大航海物語 | United Kingdom 国連 1983 発行 |
切手で綴る 海戦大航海(Naval Battle Voyage)
コペンハーゲンの海戦 1801/4/2 Battle of Copenhagen ★イギリス VS ノールウェイ・デンマーク連合★ |
Norway 国連 1982 発行 |
Denmark 国連 1982 発行 |
海戦物語 |
Isle of Man コペンハーゲンの海戦 炎上するノールウェイ・デンマーク艦隊 マン島 2005 発行 |
Isle of Man キリアム大尉 ネルソン提督 マン島 2005/1/9 発行 |
AITUTAKI ブライ総督 クック諸島アイツタキ 1978 発行 |
ユトランド半島 | DANMARK デンマークの地図 デンマーク 1995/5/16 発行 |
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<コペンハーゲンの海戦> (Battle of Copenhagen, 1801/4/2)イギリスの勝利 別名:第一次コペンハーゲン海戦 (1st Battle of Copenhagen) コペンハーゲンの海戦は、デンマークのコペンハーゲン近くの泊地に停泊していたデンマーク海軍の艦船群と英国艦隊が戦った海戦。もともとデンマークの海軍力がフランスに合力することをイギリスは警戒しており、これに双方の外交上の行き違いが重なって海賊が勃発。英国海軍は艦船の喪失なしで、デンマーク艦船15隻を破壊・捕獲して大勝。海戦後に改めて交渉が行われました。デンマークは安易にナポレオン戦争の武装中立同盟(第二次対仏大同盟)を離脱してイギリスに与すれば、親仏的なロシア皇帝パーヴェル1世(Pavel I, 1754-1801/3/23)を刺激することになると警戒しているも、皇帝の崩御を知らされ、ロシアの報復を恐れる必要がなくなったため、イギリス側の条件に同意しました。この海戦は、イギリス艦隊の総司令官ハイド・パーカー提督(Admiral Sir Hyde Parker, 1739-1807)とノールウェイ・デンマーク連合艦隊が浅瀬の多いコペンハーゲン湾で激突した海戦。激戦の中で)を離脱してイギリスに与すれば、親仏的なロシア皇帝パーヴェル1世(Pavel I, 1754-1801/3/23)を刺激することになると警戒しているも、皇帝の死を知らされ、ロシアの報復を恐れる必要がなくなったため、イギリス側の条件に同意。この海戦は、イギリス艦隊の総司令官ハイド・パーカー提督(Admiral Sir Hyde Parker, 1739-1807)とノールウェイ・デンマーク連合艦隊が浅瀬の多いコペンハーゲン湾で激突した海戦。激戦の中で副司令官ネルソン提督は、パーカー総司令官の「停戦命令」を無視しして戦闘を続行し、猛砲撃で敵デンマーク連合艦隊を殲滅してイギリスが大勝利。キリアム中尉はフリゲート艦アマゾン号で、ブライ艦長も戦列戦艦ガラトン号でネルソン提督を支持して大いに活躍しました。 <艦隊編成>艦隊戦闘序列 (Order of battle at the Battle of Copenhagen's Fleets)1801/4/2 ・イギリス艦隊、デンマーク・ノルウェー連合艦隊:〜(Brish fleet, Denmark-Norway fleet)
<イギリス艦隊>:〜(British fleet) ・総司令官ハイド・パーカー大将(Admiral Sir Hyde Parker, 1739-1807) ・副司令官ネルソン中将(Vice Admiral Horatio Nelson, 1758-1805/10/21)
<デンマーク・ノルウェー艦隊>:〜(Denmark-Norway fleet) ・ノルウェー司令官フィッシャー中将(Vice admiral Johan Olfert Fischer, 1747-1829) ・デンマーク司令官シュテン・ビレ大将(Admiral Steen Andersen Bille, 1751-1833)
※港湾周辺には ・ビレ艦隊:〜 戦列艦14 隻と、同数の小型艦が温存。 参考HP:〜 ・コペンハーゲンの場所地図(デンマークの地図) こちらで ・トラファルガーの海戦
・上記はこちらの文献などを参照させてもらいました。 令和 R.4/11/22(2022) |