切手で綴る 太平洋戦争 物語
第3部 <米国(連合軍)の反攻>
第12章 ビスマルク
65 <ダンピール海峡の悲劇>
1943/3/2〜3
ビスマルク海々戦


ビスマルク海で撃沈された帝国の駆逐艦
白雪(しらゆき)
荒潮(あらしお)
マーシャル諸島 1993 発行
ビスマルク海々戦

Battle of Bismarck Sea 1943
マーシャル諸島 1993 発行

太平洋戦争の中盤、帝国はガダルカナル島撤退後の南東太平洋方面の劣勢挽回のため、陸軍は第51師団を輸送船団でニューギニア増援として、ニューブリテン島の航空基地ラバウルからニューギニアのラエへ向け送りました。船団は米軍側の発見するところとなり、ダンピール海峡付近において米国機群に捕捉され、その猛爆によって輸送船団がほぼ全滅。3、300人が水没・戦死。当初より、ニューブリテン島北側を航行するか、それとも南側か、天候条件、所要日数、米国軍の偵察に対する予想(南側・北側)など諸戦略的要因が複雑にからみ、幕僚間で見通しや意見の対立がありました。

ビスマルク海々戦
 (Battle of Bismarck Sea)、1943/3/2〜3、連合軍の勝利
 (帝国呼称:第81号作戦〜昭和18年3月2日〜3日)
  別名:ダンピール海峡の悲劇
     (Battle of Dampier Strait)
  場所:ビスマルク海
     (Bismarck Sea, in the vicinity of Lae)
昭和18(1943)年3月のビスマルク海々戦はラエ輸送の船団が米空襲で全滅し、ダンピール海峡の悲劇といわれています。それは、帝国軍がガダルカナル島から撤退(ケ号作戦)した同時期、連合軍がニューギニア島方面でも攻勢に出て、1943/1/2には東部のブナ守備隊が玉砕しました。そこで帝国軍は連合軍の次の攻撃目標と予測されるラエに第51師団を送り込んで増強して侵攻に備えることにしました。

2月7日のガタルカナル最終撤退後、戦力を消耗しきった帝国軍は次期作戦を立てられずにいました。米国軍も対ドイツ戦に戦力を割かれていたので、本格的な反攻作戦は立てられず
膠着状態になりました。従ってガタルカナル撤退後もソロモン諸島、ニューギニア島付近での小競り合いが続きました。

2月28日、それらの戦いで脇役だった帝国陸軍がニューギニア戦線に戦力を増強させるため、ラエに約6千9百人を上陸させる作戦を実施。しかし米軍の反撃にあい、ほぼ全滅するに至りました。ガタルカナル同様、ニューギニア戦線の制空権も米軍に奪われていました。それを奪回するため、帝国海軍初の連合艦隊司令長官(山本五十六大将)が陸上で指揮する大規模な「い」号作戦
米機が跳躍爆撃で攻撃

パラオ 1992 発行
展開されることになりました。それは次節に、詳しく書き込んでいます。

1943年
2/28 帝国軍は米軍の攻撃に備えてラエ基地の増強を決定。第18軍司令部と主力の第51師団を同地に輸送する「第八十一号作戦」を発動
23:30 輸送船8隻、駆逐艦8隻で編成された輸送船団と、
護衛水上部隊の第3水雷戦隊がラバウルを出発、3/3到着予定
3/1
14:15 偵察飛行中の米軍B-24爆撃機がビスマルク海を航行中の船団を発見。米陸軍第5空軍のB-17爆撃機7機が攻撃に向かうも曇天のため船団を発見できず
3/2
7:55 B-17爆撃機10機が輸送船団上空に到達、高度2000mから船団を爆撃
8:16 輸送船「旭盛丸」に450kg爆弾2発が命中
9:26 「旭盛丸」沈没、ラバウルから零戦が迎撃し命中弾を与えるも撃墜には至らず
駆逐艦「雪風」「朝雲」は兵員918人を救助し、ラエに先行。第51師団長:中野中将は「雪風」に収容
日没後 「雪風」「朝雲」がラエに入泊、兵員857人を揚陸
16:25 B-17爆撃機8機が船団を爆撃、運送艦「野島」が至近弾を受け損傷
3/3
3:00 「雪風」「朝雲」が船団護衛に復帰
7:23 ブリストル・ボーファイター10機が雷撃を試みるが上空直援に当たっていた零戦26機に阻止される
7:50 日本船団が南方上空に大編隊を発見
7:55 B-17爆撃機18機が高々度爆撃を行うも船団に損害なし。同時刻、ブリストル戦闘機13機低空から侵入し、護衛の駆逐艦に機銃掃射。上空直援に当たっていた零式艦戦のうち12機が迎撃し、B-17爆撃機1機と護衛のP-38戦闘機20機のうち3機を撃墜。B-25爆撃機13機が中高度から爆撃を行う
8:05 零戦19機が船団上空に到着、この時点で上空直奄機は41機、うち14機はラバウルからの増援、B-25爆撃機12機が低空から侵入し機銃掃射・反跳爆撃を行う。P-38戦闘機に護衛されたA-20攻撃機12機、B-25爆撃機6機も低空から侵入し反跳爆撃を行い、それぞれ225k爆弾20発中11発、37発中17発を命中。上空直援の零戦41機は高々度爆撃を警戒して上空にあったため迎撃に失敗。この攻撃で輸送船7隻が被弾・炎上。駆逐艦「白雪」「荒潮」「時津風」も被弾・航行不能。
注:反跳爆撃とは、海面上を「ホップ・ステップ・ジャンプ」と爆弾を跳躍させて投下する」爆撃の事
8:08 「建武丸」轟沈
9:05 「白雪」が弾薬庫の爆発で艦尾切断・沈没
11:30 命中弾6を受けた「愛洋丸」が沈没。命中弾多数を受け航行不能となった運送艦「野島」が被弾で舵が故障した「荒潮」と衝突。残存の駆逐艦5隻が陸兵・乗員を救助
13:00 B-17爆撃機16機、A-20攻撃機12機、B-25爆撃機10機、ブリストルボーファイター5機、P-38戦闘機11機が船団を攻撃。救助活動中の駆逐艦「雪風」「敷風」「浦波」「朝雲」はロング島北方方面へ離脱。「野島」救助のために同海域にとどまった「朝潮」は40機以上の攻撃を受け被弾・航行不能。この攻撃で「野島」沈没
13:20 「朝潮」沈没
14:30 命中弾4を受けた「神愛丸」が沈没
16:30 命中弾4を受けた「太明丸」が沈没
17:30 命中弾6を受けた「帝洋丸」が沈没
一時退避していた「雪風」「敷風」「浦波」「朝雲」が救助活動に向かっていた「初雪」と合流。「初雪」「浦波」は生存者約2700を収容しラバウルに引き返した。「雪風」「敷風」「朝雲」は日没とともに戦場に戻って救助活動を行い、「荒潮」の生存者を収容して戦場を離脱
22:20 命中弾8を受け漂流中の「大井川丸」が魚雷艇の攻撃を受け沈没
3/4 「朝潮」が哨戒中のB-17爆撃機の攻撃で沈没。
同日、漂流中の「荒潮」「時津風」は連合軍爆撃機の攻撃で沈没。帝国軍は輸送船8隻、駆逐艦4隻、陸軍将兵2600余人、搭載していた重火器・車両、航空機材を失なって作戦は失敗。米軍はP-38戦闘機3機、B-17爆撃機1機が撃墜され、B-25爆撃機とブリストル・ボーファイター各1機を着陸時の事故で失う

▼両軍の兵力:〜
帝国軍艦隊
・駆逐艦〜7隻
・運送艦〜1隻
・輸送船〜7隻
・零 戦〜約120機
※数字には諸説有
連合軍基地航空部隊
・戦 闘 機  〜154機
・重爆撃機 〜 39機
・中爆撃機 〜 41機
・陸上攻撃機〜34機
    合計:約300機

▼両軍の編成:〜
●帝国艦隊の編成:〜
護衛水上部隊:第3水雷戦隊木村少将
駆逐艦:白雪(旗艦)、敷波、時津風、雪風、朝潮、荒潮、朝雲
・護衛航空部隊
・第253航空隊:零戦:約30機
・第204航空隊、零戦:25〜30機
・第252航空隊、零戦:11機、合計:約120機

空母 瑞鳳 派遣隊
・零式艦戦:11機
・第582航空隊艦爆隊、99式艦爆:9機
・第751航空隊、1式陸攻:20〜25機
輸送船隊
・輸送船:帝洋丸、愛洋丸、神愛丸、旭盛丸、大井川丸、太明丸、建武丸
・運送艦:野島

●連合軍基地航空部隊の編成:〜
  ポートモレスビー、ブナ、ラビ基地から出撃
陸軍第5空軍: G・C・ケネー中将
・戦闘機〜154機
 ・P-38ライトニング双発戦闘機
 ・カーチスP-40、他
・重爆撃機:B-17、39機
・中爆撃機:B-25、41機
・陸上攻撃機:A-20、34機 合計:約300機

▼両軍の損害:〜
帝国軍艦隊
・駆逐艦〜4隻沈没
・運送艦〜1隻沈没
・輸送船〜7隻沈没
※数字には諸説有
連合軍基地航空部隊
・戦闘機 〜4機喪失
・重爆撃機〜1機喪失
・中爆撃機〜1機喪失
・陸 攻 機〜1機喪失

●帝国軍の損害:
沈没
・駆逐艦:白雪、時津風、荒潮、朝潮
・輸送船:帝洋丸、愛洋丸、神愛丸、旭盛丸、大井川丸、太明丸、建武丸
・運送艦:野島
・第51師団主力6,912中約3,000人の将兵が死亡
・陸軍は搭載武器、弾薬、車両など物資約2,500トンを失う
・海軍も乗員、防空隊の多くを失う。

●連合軍の損害
撃墜
・P-38戦闘機:4機
・B-17爆撃機:1機
・ブリストル戦闘機:1機
事故損失、B-25爆撃機:1機

駆逐艦 白雪(しらゆき)の装備:〜就役:1928年12月18
  (大日本帝国海軍の駆逐艦)、1938年佐世保軍港で整備
一等駆逐艦 吹雪型2番艦 帝国の駆逐艦 白雪

マーシャル諸島 1993 発行
建造所 横浜船渠
全 長 118.5m
全 幅 10.36m
吃 水 3.19m
排水量 基準:1,680t公試:1,980t
最大速力 38.0kt
航続距離 5,000浬/14kt
乗 員 219人
武 装 12.7cm50口径連装砲×3、7.7mm機関砲(機銃)×2
61cm魚雷発射管×9 他
※ビスマルク海海戦(ダンピール海峡の悲劇)、2/28日23:30に陸軍第18軍(輸送船8隻)ラエ輸送の護衛で、ラバウルを出撃後、午前7時50分よりダンピール海峡で連合軍機の反跳爆撃を受け、1943/3/3駆逐艦4隻(白雪、朝潮、荒潮、時津風)沈没、輸送船7隻が全滅。

参考HP〜
ビスマルク海の地図
ビスマルク海々戦の地図(日本語)
ニューギニアの戦いの地図(日本語、連合軍の反攻地図)

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    15/4/15








66 <い号作戦>
1943/4/7〜14
航 空 撃 滅 戦

い号作戦で陸上基地に航空機を
輸送する帝国の航空母艦


ガイアナ 1993 発行
航空撃滅戦で戦う米グラマンと帝国ゼロ戦
米グラマン    両軍の航空撃滅戦     帝国ゼロ戦

マーシャル諸島 1993 発行

米軍の反撃

マーシャル諸島 1993 発行
帝国軍の航空攻撃

マーシャル諸島 1993 発行

い号作戦、1943/4/7〜14
  (Operation I-Go)
  場所:パプアニューギニアのダイク・アクランド湾内オロ湾(ブナ南東24km)
      パプアニューギニアの首都ポートモレスビー
      パプアニューギニアの南東端付近ミルン湾
      ソロモン諸島ガダルカナル島
い号作戦は、山本長官が直接指揮して帝国軍がソロモン方面の航空兵力を結集して、ソロモン、ニューギニア方面所在の米軍の艦船・航空兵力に総攻撃をかけた作戦で、帝国海軍が1943年4月7日から15日にかけて第十一航空艦隊と第三艦隊所属の艦載機により、ガダルカナル島やニューギニア島南東部のポートモレスビー港、オロ湾、ミルン湾に対して空襲を行った作戦。

「制空権ない所に制海権なし」、帝国海軍はガタルカナルや他の戦いで嫌と言う程これを味わってきました。しかし帝国陸軍はそれを良く理解していなくて、しかもこの戦いに於いては完全に脇役になってしまった帝国陸軍は、ニューギニアを死守することで主役になろうと考え、ラエに主力部隊を送って米軍に対抗しようとしました。しかし米軍の基地航空隊に攻撃され、ほぼ全滅する(ビスマルク海々戦)ことになり、ニューギニア戦線への補給路は断たれ、ガタルカナルの二の舞になりつつありました。そこで帝国海軍はありったけの航空機を投入し、米軍の基地を空襲する計画を立て「い号作戦」と名付けました。

この作戦で画期的な事は連合艦隊司令長官である山本大将が自ら直接指揮を執る事になり、しかもラバウル基地で指揮を執る事になりました。長い帝国海軍の歴史の中でも、司令長官が陸上で直接指揮をする事は初めてのことで、しかも最前線で指揮するのもあまり無いことで、山本長官の意気込みが感じられます。しかし精一杯集められるだけ集めた航空機でしたが、総計で348機に過ぎず、真珠湾攻撃の360機よりも少ない状況でした。この時ガタルカナルの消耗戦で、真珠湾以来の歴戦の勇士だったパイロットはほとんど戦死し、まずパイロットを育てる事が必要となっていました。航空機は作ろうとすればいくらでも作れますが、パイロットを育てるには年数が必要なのです。 当時、南雲長官に変わって機動部隊の司令長官となっていた小沢中将が手塩にかけて育てたパイロットが投入されましたが、小沢中将はこの作戦に反対していました。それは、まだ完全にパイロットが育っていなかったことと、あくまで機動部隊を復活させるために育てたにも関わらず、空母用の航空機をこんな陸上作戦に転用してしまったら機動部隊復活が遅れる事を懸念したからでした。陸軍の航空機が全く役に立たない状況でのこの反攻作戦では、海軍の航空機を使う以外に方法はなく、小沢中将も山本長官のこの作戦をしぶしぶ了解しました。

い号作戦:昭和18年4月7日〜16日 4月7日
4月7日、第1回攻撃:フロリダ沖海戦(帝国側呼称)。第3艦隊の母艦兵力とラバウル所在の基地航空部隊・零戦157機、九九艦爆66機が、共同で攻撃を行いました。この攻撃でガタルカナル基地を攻撃、米駆逐艦「アーロン・ワード」をツラギ付近で撃沈、貨物輸送艦「アドハラ」および給油艦「タッパハノク」に損傷をあたえ、巡洋艦1隻、駆逐艦1隻、輸送船10隻を撃沈する成果を上げました。零戦12機、艦爆9機が未帰還。

4月11日、第2回攻撃、零戦71機、九九艦爆21機でニューギニアのオロ湾とハーベー港を攻撃、在泊の駆逐艦1隻、輸送艦4隻を撃沈。帝国軍の損失は零戦2機、艦爆4機が未帰還。

4月12日、第3回攻撃:零戦131機、一式陸攻43機でポートモレスビーを攻撃 飛行場を炎上させました。帝国軍の損失は零戦2機、陸攻6機が未帰還。

4月14日、第4回攻撃:零戦130機、陸攻37機、艦爆23機でミルン湾の所在艦船及びラビ飛行場周辺を攻撃。輸送艦4隻を撃沈し、ラビ東飛行場を炎上させました。帝国軍の損失は零戦2機、陸攻3機、艦爆3機が未帰還。

第4回攻撃後(4/14)、山本長官は一定の成果を上げたと判断し、「い」号作戦の終結を宣言。
※注:上記の戦果は帝国軍機の報告で実数とは異なる。

・両軍の兵力:〜
帝国軍航空隊機
・基地航空隊機
 ゼロ戦    88機
 九九艦爆 27機
 一式陸攻 72機
・艦載機
 ゼロ戦  103機
 九九艦爆 54機
 九七艦攻 27機
      計371機
米軍航空隊機
 F4U,など戦闘機330機
 B-17爆撃機   55機
 B-24爆撃機   60機
 B-25爆撃機   50機
 B-26爆撃機   40機
 A-20攻撃機   20機
          計555機

※ほとんどの爆撃機は退避済

・両軍の損害:〜
帝国側被害
・航空機喪失
  ゼロ戦 18機
  艦爆  16機
  陸攻   9機
      計43機
米軍側被害
・沈没:駆逐艦1隻
     他4隻
・航空機喪失
     計25機
※数字には諸説有
※注:別説によるため、上記の文と数が不一致。

・帝国の攻防戦結果
作戦中の帝国海軍機の消耗数とその割合
--- 準備数 消耗数 消耗度
零 戦 206 25 12%
艦 爆 81 21 26%
陸 攻 83 15 18%
 計 370 61 16.5%
※宇垣参謀の日記より。

<帝国軍の計画>
作戦期間
・第1期:4/5〜4/10、ソロモン方面(X作戦)
・第2期:4/11〜4/20、ニューギニア方面(Y作戦)
参加兵力(編成)
・第3艦隊
 ・第1航空戦隊(翔鶴欠)
  ・瑞鶴(艦戦27機、艦爆18機、艦攻18機)
  ・瑞鳳(艦戦21機)
 ・第2航空戦隊
  ・隼鷹(艦戦27機、艦爆18機)
  ・飛鷹(艦戦27機、艦爆18機、艦攻9機)
・第11航空艦隊
 ・第21航空戦隊
   ・253空(艦戦36機、陸偵3機)
   ・751空(陸攻36機)
 ・第26航空戦隊
   ・204空(艦戦45機、陸偵6機)
   ・582空(艦戦27機、艦爆16機)
   ・705空(陸攻36機)
・攻撃予定地:
 ・ガダルカナル島方面(X攻撃)
  ・参加部隊:第3艦隊、第11航空艦隊
 ・ポートモレスビー(Y攻撃)
  ・参加部隊:第3艦隊、第11航空艦隊
 ・ラビ方面(Y1攻撃)
  ・参加部隊:第11航空艦隊
 ・ブナ方面(Y2攻撃)
  ・参加部隊:第3艦隊

(1)<4/7:X攻撃>(ガ島方面敵艦船攻撃)
   別名(帝国側呼称):フロリダ沖海戦
     (Battle of Off Florida Islands)
・帝国軍の兵力:〜
帝国軍航空機
 ・艦  戦〜157機
  ・ゼロ戦
 ・艦  爆〜 52機
  ・九九式艦爆
  ・九七式艦攻
        計209機
帝国軍の兵力:〜部隊編成、発進基地
・制空隊
 ・第一制空隊 253空(艦戦21機)、ブカ島基地
 ・第二制空隊 204空(艦戦27機)、ブカ島基地
・攻撃隊
 ・第一攻撃隊
  ・瑞鶴隊(艦戦27機、艦爆17機)、瑞鳳隊(艦戦3機)、ブーゲンビル島ブイン基地
 ・第二攻撃隊
  ・582空艦爆隊(18機)、瑞鳳隊(艦戦4機)、ブイン基地
  ・582空艦戦隊(21機)、バラレ島基地発
 ・第三攻撃隊
  ・飛鷹艦戦隊(24機)、瑞鳳隊(艦戦6機)、ブイン基地
  ・飛鷹艦爆隊(17機)、バラレ島基地発
 ・第四攻撃隊
  ・隼鷹艦爆隊(17機)、瑞鳳隊(艦戦3機)、ブイン基地
  ・隼鷹艦戦隊(21機)、バラレ島基地
・両軍の損害:〜
--- 帝国 米軍
沈 没 -----  3隻
戦闘機損失 12機 9機
爆撃機損失 11機 ---
 ※数字には諸説有
帝国軍の損害
 ・零戦12機
 ・艦爆11機
連合軍の損害
 ・駆逐艦アーロン・ワード号 (USS Aaron Ward DD-483, 2060t)、沈没
 ・コルベット掃海艇モア号(corvette minesweeper HMNZS Moa T233, 607t)、沈没
 ・油槽船カナウァ号(tanker USS Kanawha Ao-1, 5,723t)、沈没
 ・戦闘機9機喪失

大本営海軍部のフロリダ沖海戦戦果発表(4/9)
 ・撃沈:巡洋艦1隻、駆逐艦1隻
 ・撃墜:37機

豊田穣(とよだ じょう、1920-1994)
この攻撃で飛鷹 艦爆隊の操縦員として参加していた作家の豊田穣の乗機は撃墜され、その後米軍に救助され、捕虜になりました。その後、豊田中尉は「大谷中尉」の偽名を名乗り、ハワイの収容所でリーダー役を務めた後、昭和19年4月頃ウィスコンシン州マッコイ収容所に移送され、さらに昭和20年6月24日、テキサス州ケネディ収容所に移りそこで終戦を迎えました。

(2)<4/11:Y2攻撃>(オロ湾在拍敵艦船攻撃)その南のポートハーヴェイ
帝国軍の兵力:〜部隊編成
・制空隊
 ・瑞鳳隊(零戦15機)
・攻撃隊
 ・第一攻撃隊 瑞鶴隊(零戦27機、艦爆13機)
 ・第二攻撃隊 飛鷹隊(零戦21機、艦爆8機)、隼鷹隊(零戦9機)
両軍の損害:〜
--- 帝国 米軍
損 傷 -----  4隻
戦闘機損失 2機 ---
爆撃機損失 4機 ---
 ※数字には諸説有
帝国軍の損害
 ・零戦2機喪失
 ・艦爆4機喪失
連合軍の損害
 ・コルベット艦1隻損傷
 ・豪海軍掃海艇パイリー号(HMAS Pirie J189, 733t, 1946退役)命中弾
 ・貨物船1隻損傷、英商船ハンヤン号に直撃弾2発
 ・小型の輸送船1隻に命中弾

(3)<4/12:Y攻撃>(ポートモレスビー飛行場攻撃)
帝国軍の兵力:〜部隊編成
・制空隊
 ・瑞鶴隊(零戦23機)
 ・隼鷹隊(零戦15機)
 ・飛鷹隊(零戦18機)
・攻撃隊
 ・第一攻撃隊 253空(零戦18機)、瑞鳳(零戦14機)、751空(陸攻18機)
 ・第二攻撃隊 204空(零戦24機)、582空(零戦20機)、705空(陸攻27機)
両軍の損害:〜
--- 帝国 米軍
戦闘機損失 --- 6機
一式陸攻損失 9機 ---
中型機損失 --- 4機
 ※数字には諸説有
帝国軍の損害
 ・陸攻9機喪失
連合軍の損害
 ・戦闘機6機、中型機4機(地上撃破)、燃料集積所の火災など。

▼<4/14:Y1・Y2攻撃>(ミルン湾敵艦船とラビ方面飛行場攻撃)
帝国軍の兵力:〜部隊編成
Y1攻撃隊
 ・直掩隊 二〇四空(零戦21機)、二五三空(零戦17機)、五八二空(零戦18機)
 ・攻撃隊 七〇五空(陸攻26機)、七五一空(陸攻11機)
Y2攻撃隊
 ・制空隊 瑞鶴隊(零戦23機)、瑞鳳隊(零戦15機)
 ・攻撃隊 飛鷹隊(艦爆12機)、隼鷹隊(艦爆11機)
 ・直掩隊 飛鷹隊(零戦20機)、隼鷹隊(零戦17機)
両軍の損害:〜
--- 帝国 米軍
沈 没 ----- 1隻
小 破 ----- 2隻
戦闘機損失 4機 3機
爆撃機損失 7機 ---
 ※数字には諸説有
帝国軍の損害
 零戦4機、艦爆3機、陸攻4機
連合軍の損害
 ・戦闘機3機
 ・貨客船ヴァン・ヘームスケルク号(van Heemskerck)至近弾で火災大破(後に大爆発沈没)
 ・商船ヴァン・オウツフールン号(van Oudtshoorn)小破
 ・商船ゴーゴン号(Gorgon)小破。


参考:〜
ビラ・スタンモア海戦 (夜戦)、1943/3/05夜、米国軍の勝利
 (Naval Night Battle of Vila-Stanmore)
  帝国は一方的な敗戦で海戦名は付さず
  別名(米軍呼称):ブラケット水道海戦
     (Naval Battle of Blackett Strait)
  場所:ソロモン諸島コロンバンガラ島ビラ飛行場の東方
  (ブラケット水道:コロンバンガラ島と南のアルンデル島間水路)
  (Blackett Strait,between Kolombangara & Arundel Island)
ケ号作戦(ガダルカナル撤退)後、帝国軍の新たな拠点となったコ
帝国の駆逐艦(秋月

グレナダグレナディーン 1995 発行
ロンバンガラ島への輸送に従事していた駆逐艦2隻と、コロンバンガラ島への艦砲射撃を企図したアメリカ海軍の巡洋艦部隊が交戦し、帝国の駆逐艦2隻が一方的な攻撃を受けて沈没した海戦。

▼両軍の兵力:〜
帝国艦隊
・駆逐艦〜2隻
※数字には諸説有
米国艦隊
・軽 巡 〜3隻
・駆逐艦〜3隻

・両軍の編成:〜
帝国艦隊の編成:〜
・輸送駆逐艦隊:〜
 ・第四水雷戦隊
  ・第二駆逐隊:駆逐艦 村雨
  ・第九駆逐隊:駆逐艦 峯雲

米国艦隊の編成:〜
・第68任務部隊(Task Force 68)
  (司令官アーロン・S・メリル:Rear Admiral Aaron Stanton "Tip" Merrill, 1890-1961)
 ・軽  巡:
   クリーブランド号(クリーブランド級軽巡の1番艦:Cleveland-class Light cruiser)
   (USS Cleveland, CL-55 1,000t, 1,255人、1947退役)
   モントピリア号(旗艦、USS Montpelier CL-57、クリーブランド級軽巡、1947退役)
   デンバー号(USS Denver CL-58、クリーブランド級軽巡、1947退役)
 ・駆逐艦:
   ウォーラー号(フレッチャー級駆逐艦:Fletcher-class destroyer)
   (USS Waller DD-466, 2,050t, 329人, 1969退役)
   コンウェイ号(USS Conway DD-507、フレッチャー級駆逐艦、1970標的艦で沈没)
   コニー号(USS Cony DD-508、フレッチャー級駆逐艦、1970標的艦で沈没)
▼両軍の損害:〜
区分 帝国軍 米国軍
沈没 駆逐艦 2隻  -----
 ※数字には諸説有
帝国軍の損害
・沈没:〜
 ・駆逐艦:村雨・峯雲

参考HP〜
い号作戦の地図(日本語、攻撃地図)
 (@X攻撃、AY2攻撃、BY攻撃、C14日の攻撃)
ブーゲンビル島付近の地図(日本語、ブイン・パラレ有)



・ロッキードP-38ライトニング双発双胴戦闘機 の装備:〜初飛行:1939年
  (Lockheed P-38 Lightning)、運用開始:1941年
略 称 P-38L P-38ライトニング双発双胴戦闘機

マーシャル諸島 1993 発行
用 途 戦闘機、戦闘爆撃機
全 長 11.53m
全 幅 翼幅15.85m
全 高 3.00m
運用時重量 7,940kg
最大速度 高度7,620m時/667km/h
最大運用高度 実用上昇限度13,400m
航続距離 1,770 km (1,100 海里)
乗 員 1人
製造者 ロッキード社
生産数 9,942機
武 装 固定武装:イスパノM2(C) 20mm機関砲 1門 弾数150発(弾薬構成:2HE, 2AP, 2曳光弾)、コルト・ブローニングMG53-2 50口径 12.7mm機関銃4門 弾数各500発
爆 装 ・ロケット弾:M10x3連装、112mm(4.5 in)ロケットランチャー 4基、12発。または5連装127mm(5in)HVAR(High Velocity Aircraft Rocket)2基、10発
・爆弾(非ロケット弾搭載) 2,000lb(908 kg)爆弾2発または1,000 lb(454kg)爆弾2発、500lb(227 kg)爆弾4発または250lb(114kg)爆弾4発

参考HP〜
零戦 vs P-38 ライトニングの記録映画(YouTube、日本語解説付)     2015/11/11
 (記録映画が削除されたんでアニメに変更、2016/11/2



川崎 キ61 三式戦闘機 飛燕の装備:〜初飛行:1941/12月、正式採用1943年
  (大日本帝国陸軍の戦闘機)、運用開始:1943/3月
略称 飛燕(ひえん)和製メッサーシュミット 飛 燕

陸軍三式戦闘機
第3次昭和シリーズ通常切手

大日本帝国 1945-46 発行
機体略号 キ61-II改
全 長 9.16m
全 幅 12.0m
全 高 3.75m
自 重 2,855kg
最高速度 610km(高度6,000m)
上昇力 5,000mまで6分00秒
航続距離 1,600km、増槽2本で最大3,000km
乗 員 1人
エンジン 離昇1,500hp、独ダイムラー・ベンツ製ライセンス生産、唯一の液冷機
製造者 川崎航空機、現:川崎重工業(株)
生産数 改99機、諸説有(総数2,750-3,153機)
武 装 胴体機首20mm機関砲2門(ホ5、弾数各250発)二式固定機関砲
翼内12.7mm機関砲2門(ホ103、弾数各250発)八九式固定機関砲
爆 装 250kg爆弾2発
※米軍呼称(コードネーム)〜トニー(Tony)

参考:〜(陸軍戦闘機の種類)
・一式戦闘機
 キ番号:キ43、愛称:(はやぶさ)、略称:一式戦、開発:中島飛行機、連合軍:オスカー(Oscar)
  生産開始:1941/4月、生産:5,700機以上(諸説有) 。
・二式戦闘機
 キ番号:キ44、愛称:鍾馗(しょうき)、略称:二式戦、開発:中島飛行機、連合軍:トージョー(Tojo)
  生産開始:1942/2月、生産:1,225機(諸説有) 。
・三式戦闘機
  (3種有)一型乙(キ61-I乙)、一型丁(キ61-I丁)、二型(キ61-II改)
 キ番号:キ61、愛称:飛燕(ひえん)、略称:三式戦、開発:川崎航空機、連合軍:トニー(Tony)
  生産開始:1942年、生産:3,000機(諸説有) 。飛燕とは:飛ぶツバメ。
・四式戦闘機
 キ番号:キ84、愛称:疾風(はやて)、略称:四式戦、開発:中島飛行機、連合軍:フランク(Frank)
  生産開始:1944年、生産:3,500機(諸説有) 。
・五式戦闘機、陸軍最後の制式戦闘機
  キ番号:キ100、愛称:なし、略称:五式戦、開発:川崎航空機、連合軍:トニーII(Tony II)
  生産開始:1945/2月、生産:393機(諸説有) 、三式戦機体に空冷発動機を装備。

・九七式戦闘機(単葉低翼戦闘機)
  キ番号:キ27、愛称:なし、略称:九七式戦、開発:中島航空機、連合軍:ネイト(Nate)
  生産開始:1936/10月、生産:3,386機(諸説有)
・九五式戦闘機(陸軍最後の複葉機)日中戦争(支那事変)初期の主力戦闘
  キ番号:キ10、愛称:なし、略称:九五式戦、開発:川崎航空機、連合軍:ペリー(Perry)
  生産開始:1935/12月、生産:588機(諸説有)
・九二式戦闘機(複葉機)満州事変で初陣する(1932)も実戦なし
  1932(昭和7)/10月に制式採用、愛称:なし、略称:KDA-5、開発:川崎航空機
  初飛行:1930年、生産:385機(諸説有)
・九一式戦闘機(陸軍最初の単葉高翼戦闘機)1932〜1935年頃の陸軍主力戦闘機
  キ番号:なし、愛称:なし、略称:なし、開発:中島航空機
  初飛行:1928/6月、生産:444機(諸説有)。
・など

飛燕の切手:〜第3次昭和シリーズ通常切手
  (現在「第3次昭和」と呼ばれている敗戦直前に発行された切手)
「旭日と戦闘機」として昭和15年に発行された切手は「戦意発揚」を目的に公募が行われた入選作品のひとつを改作して採用された図案でした。太陽をバックに飛行する本機が描かれているため「旭日と飛燕」と俗称されています。ただ、印刷は物資の欠乏で比較的簡素な平版印刷となり、目打も糊も省かれた状態で発行されました。また用紙も白紙や灰白紙と異なるもので印刷された他、緑色だけでなく青色で印刷されたものもあります。この切手は占領軍GHQから「軍国主義的」であるとして1947年(昭和22年)8月31日付で使用禁止となりました。いわゆる「追放切手」で
飛 燕

旭日と戦闘機
発行当初は第三種便一般料金用でしたが、戦後はインフレのため、使用禁止された時点では実際に郵便で使用できないほど額面が無価値になっていました。

参考HP〜
飛燕の記録映画(YouTube、NHK日本語解説付)

こちらで
飛燕 (写真集)
アッツ島沖海戦(アリューシャン反撃)
ソロモン海々戦
をお楽しみください。

・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。    2016/11/23

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