Spain 国連 1988 発行 |
切手で綴る 歴史の証人シリーズ (Historical
Witness)No.3
ポリサリオ戦線 西サハラ、Western Sahara サハラ・アラブ共和国 Spanish Western Sahara |
サハラ・アラブ民主共和国 アルジェリア 1976 発行 |
地 図 編 |
大航海物語 |
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ESPANA-SAHARA
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SAHARA-ESPANOL ラクダの郵便配達 スペイン領サハラ 1959/11/23 発行 |
亡命政府:〜 サハラ・アラブ民主共和国 Sahrawi Arab Democratic Republic、ポリサリオ戦線 首都:ラユーン(アイウン)、臨時首都:ティファリティ(Tifariti)、人口:267000人(2004)、面積:26.6万u、住民:アラブ・ベルベル系、言語:アラビア語、ハッサニヤ語(アラビア語の方言)など、宗教:イスラム教、国土のほとんどがサハラ砂漠。沿岸は世界で指折りの漁場。内陸部は砂漠気候で、海岸部は比較的穏やかな気候。世界約50ヵ国が正式な外交関係を結ぶ砂漠の中の亡命政府。アルジェリア領内のオアシスの街ティンドゥフで難民キャンプで亡命政府を作っています。 西サハラの独立を目指すサギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線(POLISARIO、通称ポリサリオ戦線(Frente Popular de Liberacion de Saguia el Hamra y Rio de Oro,POLISARIO)が、「サハラ・アラブ民主共和国」という国の独立を宣言するも、領土のほとんどはモロッコが占領し続けています。 西サハラは「砂の壁」と呼ばれる軍事境界線をはさんで、7〜8割に相当する地域をモロッコが実効支配しています。砂の壁の東側、2〜3割に相当する地域がサハラ・アラブ共和国(ポリサリオ戦線)の実行支配地域で、境界線をはさんで両者は今もにらみ合っています。これが「西サハラ問題」といわれています。 参考HP:〜 ・西サハラの地図 ・西サハラの区分地図(SEGUIRA EL HAMRA、 RIO DE OROの境界が有、拡大有)
12/11、モロッコ軍が首都アイウン(Laayoune:El Aaiun)に到着してポリサリオ戦線を攻撃 12/20、モーリタニア軍がティチラ(Tichla)とラグェラ(La Guerra)の奪回に成功 1976年、 01/27、第1次アマガラ戦(First Battle of Amgala、-1/29)で西サハラ戦争が勃発 モロッコ軍とポリサリオ戦線を支援するアルジェリアがモロッコと交戦 01/29、アルジェリア軍がモロッコ軍に敗れてアマガラから退却 02/7-11、ヴァルトハイム 国際連合事務総長のリドベック大使(Olof Rydbeck)が西サハラの アイウン(El Aaiun)、ダカーラ(Dakhla)、スマラ(Smara)を訪問 02/12、モロッコ軍がアルジェリア国境から50kmのマフベス(Al Mahbes)を占領 02/14-15、何者かに攻撃を受けたアマガラ守備のモロッコ軍が全滅 02/27、スペイン軍が西サハラから公式に撤退、同日ポリサリオ戦線が サハラ・アラブ民主共和国(Sahrawi Arab Democratic Republic:SADR)が建国を宣言 03/06、アルジェリアがSADRを承認 03/07、モロッコがアルジェリアと国交断絶。その後、 ポリサリオ戦線が保持していたスマラをモロッコ軍が制圧し、 ティンドゥフ(Tindouf) 付近などにサハラ人(Sahrawi)の難民キャンプが4ヵ所できる 1979年、アルジェ協定でモーリタニアが無条件撤退を前提に、ポリサリオ戦線が停戦を宣言 1987年、 05/25、アマガラ戦のモロッコ兵150人とアルジェリア兵102人の捕虜交換が実施される 1989年、 11/08、第2次アマガラ戦(Second Battle of Amgala)勃発 ポリサリオ戦線が国境から20kmのスマラ(Smara)迄突入後、撤退して以降は戦闘が止む 1991年 モロッコとポリサリオ戦線は国際連合の解決計画の中の停戦に合意するもゲリラ戦が起る 04/29、国際連合西サハラ住民投票ミッションで、約230人の国連PKOが活動開始 08/04、ラットルの戦い(Operation Rattle(Tifariti offensiv)、-1991/9/6)が勃発、西サハラのティ ファリティ(Tifariti)、ビエ・ラフルー(Bir Lehlou)、マハイレス(Mehaires)、ミジェク (Mijek)、アグワニト(Agwanit)などで、モロッコ軍とサハラ人ゲリラが戦闘を交える 2013年、現在も国連PKOが活動継続中で、西サハラ紛争は解決していない。 参考HP:〜 ・西サハラの地図と砂の壁(点線が砂の壁、約2000km) ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 2012/3/15、2013/1/30 |