、ポートダーウィンに入港

蘭印海軍カレル・ドールマン提督の太平洋戦争での戦い:〜
 ・1942/02/04〜ジャワ沖海戦 (空襲)
 ・1942/02/15〜ガスパル海峡海戦(空襲)
 ・1942/02/20〜バリ島沖海戦
 ・1942/02/28〜スラバヤ沖海戦〜戦死
※ドールマン提督は1937年に蘭印に大佐で着任、1940年に少将、1942年52才没。

・重巡洋艦 羽黒(はぐろ)の装備:〜就役:1929/4/25
  (大日本帝国海軍の妙高型重巡洋艦)、1934第1次、1938第2次改装
重巡洋艦 妙高型3番艦 帝国の重巡 ”羽黒”

タンザニヤ 1992/4/27 発行

建造所 三菱長崎造船所
全 長 203.76m
全 幅 19.03m
吃 水 6.23m
排水量 13,963t
最大速力 35.6kt
航続距離 7,000浬/14kt
乗 員 704人
武 装 50口径3年式2号20.3cm連装砲5基
40口径89式12.7cm連装高角砲4基
保式13mm4連装機銃2基、留式7.7mm単装機銃2基
92式4連装魚雷発射管2基(使用魚雷90式61cmx16本)
搭載機 水上偵察機4機、射出機2基
※1945/5/17マラッカ海峡にてイギリス駆逐艦隊5隻と交戦、雷撃で沈没。

こちらで
バタビア沖海戦 をお楽しみください。

参考HP〜
ジャワ海の場所地図(日本語)
インドネシアの地図

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/18






37 <ニューギニア占領>
1942/4/19
帝国軍、西ニューギニア北半分の要地を占領完了


熱帯ジャングルで上陸して来る帝国軍を迎え撃つオランダ兵

Japanese Land on New Guinea
1942 マーシャル諸島 1992 発行

昭和17年(1942)
2/26 帝国海軍がニューギニアのマダンを攻撃
3/8 ニューギニア東部北岸のラエ、サラモアに上陸
4/2 ニューギニア攻略部隊がバホを占領
6/29 海軍陸戦隊がニューギニアのサラモアに上陸
7/21 南海支隊の横山先遣隊がブナ付近のバサブアに上陸
8/7 米軍がガダルカナル島に上陸
8/17 帝国陸軍南海支隊がニューギニア、ブナ付近のバサブアに上陸
8/25 帝国軍がニューギニアの南東端ラビに上陸
9/12 南海支隊、ポートモレスビーを望むイオリバイワに到達
中旬 ガダルカナルの戦況悪化により南海支隊のポートモレスビー進撃中止
9/23 南海支隊ココダに撤退、帝国軍ココダ村付近の陸海軍部隊に物糧投下
10/26 帝国陸軍南海支隊がココダ村から退却
11/3 帝国軍がココダ村へ攻撃
12/8 ニューギニアのバザブア(ブナの近く)の帝国軍守備隊全滅
12/25 帝国海軍陸戦隊がニューギニア中部北岸のホーランディアに上陸
12/28 大本営がガダルカナル島撤退を決定
1/2 ニューギニアのブナで帝国軍全滅
1/20 帝国陸軍がニューギニア中部北岸のウエワクに上陸
3/3 帝国軍のニューギニア・ラエへの輸送船団が全滅。ダンピール海峡の悲劇

・重巡洋艦 足柄 (あしがら)の装備:〜就役:1929/8/20
  (大日本帝国海軍の重巡洋艦)、1938年佐世保軍港で整備
重巡洋艦 妙高型3番艦 帝国の重巡 足柄

グレナダグレナディーン 1995 発行

建造所 川崎重工業神戸造船所
全 長 203.76m
全 幅 20.73m
吃 水 6.37m
排水量 基準13,000t公試14,743t
速 力 33kt
航続距離 7,000浬/14kt
乗 員 920人
武 装 三年式2号20cm(20.3cm)連装砲5基10門、八九式12.7cm連装高角砲4基8門
九六式25mm連装機銃4基8門、九三式13mm連装機銃2基4門
九二式61cm4連装水上発射管4基6門、九三式酸素魚雷24本
搭載機 水上偵察機3機
※1945年6月8日 イギリス海軍潜水艦「トレンチャント」の雷撃により沈没。
1945年6月4日、「足柄」は駆逐艦「神風」を伴ってシンガポールを出港。翌日バタビアに到着し、陸軍の兵員約1600人や物資を乗せ、6月7日にシンガポールに向け出港。「神風」は別行動をとっており、「足柄」は単艦で航行。6月8日12時15分頃、バンカ海峡北側入り口で「足柄」は「神風」と合流しようとするも、イギリス海軍潜水艦「トレンチャント」が発射した魚雷8本の内4本が「足柄」の右舷に命中。「トレンチャント」はさらに後部発射管から2本の魚雷を発射し、1本が命中。「足柄」は12時37分に転覆し、艦尾から沈没。「神風」は艦長三浦速雄大佐を含む乗員853人と陸兵400人を救助。

こちらで
ビルマ攻略 をお楽しみください。

参考HP〜
ニューギニアの地図(日本語)
ニューギニアの戦いの地図(日本語、連合軍の反攻地図)

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/8/20

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