Dominican Republic 国連 1984 発行 |
切手で綴る カリブ海の島国シリーズ No.8 (Island Nations) ドミニカ共和国 Dominican Republic |
大航海物語 地図編★ |
イスパニョラ島 国境紛争を招いた切手 左はハイチで、右がドミニカ ドミニカの国境線が西に出すぎている ドミニカ共和国 1900 発行 (画:300%) |
正しい国境の切手 黄色い部分がドミニカで、左はハイチ 1496 サント・ドミンゴ市建設450年記念 1946 ドミニカ共和国 1946/8/4 発行 (画:300%) |
左の上の島がキューバ島で、中央はイスパニョラ島、右の島がプエルトリコ島 |
ハマダラ蚊の撲滅 マラリヤ撲滅 WHO 国際会議記念 1962 ドミニカ共和国 1962 発行 |
汎アメリカン航空競技大会地図、1937 ドミニカ発1932/9/12〜コロンビア1937/9/12予定、1937/12/19着 1937 コロンブス基金、汎アメリカン航空競技大会50年記念 1987 Dominican Republic aviation map ドミニカ共和国 1987 発行 |
ドミニカ共和国 Dominican Republic 面積:約48,730ku、イスパニョラ島の東側がドミニカ共和国 (イスパニョラ島面積:約76,480ku、日本の北海道77,984kuにつぐ広さ) 人口:約886万人(2004)、約1,078万人(2016) 首都:1496にバルトロメ・コロン建設のサント・ドミンゴ(91.6人, 2002) 人種:混血72.9%、ヨーロッパ系16.1%、アフリカ系10.9%、その他0.1%など 言語:スペイン語など、宗教:カトリックなど 宗教:在来宗教(47%)、カトリック(38%)、プロテスタント(15%) GDP:GDP:(国内総生産)約$1,268億(2013)PPP:購買力平価説(72位) 1人当約$12,173(国際比較はこちらを参照)但しMER:通常交換説約$613億 国連:1945/10/24加入、1番切手:1865年発行。 ドミニカ共和国は、1492年にコロンブスがイスパニョーラ島を発見してスペイン領となりました。
・ドミニカ共和国の略史:〜 1492、スペインのコーサ船長がコロンブスに同行して、来島 1493、スペインのオヘーダ船長がコロンブスの第2回航海で来島 1496、スペインのコロンブスの弟バルトロメ・コロンがサント・ドミンゴを建設 1501、スペインのバルボア船長がサント・ドミンゴで農場経営に失敗 1502、スペインのバスチダス船長がサントドミンゴで捕らえられ投獄 スペインのオバンド総督がサント・ドミンゴに到着 スペインのフランシコ・ピサロがオバンド総督の船隊で来島 スペインのラス・カサス神父が18才でオバンド総督の船隊で来島 1504、スペインのポンセ・ド・レオンがインデイオの反乱を制圧 1504、スペインのエルナン・コルテスが19才で大西洋を渡り、島に腰を落ち着ける 1511、サント・ドミンゴでモンテシーノス神父が、原住民に対する不当な扱いを非難 1562、イギリスのホーキンス船長がサント・ドミンゴで奴隷を売り払う 1697、島の西側が仏領となる(リスウィク平和条約) 1795、仏西(フランス・スペイン)戦争の結果全島が仏領 1801、サン・ドマングのルーヴェルチュールが侵攻してきて、1/24に奴隷を解放 1804、西側がハイチとしてフランスより独立 1814、パリ条約で東側はスペイン領となる 1822、ハイチ軍による占領(〜1844) 1844、ハイチから独立してドミニカ共和国となるも独立戦争が勃発(〜1856)勝利 1861〜1865、スペインに合併 1865〜1916、第二共和政 1916〜1924、米国による軍事占領 1924〜30、第三共和政 1930〜61、第三共和政下で、トルヒーリョによる独裁 1961、バラゲールを首班とする国家評議会成立、その後クーデターで軍事評議会成立 1962、30年ぶりに大統領選挙 1963、ドミニカ革命党フアン・ボッシュ・ガビノが大統領に就任 ボッシュはケネディに憧れて「ボッシュ憲法」を施行、土地改革など社会改革実践 寡頭支配層と結びついた軍事評議会ウェッシン大佐によるクーデターで追放され 軍事評議会推薦実業家のカブラルが新大統領 1963、カブラルが憲法を廃止、国会を停止 1964、東京オリンピックに参加 1965、政府軍と反政府軍の両派間で武力衝突が発生(米国など派兵) 1965/4/24、ボッシュ派立憲派カーマニョ大佐など陸軍軍人がクーデター、1963年憲法復活 1965/4/25、カブラル大統領を逮捕しボッシュの復帰を求めて首都サント・ドミンゴを占拠 ウェッシン空軍大佐が地方に逃れて首都を包囲(軍事評議会)ドミニカ内戦勃発 1965/4/26、米ジョンソン大統領はアメリカ海兵隊の投入を決定 1965/4/28、海兵隊が40年ぶりにドミニカに上陸 1965/4/29、第82空挺師団が降下(ドミニカ侵攻) 1965/4/30、国連調停でゴドイ統一暫定政権が成立 米州平和軍(ブラジル1,130人、ホンジュラス250人、パラグアイ184人、ニカラグア160人、コスタリカ憲兵21人、エルサルバドル3人)が治安維持部隊として派遣され、最終的に海兵隊は35,000人に増派され、立憲派軍を鎮圧(パワー・バック作戦:Operation Power Pack)首都だけで4000人の死者を出して内戦は終結 1966、形式的な選挙でキリスト教社会改革党から「トルヒーリョの未亡人」とまで呼ばれた バラゲールが大統領に就任、軍部と財界の支持を背景に強権政治を行い 死の部隊(Death Squad)を駆使してボッシュ派の暗殺を続ける ドミニカの政治はトルヒーヨ時代に逆行(1970、1974年再任)第四共和政 1970、日本万国博覧会に参加 1978〜1982、ドミニカ革命党グスマンが大統領に就任するも財政状況は悪化 1982〜1986、ブランコが大統領に、経済状況悪化で国際通貨基金要請で財政緊縮政策 1986、大統領選挙で80才のバラゲール勝利 観光業・ニッケル・在外ドミニカ人の送金を柱にドミニカ共和国の経済は回復に向う 1992、コロンブスのアメリカ大陸到達500年記念祝賀への反対運動が発生 1994、大統領選挙も「不正」をめぐって紛糾 1996、大統領選挙でドミニカ解放党フェルナンデスが大統領に就任 2000/5月、大統領選挙で社会民主主義のドミニカ革命党ドミンゲスが大統領就任、汚職 2004、大統領選挙でドミニカ解放党フェルナンデスが再び勝利 2012、大統領選挙、フェルナンデス後継のドミニカ解放党(PLD)ダニーロ・メディーナ当選 2020/8/16、現代革命党(PRM)ルイス・アビナデル大統領就任、16年ぶりに政権交代。 ・ドミニカ共和国の州:〜 ドミニカ共和国は31の州(provincia)に分けられ、 首都サント・ドミンゴは首都地区(Distrito Nacional)、(人:2017、City:2012)
<世界遺産> ・サントドミンゴの植民都市、文化遺産(1990) (Colonial City of Santo Domingo)
参考HP:〜 ・ドミニカ共和国の地図 ・ドミニカ共和国の区分地図 ・ドミニカ共和国の場所地図 こちらで世界遺産の ・富士山 (日本) ・パルテノン神殿 (ギリシャ) ・ピラミッド (エジプト) をお楽しみください。 ・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 08/10/2, 令和 R.3/5/22(2021) |