Mali

国連 1980 発行
切手で綴る世界遺産 (マリ
トンブクトゥ
15世紀
1988
創建
世界遺産登録


大航海物語
世界遺産編
REPUBLIQUE DU MALI
サンコレ・モスク

Mosquee de Sankore, Tombouctou
マリ 1961 発行
GUYANA
トンブクトゥの遺跡
イスラム教徒建設 1087


Muslims build Timbuctu 1087
2000年紀のミレニアム切手

ガイアナ 1999/12/20 発行

UGANDA
ルネ・カイエ、トンブクトゥ寺院
サンコレ
・モスク
ウガンダ 1990/11/15 発行
REPUBLIQUE DU MALI
トンブクトゥの遺跡

La Mysterieuse, Tombouctou
マリ 1961 発行

トンブクトゥ
  Tombouctou

  住所:マリ共和国トンブクトゥ州の州都トンブクトゥ市(約5万人)
  (Timbuktu town, capital of the Timbuktu Region of Mali)
  世界遺産:ユネスコの文化遺産(1988)
  (UNESCO World Heritage Site, Type:Cultural)
  正式名称:日:サンコレ・モスク(Sankore Mosque in Timbuktu)
         英:Timbuktu(Circle and Region of Tombouctou)
         仏:Tombouctou
  危機遺産 (1990-2005、2012-)
トンブクトゥは西アフリカのマリ共和国内のニジェール河沿いにある砂漠の民トゥアレグ族の都市で、ティンブクトゥ(Timbuktu)とも呼ばれ、人口:31,973人(2005)。古代より長らく、サハラ砂漠を越えたアフリカ内陸の黒人と北アフリカからやってくるベルベル人やムスリムの商人が出会う交易拠点でした。ティンブクトゥという言葉は「異国」や「遠い土地」として使われるようになっていました。トンブクトゥは、遊牧民トゥアレグ族の特定の季節だけの野営地が起源でしたが、トンブクトゥは、遊牧民トゥアレグ族の特定の季節だけの野営地が起源でしたが、金や象牙、奴隷、塩などの交易品が行き来するサハラ砂漠の通商路で重要な中継地として都市へ成長。この地に興隆したガーナ王国(サハラ越えの金と岩塩の隊商貿易の中継地として繁栄した黒人王国、8世紀(4世紀頃とも)〜11世紀(13世紀とも)、マリ帝国(1230年代-1645)、ソンガイ帝国(Songhay、1464-1590)を通じて莫大な富が集まる重要都市となりました。ただし、砂漠地帯のオアシスだったため、多くの人口を許容できるだけの食料や生活上の資材を確保することが困難で、トンブクトゥに物資を供給するための都市網が後背地に発展していきました。

1500年代初頭にトンブクトゥの繁栄は頂点を迎え、その途方もない富の物語や伝説が伝えられたことを動機として、多くのヨーロッパ人がアフリカへの探検に向かうことになり、16世紀の旅行家・地理学者のレオ・アフリカヌス(Leo Africanus,1483頃-1555頃)が、1512年に繁栄の絶頂にあったソンガイ帝国を訪れて、「トンブトの富める王は、金で出来た杯や笏を数多く持ち、その重量は1,300ポンドにもなる。また常時3,000人の騎手を揃え、さらに多くの医者や裁判官、司祭、学者がおり、彼らは王の財によって手厚く養われている」との記述を残しています。ところが、海路からポルトガルや他のヨーロッパ諸国から来た探険家や奴隷商人が西アフリカに上陸し、サハラ砂漠を経由しない通商路を開拓して、トンブクトゥは衰退しました。1591年にはモロッコ人のスルタンに仕えていたムーア人の傭兵集団に占領されて、ほとんど滅び、後に彼らの子孫は現地の黒人と混合しました。1828年に探検家ルネ・カイエが、この町を訪れ生還した初めてのヨーロッパ人となり、「荒廃した泥の町」と報告しました。その後、キリスト教徒の伝道者が訪れました。サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会(Temple Expiatori de la Sagrada Familia)を設計したアントニ・ガウディ(Antoni Placid Guillem Gaudi i Cornet, 1852-1926)は、この地の泥土で建てられたモスクの様式に啓発されたと言われています。

・現在のトンブクトゥは、少し大きな村といった規模で、泥土で出来た家々が並び、ひどい貧困に見舞われている状況に有。かつては10万人以上の人口を数えた都市も、現在は3万人余りに減少。ただし、現在も砂漠地帯の中の物資の集散地点であることは変わらず、岩塩や手工芸品などの取引が行われています。近年、周辺が世界遺産に登録されたこと、パリダカールラリーの通過地になること(毎年ルートが変わる)から、次第に知名度が高まり、観光客も増えつつあるも、インフラは依然として整っておらず、ホテルのキャパシティも小さい。また、周囲の砂漠化が進行し、町が砂漠に埋もれる危険性も指摘されています。トンブクトゥへの交通は首都バマコからモプティを経由する不定期空路、陸路、もしくはニジェール川を行き交う乗合船を利用することになります。

参考HP:〜
世界遺産トンブクトゥの場所地図
マリの地図
マリの場所地図
ソンガイ帝国の地図
ガーナ王国の地図
トゥクロール帝国の地図

上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。  09/7/28、2019/1/23、令和元年 R.1/12/24

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