・バリクパパン沖海戦
(Battle of Balikpapan)〜1942/1/24(夜戦)、連合軍の勝利
於:ボルネオ島バリクパパン沖マカッサル海峡、30分間の夜間海上戦闘
米軍駆逐艦4隻 vs 帝国軍輸送船団護衛の第四水雷戦隊
バリクパパン沖海戦は太平洋戦争初期、1942/1/24に勃発した海戦。連合国側呼称、マカッサル海峡海戦。わずか30分間の夜間海上戦闘で、帝国軍輸送船団と護衛の第四水雷戦隊は突入してきた米軍駆逐艦4隻に翻弄されました。蘭印方面における連合軍艦隊唯一の勝利なるも、帝国軍のバリクパパン上陸・占領を防ぐことは出来ませんでした。
1942/1/20米のカタリナ飛行艇がボルネオ東岸バリクパパン沖を帝国の輸送船団が航行しているのを発見、米英蘭豪艦隊司令部(ABDA:Australian-British-Dutch-American
Command)へ通報しました。それで米英蘭豪(ABDA)連合艦隊司令部はチモール島クーパンで補給していたアメリカ海軍(ウィリアム・A・グラスフォード少将揮下)の軽巡2隻と駆逐艦6隻を出撃させるも、軽巡ボイシ号(USS Boise,
9,800t, 32.5kt, 975人, 1946退役)は座礁事故で損傷し、軽巡マーブルヘッド号(USS Marblehead, 7,050t,
34kt, 458人, 1945退役)も機関故障を起しました。そこで巡洋艦2隻は護衛の駆逐艦2隻と共に戦列を離れました |
米:PBYカタリナ飛行艇
パラオ 1992/9 発行 |
第59駆逐隊(ポール・H・タルボット中佐)のクレムソン級駆逐艦4隻が帝国の輸送船団を攻撃しました。1/24未明、アメリカ駆逐艦隊4隻は速力27ノットでバリクパパン沖に侵入。すでに月は没した中、帝国の船団は沿岸に停泊中で、沖側を軽巡
那珂、第2駆逐隊、第9駆逐隊、哨戒艇等が警戒しているも、炎上した南阿丸や地上施設の煤煙のため視界は不良、逆光で帝国の輸送船団シルエットは米艦隊から丸見えでした。アメリカ艦隊は日本側に発見されることなく船団に接近し、掃海艇15号に対し最初の雷撃をするも、命中せず。午前4:25、船団北東を哨戒していた第15掃海艇は南方から接近する四本煙突の艦影を那珂と誤認するも、複数隻のため敵艦隊と判断、すれ違いざまに雷撃されるも回避。高速で運動・航海する米軍駆逐艦4隻は、午前4:30に特設急設網艦須磨浦ノ丸を雷撃で轟沈させました。
・両軍の兵力
帝国
・軽巡洋艦 1隻
・駆逐艦 9隻
・小艦艇 11隻
・輸送船 15隻 |
連合軍
・駆逐艦 4隻
・潜水艦 2隻
・航空機 9隻 |
・両軍の損害 |
|
帝国
・輸送船沈没 5隻
(空襲1、潜水艦1、夜戦3)
・南阿丸、空襲
・敦賀丸、蘭潜
・須磨ノ浦丸、夜戦
・辰神丸、夜戦
・呉竹丸、夜戦
・哨戒艇37号大破、放棄、夜戦
・輸送船小破 2隻
・球磨川丸
・朝日山丸 |
連合軍
・駆逐艦小破 1隻
・ジョン・D・フォード号
・潜水艦小破 1隻 |
陸軍輸送船は2隻(敦賀丸、呉竹丸)が沈没し、両船戦死合計約30人。海軍は輸送船2隻(須磨浦ノ丸、辰神丸)沈没、第37号哨戒艇が大破航行不能(死傷者約35)、球磨川丸が小破(戦死6)、朝日山丸が被弾(死傷者約50)。空襲で南阿丸が沈没(喪失輸送船計5隻)。
両軍の編成:〜
▼帝国の編成:〜
1/21夕、軽巡と駆逐艦、輸送船35隻がバリクパパン上陸作戦のためタラカンを出撃
・第一護衛隊
(指揮官西村祥治少将/第四水雷戦隊司令官:第四水雷戦隊基幹)
・第四水雷戦隊旗艦
・軽巡洋艦 那珂(4本煙突)
・第2駆逐隊(駆逐艦9隻)
・村雨、夕立、春雨、五月雨、朝雲、夏雲、峯雲、海風、江風
・第30掃海隊、掃海艇4隻
・第15号、第16号、第17号、第18号 掃海艇
・駆潜艇3隻
・特設駆潜艇母艦
・特設急設網艦 須磨ノ浦丸(3,519t, 全長104.82m, 13kt)、1/24轟沈
・哨戒艇3隻
・第36号哨戒艇
・第37号哨戒艇、1/24大破、航行不能
・第38号哨戒艇(元駆逐艦 菱)
・輸送船15隻(陸軍部隊乗船)
・敦賀丸、りぱぷーる丸、日照丸、愛媛丸、旭山丸、日帝丸、はばな丸
・漢口丸、帝龍丸、呉竹丸、金耶摩山丸、藤影丸、南阿丸
・特設給兵艦
・球磨川丸、辰神丸、朝日山丸
別働隊(先行)
・第24駆逐隊
・海風、江風
・第9駆逐隊
・朝雲、峯雲、夏雲
・特設水上機母艦
・讃岐丸、山陽丸。
▼連合軍の編成:〜
・米英蘭豪(ABDA)連合艦隊司令部
連合艦隊(米アジア艦隊)司令長官トーマス・C・ハート(Thomas Charles Hart, 1877-1971)
米艦隊司令官ウィリアム・グラスフォード少将
(Rear Admiral William A. Glassford, 1886-1958)
第59駆逐艦隊の米クレムソン級駆逐艦4隻
(4 Clemson-class destroyers、59th U.S. Navy Destroyer Division)
司令官ポール・H・タルボット中佐
(Commander Lieutenant colonel Paul H. Talbot, 1897-1942/7海軍十字章を受勲)
・米駆逐艦
・ジョン・D・フォード号(4本煙突)、小破
・ポープ号
・パロット号
・ポール・ジョーンズ号
・潜水艦
・オランダ潜水艦 K-18号
・オランダ潜水艦 O-23号
・海戦の経過:〜
1/20 |
米カタリナ飛行艇がバリクパパン沖の帝国輸送船団を発見 |
1/22 |
帝国の船団がマカッサル海峡に到着 |
1/23 |
夕刻 |
海軍運送船 辰神丸が双発爆撃機9・軽爆撃機4機の空襲で損傷を受ける |
” |
19:30 |
南阿丸が蘭B-10爆撃機の攻撃で被弾炎上、船体放棄 |
1/24 |
00:35 |
敦賀丸が蘭潜K-18の雷撃で沈没 |
” |
未明 |
米駆逐艦隊(4隻)が速力27ノットでバリクパパン沖に突入 |
|
04:25 |
第15掃海艇が南方から接近する米駆逐艦4隻とすれ違いざまに雷撃されるも回避 |
” |
04:30 |
須磨ノ浦丸が米駆逐艦4隻の雷撃で轟沈 |
” |
04:35 |
辰神丸がパロット号、ポール・ジョーンズ号(2隻)の雷撃で沈没
第37号哨戒艇が同上2隻の雷撃で沈没 |
” |
04:40 |
第15号掃海艇が泊地東方を航行中の軽巡那珂(西村司令官)に最初の敵情報告 |
” |
04:45 |
呉竹丸が米ジョン・D・フォード号の雷撃で沈没 |
” |
07:00 |
以降に旗艦 那珂に帝国の損害が伝達される |
1/25 |
米駆逐艦4隻がスラバヤに帰投 |
1/26 |
特設水上機母艦讃岐丸、山陽丸がバリクパパンに到着、支援にあたる
駆逐艦夕立が哨戒艇37号を浅瀬へ移動させようとするも、曳航不能となり放棄 |
1/27 |
讃岐丸が米B-17重爆5機による空襲で中破 |
1/28 |
ゼロ戦がバリクパパンに進出 |
1/30 |
第一護衛艦隊(西村司令官)がジャワ攻略作戦でリンガエン湾へ向かう |
この戦いはアメリカ海軍にとって蘭印戦唯一の勝利として大いに宣伝されましたが、帝国海軍では負け戦なので海戦としては公式記録に残っていない戦いだといわれています。なお、撃破された輸送船に海軍主計中尉(兼:消火班長)中曽根康弘さん(1918-、後の総理大臣
在任1982-1987)が乗船していました。
こちらで ・ラバウル上陸 ・ボルネオ上陸 をお楽しみください。
・駆逐艦 天霧(あまぎり)の装備:〜就役:1930/11/10
(大日本帝国海軍の駆逐艦)
吹雪型 |
15番艦 |
駆逐艦 天霧
Japanese Fubuki class-Amagiri 1942
ツバル 1990 発行 |
建造所 |
石川島造播磨造船所 |
全 長 |
118m |
全 幅 |
10.36m |
吃 水 |
3.2m |
排水量 |
基準1,680t、公試1,980t |
速 力 |
38.0kt |
航続距離 |
14kt/5,000浬 |
乗 員 |
219人 |
武 装 |
50口径12.7cm連装砲3基6門、13mm単装機銃2挺、
61cm3連装魚雷発射管3基 |
※1944/4/23カリマンタン島とスラウェシ島との間のマカッサル海峡で触雷沈没
※1943/8/2ソロモン諸島のニュージョージア島西にて、帝国の駆逐艦 天霧と米艦長ジョン・F・ケネディ中尉(後の第35代米国大統領:Lieutenant,
junior grade John Fitzgerald Kennedy、1917-1963)の木製魚雷艇PT-109号(Motor Torpedo
Boat PT-109, 56t, 13人)が衝突して、魚雷艇が艇体を引き裂かれ沈没、天霧は艦首に軽微な損傷。衝突で2人没、2人重傷なるも、生存者は浮いていた船首に掴まって近くの島へ泳ぎ着き、その後に救助されました。
参考HP〜 |
米魚雷艇に衝突する天霧 |
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ケネデ
ィ中尉 |
ソロモン 1976 発行 |
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・マカッサル海峡の地図
・帝国の侵攻地図(1941/12/23〜1942/2/24)
・米英蘭豪(ABDA)連合艦隊の守備範囲地図
・天霧と魚雷艇の衝突場所地図
・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/8/16、15/12/25 |