Netherland 国連 1989 発行 |
西インド編 カリブ海方面の探検航海 オランダ領アンティール Netherlands Antilles、1954〜2010 切手で綴る カリブ海の島国シリーズ No.13-2(Dutch Islands) |
大航海物語 地図編★ |
キューバ島→ ジャマイカ島→ 南米大陸→ |
←プエルトリコ島 ←セントマーティン島 ←キュラソー島 ←スリナム ←南米大陸 |
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蘭領アンティール諸島 1964/11/30 発行
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アルバ島→ ←キュラソー島→ |
CURACAO オランダ領アンティール諸島 |
←ボネール島 | |
蘭領アンティール諸島 1942/10/20 発行 |
オランダ領アンティール Netherlands Antilles、1954〜2010 オランダ領アンティールは南アメリカのヴェネズエラ沖に浮かぶ5つの島(1島は半分)とアルバ島で構成されて、首都はキュラソー島のウィレムスタット(Willemstad)でした。その中心市街が「キュラソー島の港町 ウィレムスタット市内の歴史地区」として1997年世界遺産に登録されました。アルバ島は1986年にオランダ自治領のとなって、5島となり、それも2010年に解体され、オランダ領アンチールは消滅しました。 オランダ領アンティールの1番切手:1873年発行。 ・オランダ領アンチールの6島 (Netherlands Antilles) オランダ領アンティルは、かつてカリブ海の小アンティル諸島にあってオランダ王国の海外領土を構成していた自治領として、2地域に分かれて6つの島が属しているも、 ・ABC諸島(ベネズエラ沖) @アルバ、1986年離脱 Aボネール島 Bキュラソー島 ・SSS諸島(リーワード諸島) Cシント・マールテン島、リーワード諸島のセント・マーチン島の南半分 Dシント・ユースタティウス島(リーワード諸島に有) Eサバ島 1986年にアルバが単独の自治領として分離。他の5島でも離脱を求める声が大きくなり、2010年に解体。5島のうちキュラソー島とシント・マールテン島は単独の自治領となり、残る3島(BES諸島〜ADE)はオランダ本国に編入され消滅しました。 なお、 ・セント・マーチン島、(リーワード諸島に有)の 南半分がダッチ・サイドでオランダ領シント・マールテン 北半分がフレンチ・サイドでフランス領サン・マルタン ・オランダのキュラソー島征服。 ・アルバ島 (Aruba) 面積:178.91ku 人口:103,400人2014 通貨:アルバ・フロリン(アルバ・ギルダー) 為替レートは1アルバ・フロリン=1アンティル・ギルダー=1.79米ドルで固定 中心地:オラニエスタッド(Oranjestad、 28,294人(2010)建設 1796年。 アルバ島は、西インド諸島の南端部、南米ベネズエラの北西沖に浮かぶ島で、ほぼ平坦なサンゴ礁の島なので、最高地点はジャマノタ山(Mt. Jamanota, 188m)。高度な自治が認められたオランダ王国の構成国。本土オランダ、キュラソー、シント・マールテンと共に対等な立場でオランダ王国を構成しています。アルバという名は、スペイン語の”oro huba”(黄金がある)から来ているという説が有。 カリブ海地域の中では生活水準は非常に高く、失業率も低い。アルバの国民総生産の半分は観光関連で、観光客のほとんどがアメリカからであり、最大の貿易相手国でもある。観光業が拡大する一方、アルバにおける有力産業は石油精製で、農業や製造業の規模は小さい。20世紀の最後の10年間は、観光産業がブームとなり、1985年にいったん製油所が閉鎖されて以来(1991年に再開)、アルバの第一の産業となる。観光と島内に多数あるリゾートに注目が集まっていることもあってアルバの失業率は非常に低く、「カリブ海のラスベガス」とも呼ばれている。 アルバは観光産業が盛んな一方で農業・製造業の規模が小さいことから長年財政赤字を計上しており、インフレ率はやや高くなっている。財政政策に注力してはいるものの、オランダ本国から毎年援助を受けている。 オラニエスタッドの町にはゾートマン砦(Fort Zoutman、1796建設)有。 1499年頃、スペイン人探検家アロンソ・デ・オヘーダが来島。 参考HP:〜 ・アルバ島の地図 ・ボネール島 (Bonaire) 面積:284ku 人口:約1万1000人。 中心地:クラレンダイク(Kralendijk、 10,620人(2017)建設 1639年。 ボネール島もカリブ海のベネズエラの近くにある島でオランダ領アンティルに属するオランダ領です。ブランダ山(240m)が島で最も高い山。ボネール島はフラミンゴの生息地として知られています。 参考HP:〜 ・ボネール島の地図 ・サバ島 (Saba) 面積:13ku 人口:1,349人2001、1,424人2004 中心地:ザ・ボトム(The Bottom、462人(2001)建設 1632年。 サバ島はカリブ海の小アンティル諸島・リーワード諸島にある島で、オランダ領アンティルに属する島です。火山島で海岸は高いシーナリー山(ボトム山)(854m)が断崖となって海に落ち込んでいます。サバ島の居留地であるボトムは標高260m余の火山原にあり岩に刻まれた階段にあります。1632年オランダが始めて占領、その後は海賊が立ち寄る事が多かった島です。ここの現在の主要な居留地はボトム (Bottom)、Windwardside、Hell's Gate 及びセントジョーンズ (St. Johns)です。アメリゴ・ヴェスプッチが1449年頃この地で大航海について大いに刺激を受けたといわれています。 参考HP:〜 ・サバ島の地図 参考HP:〜 ・セント・マーチン島の地図(シント・マールテンの場所地図) ・オランダ領アンティル諸島の地図 ・オランダ領アンティル諸島の場所地図(アルバ島有) こちらで ・オランダのキュラソー島征服 ・オランダ領シント・ユースタティウス島 ・セント・マーチン島 ・仏領サン・マルタン ・蘭領シント・マールテン をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成 H.24/2/25(2012)追記、 令和 R.3/8/21(2021) |
Netherland 国連 1989 発行 |
切手で綴る カリブ海方面の探検航海
オランダのキュラソー島征服 1634 |
大航海物語 オランダ編★ |
NEDERLAND 1634 Van Walbeackの乗船 キュラソー300年記念 1634 CURACAO 1934 オランダ 大正9年 1934/6/2 発行 |
NEDERLANDSE ANTILLEN ビーケンブルグ砦 ビーケンブルグ砦250年記念 1703 Fort Beekenburg 1953 蘭領アンティール諸島 1953/6/16 発行 |
オランダのキュラソー島征服(1634) 1600/9/28 ピート・ハイン提督のひきいる31隻のオランダ艦隊が、キューバのマタンサス沖合いでスペイン船団を襲撃.30隻まるごと拿捕。1500万グルデンを獲得。この後、十年間に800隻・67,000人が私掠船の海賊となってカリブ海を荒らしまわりました。 キュラソー島(別名:クラサオ島)はオランダ領アンティルの中心の島で、ベネズエラの北約60kmに位置し、面積は448kuで人口約18万人。1499年スペインのアロソ・ド・オヘーダとイタリアのアメリゴ・ヴェスプッチによって発見されました。発見当時には先住民のアラワク族がいましたがスペインの入植により絶滅しました。1634年オランダのウォールベック提督(Johannes van Walbeeck, 1602-1649)が到着してスペインからキュラソー島を奪い、プンダ砦(Punda)を建設しました。1636年にはオランダ艦隊が到着の後に上陸して同島を征服しました。 キュラソー島はお酒のキュラソー(オレンジのリキュール)発祥の地として知られています。オランダ領アンティール(Nederlandse Antillen)は小アンティル諸島の一部で、カリブ海に2つあるオランダの海外領土の1つです。もう1つはアルバ島。 参考HP:〜 ・キュラソー島の地図 こちらで 世界遺産の ・法隆寺 (日本) ・ヌビア遺跡 (エジプト) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 平成 H.20/10/18(2008)、 令和 R.3/8/20(2021) |