大航海物語 切手で綴る 大航海時代 と 新世界の産物(香料)
大航海時代の原動力(キッカケ)と成ったスパイス(6
トウガラシ
Red Pepper

資料

SAHARA OCC. R.A.S.D.
トウガラシ (Capsicum mexicanum)

コロンブ
1492 コロンブスの新大陸発見500年記念 1992
500 ANIV. DEL DESCUBRIMIENTO DE AMERICA

サハラ・アラブ民主共和国 (西サハラ) 1991 発行
TURKIYE
トウガラシ
Capsicum


学名:Capsicum annuum
トルコ 2018/4/18 発行


Nevis

1492 コロンブスの新大陸発見500年記念 1992
World Columbian Stamp Expo '92(1992/23-31 Chicago)

ネヴィス 1992 発行








赤トウガラシ

トウガラシ:〜:メキシコ原産(アンデス地方説も有)
  和名:唐辛子(赤トウガラシ)
  英名:チリペッパー(Chili pepper)、レッドペッパー(Red pepper)
  仏名:Piment
  スペイン語:El chile(pimiento)
  学名:Capsicum annuum
  分類:植物界 被子植物門 双子葉植物綱
      ナス目 ナス科 トウガラシ属 トウガラシ種
       Plantae Magnoliophyta Magnoliopsida
        Solanales Solanaceae Capsicum C. annuum
トウガラシ(唐辛子)は、
ナス科トウガラシ属の多年草または低木(日本など温帯では一年草)。また、その果実のこと。果実は香辛料または野菜として食用にされます。「トウガラシ」は「唐」から伝わった「辛子」の意味なるも、唐は漠然と外国を指す言葉で、中国経由というわけではありません。コロンブス第2回航海(1493-1496)の時、コロンブスがトウガラシを西インド諸島で発見し、トウガラシをインドの「瑚椒」(Peppers)と呼んだので、それが後々まで、世界中でトウガラシ (red pepper) とコショウ (pepper) の名称を混乱させるもとになりました。そして参加していたスペイン人医師ディエゴ・アルバレス・チャンカ(physician Diego Alvarez Chanca 1480-1515)がイスパニョーラ島でイサベラ町の建設中にマラリアが流行した時(コロンブスも罹患)に治療にあたり、1494/2月に最初のトウガラシ(chili peppers)をスペインへ持ち帰り、1506年その医学的効能を著作で出版しました。

トウガラシの特徴は、
草丈は40-60cm。茎は多数に枝分かれし、葉は互生。柄が長く卵状披針形。7-9月ごろ白い花を付け、花の後に上向きに緑色で内部に空洞のある細長い5cmほどの実がなります。果実は熟すると赤くなります。品種によっては丸みを帯びたものや短いもの、色づくと黄色や紫色になるものも有。辛味成分カプサイシン(Capsaicin)は種子の付く胎座に最も多く含まれます。トウガラシは胎座でカプサイシンを作り出しています。トウガラシの種子にはカプサイシンがほとんど含まれていないため、種子だけを食べるとまったく辛味を感じません。カプサイシンは果皮にも含まれるも、胎座ほど多くはありません。

・トウガラシ小史:〜
正確な年代は不明なるも、ペルーメキシコの遺跡の発掘で、トウガラシ属が利用され出したのは紀元前8,000年まで遡り、他のアメリカ大陸で栽培化された品種よりも早くから利用されてきました。ただ初期は栽培種というよりも野生種を半栽培の形で、集落や路傍の近辺に生えたものを利用されていたといわれています。メキシコでは紀元前1500年には栽培化が完了したと考えられています。現在中南米ではトウガラシ属10種が利用されているが、そのうち5種は基本的に原生地で栽培化され、また現在でもほぼ野生種のまま継続的に利用されている種も有。

現在、トウガラシは
世界中の国で多く使われているも、アメリカ大陸以外においては歴史的に新しい物です。コロンブスが15世紀にスペインへ最初の唐辛子を持ち帰った (コロンブスがが発見し、医師ディエゴ・チャンカが持ち帰った設も有) のが忘れられ、ブラジルで再発見したポルトガル人によって伝播され、各地の食文化に大きな影響を与えました。ヨーロッパでは、純輸入品の胡椒に代わる自給可能な香辛料として南欧を中心に広まりました。16世紀にはインドにも伝来し、様々な料理に香辛料として用いられるようになり、バルカン半島周辺やハンガリーへはオスマン帝国を経由して16世紀に伝わりました。

日本への伝来は、
1542年にポルトガル人宣教師が大友義鎮(よししげ:宗麟 1530-1587)に献上したとの記録があるも諸説有。南蛮胡椒と呼ばれていたのはこのためだとされています。日本に伝来した初期は食用として用いられず、観賞用や毒薬、足袋のつま先に入れて霜焼け止めとして用いられました。文献記録では、唐辛子の日本への伝来を具体的に記した文献は、江戸時代(1603〜1868)後期の農政学者・佐藤信淵(のぶひろ 1769-1850)の「草木六部耕種法, 1829」です。その著の中で「蕃椒は最初南亜墨利加(南アメリカ)州の東海浜なる伯亜見国(ブラジル)より生じたるものにして、天文十一年(1542)波繭杜瓦爾(ポルトガル)人初めて豊後国に来航し南瓜の種子と共に国主大友宗鱗に献ぜり」と記しているも、天文11年(1542)には種子島にも豊後国にも来航した記録はありませんので、天文11年は21年の誤記であるとされています。

朝鮮へは豊臣秀吉朝鮮出兵の時に武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として、日本からの兵(加藤清正)が持ち込んだものだとされています。

・トウガラシの品種:〜
辛味があり香辛料として使われる品種と、辛味がないかほとんどない代わりに糖度が高く、主に野菜として食される甘唐辛子が有。
・香辛料:〜
 鷹の爪、本鷹、三鷹、八房、ハラペーニョ、スーパーチリ、
 カイエンペッパー、など。
・野菜:〜
 ピーマン、パプリカ、ひもとうがらし、弘前在来トウガラシ、
 ししとう、伏見唐辛子、万願寺唐辛子、ピメント(Pimento)など。
ピーマン

日本 2014/6/4 発行

参考HP:〜
トウガラシの実
トウガラシの木と果実

こちらで
食料の
トウモロコシ
カカオ
パイナップル
パンノキ
スペインの
カンタブリア州
世界遺産の
ラスコー洞窟の岩絵フランス
クレムリンロシア
ペトラ遺跡ヨルダン
パルテノン神殿ギリシャ
法隆寺日本
をお楽しみください。

上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 15/5/15、17/2/14、2018/3/31、令和 R.2/8/9(2020)
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