フランス 国連 1980 発行 |
切手で綴る 冒険大航海(Great Adventure Voyage)
ルネ・カイエ 1827 トンブクトゥに到達 |
大航海物語 フランス編★ |
Republique du MALI ルネ・カイエ と 探検地図 |
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←タンジール ←ラバト ←フェズ ←ボヘイム ←エルハジェブ ←トンブクトゥ ←ジェンネ ←ニアッソ ←ティメ ←ボケ |
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1799 ルネ・カイエ生誕180年記念 1979 マリ 1979/9/27 発行 |
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UGANDA
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Republique du MALI トンブクトゥ ルネ・カイエ生誕180年記念 マリ 1979/9/27 発行 |
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SENEGAL ルネ・カイエ セネガル 1939 発行 |
MAURITANIE ルネ・カイエ フランス領モーリタニア 1939/4/5 発行 |
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MAURITANIE 砂漠を行くロバ
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西アフリカの地図
フランス・セネガル 1939 発行より作成(200%) |
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砂 漠 南西アフリカ 1977/3/29 発行 |
砂漠を行くロバの隊商(キャラバン) フランス西アフリカ 1947 発行 |
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ニジェール河とバマコの少女 フランス西アフリカ 1947 発行 |
砂漠のオアシス 南西アフリカ 1988/3/3 発行 |
ルネ・カイエはフランス地理学協会のトンブクトゥ探検に応募して、1827年にフランスを出帆、アフリカのセネガルから内陸部へと探検し、マリ共和国のジェンネを経て、トンブクトゥに到達し、無事フランスに帰港して賞金を獲得しました。 |
・ルネ・カイエ (Rene Caillie、1799/9/19〜1838/5/17) カイエはフランスのポワトゥー・シャラント地域圏のドゥー・セーヴル県ミグノン(Mauze-sur-le-Mignon, Deux-Sevres, Poitou)で、貧しいパン職人の子として生まれました。11才で孤児となり、ダニエル・デフォーのロビンソン・クルーソーを読んで冒険に取りつかれました。 ・ルネ・カイエの大冒険: 1827〜1828:〜フランス出帆〜大西洋を南下〜セネガル・サンルイ港上陸〜ボケ(Boke Guinia)---ティメ(Time Guinia)---ニアッソ(Niasso Mali)---ジェンネ(Djenne Mali)---トンブクトゥ(Timbuktu Mali)〜サハラ砂漠〜エルハジェブ(ElHajeb Morocco)---ボヘイム(Boheim Morocco)---フェズ(Fez)---ラバト(Rabat)---タンジール(Tanger)〜ジブラルタル海峡を横断〜フランス・マルセイユ港(Marseille France)に帰港。 1816年に17才で単身アフリカ・セネガルのボンドゥ(Bondu)に渡り、イギリス探検隊の荷物運搬など苦労して金を稼ぎながら、アラビア語とイスラム教の教えや習慣を学んで身に着けました。熱病にかかってグアドループ島経由で帰国しました。1824年にフランス地理学協会(Societe de Geographie)がアフリカ・マリのトンブクトゥ(Timbuktu)への「1番乗り」を果たした者へ1万フランの懸賞金を出すとの募集広告を見て、もう一度アフリカへ行こうと思い立ち、トンブクトゥへの旅に出発しました。 セネガル南部から旅を始め、セネガル河北部の現モーリタニアのブラクナ州のムーア人の所で8ヵ月を過ごして、もう一度イスラム教の教えや習慣を学びました。ところが、イギリスのシエラレオーネ当局が綿製の服や青いジーンズの染色に使用される「インディゴ染料農園」(indigo plantation.)の管理人を命じてきたので、そこで働き£80ポンド稼ぎ、マンディンカ族隊商(Mandingo caravan)にイスラム教徒の服装で加わり、トンブクトゥへと出発しました。 1827/4/19にギニアのボケ(Boke)近くカクンディ(Kakundi)のヌネズ川(Rio Nunez)を出発、ギニア高地のフータジャロン(Fouta Djallon)丘陵地帯に沿って進み、セネガル河からアッパーニジェールのクロッサ(Kouroussa)を横切り、さらに東へと進み、1827/8月にギニアのティメ(Time)という所に着き、熱病が再発し5ヵ月滞在しました。 1828/1月に探検を再開し、マリに入り北東へと進みジェンネに着きました。そこからは水運利用で川船で進み、モプティを経て、ようやくトンブクトゥにたどり着きましたが、そこはすでに荒廃した泥の町に過ぎず失望。4/20から2週間滞在し、その町に関する詳しい観察を書き留めると早々と、5/4に帰国の途につきました。 帰りはサハラ縦断のモロッコ行き隊商(caravan Sahara、Morocco)に加わり、難渋旅行で苦労しながらモロッコに入り、モロッコからは順調に進みラバットのフランス領事館に無事保護され、1828/8/12にフェス(Fez)着、タンジール港(Tangier)からフランス・マルセイユ港に帰国。その後、フランス地理協会から賞金を受け、1830年に探検記(Journal d'un voyage a Temboctou et a Jenne dans l'Afrique Centrale)を3巻出版しました。 ルネ・カイエは1797年にガンビア河からニジェール河を探検したイギリスのムンゴ・パークと並び称される探検家になり、1828年に故郷のフランス・ポワトゥー・シャラント地域圏のドゥー・セーヴル県(La Gripperie-Saint-Symphorien (then Saint-Symphorien-du-Bois)で39才の若さで亡くなりました。 なお、トンブクトゥへ1番乗りを果たしたヨーロッパ人はイギリスのゴードン少佐(Major Alexander Gordon Laing 1793-1826)だとされていますが、1826/9/26に殺害され未帰還になりました。 参考HP:〜 フランス領西アフリカを示す地図 ニジェール河の流域地図 ボケの場所地図 上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 09/7/27、11/9/11、11/9/25 |