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★イギリス | ムンゴ・パーク 1797 ニジェール河を探検 |
大航海物語★ |
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GAMBIA ムンゴ・パーク |
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スコットランド風景 | ←ガンビア共和国と ←ガンビア河の地図 |
ガンビア河とニジェール河を探検 | |
丸木船(dugout canoe)で探検 |
原住民(Bussa)の襲撃 |
ガンビア 1971/9/10 発行
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GAMBIA パーク と ガンビア河の地図 ガンビア 1988/12/1 発行 |
SENEGAL 西アフリカの地図
ダイレクトバスで2日要し、セグやジェンネは途中に有 ニジェール河の水運利用でも、ほぼ同じ フランス・セネガル 1939 発行より作成(200%) |
パークはイギリス・スコットランド出身のアフリカ大陸探検家で、ニジェール河の探検をなし、2度目の探検中に35才で亡くなりました。 |
ムンゴ・パーク Mungo Park(1771/9/10〜1806) パークはイギリス・スコットランドのセルカークシャーで生れ、エジンバラ大学で3年間(1789-1791)学び、外科医のライセンスを取得しました。在学中にジョン・ウォーカー教授(Dr John Walker 1730-1803)の博物学を学び、彼の従兄弟(植物学者)からロイヤル・ソサエティのバンクス卿(Sir Joseph Banks準男爵)を紹介され、1792年東インド貿易船ウォーセスター(Worcester)号に外科医助手として乗船、スマトラのベンクレン(Benkulen)への航海に出帆しました。そして1793年に帰国して、スマトラの魚類の新種3種をロンドンのリネン・ソサエティで発表しました。 ・ムンゴ・パークの探検 第1回ニジェール川探検:〜1795〜1796:イギリス〜ガンビア河からニジェール川へ 第2回ニジェール川探検:〜1805〜1806:イギリス〜ガンビア河からニジェール川へ 1794年にアフリカ協会のホートン(Daniel Houghton)少佐(ニジェール河へのコースを発見し、1790年にサハラで亡くなった)の後継者に応募し、1795/6/21パークはガンビア河の200マイル上流のイギリス交易所ピサニア(Pisania)に到着しました。12/22に現地人のガイドを雇いさらなる奥地へと出発。彼の旅程は上部セネガルで半砂漠地帯の横断でした。困難の連続の旅で、ムーア人に捕らえられて4ヵ月の虜囚の身となり、1796/7/1に脱走して、馬もコンパスも無く、捜し求めること21日後、ニジェール河のセグに達しました。ヨーロッパ人とりて最初でした。川沿いに80マイル下ってシラに着きました。そこから先へ進めなくなり、7/30に戻り始めました。マリ国の首都バマコ(Bamako)へ向かってニジェール河沿いに300マイル(483km)旅しました。ついにカマリア(Kamalia)で病に倒れ、親切な男に助けられて彼の家で7ヵ月寝込みました。1797/6/10再びピサニアにたどり着きました。12/22にアメリカを経由してスコットランドへ帰り着きました。死んだと思われていた彼の生還とニジェール河の発見は大変な評判となりました。彼の旅行記はアフリカ協会で作成され、彼自身の2年におよぶ詳細な旅行記は、1799に「アフリカ旅行記」(Travels in the Interior of Africa)として作成・発刊され、非常な人気となりました。 1799年8月フォルシールス(Foulshiels,)に腰を落ち着け家庭を持ち子供も生れました。幾多の遠征計画が舞い込みましたが、ニジェールとコンゴの探検を実施することとなり、1805/1/31アフリカ・ガンビアへ向けて、ポーツマス港を出帆しましたが、8月半ばになってもニジェール河に到達できませんでした。熱病と赤痢でヨーロッパ人は11人になってしまいましたが、ようやくニジェール河のバマコに到達、そこからセグまではカヌーで河を進みました。セグ近くの下流のサンサンディング(Sansandig)で、40ftX6ftのカヌーの準備を整え3人の軍人の参加を得て、11/19に出発しましたが、その後の消息は不明となりました。 彼が植民地省に送った書簡で推察すると、約1000マイル(1610km)さかのぼった所で原住民に襲われたと思われました。ただ一人の生存者の奴隷の話では、パークは何度も原住民の槍と弓矢による攻撃を小火器で撃退しましたが、最後のブッサ(Bussa, Nigeria)近くの下流”ヤウリ激流”(Yauri)付近で、岩にカヌーが当たって砕け散り生存者全員が亡くなったと推察されました。パークは35才の若さでした。 1827年にパークの次男トーマスは父パークがブッサ(Bussa)で捕らえられていると思い、ギニア海岸に上陸。ブッサへと父の捜索を始めましたが、途中で熱病で亡くなりました。パークの未亡人は1840年に亡くなったと伝えられています。
参考地図HP:〜 ・ガンビア共和国とガンビア川の地図 ・ニジェール河、(流域は9カ国に跨がる4,180kmの河) ・マリ共和国の地図 ・ニジェール共和国の地図 ・ナイジェリア共和国の地図 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2006/10/15、09/5/30追記、10/7/23 |