Honduras

国連 1989 発行
切手で綴る 中央アメリカ諸国 (Central American Countries) No.5
ホンジュラス
Republica de Honduras

大航海物語
  地図編

REPUBLICA de HONDURAS
ホンジュラスの地図

ホンジュラス 1939/3/1 発行
←ホンジュラス ホンジュラスの場所地図
第17回米州建設産業会議記念
XVII Congreso Interamericano de
la Indastria de la Construccion
Honduras 1990

ホンジュラス 1990 発行

BELIZE
中央アメリカの地図
REPUBLICA de HONDURAS
コラタスカ・ラグーン
メキシコ→

グアテマラ→

エルサルバドル→



←ベリーズ(赤)

ホンジュラス


←ニカラガ


←コスタリカ

←パナマ

Coratasca Lagoon
1948 米州機構50年記念 1998
ベリーズ 1998/7/22 発行
(ラグーン:砂州やサンゴ礁で
外海から隔てられた水深の浅い水域)

ホンジュラス 1975/9/15 発行

ホンジュラス共和国
 Republica de Honduras(英:Republic of Honduras)
 面積:112,492ku(日本の約3分の1弱)
 人口:約710万人(2007)、9,459,440人(2022)
 首都:テグシガルパ(Tegucigalpa)
 民族:ヨーロッパ系・先住民混血91%、その他9%(先住民6%、アフリカ系2%、ヨーロッパ系1%)
 宗教:伝統的にカトリック(信教の自由を憲法上保障)
 言語:スペイン語、通貨: レンピラ (L)、1番切手:1865/12月発行。

・ホンジュラス略史:〜
1502 スペインコロンブス第4回航海で発見
1519 エルナン・コルテスがアメリカ大陸に上陸
1521 コルテスがアステカ帝国征服後に征服
スペイン人がインディヘナを武力で服従させると、グアテマラ総督領として支配
この地から豊富な金や銀などが産出するとスペイン人の植民が進む
1537 レンピーラ酋長がインディヘナで最大の反スペイン反乱を起こすも短期に鎮圧される
1539 グアテマラ総督領編入
1570 年代にテグシガルパ周辺で銀山が発見されるも、このブームはすぐに終焉
1789 フランス革命、ヨーロッパの政治的混乱
19世紀前半にインディアス植民地各地のクリオージョ達の間で独立の気運が高まる
1803 ナポレオン戦争(-1815)
1808 スペイン本国で半島戦争が勃発(スペイン独立戦争,1808-1814)
フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトがボルボン朝のフェルナンド7世を退位させ、
兄のジョゼフをスペイン王ホセ1世に据えると、インディアス植民地は偽王への忠誠を拒否
1811 独立闘争が本格化
1820 スペインで自由主義者によるリエゴ革命(スペイン立憲革命)が起きる
1821 /9/15に独立(グアテマラ総督領)
アグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国独立と合併
1823 中央アメリカ連邦共和国(1823-1839)に加盟
中米諸州連合結成
ホンジュラス出身のフランシスコ・モラサン将軍は自由主義のエルサルバドル派として、連邦維持を目的に、ラファエル・カレーラ将軍の率いる保守主義のグアテマラ派との戦いを続ける
1838 中米諸州連合より分離独立
ホンジュラス共和国として独立、現在もモラサン将軍はホンジュラスで特別の地位を占めている
1855 ニカラグアでアメリカ合衆国南部人の海賊ウィリアム・ウォーカーが大統領になり、中米諸国は団結してウォーカーの排除を決定。この国民戦争でウォーカーは敗北。その後ウォーカーは再び中米の主人となるためにこの国に上陸、イギリス海軍に捕らえられ、トルヒージョで処刑
1870 年代からコスタリカを筆頭に中米各国でコーヒー・プランテーションが発達するも、ニカラグアとホンジュラスでは人口が少なく、労働力が足りなかったためにコーヒーは根付かず。そのためホンジュラスでは代わりにマイナー・キース(Minor Cooper Keith 1848-1929)によってバナナ・プランテーションが形成され、最初に「バナナ共和国」と呼ばれる国になる
1899 キースがアンドリュー・プレストンのボストン・フルーツ社と自分の事業を合同してユナイテッド・フルーツ社を立ち上げ、中米全体に君臨する
1894 ポリカルボ・ポニージャ大統領が制定した憲法では中米諸国との連合の可能性を条文内に規定
1880 独立後のラテンアメリカ諸国はどこも自由党と保守党の争いが続く
マルコ・アウレリオ・ソト大統領が自由主義憲法を制定し、直接選挙の実施を保証
20世紀 に入るまで、周辺諸国と国境紛争が頻発
1907 ニカラグアのセラヤ大統領はホンジュラスに侵攻して全土を支配
セラヤのニカラグア拡大を恐れたアメリカ合衆国の仲介で、ホンジュラス大統領にミゲがル・ダビラの就任で妥協がなされ、その後この事件を処理するために中米司法裁判所が設置される
1911 マヌエル・ボニージャが反乱を起こし、ダビラは失脚
1912 ボニージャが大統領に返り咲く
1913 ボニージャが亡くなる
フランシスコ・ベルトランドが大統領に就任、1919年まで安定する
1919 内戦が勃発
内政が混乱に陥り、アメリカ合衆国がバナナ権益を保護するために内政干渉に乗り出す
1920 年代にホンジュラスは世界のバナナ市場の約1/3を供給
1929 世界恐慌でバナナ産業が大打撃を受ける
ユナイテッド・フルーツ社で働くバナナ労働者による労働争議が次第に活発になる
1933 ティブルシオ・カリアス・アンディーノ将軍がクーデターを起こして軍事独裁を開始
アメリカ合衆国のバナナ会社との強い関係を背景に強権統治を行い、この独裁政権は17年間続く
第二次世界大戦後の政情は不安定で、軍事政権が相次いで成立
アメリカ合衆国の石油会社がニカラグア国境付近で油田を発見なって、
1957 /5月、ソモサ王朝体制のニカラグアと国境紛争勃発
ホンジュラス東部が戦場となる、
7/21この国境紛争が問題を国際司法裁判所に提訴することにより、解決が図られる
1960 年代末時点で30万人のエルサルバドル人がホンジュラスで不法移民として農業に従事
ホンジュラス政府が農地改革すると、この不法農業移民問題が両国の軋轢をより大きする
1960 中米共同市場が結成されるも、ホンジュラスは工業国エルサルバドルの製品の市場としてしか扱われず、このことはホンジュラス人の不満を高める
1969 エルサルバドルと、いわゆる「サッカー戦争」が起きる
1971 ホンジュラスはエルサルバドル製品ボイコットのために中米共同市場を脱退
1979 ニカラグア革命後、ホンジュラスはニカラグアのサンディニスタ政権に対するコントラの最も有力な基地となり、アメリカ陸軍、アメリカ空軍、イスラエル国防軍、アルゼンチン陸軍など多くの反共国家の軍隊がホンジュラスに駐留
1981 民政移管に成功、選挙の結果自由党政権が成立、その後もコントラの基地は続く
1982 民政移管、コルドバ大統領就任
1985 アスコナ政権が成立するとアメリカに接近し、軍事経済関係が強化される
1986 アスコナ大統領就任
1990 カジェハス大統領就任
1993 レイナ政権が成立
1994 レイナ大統領就任
1998 フローレス大統領就任
2002 マドゥーロ大統領就任
2006 セラヤ大統領就任
2009 軍事クーデター発生
中道左派の大統領ホセ・マヌエル・セラヤは政権延長・終身大統領を狙って憲法改正のための国民投票を6/28に実施する予定なるも、国会と最高裁判所は国民投票を違憲だとして大統領と対立
6/24 ロメオ・バスケス統合参謀本部議長を更迭、大統領令でエドガルド・メヒア将軍を後任とする
6/25 これに抗議してアンヘル・エドムンド・オレジャナ国防大臣も辞表を提出。数時間後に更迭は無効と最高裁判所からの宣告がなされ、対立が高まり、国民投票が実施される当日、投票が始まる1時間前になって、最高裁判所が出した大統領逮捕令にしたがって、軍部がクーデターを起こし、セラヤは大統領官邸で拘束の上コスタリカへ移送され、ニカラグアに事実上亡命(大統領夫人は移送されず国内に留る)
6/28 午後、セラヤと同じ自由党に所属するロベルト・ミチェレッティ国会議長が暫定大統領に就任(〜2010/1/27)
7/05 セラヤはミゲル・デスコト国連総会議長(元ニカラグア外務大臣)を伴い、ベネズエラより飛行機による帰国を試みるも、テグシガルパ国際空港は軍により閉鎖されており帰国は阻止される
9/21 にセラヤは強行帰国に成功、首都テグシガルパのブラジル大使館内に留まる
国会、裁判所などクーデター派はセラヤが左傾化を進めることに反対してきた富裕層などの支持を得ているとされる
11/29 大統領選挙の結果、国民党から立候補のポルフィリオ・ロボ・ソサが当選を確実に、選挙はクーデターで国外追放されたセラヤ大統領を復帰させないまま強行されたので、中南米諸国の大半(ブラジル・アルゼンチン・ボリビア・エクアドル・ベネズエラ・ウルグアイ・エルサルバドル・チリなど)は選挙結果を認めず、セラヤの大統領復帰を求める立場を表明
12/03 ラテンアメリカ議会はホンジュラス国会を資格停止にすることを決める
中南米ばかりでなく国際社会も選挙の正当性を疑問視
12/09 セラヤがメキシコに出国することが明らかになった。しかし、暫定政権のカルロス・ロペス外相が国内テレビで出国を認めないと語った。メキシコ外務省は、暫定政権の外務省から出国許可を取り付け、セラヤとその家族を賓客として招待する、としている。
12/10 セラヤは暫定政権から辞任を条件に出国することを求められうrも拒否して出国は停止される
セラヤ受け入れを表明していたメキシコ政府はホンジュラスの政治危機の解決に協力することを表明し、ブラジル政府は暫定政権を厳しく批判、北米・中南米35カ国の内、米国・ペルー・パナマ・コロンビア・コスタリカの5カ国は選挙結果の承認へ傾いているといわれている(中南米の4カ国はいずれも親米)。ミチェレッティは、セラヤが2008/8月加盟の米州ボリバル代替統合構想の脱退を提案)。同盟維持を主張する「クーデター反対抵抗戦線」と、ミチェレッティを支持する富裕層の間で対立が起きる。
12/14 セラヤが2008/8月加盟の米州ボリバル代替統合構想の同盟維持脱退が国会で承認される
大統領を元首とする共和制国家であり、行政権は大統領に属する。大統領の任期は4年で、再選は禁止されている。立法権は一院制の議会に属し、議員定数は128人である。司法権は最高裁判所に属している。現行憲法は1982年憲法である。 保守的な国民性で、コスタリカ程ではないものの中米では比較的安定した国家であり、1970年代から1980年代の中米紛争の最中にも、エルサルバドル内戦、グアテマラ内戦、ニカラグア内戦のように悲惨な内戦を起こす事はなかった。 自由党と国民党の二大政党制が二十世紀初頭から続いており、長い軍事政権の歴史もあるものの、基本的に現在もこの構図は変わっていない
2010 1/27、ロボ大統領就任
クーデターで成立した政権下の昨年11月の大統領選挙で当選したロボ大統領の就任式が行われる
就任演説で同大統領は、クーデターによって引き起こされた不正常な状態からの脱出を宣言し、国際社会との関係修復に取り組む決意を表明するも、就任式に国家元首が参加したのはドミニカ共和国とパナマのみで、中南米諸国の多くは就任式に代表を送らず。同大統領は就任式直後、ブラジル大使館に避難していたセラヤの出国を許可。セラヤはドミニカ共和国のフェルナンデス大統領と同国へ出国。

・各県と県庁所在地
ホンジュラスには18県(departamentos)と、その下の298の市町村が有
No 県名 県都名 ku 人口(2016)
1 アトランティダ Atlantida ラ・セイバ La Ceiba 4,251 457,000
2 チョルテカ Choluteca チョルテカ Choluteca 4,211 453,400
3 コロン Colon トルヒージョ Trujillo 8,875 325,000
4 コマヤグア Comayagua コマヤグア Comayagua 5,196 521,700
5 コパン Copan サンタ・ロサ・デ・コパン Santa Rosa de Copan 3,203 388,800
6 コルテス Cortes サン・ペドロ・スーラ San Pedro Sula 3,954 1,653,700
7 エル・パライソ El Paraiso ユスカラン Yuscaran 7,218 465,900
8 フランシスコ・モラサン Francisco Morazan テグシガルパ Tegucigalpa 7,946 1,577,200
9 グラシアス・ア・ディオス Gracias a Dios プエルト・レンピラ Puerto Lempira 16,630 96,400
10 インティブカ Intibuca ラ・エスペランサ La Esperanza 3,072 246,300
11 イスラス・デ・ラ・バイア Bay Islands ロアタン Roatan 261 67,700
12 ラパス La Paz ラパス La Paz 2,331 209,800
13 レンピーラ Lempira グラシアス Gracias 4,290 339,300
14 オコテペケ Ocotepeque ヌエバ・オコテペケ Nueva Ocotepeque 1,680 154,300
15 オランチョ Olancho フティカルパ Juticalpa 24,351 545,800
16 サンタ・バルバラ Santa Barbara サンタ・バルバラ Santa Barbara 5,115 441,900
17 バジェ Valle ナカオメ Nacaome 1,565 180,800
18 ヨロ Yoro ヨロ Yoro 7,939 596,100

ホンジュラスは、基本的に熱帯でカリブ海岸低地は高温多湿の気候であるものの、国土の80%弱を占める山岳地帯、特に国土主要部の標高1,000m〜1,500mの高原地域では常春に近い気候。最も高い山はセラケ山であり、標高は2,850m。地震による被害は少なく、ハリケーンによる被害は他の中米・カリブ海諸国と共通で、南西部カリブ海岸のニカラグアにまで続くモスキート海岸の一部であるモスキータ地方には未開の熱帯雨林が広がり、プラタノ川流域は世界遺産となっている。

<世界遺産>
・コパンのマヤ遺跡 - (1982)文化遺産
・リオ・プラタノ生物圏保護区 - (1980)自然遺産

参考:〜
・バナナ戦争
 (Banana Wars, 1898-1934)
バナナ戦争は、米西戦争(Spanish-American War, 1898/4/21-1898/10/10)後にアメリカ合衆国によって行われた中央アメリカ諸国に対する軍事介入の総称。介入の多くは海兵隊によって行われ、場合によって海軍の艦砲射撃や陸軍兵力も用いられた。名称は当時中央アメリカで経済的な利害関係を有していたユナイテッド・フルーツ社が、プランテーションでバナナタバコを栽培していたことに由来し、介入はユナイテッド・フルーツをはじめアメリカ企業に対する革命運動の抑止を目的としていた。バナナ戦争はフランクリン・ルーズベルト大統領の善隣政策で、1934年にアメリカ合衆国がハイチから撤退して終結。
バナナ

スリナム 1961 発行
<介入を受けた国々>
キューバ(これに加えない場合も有)
ハイチ
ドミニカ共和国
プエルトリコ
メキシコ
ホンジュラス
・ニカラグア
・コスタリカ
・パナマ
コロンビア

参考地図HP:〜
 ・ホンジュラスの県区分地図
 ・ホンジュラスの地図(日本語)

こちらで
・切手で綴る中央アメリカ諸国シリーズ:〜(北から)
(1)メキシコ
(2)ベリーズ
(3)グアテマラ
(4)エルサルバドル
(5)ホンジュラス
(6)ニカラグア
(7)コスタリカ
(8)パナマ
マゼラン (海峡)
スパイス (香辛料)
コーヒー (嗜好飲料)
ラッコ(絶滅危惧種)
クリッパートン島(絶海の孤島)
カリブ海の地図(島国シリーズ)
フランスの王と王族(ブルボン朝)
切手コレクションの
イギリス皇太子ご成婚
・切手で綴る東海道五十三次
全米50州アメリカ
・世界で1番美しい 蝶々
・ギリシャの民族衣装
・スペインの画家ゴヤ
世界遺産
フランス
法隆寺日本
ヌビア遺跡エジプト
ピラミッド (エジプト)
パルテノン神殿ギリシャ
モヘンジョダロパキスタン
をお楽しみください。

・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。   令和6年 2024/11/23
スタンプ・メイツ
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