チャレンジャー号の冒険 1872/12〜1876/5 世界一周海洋調査の探検大航海 |
TERRES AUSTRALES ET ANTARCTIQUES FRANCAISES チャレンジャー号探検隊、1874 1872-1876, expedition フランス領南極地方 1979/1/1 発行 |
Gambia 防寒装備のナレス船長と、チャレンジャー号 Capt. George Nares, by Stephen Pearle 1877 ガンビア 2000/10/2 発行 |
SWEDEN 南極の地図 スウェーデン 1989/8/22 発行小型シートより |
チャレンジャー号の探検大航海 Challenger Expedition (世界一周海洋調査の探検航海隊) チャレンジャー号の冒険は1872年〜1876年の間に、海底や海洋生物・海水温などを調査して、海洋学の基礎を作って多くの発見が行われた科学的探検航海のことです。探検に使われた船のチャレンジャー号に因んで「チャレンジャー号の冒険」とも呼ばれました。 エジンバラ大学(University of Edinburgh)とスコットランドの男子高校マーキストン・キャッスル校(Merchiston Castle School)で研究を行っていたスコットランド人のチャールズ・ワイヴィル・トムソン卿 (Sir Charles Wyville Thomson FRSE FRS FLS FGS FZS 1830-1882、隊長(兼科学部長)として乗船し、大量の海洋学的標本、観測結果を本国に持ち帰る) の提唱と説得により、ロンドン王立協会はイギリス海軍から軍艦チャレンジャー号(1858年進水)を借用し、1872年に15門の大砲を降ろして、博物学(Natural history)と化学(Chemistry)の別々の研究室を備え付けた科学調査船(Science Research Vessel, R/V)へと大改装しました。 チャレンジャー号探検航海隊は船長ジョージ・ナレス大佐 (1875年に船長がフランク・トンプソン大佐(Frank Tourle Thomson, 1829-1884)となる) と、隊長のチャールズ・ワイヴィル・トムソン卿に率いられて、1872/12/21にイギリスのポーツマスを出帆。トムソン卿自身の科学的監修の下、ほぼ70,000海里にわたる測量と調査航海を行いました。その結果は、「1873年から1876年にかけてのチャレンジャー号の探検航海の科学的結果の報告書」(Report Of The Scientific Results of the Exploring Voyage of Challenger during the years 1873-76)にまとめられました。その報告書には地理など他の発見とともに、4,000の未知の新種が目録にまとめられました。1882年に没したトムソン卿に代わり報告書の出版を監修したのは海洋学者ジョン・マレー(John Murray)でした。 チャレンジャー号の探検隊は1,606日にわたる航海の内、海上で713日を過ごした後、1876/5/24にハンプシャー州スピットヘッドに帰港しました。68,890海里(127,580km)の航海の間に、492回の深海測量と133回の海底浚渫、151回の開水面でのトロール漁法による海底調査、263回の連続的な海水温観測、そして4,717種の海洋生物の発見を成し遂げました。チャレンジャー号探検航海に関する文書記録の写しは、サウサンプトンのイギリス国立海洋学センター(National Oceanography Centre)、タインアンドウィア州カラコーツ(Cullercoats)のダヴ海洋研究所(Dove Marine Laboratory)を含むイギリス各地の海洋研究所に納められました。 ・チャレンジャー号の世界一周海洋調査大航海(1872/12〜1876/5):〜 1872年 12/21、イギリスのポーツマス港を出帆 1873年 01月、リスボン(Lisbon) ジブラルタル(Gibraltar) 02月、マデイラ諸島(Madeira) カナリア諸島(Canary Islands) 04月、メキシコ湾流(Gulf Stream) 05月、メキシコ湾流(Gulf Stream) ヴァージン諸島(Virgin Islands) バーミューダ島(Bermuda) アゾレス諸島(Azores) マデイラ諸島(Madeira) 07月、ケープヴェルデ諸島(Cape Verde Islands) 08月、ケープヴェルデ諸島を出帆、ブラジル沖のセント・ポール岩礁(St Paul's Rocks)こと、 サンペドロ・サンパウロ群島(岩礁:Saint Peter & Saint Paul Archipelago)へ向う ペルナンブーコ州フェルナンド・デ・ノローニャ(Fernando de Noronha)着 09月、フェルナンド・デ・ノローニャ(Fernando de Noronha)で赤道を越え、
オーストラリアのニューサウスウェールス州ハウ岬(Cape Howe)通過、 ニュージーランドのシドニー(Sydney)着 06月、シドニー出帆、 デュルビル島ハーディ港(Port Hardy, d'Urville Island) 南島のクィーンシャーロッテサウンド(Queen Charlotte Sound) クック海峡(Cook Strait)を通過 北島の南端のウェリントン(Wellington)着 07月、トンガ(Tonga) フィジー(Fiji) 08月早く、グレートバリアリーフのレイン島(Raine Island)着 08月終り、オーストラリアのヨーク岬(Cape York) 09月、ヨーク岬出帆、北上してホンコン(Hong Kong)へ向う アラフラ海(Arafura Sea) インドネシア東部マルク州のアルー諸島(Aru Islands) カイ諸島(Kai Islands) バンダ海(Banda Sea) バンダ諸島(Banda Islands) 10月、アンボン島アンボイナ(Amboina, Ambon Island)着 テルナテ島(Ternate Island) セレベス島(Celebes (Sulawesi)の東からセレベス海(Celebes Sea)へ フィリピンのミンダナオ島南西端サンボアンガ(Zamboanga, Mindanao, Philippines) フィリピン中部のヴィサヤ諸島パナイ島イロイロ(Iloilo, Island of Panay) ルソン島マニラ(Manila, Island of Luzon) 11月、イギリス領ホンコン(Hong Kong)着 12月、ホンコンで、ナレス船長がイギリス北極探検隊へ転属となる 1875年 船長がフランク・トンプソン大佐(Frank Tourle Thomson, 1829-1884)となる 01月早く、ホンコンを出帆、ニューギニアへ向う マニラ(Manila) セブ島セブ港(Island of Zebu, Cebu). サンボアンガ(Samboangan) 02月早く、ミンダナオ(Mindanao)を通過、インドネシア領西イリアン(ニューギニア)南東の フンボルト湾(Humboldt Bay、現:ニューギニア南岸のヨススダルソ湾(Yos Sudarso Bay) 着 03月、パプアニューギニアのアドミラルティー諸島(Admiralty Islands, north-east New Guinea)着 カロライナ諸島(Carolina Islands、現:ミクロネシア連邦&パラオ共和国) マリアナ諸島(Mariana Islands、現:北マリアナ諸島は米国領) 04月、横浜港(Yokohama)到着 横須賀港(Yokosuga) 神戸港(Kobe) 06月中旬、日本近海を離れ、サンドウィッチ諸島(Sandwich Islands、現ハワイ:Hawaii)へ向う 07月々末、ハワイ諸島オアフ島ホノルル(Honolulu, Oahu, Hawaiian islands) 08月中旬、ヒロ湾(Hilo Bay off Hawaii's Big Island)に投錨 09月中旬、タヒチ(Tahiti)着 10月早く、タヒチを出帆、 仏領ポリネシアのトゥブアイ諸島(Tubuai Islands)へ向う 11月中旬、北米南岸ファン・フェルナンデス諸島(Juan Fernandez Islands, South American coast) 数日後、チリの首都サンティアゴに近い(北約120km)港町バルパライソ(Valparaiso)着 12/31、チリのタイタオ半島オトウェイ港(Port Otway, Gulf of Penas, Taitao Peninsula, Chile)着 1876年 01月、マゼラン海峡から南米パタゴニア諸島(Patagonian archipelago)を調査して大西洋へ回航 パタゴニア地方ウェリントン島(Wellington Island)近くのハル・コーヴ入江(Hale Cove)、 グレイ・ハーバー(Gray Harbour) ポート・グラップラー(Port Grappler) トム湾(Tom Bay) ハノーヴァー島(Hanover Island)近くのプエルタ・ブエノ(Puerta Bueno) クィーン・アデレート諸島(Queen Adelaide Archipelago)近くのイスサム湾(Isthmus Bay) サンタ・インズ島(Santa Ines Island)近くのポート・チュラッカ(Port Churruca) 大西洋(Atlantic)に出る前のポート・ファミン(Port Famine)、 サンディ・ポイント(Sandy Point)、 エリザベス島(Elizabeth Island) 南米最後の寄港地ティアラ・デル・フェゴ(Tierra del Fuego)、そして 大西洋へと航海 01月終り、フォークランド諸島(Falkland Islands)のポート・スタンレー(Port Stanley) 02月中頃、ウルグアイのモンテヴィデオ(Montevideo) 02月々末、モンテヴィデオを出帆 03月終り、アセンション島( Ascension Island) 04月、ヴェルデ岬諸島(Cape Verde Islands) 05月、スペイン北西部のガリシア州ポンテベドラ県ヴィーゴ(Vigo, Spain) ビスケー湾(Bay of Biscay) 05/24、英国ハンプシャー州スピットヘッド港に帰港(713日間の航海) 1877-95年、50巻(volumes)の報告書(Repots)を発刊。 ・チャレンジャー号の装備:〜 HMS Challenger、1858
コルヴェット艦チャレンジャー (HMS Challenger) は1858年に建造されたイギリスの軍艦、海洋調査船。本船によって行われたチャレンジャー号探検(1872-1876)による海洋誌的・生物学的調査は近代海洋学の出発点となりました。他のチャレンジャーと区別するため、チャレンジャー6世号とも呼ばれています。 チャレンジャー6世号は1858年ロンドン南東(South East London, England)のウールウィッチ(Woolwich,)で建造された3本マストの帆走軍艦で排水量2,300トン、全長65m、1,200馬力の蒸気補助機関をもつ木製の機帆船で、1872年に科学調査船(Science Research Vessel, R/V)へと大改装されました。国際的援助で、1872/12/21〜1876/5/24の間、太平洋・大西洋・インド洋・南極海の探検を行いました。各地で生物学的調査をはじめ物理的・化学的調査をも行い、その観測で、50巻に上る膨大なチャレンジャー号報告(Challenger Reports、1885〜95)が出版され、近代海洋学が創始されました。 スペースシャトル・チャレンジャー号は、この探検航海を成し遂げたチャレンジャー号から名付けられました。 参考HP:〜 ・チャレンジャー号の航海地図 ・メキシコ湾流の地図 ・サンペドロ・サンパウロ岩礁(群島)の場所地図 ・サンペドロ・サンパウロ岩礁(群島)の地図(ブラジル領) ・ヨススダルソ島の場所地図(赤い所付近がヨススダルソ湾) ・ヨススダルソ島の地図(西イリアン、パプアニューギニア島) ・デュルビル島の地図(ニュージーランド) ・ハルマヘラ島からチモール島間の地図(ハルマヘラ島、バンダ島、カイ島、アル島) ・アンボン島の場所地図(インドネシア領) ・南極周辺の島々の地図(日本語) ・クローゼー諸島の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 13/6/12 |