切手で綴る 太平洋戦争 物語 第1部 <開 戦> 第1章 真珠湾攻撃 07 <潜水艦隊の攻撃> 伊号 潜水艦が 1941/12/8 (現地時間:12/7:日曜日) 真珠湾に突入した特殊潜航艇を発進 |
・潜水艦隊の任務 真珠湾攻撃に参加した潜水艦隊は、先遣部隊と哨戒部隊に分けられ、先遣部隊は特別攻撃隊の5隻と第1潜水隊の4隻に分けられていました。哨戒部隊は第2潜水隊の3隻で、空母を中心とする機動部隊の進路を随伴していました。 ・潜水艦隊の攻撃:イ号潜水艦12隻が参加。 潜水艦隊は昭和16/11/11に横須賀軍港を出港。第2潜水隊の3隻イ19・イ21・イ23は哨戒任務で機動部隊の航路を進み、他の潜水艦9隻はマーシャル諸島のクェゼリン環礁で会合の上、ハワイに進出しました。その内、5隻に特殊潜航艇が積まれていました。潜水艦隊は特に 「機動部隊の攻撃開始以前に絶対に攻撃を加えないこと」 との命令を受けていました。 機動部隊の行動とは別に、先遣部隊としての潜水艦は配備位置で開戦を待ち続けていました。12月7日夜、開戦時の配備についた先遣部隊の内、特別攻撃隊の特殊潜航艇5隻(乗員10人)は、同夜真珠湾外において各々母艦を発進。その後、特殊潜航艇の母潜である潜水艦はラナイ島の西方海面で収容配備につきましたが、特殊潜航艇は1隻も帰りませんでした。しかし、8日夜、1隻の特殊潜航艇から「われ奇襲に成功せり」の電報があったことや、同夜港外から真珠湾方面で爆発らしい火焔を望見したところから、特別攻撃隊は攻撃に成功するも、遂に脱出できなかったものと判断。 米側資料では、米哨戒艇は現地時間03:42、真珠湾港外で特殊潜航艇1隻を発見、その後飛行機と協同してこれを撃沈。また1隻は故障のためベローズ航空基地沖に乗り上げ、搭乗員の1人が捕虜となりました(捕虜第1号の酒巻和男少尉)。その後港口防潜網が開かれ2、3隻の特殊潜航艇が潜入。1隻は在泊艦を攻撃するも、魚雷は命中せず、逆に撃沈されました。 また1隻は湾口付近で巡洋艦に対し魚雷を発射するも、リーフに命中爆発と記録有り。
<真珠湾攻撃参加潜水艦隊> 伊号潜水艦12隻 ・哨戒部隊(3隻)〜機動部隊の進路を随伴 ・第2潜水隊〜 司令:今和泉喜次郎大佐 ・伊19・伊21・伊23 ・先遣部隊(9隻) ・特別攻撃隊(5隻)〜特殊潜航艇搭載潜水艦隊 ・伊16潜、伊18潜、伊20潜、伊22潜、伊24潜 ・第1潜水隊(4隻) ・伊9、伊15、伊17、伊25。 ・伊号潜水艦の装備:〜(1)
・伊号潜水艦の装備:〜(2)
乙型の酸素魚雷は95式魚雷で時速91km、射程12,000m、航続距離22,000m、直径53cm、全長7.15m、重量1,605kg、火薬405kg、燃料に酸素を使用していたので水中に気泡を出さす、22,000mの到達能力を持っていました。 ・伊号〜水上排水量1000トン以上〜75隻 ・呂号〜水上排水量1000トン以下〜38隻、開戦時:計113隻 ・波号〜水上排水量 500トン以下。 ・甲型〜旗艦型で潜隊司令官が指揮可能に司令部居住施設と無線能力を強化 ・乙型〜偵察型で魚雷発射管6基、格納庫と射出機を備え水上偵察機を1機搭載 ・丙型〜攻撃型で艦首に魚雷発射管8基、魚雷20本搭載 ・開戦時〜甲型3隻:イ9他、乙型20隻:イ15他、丙型5隻:イ16他 ・戦争末期〜丁型:輸送任務で12隻建造、1944年竣工:イ361-イ372 7隻が改装で回天攻撃に利用、9隻が戦没。 別説では 第1潜水部隊:イ9,イ15,イ17,イ25 第2潜水部隊:イ1,イ2,イ3,イ4,イ5,イ6 第3潜水部隊:イ15,イ68,イ69,イ70,イ71,イ72,イ73 特殊潜航艇搭載艦5隻と哨戒部隊3隻の合計25隻が参加と有。 特殊潜航艇搭載艦:イ16,イ18,イ20,イ22,イ24の5隻 なお、帝国の潜水艦は対米撃滅戦を前提として、過重な役割を果たすよう設計されたため、艦型が複雑なうえ艦種が多く、戦時中の量産には適していなかったと言われています。一等、二等、三等や 海大型、海中型や 巡潜型や 大型、中型、小型や 機雷潜水艦や輸送潜水艦などの分類も有りました。帝国海軍の潜水艦は戦時中、延べ190隻保有し、喪失131隻、敗戦時の生き残りは59隻と記録されています。これらの潜水艦の他に、特攻兵器として、特殊潜航艇を改良した魚雷2本装備の5人乗り「鮫竜」や、魚雷を改良して雷首に1.6屯の火薬を装備した一人乗り人間魚雷「回天」なども多数が生産されました。乙型潜水艦(イ400など)は大戦後、米国でミサイル潜水艦へと進化したことで知られています。 <太平洋戦争開戦時> ・第六艦隊の艦隊編制 第六艦隊は、1940/11/15に潜水艦部隊の一元運用を図るため、各艦隊に分散配置されていた潜水戦隊を統合して編制されました。 ・第六艦隊 ・独立旗艦:戦艦 香取(常備15,950屯、18.5節、864人、貨物10,155屯) 司令長官〜清水光美 中将(在任1941/7/21〜1942/3/16) 参 謀 長 〜三戸 寿 少将(在任1941/1/6〜1942/10/22) ・第1潜水戦隊: ・特設潜水母艦:靖国丸(貨客船、11,931屯、15節、乗客249人) (日本郵船、1940/12/16徴用、1944/1/31戦没) ・旗艦:甲型イ9(常備2,919屯、水上23.5節、水中8.0節、104人、水偵) ・第1潜水隊: ・乙型イ15(基準2,198、常備2,584屯、水上23.6節、水中8.0節、 94人、水偵) (1942/11/3以降消息不明、12/5ガダルカナル島周辺で撃沈と認定) ・丙型イ16(基準2,184、常備2,554屯、水上23.6節、水中8.0節、 95人、1944/5/19米駆 逐艦イングランド号(USS England DE-635, 1400t, 213人、1946退役)攻撃で沈没) ・乙型イ17(イ15型潜) ・第2潜水隊: ・丙型イ18(イ16型潜) ・乙型イ19(イ15型潜) ・丙型イ20(イ16型潜) ・第3潜水隊: ・乙型イ21(イ15型潜) ・丙型イ22(イ16型潜) ・乙型イ23(イ15型潜) ・第4潜水隊: ・丙型イ24(イ16型潜) ・乙型イ25(イ15型潜) ・乙型イ26(イ15型潜) ・第2潜水戦隊: ・特設潜水母艦:さんとす丸(貨客船、7,266屯、16節) (大阪商船、1941/3/1徴用、1943/3/15運送船に変更、1944/11/25戦没) ・第7潜水隊: ・旗艦:巡潜3型イ7(常備2,525屯、水上23.5節、水中8.0節、100人、水偵) ・巡潜1型イ1(常備2,135屯、水上18.8節、水中8.1節、60人) ・巡潜1型イ2(イ1型潜) ・巡潜1型イ3(イ1型潜) ・第8潜水隊: ・旗艦:甲型イ10(イ9型潜) ・巡潜1型イ4(イ1型潜) ・巡潜1型イ5(イ1型潜) ・巡潜2型イ6(常備2,243屯、水上21.3節、水中7.5節、68人、後甲板 水偵) ・第3潜水戦隊: ・潜水母艦:大鯨(公試14,400屯、18.5節、水偵3機、430人、後の空母 龍鳳) ・旗艦:巡潜3型イ8(イ7型潜) ・第11潜水隊: ・海大型イ74(イ68型潜) ・海大型イ75(イ68型潜) ・第12潜水隊: ・海大型イ68(常備1,785屯、水上23.0節、水中8.2節、68人) ・海大型イ69(イ68型潜) ・海大型イ70(イ68型潜) ・第20潜水隊: ・海大型イ71(イ68型潜) ・海大型イ72(イ68型潜) ・海大型イ73(イ68型潜) (※)甲型、乙型は前甲板に水上機を搭載したのもありました。なお、数字には諸説有。 大日本帝国海軍の伊号潜水艦の内訳表:〜
なお開戦時、帝国の連合艦隊は次の編成で、 ・第一艦隊 ・第二艦隊 ・第三艦隊 ・第四艦隊 ・第五艦隊 ・第六艦隊 旗艦は戦艦 長門 (39,120屯)、司令長官は第26代 山本五十六 大将(1884(明治17)/4/4〜在任1939/8/30〜1943(昭和18)/4/18(59才)ブーゲンビル島上空で戦死)でした。 ・丙型イ24(イ16型潜)第4潜水隊 1921年(大正12年)度計画艦。当初の予定艦名は第五十二潜水艦。1926年(大正15年)4月17日に神戸川崎造船所で起工、1927年(昭和2年)12月12日に進水、1928年(昭和3年)12月10日に竣工。横須賀鎮守府籍。竣工時の艦名は伊号第二十四潜水艦。1938年(昭和13年)6月1日に伊号第百二十四潜水艦と改名。太平洋戦争開戦時には伊号第百二十三潜水艦と共に第6潜水戦隊第9潜水隊に所属。1941年(昭和16年)12月1日に海南島三亜から出撃し、マニラ湾口に88式繋留触発機雷39個を敷設。この機雷でアメリカ貨物船コレヒドール(1,881総トン)とパナマ貨物船デイライト(1,976総トン)が沈没。12月10日輸送船1隻を撃沈、1942年(昭和17年)1月16日、ダーウィン沖に機雷27個を敷設。その後もダーウィン沖を哨戒していたが、1月20日米駆逐艦エドサル、オーストラリアの掃海艇デロレイン (Deloraine) 、カトゥーンバ (Katoomba) 、リスゴー (Lithgow) の爆雷攻撃を受け戦没。第九潜水隊司令遠藤敬男中佐、岸上幸一艦長を含む80人全員が戦死、同日沈没と認定、4月30日に除籍。水深50mの海底へ沈んだ伊124からアメリカ軍はすぐに何種類かの帝国海軍の暗号書を回収することに成功し、帝国軍の暗号解読に大いに役立ちMO作戦などの計画も察知されました。 丙型は、昭和12年度計画では、甲型、乙型と共に丙型として計画された巡潜で、 ・イ−16から偶数番号で ・イ−18 ・イ−20 ・イ−22 ・イ−24まで5隻建造されました。丙型のもっとも大きな特徴は、甲型や乙型と異なって航空兵装を持たないことです。そのため外観は艦前部にカタパルトや格納筒を持たず、40口径11年式14cm単装砲が主砲として艦橋前に設置されています。航空兵装を有しないかわりに、魚雷発射管が艦首8門に増強。本来ならば乙型と同じ船体で建造されるはずでしたが、着工を急いだので巡潜V型の線図を流用し、ほぼ同じ船体。丙型は、その後、52隻もの大量建艦が予定されるも、あいついで建造中止。開戦後の昭和19年になって、ようやく追加で46、47、48、52、53、55の各艦が竣工したものの、結局合計11隻が竣工。 なお、「イ−16」は昭和15年3月30日に呉工廠にて竣工し、即日横須賀鎮守府に配属され、開戦時には第6艦隊第1潜水戦隊第1潜水隊に所属し、甲標的を搭載してハワイ作戦に参加しました。 こちらで ・特殊潜航艇(酒巻少尉) ・クェゼリン環礁(米軍がマーシャル諸島ルオット島を占領) ・南雲機動部隊 をお楽しみください。 参考HP〜 ・伊号潜水艦の写真(同型艦の伊26、巡潜乙型の伊号15型潜水艦) ・伊号潜水艦の写真(潜水艦から水上機を発艦) ・上記は こちら の文献などを参照させてもらいました。 15/8/5 |
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