United Kingdom

国連 1983 発行
切手で綴る カリブ海の島国シリーズ No.3 (British Islands)
バーミューダ
British overseas territories of Bermuda

大航海物語
  地図編

BERMUDA
ソマーズ提督のバーミューダ島の古地図、1609

バーミューダ 1979/5/14 発行
人工衛星からのバーミューダ島写真

バーミューダ 1980/9/24 発行

バーミューダ島の古地図、1729-40

バーミューダ 1979/5/14 発行
ハミルトン市のプリンスホテル

バーミューダ 1980/9/24 発行
バーミューダ中央郵便局、ハミルトン

New General Post Office (GPO) Hamilton 1967
1877 バーミューダUPU100年記念 1977
バーミューダ 1979/11/25 発行

パトロール警察官
交通警察の白バイ&パトカー
交通整理
海上警察のランチ
1879 バーミューダ警察100年記念 1979
バーミューダ 1979/11/25 発行

帆船時代のハミルトン港と現在の街並み
1793 ハミルトン市200年記念 1993
バーミューダ 1993 発行

バーミューダ諸島教区別の地図
   セントジョージ島のバミューダ火薬陰謀事件











セントジ

|ジ島
1775 バミューダ火薬陰謀事件200年記念 1975
1775 アメリカ独立戦争200年記念 1975
バーミューダ 1975 発行

バミューダ諸島、イギリスの海外領土
 Bermuda Islands

 (British overseas territories of Bermuda)
バミューダ諸島は、北大西洋にあるイギリスの海外領土の諸島。イギリス女王を国家元首とする、面積 53.3Ku、人口65,445人(2014)、公用語:英語、ポルトガル語で、イギリスの海外領土の中でも、政治的・経済的な自立度が高い。金融部門と観光産業に支えられており、2005年には、一人当たりのGDPが$76,403となり世界で最も高い数値を記録した。タックス・ヘイヴンとしても知られている。2010年には、首都ハミルトンが世界第34位の金融センターと評価されている。主都はハミルトン(Hamilton)、面積1km四方ほどの小さな町で、人口は約3,000人、観光客やビジネスマン(アメリカ人が多い)で賑わう豊かで活気のある港町。パステルカラーに塗られた家々や建造物が多く、町並みは美しいオフショア金融地です。

バミューダ諸島は、約150の珊瑚礁と岩礁からなる。最も大きい島は、中心にある面積約39Kuのバミューダ島。その周りにセント・ジョージ島、サマセット島、アイルランド島があり、他は非常に小さな島。これらを総称して、バミューダ諸島と呼びます。川や淡水湖はなく、降雨には恵まれています。

バミューダ諸島は1500年代の初期にヨーロッパ人によって発見された。スペインの探検家ファン・デ・ベルムデス(Juan de Bermudez, 1570没)が1503年に発見したという説もあるも、イタリアの研究家ピエトロ・マルティーレ・ダンギエーラ (Peter Martyr d'Anghiera, 1457-1526) が1511年に出版したレーガーティオー・バビロニカ(Legatio Babylonica)によってバミューダ諸島の存在が初めて言及されており、同年にスペインの海図に組み込まれました。しかし、移住者のいないまま、長く無人島でした。

1609年、イギリスから北アメリカのバージニア植民地へ向かうイギリス人入植者達を乗せた船団8隻がバミューダ沖で嵐ハリケーンに遭遇、その中の1隻ジョージ・ソマーズ提督の率いる130人を乗せたシー・ベンチャー号が仲間の船とはぐれ、バミューダのリーフに座礁・難破。乗員・入植者は、やむをえずこの島に定住することになりました。しかし、暖かく豊かな島で気力を取り戻した乗員・入植者は島で木を切り、シー・ベンチャー号から計器を取り出し、デリバランス号(Deliverance:救出号)とペイシェンス号(Patience:忍耐号)の2隻の船を建造。1610/5/10、その2隻の船に後にホカホンタスと結婚したジョン・ロルフ(John Rolfe、1585頃-1622)など142人が乗船して島を後に再びバージニアへ向かって出帆(オードナンス島に遺跡有)しました。

イギリスから、よりアメリカとの距離が近いため、南北戦争時(American Civil War, 1861-1865)はヨーロッパとアメリカを結ぶ中継地になりました。ヴィクトリア朝時代に、北アメリカの避寒リゾート地としてこの島への観光旅行が盛んとなり、それ以来、観光業がこの島の経済を支えてきました。第二次世界大戦でアメリカ合衆国は参戦していない時期にも関わらず、駆逐艦と基地の交換協定 (Destroyers for Bases Agreement) が結ばれ、バミューダ諸島に建設されたイギリス軍の海軍基地と空軍基地はアメリカ軍に貸与されました。

・バミューダ略史:〜
1503、スペインのファン・デ・ベルムデスが発見
1511、レーガーティオー・バビロニカに島の存在が初めて言及される
1609、イギリスのソマーズ提督のシー・ベンチャー号が難破して漂着
1610/5/10、ソマーズ提督とゲイツ卿の一行が船2隻で島を後にバージニアへと出帆
1610/11/9、バーミューダへ戻ったソマーズ提督がソマーズ島(4? Somers Isles)で亡くなる
1612、イギリスが入植を開始
1684、バーミューダ諸島が初代総督ロバート・ロビンソンでイギリスの正式植民地となる
1861-65、アメリカ南北戦争時はヨーロッパとアメリカを結ぶ中継地になる
1995、イギリスからの独立の賛否を問う住民投票が行われ、独立は否決される。

バミューダは9教区 (Parish) に分かれている(行政教区)。また、
・ハミルトン市(ペンブロク教区内)と
・セント・ジョージ町(セント・ジョージ教区内)の
2つの自治体(municipality)があり、行政上はその周囲の行政教区とは区別される。
# 教区 Parish ku 人2010
1 サンディズ Sandys 6.75 7,655 ハミルトン市プリンスホテル
2 サウスハンプトン Southampton 5.75 6,633
3 ウォーウィック Warwick 5.72 8,615
4 パゲット Paget 5.28 5,702
5 ペンブロク Pembroke 5.44 9,600 A
6 デボンジア Devonshire 4.90 7,332
7 スミス Smith's 4.90 5,406
8 ハミルトン Hamilton 5.10 5,862
9 セント・ジョージ St. George's 9.30 4,679 B
A ハミルトン市 Hamilton City 0.70 1,010
B セント・ジョージ町 St. George's Town 1.37 1,743

主な島〜7島(約150の珊瑚礁と岩礁からなる諸島) バーミューダ島の古地図
# 島名 Island 教区 Memo
1 アイルランド島 Ireland サンディズ
2 ボアズ島 Boaz サンディズ
3 ワットフォード島 Watford サンディズ
4 サマセット島 Somerset サンディズ エリーズ港
5 バーミューダ島 Bermuda 7つ有 主島約39ku
6 セントジョージ島 St. George セント・ジョージ
7 セントダヴィッド島 St. David's セント・ジョージ 国際空港

バーミューダ島サウンド(Sound)内の島々(多数有)
サウンド名   島名 Island  教区 Memo
・セントジョージズハーバー St. George's Harbour
・ハイッグズ島 Higgs' セントジョージ
・ホースシュー島 Horseshoe   ”
・パジット島 Paget   ” 145,000u
・スミス島 Smith's   ” 245,000u
オードナンス島 Ordnance   ” 7,100u
・キャッスルハーバー Castle Harbour
・ノンサッチ島 Nonsuch セントジョージ キャッスルハーバー東入口
・キャッスル諸島 Castle   ” キャスル港内
・キャッスル島 Castle   ” キャスル港内
・チャールズ島 Charles   ” キャスル港内
・コニーアイランド島 Coney セントジョージ 59,000u キャスル港西入口
・ハリントンサウンド Harrington Sound
・ホール島 Hall's ハミルトン
・トランク島 Trunk   ” 28,000u 私有地
ギベット Gibbet ハミルトン フラッツ入江西入口
・グレートサウンド Great Sound
・ホワイツ島 White's パゲット ハミルトン港内
・サルタス島 Saltus ペンブロク バミューダナショナルトラスト所有
・ヒンソン島 Hinson's パゲット
・マーシャル島 Marshall ウォーウィック
・ロング島 Long   ”
・ホーキンズ島 Hawkins   ”
・ネリー島 Nelly   ”
・ポーツ島 Ports   ”
・ブーント島 Burnt   ”
・ダレル島 Darrell's   ” 南東側
・グレース島 Grace ウォーウィック
・リトルサウンド Little Sound
・ファイブスター島 Five Star サウスハンプトン

・バミューダトライアングル
 (Bermuda Triangle)
バミューダトライアングルは、フロリダ半島の先端と、大西洋にあるプエルトリコバミューダ諸島を結んだ三角形の海域で、帆船による大航海時代には「船の墓場」と呼ばれていました。そして魔の海域として取り上げられ、昔から船や飛行機、もしくは、その乗務員のみが消えてしまうという伝説があり、この伝説で多くのフィクション小説、映画、漫画などが製作されました。
また、バミューダ島の近海は岩礁や浅瀬が多いために、船が岩礁に接触、あるいは衝突で沈没する事故が起きやすい場所となっています。1609年にはヴァージニア会社支援船隊の旗艦”シー・ヴェンチャー号”(船隊司令官ソマーズ提督)がカリブ海でハリケーンに襲われてバミューダ諸島東の珊瑚礁の岩礁へ難破漂着しました。そしてセントジョージズハーバーのオードナンス島に入植したと伝えられています。
シー・ヴェンチャー号の難破

バーミューダ 1984 発行

・バミューダ火薬陰謀事件、1775
 (Bermuda Gunpowder Plot, Tobacco Bay North Bermuda)
バミューダ火薬陰謀事件は、1775/8/14にアメリカ大陸会議(American Continental Congress)の独立派の大義に共感したベルムディアン(Bermudians sympathetic)のグループが、セントジョージ島セントジョージ町の英火薬庫(British Magazine)から火薬100樽(barrel)を盗み、島を横切ってトバコ湾(Tobacco Bay)に運び出して、アメリカに出荷した事件です。
バミューダ火薬陰謀事件

バーミューダ 1975 発行
英国々王に忠実な王党派が多いバミューダで、強力な商人の1人のセントジョージ町住人ヘンリータッカー民兵大佐(Bermuda's Militia company's Colonel Henry Tucker 1713-1787)など、アメリカ独立派大陸会議の独立闘争(Continental Congress’ fight for independence)に共感する人もいて、アメリカ独立に貢献しました。

参考HP:〜
バーミューダ島地図
バーミューダ島地図(詳細地図)
バーミューダ島区分地図
グレートサウンドの場所地図(Great Sound)
キャッスルハーバーの場所地図(Castle Harbour)
セントダヴィッド島の場所地図(St. David's Island)
主都ハミルトンの場所地図

こちらで
世界遺産
ピラミッドエジプト
パルテノン神殿ギリシャ
姫路城 (日本
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   08/9/24、09/9/28追記, 令和 R.3/4/6 (2021)
スタンプ・メイツ
Copyright(C):StmpMates
無断転載禁止