大航海物語 |
ジェンネの”泥のモスク” 1280年頃、創建 1907年に再建 |
参考資料 |
Afrique Occidentale Francaise 泥のモスク Djennie Mosque,Sudan フランス西アフリカ 1947 発行 |
SENEGAL 西アフリカの地図
フランス・セネガル 1939 発行より作成(200%) |
ジェンネの”泥のモスク” Great Mosque of Djenne ・モスクは”泥”でできていて、マリ共和国ジェンネ市の旧市街にある ・建物は一辺が50m(ほぼ正方形) ・敷地は一辺約150m(ほぼ正方形) ・高さ20m、奥行き75m、1000人の信徒を収容するモスク(イスラム寺院) ・柱は90本で、太さが約150cm ・中央の尖塔は”ミナレット”といい、高さは約20m ・ミナレットの先端にダチョウの卵が据えられている ダチョウの卵は「生命と創造」=「生命/繁栄/純潔/創造」の象徴 ・モスクの骨組みは椰子材で外に突き出ていて、塗り直しの足場となる ・泥の壁には”テロン”(terron)と呼ばれる木片(椰子材)が組み込まれている バニ川の泥と麦藁を練って干して作った「日干し煉瓦」を積み、テロンで補強して作られ、 テロンは外壁を突き抜けて、外壁の補修の際の足場として使われるほか、 降雨で外壁の泥が流れ落ちる時、雨をとめる役目も果たす ・建設は1280年頃にジェンネ王コワ・コアンボロが壮麗なモスクを建設 ・大モスクの2階が入り口〜このモスクは、破壊されるとその土の上に新しいモスクを建てる 繰り返しをしたので、土台が高くなっている ・毎年2〜5月に、雨季(乾期11-5、雨期6-10)に備え表面に泥が塗り直される ・モスクの出入り口は5ヵ所(2つは女性専用) ・モスクの裏手は「日干し煉瓦」の民家が密集しており、モスクの全景をみることは出来ない ・モスクに限らず、町の建物は泥でできていて、 毎週月曜日にはモスクの前の広場でマルシェ(市場)が開かれ、とても賑やかになる 「泥のモスク」はマリ共和国の都市ジェンネ市の旧市街の象徴といえる泥の建造物で、巨大な泥塗り泥造りのモスクです。1280年頃にイスラムに改宗した第26代ジェンネ王コワ・コアンボロ(Koi Koumboro)が宮殿を壊し、跡地に壮麗なモスクを建てたのが起源とされています。1819年にジェンネ市がフラニ族のセク・アマドゥ(Seku Amadu1773-1845)のマシナ帝国(Massina Empire 1818-1862、「フラニの聖戦」Amadu's Jihad)に征服された時、モスクは新しいものを建設するということで取り壊されました。その後、フランス植民地総督ウィリアム・メルロ=ポンティ(William Merlaud-Ponty、1866-1915 )が、イスラム指導者アルマミ・ソンフォ(Almamy Sonfo)の要請を受け入れて、コウンボロ王の壮麗なモスクを再現することを1906/10月に決定。この再建工事は翌年10/1に完成。屋根が100本(90本説有)の柱で支えられている大モスクは、表面の材質は泥のため、町の住民で分担して毎年塗り直しが行われています。建築様式はイスラムの影響で建てられましたが、イスラム建築の様式よりスーダン・サヘル様式に近く、モスクはほとんど泥で建てられているため「泥のモスク」と呼ばれており、現在も礼拝に使われていいます。1988年にユネスコの世界遺産に登録されましたが、ユネスコ世界遺産の中で「100年後には見られない可能性が一番高い世界遺産」にも選定されています。観光客は多いのですが、マリの首都バマコからバスで10時間以上かかるうえ、モスクの中にはイスラム教信者しか入ることができません。ところが、そこは観光地のこと良くしたもので、小遣い稼ぎの地元の自称案内人が誘いをかけてきて、約1000円ていどで内緒の見学はできるようです。 ジェンネ市はマリ共和国モプティ地方の都市で、モプティ市からは130km、首都バマコからは574kmの所にあります。ジェンネ市は遊牧民と定住民の橋渡しとなる都市で、サハラ交易の要衝となっていました。商業的に結びついているトンブクトゥから川伝いに500km離れており、この二つの都市はかつて「双子の姉妹」といわれていました。なお、「ジェンネ」はボゾ語で「水の精霊」の意味で、アラビア語では「天国」になるらしい。ジェンネ市はニジェール河の支流バニ川に浮かぶ88ヘクタールの島に建設された都市で、バニ川沿いの23kmの堤防の周縁に有。 ・年間降水量は400〜600mm。(日本は1800m以上) ・人口は1976年の10275人から2005年の14196人へと、約30年で1.5倍の増加。民族は多彩でソンガイ人、プール人、バンバラ人、ソナンケ人、ボゾ人、ドゴン人、モシ人などで構成。 1280頃、ジェンネ王コイ・コウンボロがイスラムに改宗し、 ジェンネに壮麗なモスク”泥のモスク”を建設 13世紀中、マリ帝国に併合 1352頃、イブン・バットゥータが来訪し、その繁栄ぶりを母国モロッコに伝えた 1443年、ベルベル人系の遊牧民トゥアレグ族に征服された 1470年、ソンガイ帝国に征服された 1591年、モロッコがジェンネを征服 1670年、バンバラ帝国に征服された 1819年、マシナ帝国のセク・アマドゥに征服された(フラニの聖戦)、”泥のモスク”を破壊 1828年、ルネ・カイエがトンブクトゥ探検の途上に来訪 1862年、トゥクルール帝国のウマール・タール(Umar Tall、1797-1864 )に征服された 1893年、フランスのルイ・アシナール軍に征服され、フランス領スーダンに併合された 1907/10/1、現在のモスクが(フランス植民地時代のスーダン様式で)再建・完成した 1960/9/22、フランスから独立してマリ共和国(Republic of Mali)の一部となる 農耕と漁を営むボゾの集落遺跡:〜古いジェンネという意味の「ジェンネ・ジェノ」(推定B.C 3世紀頃)遺跡がジェンネ市の河の手前(舟で行くらしい)にあり、現在の街の原形と言われています。都市形成は12世紀頃。ジェンネは13世紀末頃からトンブクトゥと南の砂金を産する国々とを結ぶ重要な水運拠点として、また、マリ帝国(1240〜1645)からソンガイ帝国(1464〜1590)時代は、地中海沿岸諸国と西アフリカを結ぶ「サハラ交易」の中継地点として繁栄。マグリブ(アフリカ北西部)やカイロ(エジプト)、メッカ(サウジアラビア)などから芸術家や学者、建築家などを呼び、高度なイスラム文化が発展し、14〜16世紀頃にジェンネとトンブクトゥは「双子の姉妹」と呼ばれ、最盛期には人口1万人(当時の人口は推定1万〜1万五千人)を有する一大都市として繁栄を極めました。ジェンネはサハラ交易の要衝でもあり、北から来た商人たちは宝石や岩塩を持参し、南方の商人が持ってきたココナッツ、黄金、象牙などと交換しました。現在でも、この地方では最も重要な「市」が月曜日ごとに開催されています。 参考HP:〜 ジェンネの場所地図 マリ共和国大使館公式HP (株)道祖神HP(アフリカ旅行マリ・ジェンネ案内 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/7/25 |