クエゼリン環礁 マーシャル諸島 1984-85 発行 |
米グラマン機、マーシャル諸島を空襲 US Liberates Marshall Islands 1944 第2次世界大戦勝利50年記念 マーシャル諸島 1994 発行 |
クエゼリン掃討戦終了、占領 Feb 17, 1944 US Marines Capture Kwajalein 第2次世界大戦勝利 クエゼリンの戦い 50周年記念 パラオ 1994 発行 |
・クェゼリンの戦い、 1944/2/1〜2/6 (Battle of Kwajalein)、米軍の勝利 場所:マーシャル諸島クェゼリン環礁クェゼリン島 (Kwajalein Island, Kwajalein Atoll, Marshall Islands) 1944(昭和19年)/1/31早朝、米軍はマーシャル諸島の世界最大の環礁、クェゼリン環礁へ空襲すると共に、戦艦(3)駆逐艦(5)による艦砲射撃を実施。防御陣地の大部分を破壊しました。夕刻には戦艦(5)巡洋艦(5)駆逐艦(10)輸送船(14)が望見され、近くの離島のヌエブ島に上陸してクェゼリン砲撃用の大砲48門を設置しました。 2/1、クェゼリン環礁へ米軍は上陸前の砲爆撃で砲弾と爆弾合せて2kuあたり2,500屯もの砲爆弾の雨を降らせました。2日目の猛攻後、米軍が上陸。帝国守備隊は狭いサンゴ礁へ戦車を先頭に攻撃してくる米軍とよく戦い4日間の激戦の末に全滅。2/6米軍が占領を完了しました。 ・クェゼリンの戦い
▽両軍の兵力と損害:〜
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍の編成:〜 クェゼリン島守備隊 ・海軍第6根拠地隊本隊〜1,200人 根拠地隊司令官:秋山門造少将(1891-1944/2/2戦死) ・第6根拠地隊付属陸戦隊〜80人 ・海軍第61警備隊〜1,500人 警備隊司令:山形政二大佐(1893-1944/2/6戦死) ・第6通信隊〜400人 ・第6潜水艦基地隊〜200人 ・陸軍海上機動第1旅団第2大隊基幹〜1,020人 第2大隊長:阿蘇太郎吉大佐(?-1944/2/4戦死) ・司令部に来島中の海機第1旅団参謀の伊藤豊臣少佐が所在 ・第61警備隊所属などの軍人軍属〜810人、総計約5,210人。 ○米軍の編成:〜 ・第5水陸両用部隊 (5th Fleet Amphibious Corps Marine Reconnaissance Company) 司令官:ターナー少将 ・第52任務部隊(Task Force 52)、ターナー隊 ・戦 艦〜5隻 ・巡洋艦〜5隻 ・駆逐艦〜10隻 ・輸送船〜20隻
・大本営発表〜2/25 クエゼリンの戦闘の帰結が内地に伝えられたのは戦闘終了から約3週間後の2月25日で、大本営は午後4時に国民に発表。 「クェゼリン島竝(ならび)にルオット島を守備せし約四千五百名の帝国陸海軍部隊は一月三十日以降来襲せる敵大機動部隊の熾烈なる砲爆撃下之と激戦を交え二月一日敵約二ヶ師団の上陸を見るや之を激撃し勇戦奮闘、敵に多大の損害を与えたる後二月六日最後の突撃を敢行、全員壮烈なる戦死を遂げたり。ルオット島守備部隊指揮官は海軍少将山田道行にしてクェゼリン島守備部隊指揮官は海軍少将秋山門造なり。尚両島に於て軍属約二千名も亦(また)守備部隊に協力奮戦し全員其の運命を共にせり」。 ※クェゼリン・ルオットの玉砕の大本営発表と同時に臣籍降下していた朝香宮鳩彦王(あさかのみや やすひこおう、1887(明治20年)-1981)次男の音羽正彦(正彦(ただひこ)王(1914-1944/2/6)、臣籍降下:音羽侯爵家)海軍大尉戦死の発表も2/25に行われ、音羽大尉は少佐に一階級特進しました。 ・エビジェの戦い:〜 (Battle of Ebeye、クェゼリン方面最後の戦闘)、1944/2/4〜2/5 クェゼリン島の北端部から約2海里の地点にあるエビジェ島(Ebeye Island)の戦闘で、エビジェ島には水上機基地が置かれており、航空隊員と地上要員合わせて約800人が守備。エニブージ島(Enubuj Island)、エンニラビガン島(Ennylabegan Island)を占領した米陸軍第17連隊が攻略を担当し、2/4から攻略作戦が行われました。エビジェ島守備部隊は、一時は夜襲により第17連隊を押し返すほど抵抗したものの、2/5の10時までには全滅。エビジェ島占領に続いてロイ島(Roi Island)、グゲゲ島(Gugegwe Island)、ビゲ島(Bigej Island)を占領してクェゼリン方面の戦闘は事実上終了。 参考HP〜 ・クェゼリン環礁の地図(地名入り) ・クェゼリン島の地図(航空写真) ・クェゼリン環礁の地図(GoogleMap) ・クェゼリン環礁の場所地図 ・クェゼリンの地図(日本語、米軍の攻撃地図) |
78 <米軍、クェゼリン環礁ルオット島上陸> 1944/2/1〜2/3 |
米B-17重爆撃機が クエゼリン環礁北端のルオット島を空襲 8 Dec 1943 Kwajalein bombarded by sea and air 第2次世界大戦勝利 クエゼリンの戦い 50周年記念 パラオ 1994 発行 |
・ルオットの戦い、1944/2/1〜2/3 (Battle of Ruot)、米軍の勝利 場所:マーシャル諸島クェゼリン環礁ロイ・ナムル環礁島ルオット(現ナムル)島 (Ruot Island, Roi-Namur(Ruot) Atoll, Kwajalein Atoll, Marshall Islands) ルオット島はクェゼリン環礁北端のロイ・ナムル環礁の橋で繋がった2つの島、ロイ島・ルオット(現ナムル)島となっており、そこへ米軍が上陸してきました。 1944/2/1にクェゼリン環礁の北端にあるロイ島には飛行場が有り、それを占領して使用するため、米軍が上陸。前日からの猛烈な空爆と艦砲射撃で、ほとんど破壊され尽くしていたところへ、戦車を先頭に上陸してきた米軍約2万人は、生き残った同島守備隊の勇敢な抵抗にあいました。 2/3に米第7師団長コーレット少将が占領を宣言しました。 ・ロイ島の戦い
・ルオット(現ナムル)の戦い
▽両軍の兵力と損害:〜
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍の編成:〜 ・海軍第24航空戦隊 司令官:山田道行少将(1893-1944/2/6戦死) ・第61警備隊分遣隊 ・ロイ島〜2,125人 ・ルオット島〜400人 ・民間人(飛行場設営隊員・荷役人夫)1,000余人〜合計3,100余人。 ○米軍の編成:〜 第5水陸両用部隊 (5th Fleet Amphibious Corps Marine Reconnaissance Company) 上陸軍団司令官:ホーランド・スミス中将 ・第7師団(7th Infantry Division) 指揮官:コノリー少将 ・輸送船 ・戦車揚陸艦(LST) ・第4海兵師団(U.S. 4th Marine Division) ・第23海兵連隊(23rd Marine Regiment)〜ロイ島 ・第24海兵連隊(24th Marine Regiment)〜ルオット島 なお、2/12に帝国のトラック島基地から大型の二式飛行艇6機が、深夜ルオット島に夜間攻撃を敢行し、ルオット島に集積してあった米軍補給物資80%の損害と死傷者235人という大戦果を挙げ、全機無事にトラック基地へ帰還しました。米軍は食料の損失で、上陸部隊がしばらくの間、非常食による生活を強いられました。 ・ランディング・ヴィークル・トラックの装備:〜開発:1935 (Landing Vehicle Tracked、通称LVT) 米海軍と海兵隊の水陸両用トラクター(Amphibious Tractor)水陸両用装軌車 愛称:上陸用舟艇アリゲーター(Alligator、鰐)、運用:1942〜1950年代後半
※LVTはガダルカナル戦(1942)で後方支援に使用され、初めて上陸作戦に使用されたのはタラワ攻略(1943)。タラワでLVTは珊瑚礁や浅瀬だらけの浜辺を乗り越え、輸送を成功することでその価値が証明されました。上陸用舟艇であるヒギンズ・ボート(LCVP)は、喫水下1.2mの水深が必要であるため珊瑚礁で座礁し海岸到達できず、胸まで深さのある浅瀬か、それより深い海辺を徒歩で進まなければならなかったのと対照的な結果でした。上陸用舟艇組は多数の犠牲者を出し、海岸にたどり着いたほとんどの者が小銃や無線機など装備のほとんどを失いました。有用性が明らかになった一方で、投入された125台のLVTのうち80台以上が帝国軍の砲火で損傷し、作戦終了時には稼動できるLVTは35台であり防御力の低さを露呈しました。アリゲーターは構想どおりの働きを見せた一方で、より効果的な運用のため改良が必要である事も明らかになりました。タラワの経験を元に上陸用のLVTには標準化した増加装甲が用意されて、火力支援を提供するためにLVT(A)-1、AVT(A)-4などのアムタンクが開発されました。後部機関銃を取り外してより大きい砲塔リングを採用し、75mm榴弾砲をオープントップ式に装備。そのため、帝国軍歩兵からの攻撃に脆弱になったが火力支援には効果的でした。マリアナ諸島攻略に投入されたアムタンクは本来の上陸だけでなく、内陸でも使用されました。 LVTが多数用意されたレイテ島上陸では、9つのアムトラック部隊と2つのアムタンク部隊が配置されるも、上陸戦が起きなかったため、最も少ない活動の作戦となりました。その後、1,000台以上のLVTが沖縄戦に投入されました。 参考HP〜 ・クェゼリン環礁の地図(地名入り) ・ロイ・ナムル(ルオット)島の地図(ロイ島に飛行場が有) ・マーシャル諸島の地図(ロイ・ナムル(ルオット)島はクェゼリン環礁北端に有) |
79 <米軍、ブラウン環礁エニウェトク上陸> 1944/2/19 |
エニウェトク環礁島 マーシャル諸島 1984-85 発行 |
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空 襲 |
艦砲射撃 |
水陸両用戦車が突進 |
戦車を先行攻撃 |
・米軍、エニウェトク上陸、1944/2/19 (Battle of Eniwetok)、米軍の勝利 別名(米軍呼称):キャッチポール作戦 (Operation Catchpole) 場所:マーシャル諸島ラリック列島ブラウン環礁(現エニウェトク環礁) (Eniwetok Atoll, Ralik Chain, Marshall Islands) (帝国の委任統治領ではブラウン環礁:Brown Atoll) マーシャル諸島ブラウン環礁(現エニウェトク環礁)は直径28kmの円形の環礁で、約40の島々からなっていて、帝国海軍は大艦隊の良好な泊地として、昭和17年11月に海軍第4施設部がエンチャビ島に飛行場を建設。1/3海軍の中攻(双発陸上攻撃機)の1,300m滑走路が完成。18年1月からクウェゼリン島から監視哨が派遣され、10月に海軍警備隊分遣隊61人が上陸。昭和19年1月上旬までに海上機動第1旅団が満州で編制(1943/11/14)されて、エンチャビ島(Engebi Island)、エニウェトク島(Eniwetok Island)、メリレン島(Medlen Island)の3島に配備。旅団長の西田祥実(よしみ、1892-1944/2/21戦死)少将は司令部をメリレン島に置き、海軍第61警備隊分遣隊を指揮下に置く。守備隊は米軍の上陸兵力を最低、歩兵3個師団と予想し、築城に努めましたが食料の欠乏、気候の不順、時間不足のため未完成のまま、米軍の上陸が始まりました。エニウェトク島は砂地のため壕は皿のようにしか出来ませんでした。エンチャビ島には3隻の輸送船がセメント、トタン、木材などの築城資材を揚陸しましたが、各島に分配するには間に合いませんでした。 ▽両軍の兵力と損害:〜
▽両軍の編成:〜 ○帝国軍の編成:〜 陸海軍々人・軍属など〜総兵力3,560人 ・陸軍 ・海上機動第1旅団主力(旅団長 西田祥実 少将)〜 2,763人 ・メリレン〜1,244人(司令部〜メリレン島内司令部員939人) ・エンチャビ〜716人 ・エニウェトク〜803人 ・海軍〜199人 ・第61警備隊分遣隊〜49人 ・エンチャビ〜44人 ・エニウェトク〜5人 ・監視哨(1943/1見張所設置) ・海軍双発陸上攻撃機(中攻)〜10数機 ・第952航空隊〜150人 ・メリレン〜80人 ・エンチャビ〜70人 ・非戦闘員〜598人 ・軍 属〜47人(メリレン) ・測量隊〜50人(メリレン) ・建設要員〜301人 ・メリレン〜20人 ・エンチャビ〜281人 ・荷役要員〜200人(クェゼリンに向かう途中) ・メリレン〜35人 ・エンチャビ〜165人 ○米軍の編成:〜 エニウェトク攻略部隊 ・第53任務部隊(Task Foce 53、兵站部隊) 司令官:ハリー・ヒル少将 ・エンチャビ島攻略部隊〜第22海兵連隊 (22nd Marine Regiment) ・エニウェトク島攻略部隊〜第106歩兵連隊第1・3大隊 (1st & 3rd Battalions of the 106th Infantry Regiment) ・メリレン島(パリー島:Parry Island)攻略部隊〜 ・第104野戦砲兵隊(104th Field Artillery) ・第2ハウィツァー大隊別働隊(2nd Separate Pack Howitzer Battalions) ・砲撃艦隊〜戦艦2隻基幹の艦隊 ・戦艦テネシー号 (battleships USS Tennessee BB-43, 33,190t, 1083人, 1947退役) ・戦艦ペンシルヴァニア号 (battleships USS Pennsylvania BB-38, 31,900t, 1,358人, 1946退役) ・他 エニウェトク作戦支援の機動部隊 ・第58任務部隊の内〜サミュエル・P・ギンダー少将の機動部隊 ・第58.4任務群 ・空 母サラトガ号 ・軽空母プリンストン号 ・軽空母ラングレー号、基幹の機動部隊 支援部隊 ・米上陸軍支援艦隊:〜ガルヴァニック作戦支援部隊 ・中部太平洋部隊第5艦隊〜司令官:レイモンド・スプルーアンス中将 ・第5水陸両用軍団〜司令官:ホーランド・スミス海軍少将。 参考HP〜 ・エニウェトク環礁の地図 ・エニウェトク環礁の航空写真 ・ラリック列島の地図(エニウェトク環礁(Enewetok)の場所地図) ・マリアナ・カロライン・マーシャルの場所地図 (マリアナ(サイパン)・カロライン(トラック)・マーシャル(エニウェトク)の場所地図)
▽両軍の兵力と損害:〜
参考HP〜 ・エニウェトク環礁の地図(Engebi Island有)
▽両軍の兵力と損害:〜
参考HP〜 ・エニウェトク島の航空写真
▽両軍の兵力と損害:〜
参考HP〜 ・エニウェトク環礁の地図(Eniwetok & Medren有) ・エニウェトク環礁の地図(Medren Island有) ・ブラウン(エニウェトク)環礁の地図(Parry=Medren Island有)
ラリック列島のエニウェトク環礁占領での一連の戦い後、ラタック列島の四環礁(ウォッジェ:Watje、ジャルート:Jaluit(ヤルート)、ミリ:Mili、マロエラップ:Maloerap)は放置され、米軍の増強される航空兵力のための格好の「訓練地」として爆撃を受け続けました。 参考HP〜 ・マーシャル諸島ラタック列島の地図 (Mill(ミリ環礁)他、Watje, Jaluit, Maloerap の場所地図)
※エニウェトクは戦後、核実験場になりました。 参考〜 ・マーシャル諸島の島々:〜 ○ラタック列島(Ratak Chain)の環礁島:〜東の日の出側に有 (Sunrise, Eastern) ・ボカック環礁(Bokak Atoll、△※) ・ ビカール環礁(Bikar Atoll、'44/4/5無血占領、△) ・ウチリック環礁(Utirik Atoll、'44/4/5無血占領) ・タカ環礁(Toke Atoll、'44/4/5無血占領) ・メジット島(Mejit Island、'44/4/5無血占領) ・アイルック環礁(Ailuk Atoll、'44/4/5無血占領) ・ジェモ島(Jemo Island、'44/4/5無血占領、△) ・リキエップ環礁(Likiep Atoll、'44/4/5無血占領) ・ウォッジェ環礁(Wotje Atoll、※) 米軍は上陸せず守備隊計4,133人(海軍1772人、陸軍368人、設営隊(朝鮮人含)750人)は 放置置去りとなり飢餓と戦い、1,244人が敗戦時に残存 ・エリカブ環礁(Erikub Atoll、△※) ・マロエラップ環礁(Maloelap Atoll、※) 米軍は上陸せず守備隊計4,340人(海軍2,959人、陸軍424人、設営隊(朝鮮人含)957人)は タロア島などに放置置去りとなり飢餓と戦い、1041人が敗戦時に残存 ・オール環礁(Aur Atoll、※) ・マジュロ環礁(Majuro、'44/1/30無血占領) ・アルノ環礁(Arno Atoll、'44/2/12無血占領 ) ・ミリ環礁(Mili Atoll、※放置) ・ノックス環礁(Knox Atoll、△※)、など。 ○ラリック列島(Ralik Chain)の環礁島:〜西の日没側に有 (Sunset, Western) ・エニウェトク環礁(Eniwetok Atoll) ・ウジェラング環礁(Ujelang Atoll、'44/4/22米軍が上陸、△、1543ヴィリャロボスが発見) ・ビキニ環礁(Bikini Atoll、'44/3/29無血占領) ・ロンゲリック環礁(Rongerik Atoll、△※) ・ロンゲラップ環礁(Rongelap Atoll、※) ・アイリンギナ環礁(Ailinginae Atoll、△※) ・オトー環礁(Wotho Atoll、'44/3/13米軍が上陸、1543ヴィリャロボスが発見) ・ウジャエ環礁(Ujae Atoll、※、1543ヴィリャロボスが発見) ・ラエー環礁(Lae Atoll、'44/3/13無血占領) ・クェゼリン環礁(Kwajalein Atoll、'44/2/6米軍が上陸、1543ヴィリャロボスが発見) ・リブ島(Lib Island、※) ・ナムー環礁(Namu Atoll、'44/3/27米軍が上陸) ・ジャボット島(Jabat Island、※) ・アイリングラップ環礁(Ailinglaplap Atoll、'44/3/27米軍が上陸) ジャルートへ移動中の陸軍第122連隊第2大隊46人中37人戦死、9人捕虜 ・ジャルート(ヤルート)環礁(Jaluit Atoll、※) 米軍は上陸せず守備隊2,311人(海軍1,584人、陸軍727人)は放置置去りとなり飢餓と戦う ・キリ島(Kili Island、'44/3/27無血占領) ・ナモリック環礁(Namdrik Atoll、'44/3/27無血占領) ・エボン環礁(Ebon Atoll、'44/3/27米軍が上陸)など。(△無人島、※米軍の非上陸地) こちらで ・米軍、カロライン諸島トラック基地破壊 ・米軍、ギルバート諸島上陸(タラワ・マキンの戦い) をお楽しみください。 参考HP〜 ・マーシャル諸島ラタック列島の地図 (Mill(ミリ環礁)他、Watje, Jaluit, Maloerap の場所地図) ・マーシャル諸島の地図(原爆実験場の場所地図有) ・証言記録・兵士たちの戦争(NHK戦争証言アーカイブス) (飢餓の島ミレー島、味方同士の戦場〜金沢:歩兵第107連隊) ・マリアナ・カロライン・マーシャルの場所地図 (マリアナ(サイパン)・カロライン(トラック)・マーシャル(エニウェトク)の場所地図) ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 16/1/31 |